7月のおたより

2023・7月

 【 お寺の行事 】

  7月1日(土) 13:30 魂迎参り  

             講師 藤懸了世 師(志賀町鹿頭 常徳寺)
                 松下文映 師(珠洲市鵜飼 往還寺) 

             当番 福嶋そうざ組

 お斎(食事)は、感染症が拡大している報道がありますので、今年も取り 止めとし、お参りのみなさまにはお斎に代わる品をお持ち帰りいただきます。

 また、魂迎会は、お盆に先立ってお寺で勤まるお盆のお参りです。
 5月の珠洲地震で被災された松下住職さんにも出講いただきます。 

             お誘い合わせてお参りください。

【 亡き人とともに 

 看護師さんと話したことがあります。
                    
  看護師  病院では、患者さんが臨終の時、希望があれば音楽を流せます!

  私    どんな音楽でも良いのですか?

  看護師  クラッシックでもジャズでも演歌でも、童謡でも何でも流せます!

  私   そうですか!
      美空ひばりの♪川の流れのように♪なんかいいですね!
      ところで、お経はどうですか?

  看護師 お経はダメです!

  私   なぜですか?

  看護師 縁起が悪い!

  私   ……

 落語のような話になりました。

 新聞を読んでいて、看護師さんとの話を思い出しました。
 新聞の記事は、知人が、葬儀の時、不思議な体験をした話を伝えていたからです。
 
 知人は、お通夜にお参りしました。
 「正信偈」のお勤めが始まると、僧侶の声に混じって女性の声がスピーカーから聞こえてきます。
 お勤めしている僧侶は男性2人なのに、男性の声に混じって、女性の声がスピーカーから聞こえてくるのです。
 その時、知人は、

    亡くなったお婆ちゃんは、信心深い人だったから、きっと皆んなと「正信偈」を唱和したかったにちがいない!

と、スピーカーから聞こえてくる女性の声を聞きながら思ったという話です。

 この記事を読んで、看護師さんとの話を思い出すと同時に、もうひとつ思い出したことがあります。

 現在は、亡くなったあと「枕経」を読みますが、昔は、臨終を迎えると、お坊さんが呼ばれて枕元でお経を称えました。
 『今昔物語集』などは、臨終を迎えた人が、お坊さんのお経を聞きながら、念仏を称えて、後顧の憂いなく穏やかに極楽往生して逝ったという話を伝えています。
 昔は、こんな臨終の作法があったのです。
 この作法は、地方によっては、近年まで伝えられていたと聞いたことがあります。

 また、臨終の作法といえば、奥能登地方の住職さんの子供の頃の話です。
 お寺の住職さんが亡くなって、葬式の朝、本堂内陣の畳の上に納棺前の亡き住職さんを座らせて、亡き住職さんと一緒にお勤めするつもりで、皆んなで、お別れの勤行をしたそうです。

     気持ち悪かった!

と語りました。

 こんな習慣もありますから、お通夜の時、亡くなった人のお勤めの声が聞こえてきたという話(葬儀社の演出があったのかも知れませんが)は、たとえ錯覚だったとしても、あながち、デタラメな話として片付けるわけにはいきません。
 信仰に関わることですから、聞こえる人には
聞こえるのです。

 そこで思ったのは、お葬式の時、亡き人と一緒にお勤めすることは意味あることではないかということです。
 かつて、葬儀では、故人の写真集やビデオをテレビの画面に映して参列者に見てもらう演出がありました。
同じように、故人の「正信偈」のお勤めの声をあらかじめ録音しておいて、お葬式の時に流すという方法です。
 故人の声を聞きながら、故人と一緒に「正信偈」のお勤めをすれば、心に沁みるお別れになるような気がするのです。 
                                 合掌


2022・7月

 【 お寺の行事 】

    7/1(金) 魂迎会 お始まり 午後1時30分

                法話 藤懸了世 師 常徳寺住職(志賀町鹿頭)
                重藤 明 師 長永寺住職(羽咋市寺家町)

                当番 道辻組
 
     「魂迎会」は、お盆に先立ってお寺で勤まるお盆を迎えるお参りです。
     今年は、お二人の住職さんの法話を聞いていただきます。
     なお、お斎(食事)は、コロナ感染が収まらないことから今年も取り止めとし、お参りされた方には、お斎(食事)に代わる     品をお持ち帰りいただきます。

                  お誘い合わせてお参りください。


【 一水四見 】

 今年のNHK大河ドラマは、「鎌倉殿の13人」です。
 鎌倉幕府の実権が、源氏から北条氏に移る過渡期の武士達の人間ドラマを描いた番組です。

 鎌倉幕府は源氏三代のあと、北条氏の時代が十六代続きました。
 北条氏も後半になると、諸行無常・盛者必衰のことわりにたがわず幕府衰退のきざしが見え始めます。
 第十四代執権は、北条高時という人でした。
  『太平記』には、高時は、鎌倉へ「田楽」を踊る連中をわざわざ都から呼び寄せて夢中になったと語られています。
 「田楽」とは、今で言えば「よさこい踊り」のように衣装を凝らして踊る集団踊りのことです。

 ある晩、高時はいつものように「田楽」連中を屋敷に呼び、酒を飲みながら見物していました。
 踊りを見ているうちに、自分も興が乗ってきて連中と一緒に踊り出しました。
 あまりにも騒々しいので、気になった女官が戸のすきまから覗いてみると、高時と一緒に踊っているのは人間ではありません。
 異形の集団です。 
 ある者は、口がトンビのように尖って、鳥のような足をしています。
 またある者は、背中に羽が生えて山伏のような格好をしています。
 驚いた女官は、高時の祖父に知らせます。
 知らせを聞いた祖父は、急いで駆け付けます。
 足音高く廊下を歩いてくる音に気づいた異形の者たちは、かき消すように出て行きました。
 祖父が部屋へ入ってみると、高時は酔い潰れて伏せっています。
 他には、誰も居ません。
 ただ、畳の上には、鳥が歩いた足跡がたくさん残っていました。

 同じものを見ても、見る人によって違って見えるのです。

 仏教には、「一水四見」という教えがあります。
 同じものを見ても、見る人によって見え方が違うという教えです。
 たとえば、人間が「水」と見るものを、

    ・天上から下を見下ろしている天人には、ガラスの大地に見えます。

    ・魚は、我が住みかと見ます。

    ・餓鬼には、炎に変わる怖ろしい液体に見えます。 
      ※ 目蓮尊者が、餓鬼道に堕ちた母に食べ物を渡すと、母の口に入る前にみなことごとく炎になって燃えてしまったという故事によります。

 このように、同じものを見ても、立場が異なれば違う見方をします。
 「一水四見」をたとえた歌に、

    手を打てば鳥は飛び立つ鯉は寄る女中茶を持つ猿沢の池

があります。
 池の端の旅館で、客が池を眺めながら休んでいます。
 池には、水鳥が遊び、鯉が泳いでいます。
 客が、「ポン!」とひとつ手を打ちました。
 この音を聞いた水鳥は、鉄砲かなんかの音と思ってびっくりして飛び立ちました。
 一方、泳いでいた鯉は、餌をくれるのかと思って寄ってきました。
 また、女中は、お茶の催促かと思ってお茶を汲んできたという意味です。

 「ポン!」という音を聞いても、それぞれ聞き方が違うのです。

 金子みすゞに『私と小鳥と鈴と』という詩があります。

     私が両手をひろげても、
     お空はちっとも飛べないが、
     飛べる小鳥は私のように、
     地面(じべた)を速くは走れない。

     私がからだをゆすっても、
     きれいな音は出ないけど、
     あの鳴る鈴は私のように、
     たくさんな唄は知らないよ。

     鈴と、小鳥と、それから私、
     みんなちがって、みんないい。

 「みんなちがって、みんないい」といえば、お経の中にも、極楽浄土の池の蓮のことが、

    池の中の蓮華、大きさ車輪のごとし。
    青き色には青き光、黄なる色には黄なる光、赤き色には赤き光、白き色には   白き光あり。
    微妙香潔なり。

と説かれています。
                                 
 「一水四見」の教えは、北条高時は別として「みんなちがって、みんないい」ということを教えています。

 家族でも同じです。
 家族は一緒に住んでも、それぞれ別のことを考えています。
 一緒に居るのだから、同じでなければならないと考えたらもめ事の原因になります。
 「みんなちがって、みんないい」と思えば、思いやりの心も生まれ仲良く一緒に暮らせます。     合掌!

2021・7月

 【 お寺の行事 】

    7月1日(木)魂迎会 お始まり 午後1時30分

                 説教 元尾教恵 師 西性寺住職(梨谷小山)
                     矢口泰淳 師 光念寺住職(末吉)
                     藤懸了世 師 常徳寺住職(鹿頭)

                 当番 谷口組(土肥組と合併)

         今年は、新型コロナ感染予防のため、「おとき(食事)」はありません。
         お参りされた方には、「おとき」に代わる品をお持ち帰りいただきます。

         魂迎会は、皆さまのご先祖を偲ぶお参りです。
         今年は、三人の住職さんの法話を聞いていただきます。 

                    お誘い合わせてお参りください。

【 お盆のこころ 】

 7月、8月はお盆の季節です。
 また、先の戦争のことが話題にのぼる季節でもあります。

 かつて、奈良の薬師寺に高田好胤というお坊さんがいました。
 分かりやすい法話が評判になり、テレビに出演したり、全国で講演したり、本も書いた優れたお坊さんでした。

 高田好胤さんは、毎年、東南アジアの戦地を訪ねて、戦死した兵士たちの慰霊法要を行ってきま した。

 慰霊の旅に同行するのは、戦争未亡人や戦死した兵士の家族たちです。

 フィリピンのミンダナオ島の河畔で慰霊法要を行ったときのことです。
 午後3時から始まった法要は、夜まで続きました。
 終わった頃には、あたりは真っ暗になりましたが、折からの十三夜の月が法要参加者を明るく照らし、そんな中、一人一人が精霊流しをしました。

 一行の中に、宮崎県から参加した戦争未亡人がいました。
 女性の夫は、この地で戦死しています。
 女性は、川面に向かって、まるで亡き夫が目の前にいるかのように話しかけ始めました。

    とうさん私ね、「あなた!」って一度呼びたかったの!
    けれどもね、言えなかったの。
    とうとう一度も言えないままに、あなたは、こんな所まで来てしまわれたのね。
    苦しかったでしょう!

と、本当に優しいことばです。

    そして、今も、「あなた!」って呼んでいる夢を見て目が覚めることがあるの。
    今も、ここで、「あなた!」と呼びたいけれど恥ずかしいから歌を歌います!

     ♪ あなたと呼べば あなたと答える

        山のこだまの 嬉しさよ

        あなた なんだい

        空は青空 二人は若い ♪

 この歌を聞いている一行40人は、みんな涙を流しました。

 そして、女性は、

      わがうちに 若き日のままある夫(つま)よ

                    年経(としふ)る今も 生き生きとして

と詠みました。

 亡き人は、今も私の心の中にいる。
 これが、お盆を迎えるこころです。

【 3つの鐘 】

 昭和34年、アメリカで、♪三つの鐘♪というフォークソングが流行りました。

 人は、人生で3回鐘を鳴らすと歌います。
 鐘とは、キリスト教会の鐘のことです。

 ある晴れた日、男の子が生まれました。
 ジミー・ブラウンです。
 村の教会は、一斉に、お祝いの鐘を鳴ら します。

 やがて、ジミーは二十歳になり、一人の素敵な女性と巡り会い結婚しました。
 村の教会は、一斉に、二人の前途を祝って鐘を鳴らします。

 そして、年老いたジミーは、ある暗く曇った雨の朝、静かに息を引き取りました。
 教会の鐘は、ジミーの天国への旅立ちを寂しそうに村人に知らせます。

 この歌は、人の一生を淡々と歌っています。
 余計な感情移入がないだけに、心にジワリと染みこんでくるものがあります。
 歌は、youtube で視聴できます。合掌!

2020・7月

 【 お寺の行事 】

   7月1日(水)  魂迎会  読経のみ勤めます。

【 お客さまは…! 】

 本来ならば7月23日から始まるはずの「2020東京オリンピック」は、コロナ禍のため1年間延期となりました。
 前回の東京オリンピックは、1964年(昭和39年)でした。
 今から54年前のことです。
 あの頃の日本は、戦争の惨禍からようやく立ち上がり、高度経済成長と言われた活気ある時代にありました。
 オリンピックの前年、「東京五輪音頭」が作られました。
 何人かの歌手が歌いましたが、「東京五輪音頭」といえば、何と言っても三波春夫さんです。

 三波さんは、戦争世代です。
 終戦は中国で迎えました。
 その後、ソ連軍の捕虜となり、シベリアに抑留され、4年間の抑留生活ののち生還しました。 

 三波さんは「東京五輪音頭」の楽譜を受け取ったとき、二度と戦争のない、

    本当の世界平和のお祭りの音頭を取るんだ!

という気概が湧いてきて、力を込めてレコードを吹き込みました。
 あの張りのある歌声は、連日テレビ・ラジオで放送され、嫌が上でもお祭りムードが盛り上がり、日本中が沸き立ちました。

 ひとつのエピソードがあります。
 三波さんの「東京五輪音頭」を聞いた喜劇役者の藤山寛美さんが、

     三波さんは、やっぱりプロの歌手でんな!
     ワシらが、あの、

       ♪ハア あの日ローマで 眺めた月が…

   のところを歌うと、どうしても、

       ♪ハア あの広間で 眺めた月が…

   になってしまうんや。なんぼ歌っても、ローマにならん!

と語ったそうです。

 藤山さんは関西弁ですから、どうしてもことばの切れ目がはっきりしない話し方になってしまいます。
 三波さんは、新潟県出身で関東圏の発音ですから、ことばがはっきりしています。
 はっきりしている中でも、特に三波さんは、誰も真似のできないはっきりしたことばで歌い話しました。
 そんな三波さんの口から、

       お客さまは神さまです!

と言われたら、お客さんはびっくりし、喜びもし、また尻こそばゆい思いもしたに違いありません。

 「お客さまは神さまです!」は、ある地方公演で、歌い終わったあと、舞台で司会者と対談したとき出たことばです。

    司会  三波さんは、お客さまをどう思いますか?

    三波  うーむ、お客さまは神さまだと思いますね!

    司会  神さまですか?

    三波  そうです!

    司会  なるほど、そう言われれば、客席に、お米を作る神さまもいらっしゃる。
         ナスやキュウリを作る神さまも、織物を織る織り姫さまも。
         またあそこには子供を抱いた慈母観音さま、なかにゃうるさい山の神… 

 客席から「ウワーッ!」と歓声が上がりました。

 「お客さまは神さまです!」は、またたく間に全国に広まりました。
 広まって一番当惑したのは三波さんです。
 三波さんの真意とは違った使われ方をしたからです。

      うちのカミさんは神さまです!

      有権者は神さまです!

などです。

 三波さんは、お客さんを持ち上げおだてるために言ったのではありません。
 三波さんは、

      私が舞台に立つとき、
        敬虔な心で神に手を合わせたときと同様に、
        心を昇華しなければ本当の芸はできないと思っている!

と述べています。
 三波さんは、神前に立ったときのような敬虔な気持ちで舞台に立ちました。
 だから、目の前にいるお客さんは「神さま」なのです。

 人はみな、人それぞれに生きています。
 そんな人たちに分け隔てなく、「神さま」に向き合ったときのような気持ちで向き合えれば、世の中の景色もずいぶん変わって見えるはずです。    合掌!

2019・7月

【 お寺の行事 】

   7月 1日(月) 魂迎会  12:00 お斎(とき)(食事のこと)
                   13:00 お勤め
                       法話 吉水法淳 師
                      遍行寺(富来)−ぼたん寺住職
                   当番 福島そうざ組           

   7月28日(日) 親鸞聖人ご命日                 

                お誘い合わせてお参り下さい。


【 未来図のない時代 】

 作家の五木寛之さんは、『玄冬の門』の中で、

   現代は、…昔の日本人が、あるいは、少し前までの人々が当たり前のように確信していた未来図がない…時代だ。

と書いています。

 そういえば、かつて『人は死ねばゴミになる』という本を書いた人がいました。
 この人は、日本の最高学府と言われる大学を出て、検事総長にまでなった人でした。
 現代は、理詰めでものを考えて、理屈に合わないものは捨てる、または信じないという時代です。
 この考え方を象徴する本が、『人は死ねばゴミになる』でした。

 人間の死を科学的に分析すれば、「死ねばゴミ」という結果になるのかも知れません。
 しかし、人はみな、

    自分は、死んだらゴミになる!

と信じて生きているでしょうか。
 人間は、科学的であるとともに精神的な存在です。
 心を持っています。
 心を持った人間が、「人は最期はゴミになる」と考えて納得しているとは、とても思えません。
 また、どの仏典を読んでも「人は死んだらゴミになる」とは書いてありません。

 人間の精神作用には、奥深いものがあります。
 最先端の精神医学でも解明できないことがたくさんあります。

 この問題に取り組んできたのが仏教です。
 仏教は、人間の心の奥深さを「闇」にたとえました。
 その「闇」に光を当てることを使命としてきたのが、仏教2,500年の歴史です。

 戦前、加能作次郎という富来出身の作家がいました。
 作次郎は、大正、昭和初期の富来のことを多く書いて残しています。

 作次郎には、お桐という妹がいました。
 嫁に行きましたが、結核に罹ったことで実家に戻されました。
 そして、実家で死にました。

 お桐がもう長くないことを聞きつけた村の人たちがお見舞いに来ました。
 結核は「不治の病」と言われた時代ですから、お見舞いの枕辺での話は、どうしても死ぬことを前提とした話になります。
 お見舞いの人たちは、口々に、

    …俺たちは後から行くさかいな、お前さま、先に行って待ってございの、死ぬのではない、
    生まれ代わらして貰うのやさかい、有り難いと思うてお念仏申さっしゃい…

という話をして、お桐ともども「南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!」と念仏を称えたという話を、『厄年』という作品に書いています。

 五木寛之さんの言う、

    …昔の日本人が、あるいは、少し前までの人々が当たり前のように確信していた未来図…

とは、この話のようなことを言うのです。

 旅に出るとき地図がなければ、どの方角に進んでいいか、何処へ行き着くのか分かりません。

 「生まれ代わらして貰う」と思って死ぬのか、「ゴミになる」と思って死ぬのかでは、大きな違いがあります。

 五木寛之さんは、このどちらの考えも持たない現代人の不幸を、「未来図のない時代」と指摘するのです。

【 花菖蒲のころ 】

 ときどき、お花を届けてくださる方がいます。
 先日も、花菖蒲をもらいました。
 さっそく、仏前に供えました。

 花菖蒲の季節は6月です。
 花は、季節に似合った花を咲かせます。
 花菖蒲の茎がスッと伸びた姿は梅雨時の湿気をはらい、花は梅雨雲を吹き飛ばすかのように、空に向かってパッと広がって咲きます。

 極楽浄土の花は、蓮と決まっています。
 蓮は、泥の中から清らかな花を咲かせます。
 それは、煩悩の中から清らかな信仰が生まれる姿に似ています。
 このことから蓮は、浄土を象徴する花となりました。

 「天に口なし。人をもって言わしむ。」ということわざがあります。
 このことわざの「人」を「自然」に代えれば、この世の森羅万象はすべて「天」が形をもって、この世に現れたすがたと言えます。

 蓮の花に限らず、季節を待って咲く花は、季節ごとにとりどりの花を咲かせ、私たちに、美しい世界があることを教えてくれているように思います。 合掌

2018・7月

 【 お寺の行事 】

      7月 1日(日) 魂迎会 12:00 おとき
                         当番 谷口組
                     13:00 お参り
                          法話 藤懸了世師(鹿頭 常徳寺住職) 

      8月12日(日) 極應寺境内地内墓一斉掃除 午前8時

      8月28日(火) お 講  午前8時 お勤め

                     お誘い合わせてお参り下さい。
【 うわさ 】

  大阪で震度6弱の地震が起きました。
 5人が亡くなり、408人が負傷(6/20現在)しました。
 家屋の損壊をはじめ、水道管やガス管が破損したことで、ライフラインがストップし、市民生活に大きな影響が出ました。
 電気、水道は、まもなく復旧しましたが、ガスの復旧には数日かかりました。
 このことで、煮炊きできなくなった市民は、水やカップ麺、冷凍食品を買うためスーパーに殺到し、レジには長蛇の列ができ、品切れの店が続出する騒ぎになりました。
 中には、スーパー5軒回ったけど、水を買えなかった主婦もいたことが報道されました。

 都市の生活は、災害のないときは便利ですが、「便利」がストップしてしまうと、どうにもなりません。
 どうにもならないところから混乱が生まれ、混乱の中から、あらぬ「うわさ」まで飛び出し、その「うわさ」が広まって、さらに混乱に拍車がかかります。
 今回の地震では、「シマウマが逃げた」といううわさが広まりました。
 また、先の熊本地震では、「ライオンが逃げた」というデマがあったそうです。

 鎌倉時代終わりごろの話です。
 京の町に、「伊勢の国から、鬼になった女を連れて来た!」といううわさが広まりました。
 この話が、『徒然草』に記録されています。

 その記事によれば、

 鬼女のうわさを聞いた京の人は、20日間ほど、鬼見物だと言って、やたら出歩いたことがあったそうです。
 鬼女のうわさは、

    昨日は、西園寺に参っていた!

    今日は、御所へ行くだろう!

    今、どこそこにいる!

などと伝えられ、「はっきり見た!」という人もなければ、「鬼の話は、うそだ!」という人もなく、ただただ鬼のうわさで持ちきりになりました。
 その頃、町の人たちが、

    一条室町に鬼女がいる!

と言って北の方へ向かって走り出したので、

    やっぱり、鬼女の話はほんとうだったのか!

と、外に出てみると、道は、人が通れないほど立て込んでいます。
 使いの者をやって、確かめさせたところ、

    鬼に会った!

という人はひとりもいなかったとのことです。
 町の人たちは、日暮れまで、ワイワイ騒いで、しまいには喧嘩まで起こるというあさましい事態になりました。

と記録されています。
 さらに、『徒然草』の作者は、鬼女のうわさがあったあと、2、3日病気にかかる人が多かったことで、「あの鬼女のうわさは、病気がはやる前触れだった!」と言った人もいたことを付け加えています。

 うわさとは、こういうものなのでしょう。
 うわさがうわさを呼び、うわさがドンドン膨らんで、人々の不安をかき立てます。
 その不安が「群集心理」となって、ますます人々を惑わせます。
 自分を守ろうとすることは大事なことですが、人間には、自分を守ろうとするあまり自分を失ってしまう弱さがあります。

 私たちは、能登半島地震を経験しています。
 10年過ぎてしまえば、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のことばどおり、あのときの記憶が遠のきつつあります。
 今回の大阪地震を教訓として、災害の備えについて考えたいものです。

【 あわて者 】

 広島県に伝わる昔話です。

 隣の家から、餅をつく音が聞こえてきます。

   お爺さん あの餅をもらったら煮て食おう!

   お婆さん いやいや、焼いて食べましょう!

 二人は、言い合いの喧嘩をしていました。
 そこへ隣のお婆さんが訪ねてきたので、

   お爺さん さっき、お宅では、餅をついていたようだが?

   隣のお婆さん  いやいや、あれは藁を打っていたのです!

と答えました。
 人間には、こんな愚かさもあります。       合掌


2017・7月

 【 お寺の行事 】

       7月 1日(土) 魂迎会  12:00 おとき    
                       13:00 お勤め
                   法話 藤懸了世師(鹿頭 常徳寺住職)
                       当番 土肥組

       8月       お 講  当番 谷口組

                  お誘い合わせてお参り下さい。

【 感謝 】
      
 ある夫婦の、ある朝の出来事です。
         
 お母さんは、台所で、朝ご飯の支度中です。
 お父さんは、居間で、新聞を読んでいました。
 お母さんが、突然、

   お父さん!
   私ゃ、今、忙しくて、手離せんから、あんた、仏さんに参ってきてま!
 
と、目の前に、「お仏飯」を「ドン!」と置きました。

 お父さんは、お母さんの勢いに押されて、新聞読むのを止めて、お仏飯を持って仏間へ行きました。
 仏壇の戸を開け、お仏飯をお供えして、お参りしました。

 居間へ帰ると、朝食の用意が出来ていました。
 二人で食べました。

 朝食が終わったお父さんは、テーブルの上に薬を並べて、飲む薬の仕分けをしていました。 
 そのとき、お母さんが、またしても突然、

   ちょっと、あんた!
   さっき仏さまに参っとったとき、何、考えとった?

と、とがめるような口調で聞いてきました。
 お父さんは、

   ただ、参っとっただけや!

と答えると、お母さんは、

   私ゃ、あんた!
   死んだ爺ちゃんや婆ちゃんの顔を思い出しながら、手を合わせとるがや。
   我が娘や孫、そして私らが、こうしておらしてもらえることに感謝しながら  参っとるがや! 
   あんたも、それくらいの気持ちで参るまっしま!
と、くどくどと説教されました。

 それからお父さんは、仏壇にお参りするときは、亡き父母、兄弟、世話になった叔父叔母たちのことを偲びつつ、手を合わせるようになったという、ある夫婦のある朝の物語です。(中日新聞掲載記事より)

 この日のお母さんは、少し、イライラしていたのかも知れません。
 朝の忙しいときに、お父さんは、のんびり新聞を読んでいます。
 そこで、つい、問い詰めるような口調になりました。
 お母さんの、きついことばには、「日頃、忙しくしている私にも、少しは感謝しろ!」という意味も込められていたに違いありません。

 こんな場合、売り言葉に買い言葉で、お父さんは「何っ!」と腹を立て、その後は、夫婦の言い合いになりがちです。
 しかし、そうはなりませんでした。
 仏さまを間に立てて、夫婦喧嘩するわけにはいきません。

 手を合わせる心は、「感謝」です。
 何か、願い事をする心ではありません。
今、こうしておらしてもらえることに感謝する。
 この心をことばにしたのが、「南無阿弥陀仏!」です。

【 オシッコに敬礼… 】

 過日、志賀町役場のトイレに入ったところ、便器の前のタイルに張り紙がありました。
 張り紙のタイトルは、「オシッコに敬礼、ウンコに感謝」となっています。
 受付で由緒を聞くと、コピーをくれました。
 「欲しい!」と言って来る人がいるので、受付に置いてあるとのことでした。
 家に帰って、じっくり読んでみると、「なるほど!」と納得させられることばかり書いてあります。
 オシッコやウンコのことで、思い当たることばかりです。

 この張り紙は、鹿児島県の健康管理士(日本成人病予防協会が認定する資格取得者)が考えたものだそうです。

 私たちの体の中で要らなくなったものは、オシッコやウンコとなって外へ出ていきます。

体を出たオシッコやウンコは、土に還ります。
 また、川に流れ込み、海に流れ出ます。
 土に還り、水に還ったオシッコやウンコは、新しい命を育てる力となります。
 土や水に還ったオシッコやウンコで育てられた野菜、家畜、魚は、私たち人間を養います。
 そして、私たち人間も、やがて自然に還ります。
 自然に還った私たちは、新しい命を生み出し育てる力となってはたらきます。

 こうして、生き物は、みなつながっていきます。
 生き物は、みな親戚です。

 張り紙の最後は、「合掌!」となっています。
 トイレを流すとき、

   ご苦労さまでした!

と、親戚のオシッコとウンコを拝むのです。          合掌


2016・7月

 【 お寺の行事 】

       7月1日(金) 魂迎会  12:00 お斎
                      13:00 お勤め
                      法話 藤懸了世師(鹿頭 常徳寺住職) 
                      当番 福島(そうざ)組
            当日は、名山良之助翁の胸像建立落慶法要も勤めます。

              皆さん、お揃いでお参り下さい。

【 天に貯金 】    

 村上和雄という筑波大学の先生がいます。
 村上先生は、戦前に生まれ、戦後が子ども時代でした。
 当時は、日本国じゅうが貧しく、村上先生の家も例外ではありませんでした。
 子どものころは、おもちゃもろくに買ってもらえず、高校時代は、修学旅行にも行かせてもらえませんでした。
 お婆ちゃんに文句を言うと、お婆ちゃんは、

  うちは、天に貯金してある!

と答え、お母さんも同じように、

  修学旅行に行けないのはつらいかも知れないが、うちは天に貯金してある。人を喜ばせるために、天に貯金しておけば、あとで一万倍にもなって返ってくる。その見返りは、自分の代でなくても、あとの代に見返りがあればいいではないか!

と教えました。

 「天に貯金する!」とは、この世で結果を出そうとせず、貧乏しながらでも人のために働き、次の時代の人たちに喜んでもらえるような仕事をしなさいという教えです。

 大分県の景勝地、耶馬溪を流れる山国川の渓谷沿いに「青洞門」と呼ばれているトンネルがあります。
 このトンネルは、今から280年前、諸国巡礼の旅にあった禅海和尚が耶馬溪に立ち寄り、托鉢して資金を集め、石工を雇って、ノミと鎚だけで掘り抜きました。
 当時、旅人が、この渓谷を通過するには、切り立った崖道を、張られた鎖を伝って通らねばならない難所でした。
 一歩間違えれば、足を滑らせて川に落ちてしまいます。
 この渓谷で、一年間に十数人が亡くなると聞いた禅海和尚は、トンネルを掘ることを発願しました。

 この話を元に、菊池寛は『恩讐の彼方に』という小説を書きました。
 小説の中では、禅海は、了海という名になっています。

 了海は、ひとりで掘り始めました。
 それを見た地元の人たちは、

  あの坊さんは、気が狂ったのか!

と奇異の目で眺めました。また、

  ひとりで掘り抜けるわけがない!

と笑いました。
しかし、少しずつトンネルが掘られていくと、地元の人たちは、「ひょっとすると!」という思いから、協力する人が現れました。
 また、このことを知った藩主が、たくさんの石工に手伝わせたことで、仕事がはかどりました。
それでも、長さにして約150mほどのトンネルですが、完成までに30年の歳月を費やしました。 

 トンネルを掘ろうと思い立った了海こと禅海和尚は、それこそ「天に貯金する」つもりで掘り始めたにちがいありません。
 この一念が、人の心を動かし、大事業を完遂させたのです。
 これによって、旅人が、耶馬溪を安全に通行できるようになりました。

 過去・現在・未来を三世と言いますが、禅海和尚は、過去のことを知り、未来を見つめ、現在何をすべきか判断できるまなこを持っていました。
 三世を見通したがゆえに、人に笑われることも気にせず、難工事に挑んだのです。

 禅海和尚に比べて、私たちは、ともすると過去を訪ねることもなく、未来に思いを馳せることもなく、この世で結果を出そうとして、現在だけにとらわれた生き方をしがちです。
 この世だけにとらわれるがゆえに、窮屈な思いをして過ごさねばなりません。

 「天に貯金する!」つもりでなせば、窮屈さから、少しは解放されるかも知れません。

【 死に稽古 】         

 小林一茶は、

   死に仕度 致せ致せと 云う桜

   いざさらば 死にげいこせん 花の雨

という句を詠んでいます。

 親戚の49日法要の最後に、お手継ぎ寺の住職さんが、読経後の法話の冒頭で紹介された句です。

 住職さん曰く、

 亡くなったこの家の父ちゃんは、生きているうちに自分の法名をもらい、連れ合いの母ちゃんの法名までもらって、あとは日付だけ書けばいいようにしてくれていた。さらに、風呂場で亡くなったのだから、自分で湯灌までして死んで行った。何と、手回しのいい父ちゃんやったことか。我々も、「死に稽古」しておけば、突然、津波に襲われても、慌てることはない。「死に稽古」しておけば、落ち着いて、死を迎えられる。

 大略、こんなお話でした。
 嫌みのない話しぶりに、何となく納得しました。    合掌



2015・7月

【 お寺の行事 】 

     7月 1日(水) 魂迎会 正午   おとき(当番 道辻組)
                    午後1時 お勤め
                    法話 藤懸了世師(常徳寺住職)

     8月 未定    お 講      当番 土肥組

          みなさんお誘い合わせてお参りください。  

【 幸福の覚書 】

  昭和36年、岐阜県の白川村に、「御母衣ダム」が完成しました。
 ダムでできた御母衣湖のそばには、「庄川桜」と命名された二本の桜の巨樹が樹っています。

 御母衣ダムの建設は、昭和27年に発表されました。
 発表と同時に、湖底に沈んでしまう、約360戸1,300人の住民は、「御母衣ダム絶対反対期成死守会」を結成して反対運動に立ち上がりました。
 
 住民との交渉には、当時、電力会社の総裁だ った高崎達之助さんがあたりました。
 高崎さんは、反対住民に、戦後の荒廃した日本を立て直すために、ダムを建設して電気を作ることの必要性を訴えました。

 高崎さんの交渉は、住民の心に寄り添ったものでした。
 高橋さんは、「皆さんが、かわいそうだ!」と言って泣きながら語りかけました。
 それを聞く住民たちも泣きました。

 7年の歳月を経て、交渉はまとまりました。
 その決め手となったのが、「幸福の覚書」でした。
 「幸福の覚書」とは、電力会社が住民に約束した覚え書きです。
 その文言は、

   御母衣ダムの建設によって、立ち退きの余儀ない状況にあいなった時は、
   貴殿が現在以上に幸福と考えられる方策を我社は責任をもって樹立し、
   これを実行することを約束する。

となっていました。
 この約束を、住民が受け入れたことで、御母衣ダム建設が始まりました。

 住民たちは、各地に移住して行きました。

 誰も居なくなった村の中を見回った高崎さんは、光輪寺の境内に一本の巨桜があることに気づきました。
 また、照蓮寺の境内にも、同じような桜の巨樹があることも分かりました。
 ともに、樹齢400年以上の老樹でした。
 高崎さんは、400年以上にわたって住民とともにあり、住民たちを見守ってきた桜を残したいと考えました。
 そして、2本の巨樹を、ダム湖の側に移植することにしました。

 老樹の移植には、否定的な意見が多く、さまざまな批判もありました。
 また、移植工事も、困難を極め、難工事となりました。

 幸いなことに、移植した桜樹は2本とも活着し、翌年から枝を伸ばし花を咲かせました。

 昭和37年、移植された桜樹の側に水没記念碑が完成し、完成式典には、移住した住民500人が出席しました。
 住民たちは、蘇った桜を見て、桜とともにあった昔の生活を思い出し、涙を流しました。
 式典には、高崎達之助さんも招待されました。
 挨拶に立った高崎さんは、

   …皆さんの幸福を、ひたすら願いながら話し合いを進めました。
   国づくりという大きな仕事の前に、父祖伝来の故郷を捨てた方々の犠牲は、
   今、立派に生かされています。…

と語りました。

 式典の後、住民たちは、桜の木の周りに集まりました。
 そして、いつまでも桜を見上げていました。
 
 その後、高崎さんは、しばらくして亡くなりました。
 住民たちは、高崎さんの法要を27回忌まで勤めました。

 今、「庄川桜」は、「覚書」のとおり、電力会社の管理と保護によって、たくさんの花を咲かせています。

 人間は、誰かに迷惑をかけなければ生きていけません。
 その迷惑は、かけっぱなしで終わるのではなく、かけたことで起こる問題に責任を持つものでなければ、人間の関係が崩れてしまいます。
 迷惑をかけた人の苦しみを我が苦しみとして、「幸福の覚書」を胸に秘めて、村人の苦しみと共に生きる。 
 並大抵の人間のなし得るわざではありません。

【 しつけ 

 C.W.ニコルさんは、冒険家でもあり、自然保護にも取り組むナチュラリストです。
 ニコルさんは、南極を探検したこともあります。

 そのニコルさんが語っています。

    南極では、ブリザード(暴風雪)で何日も動けないときがあります。
    そんなとき、どういうタイプの人間が、辛抱強く、最後まで自分を失わずに耐え抜いたかというと、
  必ずしも頑丈な体を持った人ではありませんでした。
    テント生活をしていると、どうしても人間は無精に  なります。
    怠け癖がついてしまいます。  「しか広報」6月号
    身だしなみを考えなくなってしまいます。
    朝起きて、顔を洗って、ひげを剃って、髪の毛をなでつけて、服装も整えて、
  「おはよう!」と言い、ご飯を食べるときでも、「いただきます!」と言える、
  そういうマナーや躾(しつけ)が身についた人は、意外としぶとく、厳しい環境の中でも、弱音を吐きませんでした!

 ニコルさんは、過酷な環境に耐えられるのは、頑丈な体の持ち主ではなく、しつけや習慣を身につけた人だと言います。
 過酷な環境とは、天候の話だけではありません。
 人生には、過酷なことはたくさんあります。 合掌



2014・7月

 【 お寺の行事 】

     7月 1日(火) 魂迎会  正午 お斎
                     13:00 お勤め
                       法話 奥村文秀 師 (かほく市 本乗寺住職)
                     当番 谷口組

     8月       お講    当番 福島組

              ご家族みなさん連れ立ってお参りください。

【 あなかしこ 】

 元藤容子さん(大阪市在住)から、蓮如上人の絵像の寄付があり、本堂正面の阿弥陀仏立像の左側壇上に奉掛させていただきました。

 蓮如上人は、「中興の祖」と言われています。
 「中興の祖」とは、これまでの良くない状態を改善して、状態を立て直した偉大な人という意味です。
 蓮如上人は、親鸞聖人没後約150年後に生まれました。
 その当時の本願寺は、「人跡絶え、さびさびとおわします」というありさまだったと伝えられています。
 お参りの人もなく、境内は閑散として、まったくさびしげな様子でした。
 その浄土真宗が、今日の大教団になる礎を築いたのが蓮如上人です。
 蓮如上人の教化は、当時にあっては斬新な方法でした。
 門徒の人たちに手紙を書きました。
 親鸞聖人の教えを手紙に書いて、全国の門徒の人たちに送りました。
 それも、難しいことばは使わず、誰にでも分かるように、やさしいことばで、「噛んで含める」ように書きました。

 その手紙を集めて本にまとめたのが、皆さんのお家の仏壇の引き出しに入っている「御文」です。
 この「御文」のことを、よく「お文さま、お文さま」と言います。
 「文」とは、手紙のことです。
 蓮如上人から届いた手紙ですから、「文」に「お」と「さま」を付けて、「お文さま、お文さま」と言い習わして大切にしているわけです。
 皆さんのお家にある「お文さま」には、22通の手紙が収められています。
 その1通1通の最後は、すべて、「あなかしこ、あなかしこ」となっています。
 「あなかしこ」は「あな」という感動を表すことばに「かしこ」−「おそれおおい」とか「もったいない」という意味のことばが合わさってできたことばです。
 蓮如上人は、仏さまの教えを、「ああ、恐縮せずにはおられない、もったいないことだ!」と感動をもっていただかれました。

 昔の子どもたちは、「あなかしこ」ということばを知っていました。
 子どもたちは「あなかしこ、あなかしこ」と言って遊んでいました。
 家で勤める報恩講などに、大人たちと一緒にお参りして、住職さんがお勤めの最後に読む「御文」のことばを聞いて、「あなかしこ」が強く印象に残ったにちがいありません。
 また子どもたちは、「きみょうむりょうじゅにょらい なむふかしぎこ…」も知っていました。
 お年寄りが、朝晩、お勤めする側で聞いて覚えたのでしょう。
 現代は、子どもたちの口から、「あなかしこ」も「きみょうむりょうじゅにょらい…」も聞こえてきません。

 どんな環境の中で自分が生活をいとなみ、子どもを育てるかという方針が違ってきたように思います。
 物であふれる現代は、どちらかといえば、子どもに物を与えて「心」を育てようという方向にあります。
 物で、「心」は育ちません。
 「心」は、「心」をもってしか育ちません。

 「あなかしこ」や「きみょうむりょうじゅにょらい…」は、「心の世界」をことばに表したものです。
 昔の大人たちは、「あなかしこ」や「きみょうむりょうじゅにょらい…」という心の世界を生きました。
 そんな環境の中で、子どもたちは育ちました。
 子どもたちは、意味も分からないことばを称えながら、「敬う気持ち」「へりくだる気持ち」「いつくしむ気持ち」をはぐくんでいったのです。

【 謝罪 】

 政治家の失言が相次ぎました。
 失言した大臣は、福島の現地を訪れて謝罪しました。
 また、セクハラ発言をした都議会議員は、相手の女性議員を訪ねて謝罪しました。

 「謝罪」は、「すみません、私が間違っていました!」という反省の気持ちからすることですから、「謝罪」には「懺悔」の心が含まれているはずです。

 中国の善導大師は、「懺悔」には、上・中・下の3種類があると説いています。

    上の懺悔−毛穴から血の汗を流し、目から血の涙を流す。
    中の懺悔−全身から熱い汗を流し、目から血の涙を流す。
    下の懺悔−全身がカッと熱くなり、目から涙を流す。

 このうち、どれか1つの懺悔があれば、罪は消えると説きます。

 謝罪した議員たちは、ただ頭を下げただけで、目から流れ出るものはありませんでした。
 さらに、「初心に帰って頑張る」などと、自己弁護のことばまで付け足しました。

 人間というものは、心の中に恐ろしいものを抱えています。
 自分では、扱いきれない鬼のようなものを心に持っています。
 2人の議員は、日頃から、失言のないように気をつけていたと思います。
 どれだけ気をつけていても、心の鬼は、ひょんなことで、自制を振り切って飛び出してきます。
 それは、議員であろうがなかろうが、すべての人に言えることです。
 人間の心の底には、原始時代の野獣の心が残っています。
 その心を抱えたまま、背広を着て歩いているのが現代人の姿です。

人間らしく生きることは、なかなか難しいことなのです。       合掌

2013・7月

【 お寺の行事 】

             7月 1日(月) 魂迎会 正午 お斉(食事)
                             1時 お勤め
                            当番 谷川組

             7月18日(木) お講  当番 福島組

                     ご家族みなさん連れ立ってお参りください。


【 24時間営業 】

 コンビニが流行りだしたころのことです。
 ある人が夜中にタバコを吸いたくなって、コンビニへ買いに行ったそうです。
 店の前に、「24時間営業」の看板がかかっていました。
 その看板を見て、

       ”ああ、ここにも阿弥陀さんがはたらいてくださっている!”

と思ったそうです。

 コンビニは、24時間営業、365日休みなしです。
 24時間営業と言えば、病院も眠りません、消防署も、警察署も眠りません。
 工場も、今ではレストランやスーパーも眠りません。
 眠らずに働いている人が、じつにたくさんいます。

 奥能登から金沢へ嫁入った59歳の女性の話です。
 ある日、実家の83歳の母親から電話がありました。

    母  こないだの饅頭食べたか?
    娘  どの饅頭や?
    母  お前、こないだ、家の報恩講に参ったやろ? その帰りに、お前に持たせたあの饅頭や?
    娘  あぁ、あの饅頭か! 食べとらん! おらのだんなの津幡の実家に寄って置いてきた!
    母  そうか!

 この電話があってから数日後、母からまた電話がありました。

    母  今から、そっちへ行こうと思うげけどおるか?
    娘  今日は、遅れとる畑仕事しょうと思うとるげどと!
    母  そうか! ほんなら、どうすっかな!

 娘は、足の悪い母がせっかく来たいと言っているのだからと思い直して、

    娘  ほんなら、来まっし! 畑行かんと待っとるさかい!

 母は、孫娘の運転する車でやってきました。
車から降りた母は、出迎えた娘に紙袋を渡しました。
 袋の中には、実家の報恩講でもらったと同じ饅頭が入っていました。

       ”母は、私に食べさせたかったのか!”

と深く感じた娘は、さっそく茶をいれて3人で饅頭を食べました。
 親の心は、子の思いを超えてはたらいています。
 親の思いに、子の心は及びません。
 親にとって、子は子がいくつになっても子どもなのです。
 そして、子を思う親心も、24時間365日休みなしです。

 親鸞聖人は、『正信偈』の中で、

      摂取心光常照護

とお示しくださいました。
 この偈文から、親の思いが、24時間365日、常に休みなく子を思い続ける慈悲のはたらきを味わうことができます。

 阿弥陀仏のはたらきも、24時間365日休みなしです。
 阿弥陀仏のはたらきといっても、目には見えません。
 目に見えないはたらきが、形となって現れてくださったのが親であり、コンビニであり、そのほか、昼夜休みなくはたらいている人々の姿なのでしょう。


【 幽霊 】

 幽霊話の季節になりました。

 幽霊話の中で、若い女の幽霊が、子どもを育てるために飴を買いにくる話は全国に流布しています。
 この話は、金沢や能登にもあります。
 話の内容は、地方によって若干の違いがあります。
 それは、昔話が、その地方の話として、その地方を舞台にして語られるからです。

 能登に伝わる「飴買い幽霊」の話は、門前町の総持寺の墓地が舞台になっています。
 金沢に伝わる「飴買い幽霊」は金石の道入寺というお寺の墓地が舞台になっています。
 門前総持寺の「飴買い…」は、飴を買うために、若い女がお寺の賽銭を盗むという筋になっています。
 金石道入寺の「飴買い…」は、若い女が、毎晩、1文銭を持って飴を買いに来ます。

 金石の「飴買い」女は、7日目にはお金ではなく、持って来た白い着物と飴を交換してくれと頼みます。
 お金がなくなってしまったようなのです。

 このことで気づくことは、昔は、亡くなった人に1文銭を6コ藁ひもで繋いで持たせて葬るという習慣がありました。
 6文銭は、三途の川を渡る船賃だったのです。

 不審に思った飴屋が、女の後を付けて行くと、お寺の墓場で姿が消えてしまいます。
 不思議に思って辺りを捜していると、ある墓の中から赤子の泣き声が聞こえてきます。
 急いで掘ってみると、先日、身ごもったまま死んだ女の亡骸の横に、飴を持った男の赤ちゃんが元気に泣いていました。
 この男児は、お寺の和尚さんに育てられることになり、やがて立派なお坊さんになるという話です。

  「飴買い…」の話は、話の元になる出来事があったはずです。
 昔は、出産は大事業でした。
 出産は、今でも、妊婦にとっても、生まれて来る子にとっても、生きるか死ぬかの難事です。
 出産のために命を落とす妊婦もいました。
 また、”オギャー!”の産声を上げる前に死んだ赤子もいました。
 そんな出来事から、「飴買い…」の話が作られたものと思われます。

 このことを思えば、私たちが今生きてあるということは奇蹟に近いことなのです。

 だから、お勤めの本(赤本)の表紙の裏には、「人身受け難し、いますでに受く。…」と讃嘆されているのです。                                                                                      合掌

2012・7月

【 お寺の行事 】

    7月 1日(日)魂迎会 正午 おとき
                   1時 お勤め
                   当番 石川組  

    7月22日(日)お講  8時 おつとめ
                  9時 おとき
                  当番 道辻組

            お誘い合わせてお参りください。

【 みる 】

 「みる」といっても、さまざまな見方があります。
 「見」は、大きな目を開けてみることであり、「視」は、じっとみることであり、「観」は、ぐるりと見回してみることです。
 また、「覩」は、見分けることであり、「瞥」は、横目でちらっとみることです。
 私たちは、時と場合によって、見方を使い分けます。
 このこと自体に問題はないのですが、私たちは、物事を正しく見ているでしょうか。
 偏見とか邪見、浅見などということばがあるように、自分でも気づかないうちに物事をゆがめて見てしまうことがあります。

 小泉八雲が書いた『常識』という小説があります。
 次のような「あらすじ」です。

 京都の愛宕山に、明け暮れ、座禅とお経を読んで修行に励む徳の高い和尚さんがいました。
 ある日のこと、一人の猟師が和尚さんを訪ねました。

     和尚さん ”自分は一生懸命修行して徳を積んだおかげで、毎晩、普賢菩薩が白象に乗って来てくれるようになった。お前も、見て行きなさい!”

と勧めました。
 これを聞いた猟師は、お寺の小坊主に、間違いないか確かめました。

     小坊主  ”間違いない!俺も見ている!”

と答えました。
猟師は、小坊主のことばに疑問を持ちました。
 徳を積んだ和尚さんが普賢菩薩を見るというのは分かるが、修行も十分でない小坊主まで見るということが納得できなかったからです。
 猟師は、このことを確かめたくて、その夜、和尚さんたちといっしょに普賢菩薩が現れるのをみることにしました。

 真夜中ごろのことです。
 東の空に、星のような光が現れました。
 その光が、どんどん大きくなって近づいてきます。
 やがて、光りの中から、白象に乗った普賢菩薩が現れました。
 それを見た和尚さんと小坊主は、その場にひれ伏して拝みました。
 そのとき。
 猟師は、すっくと立ち上がり、弓を引き絞り、菩薩めがけて矢を放ちました。
 矢は、菩薩の胸に命中しました。

    ”ギャッ!”

 悲鳴とともに、光りも菩薩の姿も消えてしまいました。
 和尚さんは、半狂乱になって猟師を叱りつけました。
 
      和尚さん ”お前は、なんちゅうことをしたんだ!このばちあたりめ!”

 猟師は、落ち着いたようすで答えました。

      猟師  ”和尚さん! 徳の高いあなたが菩薩を見るというは分かりますが、修行も十分でない小坊主や私のように生き物を殺すことしかできない者にも見えるのは変です! ばけものしわざです。明日、確かめてみましょう!”

と和尚さんに言いました。

 翌朝、血の跡をたどってみると、洞穴の中に、猟師の射た矢が突き刺さった大きな古狸が死んでいるのを見つけました。

 和尚さんは、学問があり、修行も積んでいたにも関わらず、古狸には簡単にだまされてしまいました。
 一方、猟師は、学問などしたこともありません。
 ただ生き物を殺すことしか知りません。
 しかし、猟師は、どんなことがあっても、それに惑わされず、正しく判断する「常識」という目を持っていました。

 「常識」を持って生きることは難しいことです。
 私たちは、自分は常識的に生きていると思っていても、常識だと思っていたことが非常識だったということが、往々にしてあります。
 徳の高い人に限らず、だれでも、非常識な判断をしてしまうことがあります。
 気を付けたいものです。
             
【 シルバー川柳 】
     
 近年、川柳が人気です。
 川柳は、俳句と同じ5・7・5の形で作ります。
 俳句と川柳の違いは、俳句が風流なことを詠むのに対して、川柳は、世相を皮肉ったり、笑ったりする内容で詠みます。
 「サラリーマン川柳」は、毎年、新聞などで報道されます。
 「ぼやき川柳」は、NHKラジオで放送しています。

 「シルバー川柳」というのもあります。
 「シルバー」とは、老人のことで、老人のことを詠んだ川柳のことです。

   デザートは昔ケーキで今くすり     57歳・女性

   まっすぐに生きてきたのに腰まがり 72歳・男性

   カードなし。ケータイもなし。被害なし。75歳・女性

   あちこちの骨が鳴るなり古希古希と 71歳・男性

  ”俺も、歳をとったもんだ!”と愚痴を言ってみても、老いは止まりません。
 止めることができないのなら、嘆くよりも、笑い飛ばそう。
 これが、「シルバー川柳」の心意気です。
 笑って生きる。
 これが、幸せのもとです。 合掌

2011・7月

【 お寺の行事 】

    7月 1日(金) 魂迎会 12:00 おとき
                   13:00 お勤め
                   当番 土肥組           

    7月16日(土) お 講 08:00 お勤め
                   09:00 おとき
                   当番 谷口組

             お誘い合わせてお参り下さい。

【 映画 ブッダ 】

 お釈迦さまの生涯を描いたアニメ映画「ブッダ」が上映されています。
 この映画は、漫画「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」を描いた手塚治虫さんの作品「ブッダ」を元にして作られました。
 漫画「ブッダ」は長編のため、約2時間ぐらいで作る映画では、全部を収録できません。そのため、3部作として制作し、今回上映されているのは、第1部で、お釈迦さまの誕生から出家までの物語です。
 お釈迦さまは、今から2,500年くらい前にインドの王家の王子としてお生まれになりました。
 お釈迦さまは、生まれるとすぐ、7歩歩いて、右手を上にあげて天を指さし、左手は下に下げて地を指さし、「天上天下唯我独尊」と言ったと伝えられています。
 生まれてすぐの赤ちゃんが、歩いて、しかもしゃべることは考えられません。
 このエピソードは、映画では、産着にくるまれた赤ちゃんが、右手をあげて指さし、左手は下げて指さしている姿で描かれていました。
 伝記というものは、大げさに語られ、中には、現実には起こりえないような話になって伝えられることがあります。
 そのような伝記を読んだり、聞いたりする人は、現実にはありえない作り話だと分かっているのですが、ありえない話から、伝説の人の真実の姿を読み取り、聞き取るのです。
 ありえない話から、その話が伝えようとする深い意味に触れるのです。
 お釈迦さまが生まれてすぐ、7歩歩いたことについて、「7」という数字に意味があります。
 私たちの生活では、「7」は、縁起の良い数字と考えられています。
 たとえば、スロットルマシンでは、7が3つ並べば大当たりです。野球の7回は、ラッキーセブンと言い、応援に俄然熱が入ります。
 仏教でも、7は良い数字です。
 「十界」という教えがあります。
 「十界」とは、人間の心の境涯を10種類に分類した教えです。
 「十界」は、地獄から始まります。
 「地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界」の10の境涯を十界と言います。
 その7番目が、「声聞界」です。
 「地獄界」から「天界」までの6つの世界は、迷いと苦しみの世界です。
 「声聞界」から、仏道を学ぶ世界に入ります。
 仏道を学ぶとは、仏さまのお心について学ぶことです。
 親鸞聖人は、仏さまの世界に入りたいという願いが起こったときが、仏さまの世界に一歩足を踏み入れたときだとし、さとりの始まりだと考えました。
 お釈迦さまが、誕生後、7歩歩かれたエピソードは、迷いの世界を超えて、仏さまの心の世界を学びさとることが、人間として尊いことだと教えているのです。
 では、さとれば、どうなるのでしょうか。
 さとるとは、仏さまと同じ心になることです。
 『観無量寿経』では、「…仏心者大慈悲是…」と説かれています。仏さまの心とは、お慈悲の心のことだという意味です。
 さとって、仏さまと同じ心になるとは、「慈悲」の心が芽生えることです。慈悲とは、「抜苦与楽」といって、苦しんでいる人を助けて、楽にしてあげる心のはたらきのことです。
 この心のはたらきのことを「利他」と言います。他を利することが、お慈悲のはたらきであり、仏さまのはたらきなのです。
 人間とは、わがままなもので、自分さえ良ければいいという考えを持っています。このわがままな人間が、人に幸せになってもらうために、利他行を行う。このことが、人間として尊いのです。
 わがままだけでは、人に拝まれることはありません。利他行を実践する人が、人に拝まれるのです。
 映画「ブッダ」は、第2部、第3部と、順次公開される予定です。お釈迦さまの生涯に触れて、人間として尊い生き方を学びたいものです。

【 人形供養祭 】

 6月5日、富来の葬祭会館で、「人形合同供養祭」が行われました。
 祭壇には、ひな人形や日本人形、キャラクター人形や動物のぬいぐるみなど、大小さまざまな人形が所狭しと並べられました。
 中には、手垢のついた人形もありますから、大事にされていたことが分かります。
 祭壇中央の上段には、本尊も祭られています。本尊は、南無阿弥陀仏の阿弥陀仏ではなく、釈迦如来です。
 読経は、曹洞宗の僧侶により行われました。
 お経は、「般若心経」で始まり、道元禅師が書いた「修証義」が読まれ、最後はご詠歌で終わりました。
 日ごろ、南無阿弥陀仏に慣れている者にとって、念仏のない耳慣れないお経や見慣れない仏事は、興味深いものがありました。
 読経のあと、法話がありました。
 僧は、人形供養の意義について、人間に限らず、何に対しても「おもいやりの心」を持つことが大事であるとし、「おもいやりの心」を持つことが、「さとり」をひらく道につながり、この心を育てるには、「布施(ほどこす)」「愛語(やさしいことば)」「利行(よいおこない)」「同事(ともにいる)」の「四摂法」の実践に努めることが大事であると法話しました。
しごく、もっともな話だと感じました。
 私たちの親鸞聖人は、この考えをもっと進め、深めました。
 親鸞聖人は、「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず」と言いました。
 親鸞聖人は、父や母の供養のために、”南無阿弥陀仏!”と念仏を称えたことが1回もないと言うのです。
 親鸞聖人は、親を供養するという考えは持っていませんでした。
 そのわけは、自分自身は、親の供養などという立派なことができる人間ではないと考えていたからです。
 だから、禅宗で説く「四摂法」の実践など、とうていできるはずがありません。 さらに、自分は善人になれない悪人であるとすら考えていました。
 だからといって、親鸞聖人は親を粗末にし、ものを粗末に扱ったかというと、そうではありません。
 むしろ、自分は無力だと思うからこそ、親を大事に思う気持ちが強く、ものを大切にしました。無力な悪人が、ここまで育ててもらい、世話になったことを思えば、押さえきれない感謝の念があふれ出るからです。
 その感謝の気持ちが、”南無阿弥陀仏!”の念仏となるのです。
 これが、親鸞聖人の念仏です。   合掌

2010・7月

【 お寺の行事 】

        7月 1日(木)   魂迎会  正午 お斎
                            1時 お勤め
                           法話 富樫一就 師
                          (安津見 専念寺住職)

        7月11日(日)   お講 8時 お勤め
                        9時 お斎
                       当番 谷川組

                 お誘い合わせてお参り下さい

【 いま盛なり 】

 輪島市門前町に、満覚寺という浄土真宗のお寺があります。
 満覚寺には、全国に知られたイベントがあります。
 「布教大会」です。
 何人もの布教使が次々高座に上り、説教を語る催しです。
 布教大会には、県内外から有名な布教使が集まります。第39回を迎えた今年の布教大会は、富山県や京都の布教使も高座に上りました。
 また、参詣者も、全国から満覚寺を訪れます。境内には、石川ナンバーに混じって、県外ナンバーの車も並びます。中には、この日のために観光バスを仕立てて訪れる団体もあります。
 本堂内は、立錐の余地もないくらい、お参りの人で埋まります。座れず、立って聞く人もいます。本堂がいっぱいで中に入れず、外で聞いている人もいます。
 お参りの人であふれかえる満覚寺は、近年、どこのお寺でもお参りが少なくなった状況を見るにつけ、そのことが嘘に思えるほど別世界でした。
 「浄土の真宗は証道いま盛なり」という親鸞聖人のことばが思い合わされます。満覚寺は、まさに「浄土の真宗は証道いま盛なり」でした。
しかし、親鸞聖人の「盛なり」は、お寺にたくさんのお参りがある状況の中で言われたことばではありません。念仏の教えが禁止され、念仏者が弾圧された時代に言われたことばです。
 親鸞聖人が、法然上人とともに、念仏の教えを広めようとしたとき、朝廷は念仏を禁止しました。既成の仏教教団が、朝廷に圧力をかけたのです。
 当時の仏教教団は、伝統にあぐらをかき堕落していました。そこに、新しい念仏の教えが起ころうとしたのです。当然のこととして、新しいものを排除する動きが起こります。その動きが、朝廷を動かしたのです。親鸞聖人は、法然上人とともに、流罪になりました。当時の仏教教団は、政治を動かす力を持っていたのです。 
 親鸞聖人は、こんな状況の中で、「盛なり」と言われたのです。
 何をもって「盛なり」と言われたのでしょうか。
 親鸞聖人には、予感がありました。「今、仏教教団が堕落して真実が失われている。こんな今こそ、真実の教えが広まる好機であり、念仏の教えに出会う時節が到来した。やがて、念仏の教えが全国津々浦々に響き渡る時代が必ず訪れるにちがいない」という予感です。
 親鸞聖人の予感は、当時の仏教教団の行き詰まり状態を見るにつけ、”今こそ!”という確信にも似た予感でした。
 この予感どおり、念仏の教えは、親鸞聖人から200年後の蓮如上人の時代に、北陸を中心として全国に広まりました。親鸞聖人の予感が、現実のものとなったのです。
今、私たちも、行き詰まりの時代を迎えています。政治も社会も行き詰まっています。人の心も行き詰まっています。
 こんなときこそ、親鸞聖人の「盛なり」の予感に目を開くときです。
 布教大会から帰るみなさんは、一様に明るい表情でした。「予感」が、心に芽ばえたからでしょう。「予感」とは、行き詰まり状態の中にあっても、それを超えて生きようとする、心に湧き上がってくる力のことです。

【 ある質問 】

 ある仏教講演会で、講演が終わったあと、質問の時間になりました。
 司会者が、”どなたか、講師の先生に質問はありませんか?”と参会者に尋ねたところ、一人の女性が、次のような質問をしました。

  =質問=
 「彼岸」に行くと言うが、「彼岸」と「世間」の物差しは違うから、「彼岸」に行った人は、「世間」で生きにくいのではないでしょうか。私は、むなしい気持ちで生きています。私は、ほんとうに浄土にいるのだろうかと疑問に思っています。 会社で仕事をしていても、仲間に受け入れてもらえないときがあります。自分の意見を通そうとすると、会社から首を切られる怖れもあるので、あまり逆らえません。我慢しなければならないことが多くあります。信仰は、「世間」を生きるうえで、邪魔になるのではないでしょうか。どうしたらよいでしょうか?

 この質問に、講師がうまく答えられないまま、時間切れとなり、講演会は終了しました。

 女性の質問を聞いていて、思ったことがあります。
 質問した女性は、信仰を持てば、自分の思い通りに物事が進むと考えているようです。
 女性は、信仰を持った自分の目から見ると、世間の人は間違って見えます。自分の考えが正しく、世間の人は正しくない。そして、間違った考えを持つ世間の人は、私の正しい考えを受け入れようとしない。だから、信仰は、世間を生きるうえで、何の役にも立たないのではないかと悩んでいるのです。
 そもそも、宗教は、「自分の思い」や「願い」を実現させるために信ずるものではありません。自分の思いや願いは、「わが身さえよければよい」という我がままな「煩悩」から生まれます。煩悩から生まれた願いは、清らかではありません。私たちの願いは、いつも汚れているのです。
 だから、煩悩にまみれた願いに、付き合ってくれる神仏はいません。もし、煩悩から出た願いを叶えてくれる神仏がいるとすれば、その神仏はにせものです。「願い」は、煩悩を持った私たちに、神仏の方からかけてくださるのです。その「願い」だけが正しく汚れのない願いなのです。神仏が私にかけてくださった願いを、わが願いとして生きる。これが真の信心を生きる姿です。
 だから、煩悩に穢れた思いが受け入れられないのは当たり前なのです。人ばかり見て、我が心の内を見ないから、あのような質問になるのだなと思ったことでした。  合掌

2009・7月

【 お寺の行事 】

   7月 1日(水) 魂迎会 お と き 12:00
                  おつとめ 13:00
                  法  話 上野寿弥 師  聞成寺 住職(七尾市吉田町)
                  当  番 道 辻 組

   7月19日(日) お講  おつとめ 8:00
                  お と き 9:00
                  当  番 石 川 組

              お誘い合わせてお参り下さい。

【 仏像ブーム 】

 上野の東京国立博物館で行われた「国宝 阿修羅展」に、期間中90万人が訪れました。1日平均、14,000人が奈良興福寺の阿修羅像を見たことになります。
 近年、仏像の本などが盛んに出版され、仏像がブームになっています。
 これまで、仏像はお年寄りが拝むものと考えられてきました。今回の仏像ブームは、若い人が仏像に関心を持っていることに特徴があります。なぜ、若者たちが仏像に関心を持つようになったのでしょうか。
 自ら「仏像ガール」を名乗る女性がいます。
鎌倉市の近郊に住む廣瀬郁実さんです。
 廣瀬さんは、鎌倉の大仏さまの近くに住んでいます。このことから、自然に仏像が好きになったのかというと、そうではありません。 彼女には、仏像に関心を持つきっかけとなった体験があります。
 廣瀬さんは、「私が中学生のとき、大好きだった父が亡くなりました。父が亡くなったとき、私は取り乱し、父がどこへ行ったのか分からず混乱しました。以来、死ぬことが怖くなり、怖い怖いと思いながら、死後の世界に興味を持つようになりました。色々な本を読むうちに仏教と出会いました。これがきっかけとなって、お寺へ行くようになりました。
 青春18切符で京都の三十三間堂へ行ったことがあります。お堂の中には千体の千手観音像が並んでいました。それを見たとき、突然涙がぼろぼろこぼれ落ちて止まりませんでした。
 何百年も前、私たちと同じ人間がこの光景を作り、これまでたくさんの人たちがお参りし、守り続けてきた、その厚みのある歴史が、今、目の前にあると思ったとき、そのことが奇跡のように思えて感激したのです。これが、仏像を好きになるきっかけでした。
 大学では、仏教美術を学びました。大学の授業は、仏像を見ること、仏像を鑑賞することが中心でした。仏像を勉強するようになってから、三十三間堂でぼろぼろ涙を流した体験ができなくなりました。
 そのとき、これは違うぞと思いました。その後、仏さまと出会いたいな、あのときみたいな感動するような出会いをいっぱいしたいなと思って仏像巡りをしていたあるとき、仏像は見るものではない、大切なのは仏像を勉強することではなく、感動することだと気づきました。仏さまは感じることだと気づいたのです。仏さまは、とにかく感じることです。なんにも考えないで頭を空っぽにして仏像を感じること、それが一番です。」と語っています。
 仏像ガール・廣瀬郁実さんの仏像巡りの出発点は、大好きだった父の死にありました。誰でも、死に対する不安と怖れを持っています。廣瀬さんは、亡くなった父の行方が分からず、死をどう受け止めたらよいかも分からず悩みました。
 その心に、三十三間堂の千手観音が答えを届けてくれたのです。
 廣瀬さんには、千手観音の澄んだお顔が、亡くなった父の静かな顔に見えたはずです。観音さまは、この世の憂いや不安、悩みや煩わしさを超越した静かなお顔をしておられます。亡くなったときの廣瀬さんの父も、そうだったはずです。
 観音さまのお顔と父の静かな死顔が重なって見えたとき、死とは怖いものではない、安らかな状態になることである、死は仏さまになることであるという思いが、廣瀬さんの心に湧き上がってきたのではないでしょうか。
 廣瀬さんは、そのことを頭で考えたのではなく、心で感じたのです。感じたがゆえに、これまでの不安や苦しみがぬぐい去られ、ぬぐい去られたことの感動で、涙が止めどなく流れたのです。
 全国には、さまざまな仏さまがいらっしゃいます。仏像を見るだけの旅ではなく、仏さまの心と出会う旅はいかがでしょうか。旅のお土産は、垢を落とした澄んだ心です。
 といっても、旅先では名物料理を楽しみ、お土産のひとつも買って帰りたいのが人情です。
 奈良では、格安の仏像が、100円ショップで売られています。鎌倉では、「大仏かけうどん」が楽しめます。このほか、仏像が乗った抹茶ケーキや大仏キティちゃんも売られています。
 旅先では、色々な出会いと発見があります。新しい出会いと発見に感動しながら、心の洗濯を楽しむ旅。仏像ブームの中の若者たちが訴えているのは、混沌とした時代を生きる現代人の心の垢落としではないでしょうか。

【 死なない命 】

 先日、世界一長寿だった宮崎県に住む田鍋友時さんが、113歳で亡くなりました。
 これまで、世界で一番長生きしたのは、フランスの女性で、122歳でした。男性では、徳之島に住んだ泉重千代さんの120歳が最高齢です。
 高齢になると、節目節目に、「寿」を付けてお祝いします。例えば喜寿とか傘寿などです。100歳になれば百寿と言います。108歳は茶寿、111歳は川寿、120歳は昔寿と言うそうです。
 人間は、大きな病気や怪我もせず、正しい食習慣や生活態度を守れば、120歳まで生きられるそうです。人間の天寿は、120歳です。年を重ねるごとに、「寿」を付けてお祝いするのは、天寿に近づいているからです。天寿に近づいていることがめでたいのです。
 しかし、人間には120歳どころか、永遠に生きられる方法があります。
 江戸時代、佐藤一斎という学者がいました。佐藤一斎は、次のことばを残しています。
    少にして学ばば、則ち壮にして為すことあり
    壮にして学ばば、則ち老いて衰へず
    老いて学ばば、則ち死して朽ちず
 永遠のいのちを生きる秘訣は、「学び」にあります。学ぶといっても、難しい学問をすることではありません。幾つになっても好奇心を失わず、前向きに生きることが学ぶことなのです。
 そんな生き方は、次の時代の人に受け継がれます。そして、次々と受け継がれることで、自身の体は無くなりますが、その人は生き方に姿を変えて、生き方といういのちを生きることになります。これが、永遠に生きる、死んでも死なないいのちを生きることなのです。                            合掌

2008・7月

【 お寺の行事 】

          7月1日(火) 魂迎会 正午 おとき 当番・谷口組
                        1時 お勤め
              法話は、覚龍寺住職芳岡昭夫師(栗山)にお願いしました。

          7月6日(日) お 講  8時 お勤め
                         9時 おとき 当番・土肥組        
   
          このほか、7月13日(日)には、火打谷集会所で「14日お講」が勤ま ります。 

                   お誘い合わせてお参りください

【 第3の人生 】

 6月24日、96歳の現役医師、日野原重明先生の講演会が、七尾サンライフプラザ大ホールでありました。会場は超満員で、立ち見(立ち聞き)の人が通路にあふれました。看護や介護を志す若い学生から、90歳を超えたお年寄りまで、幅広い年代の人が聴講におとずれました。
 日野原重明先生の講演は、1時間15分に及びました。その間、先生は座ることなく、立ったまま話されました。その元気ぶりが、会場の人たちをまず驚かせました。さらに、舞台を歩き回り、ジェスチャアや冗談もまじえて会場を沸かせ、聞く人の心をとらえて離さない話しぶりには、ほとほと感心しました。
 日野原先生は、最近、「新老人の会」を立ち上げました。「新老人」とは、75歳以上の人たちを言うのだそうです。さきごろ、政府は、75歳以上の人たちを「後期高齢者」と呼びました。この言葉に抵抗を感じた日野原先生は、「新老人」ということばを思いつきました。そして、「新老人」は、「第3の人生」を生きる人たちだと定義しました。これまでは、人生は第2までという認識が一般的でした。日野原先生は、長寿社会を迎えた日本人は、「第3の人生」まで与えられていると言います。先生は、この定義づけにもとづいて、「第3の人生」を生きる人たちに、日本の舵取りを担って欲しいと訴えました。そして、日本という国が、新老人たちの活動によって、物心ともに外国にこびへつらう必要のない、自立した平和国家になって欲しいとも語りました。
 新しい発想は、生き方を変えます。これまでは、第一線を退いたら、誰かの世話になって一生を終えるという2段階で人生を考えてきました。「第3の人生」という発想はありませんでした。「第3の人生」とは、「生涯現役」として生きることを意味します。
 人間、最後は、誰かの世話にならなければなりません。それまでは、目標を持って、自立した人生を生き切る、これが「第3の人生」の考え方です。日野原先生は、「このことを実現するまでは死ねない」というような強い目標が持てれば、15歳は若返ることができると言います。目標を持つことは、生き甲斐につながります。生き甲斐とは、「自分は誰かに認めてもらっている」「自分は誰かのためになっている」「自分は誰かの目標になっている」という生き方をすることです。たとえば、病気になっても、「あんな病人になりたい」とか、たとえガンをわずらっても、「あんなガン患者になりたい」と思わせる見本となる病み方をすることです。自分がどんな状況に置かれようとも、誰かに見られている、誰かの手本になっているという生き方をすることが、その人の人生に「張り」を持たせます。
 新老人たちの、このような生き方が、これまでの日本人のあり方を変えるのではないでしょうか。


【 横から見ると 】

 テレビなどを見ていると、アメリカやヨーロッパなどの白人社会で、東洋人の姿を多く見かけるようになりました。東南アジアの人は、顔を見れば分かります。中国や韓国の人の顔は、日本人によく似ています。顔を見ただけで、中国の人、韓国の人と区別できる特徴的な顔もあります。また、顔を見ただけでは日本人と区別がつかない顔もあります。そんなとき、姿勢を見れば、日本人との違いがはっきり分かります。中国や韓国の人は、背筋が伸びています。日本人は、前屈みの姿勢で下を向いて歩いています。横から見ると、猫背で、さがり尻で、お腹が出ているのが日本人の特徴です。猫背の日本人は、若い人でも老人のように見えて、背筋のスッと伸びた人たちの中では、やはりみっともなく見えます。
 外出のときなど、私たちは自分を鏡に映して、前と後ろの服装や髪の乱れなどをチェックします。真横のチェックは、前と後ろほどではありません。チェックしても、こんなものかと思ってしまっています。真横の姿勢の悪さを、初めから納得してしまっているふしがあります。真横の姿勢が、日本人の弱点になっていることに気づいていません。
 日本人の姿勢の悪さは、生活環境からきていると言われます。いわゆる、昔から畳の上に座って生活する時間が長い日本人は、O脚になりがちで、姿勢も猫背になりがちです。それに比べて、中国や韓国の人たちは、椅子の生活です。欧米人の生活スタイルに似ています。そのため、スッと背筋の伸びた姿勢は、欧米人に似てきます。脚が短いのは、東アジアの人たちの特徴です。これは、仕方がありません。
 背筋を伸ばして歩くことは、健康にもつながります。猫背では、お腹の内蔵を圧迫して、消化を悪くします。背筋を伸ばせば、内臓は活発に働き、消化を促進します。血液の循環も良くなります。そして、背筋を伸ばして歩けば、若々しく見えるとともに、気持ちも清々しくなります。
 真横を気にする姿勢や歩き方は、生活のストレスも幾分かは発散してくれます。

 
【 すべり台社会 】

 今、日本は、「すべり台社会」だと言われています。ちょっとした失敗や不幸で、とことん追い詰められ、「すべり台」をすべり落ちるように、社会のどん底に突き落とされてしまうからです。途中で受け止めてくれるセーフティネットが機能しません。「社会」とは、助け合うことが原則のはずです。「助け合い」というセーフティネットが機能しないのは、困った人を助ければ、自分も巻き添えをくうことを恐れるからです。
 その原因は、強者がとことん強者として生き、弱者を思いやる心を失ってしまったことにあると言われます。
 街頭募金などでは、身なりが立派で、地位もお金もありそうな人は募金しません。募金するのは、油や汗にまみれた作業服などを着た、社会を下支えして生きる労働者のような人たちばかりです。そうした優しさと思いやりを持たない人たちが、権力とお金を握って社会を支配しています。
 そんな社会に警告を発したのが、秋葉原で起こった殺人事件です。この事件を、他人事として片づけてしまう風潮も、今の日本社会にはあります。このことが、「すべり台社会」を作っている最も大きな原因ではないでしょうか。     合掌


2007・7月

【 お寺の行事 】

         7月 1日(日) 魂迎会  お と き 正午     おまいり 午後1時
                          当  番 谷 川 組

          7月15日(日) お 講   おまいり 午前8時  おとき 9時
                          当  番 福 島 組

【 役員会開催 】

 去る6月9日(土)、役員会を開きました。
 話し合ったことは、先の能登半島地震によって被害を受けた本堂の修復についてです。下の写真は、本堂内の壁の崩落と基礎石からずれた柱のようすです。このほか、柱がずれたことで桁や根太が外れたり、基礎石として使っていた出雲石が6ケ所で割れました。被害は、本堂の南側(本堂正面から見て左側)と、本堂の西側(本堂裏)に集中しました。建築業者の見積もりでは、修復には約75万円ほどかかるということです。
 委員会では、門徒の共有財産としての本堂を維持するため、ご門徒の方々のご協力を仰ぐということになりました。
 この件については、別途お願いすることになります。恐縮ですが、宜しくお願い申し上げます。

【 愚直に生きる 】

 3年ほど前、ハルウララという競走馬が話題になりました。ハルウララは出ると負けの連続で、負けても走り続ける姿に多くの人が感動し、「負け組の星」として注目を集めました。結局、ハルウララは113回のレースに出場し、1回も1着になれず現役を引退しました。
最近、一匹の犬が注目を集めています。香川県の警察犬訓練所でトレーニングを続ける「きな子」という名の犬です。「きな子」は、これまで3回連続して警察犬試験に不合格となりました。警察犬にとって最も大切なことは、臭いをかぎ分ける能力です。「きな子」は、臭いをかぎ分ける試験では、4種類のうち1種類ぐらいしか正解しません。また、障害物を飛び越える試験では、80pの障害におなかがひっかかり、顎から落ちてしまいました。このことが話題になり、「きな子」は「ずっこけ見習い警察犬」として、新聞やテレビに取り上げられるようになりました。さらに雑誌にも取り上げられ、タイトルが『ズッコケ見習い警察犬きな子がいく!』という本まで出版されました。失敗しても、めげずに挑戦し続ける「きな子」の姿が、多くの人に感動を与えています。
 ハルウララや「きな子」が注目されるのは、ハルウララや「きな子」の姿に、人生を重ね合わせる人が多いのかも知れません。負けても、失敗しても頑張るハルウララや「きな子」の姿から、「勇気をもらった」とか「励まされました」などという感想を、多くの人が語っています。
人生には、逆境がつきものです。むしろ、人生は逆境だらけと言っても言い過ぎではありません。「うまくいった!」と思っても、すぐ別の不都合な問題が起こります。そのとき、「これで良し!」と、今まで思っていた考えや生き方に自信がもてなくなり、心が揺れ動いて定まらなくなります。この状態を、「迷い」と言います。
 そうしたとき、逆境にめげず、前向きに生きる姿に接して、心が洗われるような思いをするわけです。自分も、ハルウララや「きな子」のような、負けても失敗しても、めげずに頑張る強い心を持ちたいと考えるのです。
 親鸞聖人は、信心をダイヤモンド(金剛)にたとえて、「金剛の信心」と言いました。ダイヤモンドは、石の中で最も硬い石です。信仰には、ダイヤモンドの硬さに匹敵する固さがあると親鸞聖人は説きます。その固さとは、何ごとにも動揺しない、何ごとにも判断がぶれない固い信念であります。この信念が、「金剛の信心」であり、「金剛の信心」は、その人の心の芯となって人生を支えます。したがって、私たちは、ダイヤモンドのような心の芯となる信念を持つことができれば、どのような境遇にあっても、迷うことなく生きることができるわけであります。
 そして、人々は、自分には、未だできていない迷いのない生き方を、逆境の中で前向きに生きるハルウララや「きな子」の姿に見ているのあります。
 「迷いのない生き方」とは、言い換えれば「愚直に生きる」ということかも知れません。「愚直」とは、ひたむきに貫き通す生き方であります。

【 脳トレ 】

 最近、「脳トレ」ということばや文字を、よく耳にし目にします。書店では、いろいろな「脳トレ」本が売られています。加減乗除の四則計算やクイズを一冊にまとめた本や、写経の本、大人のぬり絵などの本も売っています。「脳トレ」は、もともと認知症予防のために考え出されました。
 先頃、「脳トレ」の効果を研究した結果が報告されました。いろいろな「脳トレ」を被験者に行わせ、脳の血流を調べることで、「脳トレ」の効果を測定しました。最も脳の血流が多かったのは、なんと「俳句を作る」ことでした。加減乗除の四則計算やその他の「脳トレ」は、脳への血流が、俳句を作るとき以上にはなりませんでした。「俳句を作る」ことが、一般的な「脳トレ」より効果のあることが実験で確かめられました。
俳句は、五・七・五のリズムで文字を並べます。1句の中に、季節に関係あることばを詠み込むという約束事はありますが、俳句は、誰でも手軽に作ることができます。今年のウグイスは、2月中に初音を聞きました。桜の開花は、例年並みでした。そして、ホトトギスや郭公はすでに鳴いています。
 俳句を作ることは、「脳トレ」になるとともに、季節の感覚を養います。また、日々の生活を詠むというのも、一興でしょう。夜、寝る前に、その日のことを五・七・五のことばでまとめ、ノートにつづっていけば自分史にもなります。              合掌


2006・7月

  【 お寺の行事 】

       7月 1日(日) 魂迎会 当 番・石川組
                      お と き・正午
                      お始まり・午後1時

        7月23日(日) お講  当  番・道辻組
                       お始まり・午前8時
                       お と き・午前9時

               お誘い合わせてお参り下さい。


  【 ご先祖との出会い 】

    迎え火や六親かぜのはるかより

 この句が何となく気に入り、毎年、8月の掲示板に貼ることにしています。迎え火を焚くお盆になると、亡くなった六親たちが、風が吹いてくるそれよりも遙か遠くから帰ってくるという意味です。
 六親とは、六種の親族のことで、父・母・兄弟・姉妹・妻・子のことです。蓮如上人は、「白骨のお文」と言われる「お文」の中で、「…六親眷属なげきかなしめども、さらにその甲斐あるべからず…」と書いていますから、六親とは、六親眷属のことです。眷属には、一族とか親族という意味がありますから、六親眷属とは、近親・遠縁を問わず親族全部ということになります。
 蓮如上人の「六親眷属」は、生きている親族を意味していますが、俳句の「六親」は、すでに亡くなった親族のことです。
 お盆には、都会に出た人たちのUターンの混雑がニュースになり、生きている人間の話題ばかりで、人々の意識から、先祖のことが忘れられがちになります。お盆は、都会に出た親族が実家に帰省することに意味があるのではありません。先祖との出会いの機会と場を持つことに意味があります。
 ある人から、お盆の墓参りは意味のない行事だと質問を受けたことがあります。当寺のホームページhttp://www5.ocn.ne.jp/~gokuouji/ の「法務の話題」⇒「1.ある質問」をご覧ください。この質問は、お盆には先祖の魂が家に戻るという考え方からすれば、筋の通った話です。お盆期間中は、お墓はもぬけのからになるのですから。
 また、讃岐の庄松という妙好人がいました。
庄松の病気見舞いに行った人が、
 「お前が死んだら、りっぱな墓を建ててやるよ」
と言ったところ、庄松が、
 「石の下には居らぬぞ。石の下には居らぬぞ」
と答えたというエピソードがあります。
 この2つの話は、似ているようで正反対のものです。お盆の墓参りの無意味を質問した人は、魂が家に帰っているので、魂のいない墓参りは意味がないという単純な理屈です。それに対して、庄松のことばは、信仰は物や形ではないという信念の表明です。お盆の行事は、民間信仰もまぜこぜになって、行われています。
 では、どうしたら、先祖と出会えるのでしょうか。
 「偲ぶ」ということばがあります。「偲ぶ」には、「思いしたう。なつかしく思い出す」という意味がありますから、「偲ぶ」とは、先祖の姿を思い出すだけでなく、先祖の心の中にまで入っていくということです。
 自分が生まれたあと亡くなった先祖ならば、そのおもかげが記憶として残っています。また、自分が生まれる前に亡くなった先祖のことならば、親などから聞いて、先祖についてある程度のことは知っていると思います。これを便りとして、先祖の心を思うことが、「偲ぶ」ということです。
 あの時は、辛い思いをさせたのではないだろうか。悲しい思いをさせたのではないだろうか。がっかりさせたのではないだろうか。どんな気持ちだったのだろうと、先祖の気持ちに寄り添うことが、偲ぶということです。
 先祖の中には、世間的に成功した先祖もいれば、芳しくなかった先祖もいます。長生きした先祖もいれば、夭折した先祖もいます。いつの時代でも、大事小事多種多様な問題を抱え、その解決に向けて、どの先祖も頑張ってきました。ひとつの家の歴史は多様で、浮き沈みがあり、すべて順調に推移してきたという家はありません。成功の陰には甚大な努力と苦労があり、順調でないときには非常な困難と苦難に直面したはずです。そういうことのひとつひとつが積み重なって、家の歴史が作り上げられます。先祖の行った事績について、あれやこれやと批評することは簡単ですが、先祖はその時・その時代を懸命に生きてきました。現在の自分にとって、好ましく思わない結果を先祖から受け継いでいるという場合でも、先祖が良かれと考えて行った努力に思いを馳せるべきです。先祖の事績ひとつひとつに、先祖の強い思いが籠もっています。その努力の結果は、重く受け止めるべきであります。先祖の努力の結果が、現在の自分となっているのですから。
 そういうふうに受け止めることができれば、自然と頭がさがります。先祖に対して頭がさがる気持ちを持てれば、先祖を大切に思う気持ちが強くなります。こちらの頭がさがれば、先祖は上に行くことになり、こちらの頭が地面に着くまでにさがれば、すべての先祖が上に行くことになります。そうなると、先祖のすべてが大切な存在として受け止められるようになり、先祖への感謝の気持ちも湧いてきます。
 因幡の源左という妙好人がいました。
 源左がある人に、
 「俺は、牢屋につながれた人を見ると拝みたくなる」
と言いました。これを聞いたある人が、
 「それはまたどういうわけだ」
と尋ねると、源左は、
 「この源左は、まことに悪い人間だけど、俺の身代わりになって牢屋に縛られて、見せしめとなってくれておるので、俺は縛られずに済   んでいる。そう思うと、手を合わせて拝まずにはおれないんだよ」
と答えたというエピソードがあります。
 因幡の源左にとって、牢につながれだ罪人も拝む対象でした。源左は、牢につながれた罪人に対しても、頭がさがる思いを持ったということです。したがって、源左にとっては、すべての人が拝む対象であり、罪人もそうでない人も、すべて仏さまのような存在であったということになります。そうなると、憎む人がひとりも居なくなり、敵になる人もなく、すべての人が、仏さまとして仰がれることになります。さらに、このことは、現在ばかりでなく、先祖を含めた過去の人たち、そして未来の人たちをも大切に思う気持ちとなって、大切に思う心が際限なく広がって行きます。
 この心の確立を求めて、昔、法蔵菩薩が果てしもない修行を続けて建設されたのが極楽浄土であります。地獄道も餓鬼道も畜生道もない、それに煩わされることのない世界が極楽浄土です。
 この極楽浄土へは、すべてに頭がさがれば行くことができます。なぜならば、すべてに頭がさがれば、まわりは仏さまばかりとなるからです。
 お盆は、先祖との出会いの季節ですが、先祖との出会いをとおして、頭のさがる思いを持つことで、心に極楽浄土を拓く季節でもあります。     合掌


2005・7月

  【 仏々相念 】−仏と仏と相念じたまえり

 「手元供養」という考え方があります。
 お墓が遠くにあるため、あまりお参りに行けない人や、仏壇やお墓にお金をかけたくないなどと思っている人たちのために考え出されました。
 現代の人たちは忙しすぎて、お墓参りする余裕をなかなか持てません。そして、都会では、墓地が高額で手に入りにくく、家の中に仏壇を置く空間もないという状態で生活している人たちがたくさんいます。
 そういう人たちでも、亡くなった肉親に対する深い思いは、墓や仏壇を持っている人たちと何ら変わるところがありません。そのような人たちが、「亡くなった人との心の交流」を続けられるようにと考えたのが、「手元供養」です。
 「手元供養」とは、亡くなった人の遺骨を、いつも自分の身近な手の届くところに置いて供養することを言います。供養の方法は色々あります。たとえば、ペンダントに穴を開けて、その中に亡き人の遺骨を少し入れて、いつも首にかけておくという方法があります。このペンダントは、1万円くらいから売っています。また、石で作った仏さまの中に遺骨を入れて机の上に置くという方法もあります。この石仏は、7万円くらいで売っています。さらに、大理石を磨いて作った置物の中に遺骨を入れる方法もあります。この置物は、18万円と高額になります。
 ある会社員などは、会社の机の上に清水焼で作ったお地蔵さんを置いて、その中に亡くなったお父さんの遺骨を入れ、いつも出勤した時と退社する時に、お地蔵さんに手を合わせているそうです。
 このように、近年、遺骨に対する考え方が変わってきました。遺骨はお墓に納めるものという昔ながらの固定観念が変わりつつあります。
「手元供養」は、誰が考え出した知恵が知りませんが、遺骨をお墓に入れっぱなしにして、たまにしかお墓参りしない人に比べてみれば、よほど心のこもった供養だと言えます。
「虎は死して皮を残す。人は死して名を残す。」と言われますが、たいていの人は、名誉を成し遂げることもなく、功績となる事績もなく、後世に名を残すことなく、無名のまま骨だけ残して死んで行くのが常であります。
この遺骨にまつわる民話がモンゴルにあります。「スーホの白い馬」という馬の話です。あらすじは、次のとおりです。
 
      スーホという名の羊飼いの少年が、モンゴルの草原に住んでいました。
      ある日、スーホは、親からはぐれた白い子馬を見つけて連れ帰りました。
      スーホは、その白い子馬を大切に育てました。子馬は、みごとな白馬に成長
     しました。
      そんなとき、町で競馬が行われるという知らせが伝わりました。スーホは、
     競馬に出ることにしました。
      スーホの乗った白馬は、国じゅうから集まった駿馬を尻目に、すばらしい走
     りっぷりで優勝してしまいました。
      これを見た殿様が、スーホの馬を欲しくなりました。スーホは、殿様の申し
     出を断りましたが、殿様はスーホに銀貨3枚渡しただけで、強引に白馬を奪っ
     てしまいました。
      スーホはどうすることも出来ず、白馬と別れて草原の家に帰りました。
      一方、殿様に飼われることになった白馬は、スーホが恋しくてたまりません。
      ある日、飼い主のスキを見て、うまやを逃げ出しました。これを見つけた殿
     様は、家来に「あの馬を射殺せ!」と命じました。家来たちは、逃げる白馬めが
     けていっせいに矢を放ちました。矢は、次々と白馬の背中に刺さりました。
      それでも白馬は、走り続けました。走り続けて、スーホが待つ草原の家に帰
     ってきました。
      しかし、白馬は矢の傷が癒えることなく死んでしまいました。白馬に死なれ
     たスーホは悲しくてたまりません。悲しくて眠れません。
      ある晩、ウトウトとしていると、夢の中に白馬が現れて、「そんなに悲しまず
     に、私の骨で楽器を作ってください。そうすれば、私はいつまでも、あなたの
     側に居られます。そして、あなたを慰めてあげられます。」と言いました。
      スーホは、白馬に言われたとおり、白馬の骨や革や毛を使って楽器を作りま
     した。
      これが「馬頭琴」という楽器です。棹の先が馬の頭の形をしていることから、
     この名が付けられました。
      死んだ白馬を思いながらスーホが弾く馬頭琴は、哀愁を帯びた音色で、モン
     ゴルの草原に生きる人々の心を揺り動かしました。
      そして、馬頭琴はモンゴルの草原に広まり、やがてモンゴルの民族楽器にな
     りました。

 民話の中のスーホは、死んだ白馬の骨を楽器にすることで、愛馬と心をつなげるよすがとしました。
 私たち人間の場合でも、亡き人と心をつなぐ手だてとして、遺骨が重要な意味を持っています。
 仏さまの世界では、遺骨が無くても、過去の仏さまや未来の仏さま、そして現在の仏さまたちが、互いに時間を超えて会話をなさっています。
 そのことが、『大無量寿経』というお経の中で、「今日天尊、行如来徳、去来現仏、仏仏相念」と説かれています。
 意味は、次のようになります。

       「世尊よ! 今あなたは、如来の徳を行じておいでになります。私は聞いて
       います。過去・現在・未来の仏がたは、互いに念じあわれるということ
       であります。今まさに、あなたは"仏仏相念"の境地に達しておられます。」

 仏さまの悟りの世界では、時間を超えた仏さまたちの会話は、普通のことであります。そして、私たち人間にとっても、時間を超えた人たちとの会話は大切なことであります。
 私たちは、突然この世に現れたのではありません。ご先祖がいたからこそ、この世での命があるのです。そして、この世での命が、次の世代に引き継がれて行くのであります。私たちの命は、この世だけのものではありません。過去ともつながっているし、また未来ともつながっているのです。
したがって、人間として生きるために、時間を超えた人たちと会話することは、当然のこととして行われねばなりません。そのことができるようになって初めて、最も人間らしい生き方ができるのであります。自分一人で生きているのだという思い上がった態度は、過去と未来を考えない生き方です。それは、結果として、自分の人生を価値のないものにしてしまいます。

 さて、私たちは、何を遺していくか、そればかりを考えてはいないでしょうか。
 何を遺してもらったかを忘れてはいないでしょうか。さらに、遺してもらったものは当然のこととして受け取り、それに不足すら感じていることはないでしょうか。
 遺すことが大切なら、遺してもらったものも大切なものであります。この双方向への目覚めは、「仏仏相念」の世界に心を開くことで可能になります。
 そして、「手元供養」とは、「仏仏相念」という心の世界を、目に見える形にしたものでありました。      合掌

2004・7月

近年、子どもの凶悪な犯罪が頻発しています。
 長崎県の小学校では、6年生の女の子が同級生の女の子をカッターナイフで殺すという事件がありました。また金沢では、高校1年生の男子生徒が同級生の女子生徒を金槌で殴って殺そうとして未遂に終わったという事件もありました。
 この2つの事件は、親の育て方が悪いように報道されています。新聞などの論調は、親の育て方が間違っていたために子どもが大事件を起こしてしまったという調子です。長崎県の女の子の場合、大好きだったバスケットボール部を親にやめさせられたことが原因であるとされています。また金沢の高校生の場合、親の希望する志望高校へ進学できなかったことを親から非難されたことが原因で事件を起こしてしまったのではないかと言われています。
 確かに、親の育て方が悪かったのかも知れませんが、どこの親でも、我が子を人殺しに育てたいと思って育児をするはずがありません。「お前は、大きくなったら人を殺せるような人間にならなダメやぞ」などと教えるはずもありません。親ならば、我が子が正しくまともに育って欲しいと願いながら子育てをしているはずです。
 しかし、親の思いも寄らないことを子どもがしでかしてしまいます。子どもというものは、なかなか親の思い通りに育ってはくれません。現代という時代は、その傾向が顕著に現れています。「親不孝」な子が増えて来ました。現代は、親にとって、子育てという点では、喜びの少ない時代なのかも知れません。せっかく大きく育てても、頼るだけ頼って、スネをかじるだけかじって、親に力が無くなり弱ってきたら、ほったらかしというのでは割が合いません。
 今、高齢者の方々は、このことを強く感じておられるはずです。
 高齢者のみなさんは、老後は子どもに面倒を見てもらって楽をさせてもらおうと思って子どもを育ててきました。それは、我が子に大切にされる祖父母の姿を見てきたからです。我が親の、お年寄りを大切にする姿を見てきたからです。そして、自分も親の面倒を見ました。
 しかし、自分が面倒を見てもらう番になったら、我が子の親に対する扱いはぞんざいで、期待はずれでした。苦労してたどり着いた老後は、さびしく不安な気持ちばかりで、楽しいものではありませんでした。まさに、老後の楽しみが少ない時代となりました。
 そういう苦しみを親に味わわせないために出来たお経があります。
 『父母恩重経』というお経です。このお経は、父母の恩は、いかに重いかということを説いて親孝行を勧めています。親孝行を説くお経があるということは、昔から「親不孝」な息子がいたということです。「親不孝」は、時代に関係なく、いつの時代でもありました。だから、「孝行をしたいときに親はなし」などということわざも生まれたのでしょう。
 『父母恩重経』によると、子は、母のおなかに宿った時から親の恩を受けていると説いています。それは、次のような内容です。
  1.母は、子が宿ったときから、いついかなる時でも、なんとしてでも子を安らかに産みたいと願い続けます。 
  2.そして母は、いよいよ月満ちて子を産むとき、非常な苦しみを味わいます。
  3.さらに、肉親たちはみんな、祈るような気持ちで出産の時を待ちます。
 そうして生まれた子は、まず母を頼りとして育ちます。
  1.子にとって、母のふところは寝床であり、遊び場であります。
  2.子は、母が食べさせるものしか食べません。また、母が着せるのでなければ着ません。
  3.そして、子は成長するまでに、母の乳を一石八斗(ドラム缶2本弱)飲むと言われています。
父は父で、我が子のためにおもちゃを買ってやったり、一緒に遊んでやったりします。そして、何かおいしい物が手に入ると、自分は食べずに、子に食わすために家へ持ち帰るというふうに、子に愛情を注ぎます。
 そして、子が大きくなるにつれて、他の子に負けたくないとの思いから、父母は、ボロをまとってでも、我が子にいい服を着せてやり、食べるものを切りつめて、子のためにお金を使います。
 このようにして子は大きくなるのですが、成人して結婚すると、特に男の子は親をおろそかにし始めます。邪魔者扱いをします。そして、我が親をおろそかにしておいて、嫁の親の方を大事にするという本末転倒の状態にまでなります。
 これでは、あべこべではないか。これが「親不孝」というものだと『父母恩重経』は説いています。
 この話は、親子の関係だけの話ではありません。仏さまと私たち衆生との関係においても当てはまります。私たちは、仏さまの恵みを受けながら育てられ、生かされて生きる身であります。しかし、そのご恩を忘れて不忠なことばかりで、仏さまの願いに逆らって生きているのが現実です。無いものをあると思い、あるものを無いと思う本末転倒の考えをはじめとして、自分中心の欲望だけの煩悩の中で不足を嘆いて、「神も仏もあるものか」と恨めしくさえ思って暮らしています。これでは、「仏さまに対する不孝」であります。このことが、そのまま「親不孝」へと発展します。親孝行というものは、仏さまのご恩を知ってはじめて出来るものであります。
 このことに気づかせてくれるのが、『父母恩重経』というお経でありました。合掌

  魂迎会  7月1日(木)   お と き  正午(12時)
お始まり  午後1時
当  番  土肥さん組

  お 講  7月25日(日)  お始まり  午前8時
                 お と き  午前9時
 当  番  石川さん組
お誘い合わせてお参りください。

2003・7月

7月は「魂迎会」を勤めさせていただきます。しかしながら、この行事の由来は確かではありません。魂迎会に類似する行事は他宗でも行われるようで、舘開の道興寺(禅宗のお寺)でも同じような呼び方をする行事が行われ、「魂供会」と書くそうです。魂迎会と魂供会は、ともに、「魂」という字を書く点で共通しています。このことから推測すると、「魂」とは、先祖の魂のことであり、先祖を偲ぶ行事である点でも共通しています。そして、この行事は、もともと真言宗の行事であったものが、浄土真宗にも伝わったのだという説もあります。
 いずれにしても、8月のお盆の行事と関連性の深い仏事であると思われます。魂迎会を8月1日に行う寺院があったり、お盆を7月に行う地域もあります。旧暦と新暦との区別という点で統一がなくなったものと思われますが、昔のお盆は、月初めにお寺参りをして、中旬にはお墓参りをするというのが習慣だったのかも知れません。
 日本人は、先祖を大切にしてきました。先祖との関わりをいつも念頭に置いて物事を考えて行動してきました。そして、そのことによって宗教的な心をはぐくんできたという歴史があります。
 先日、七尾出身で、35歳ながら、世界を股にかけて活躍する洋菓子職人の講演を聞く機会がありました。彼は、洋菓子の新しいデザインを考えるときは、いつも自分が生まれた七尾の風景や七尾のことを思い出しながら仕事をするのだそうです。彼は言いました。「自分は、東京生まれでもフランス生まれでもない。七尾生まれである。そこに自分の原点がある。七尾に、自分の命のふるさとがある。それを忘れてしまったらいい洋菓子は作れない。」
 私たちは、とかくすれば自分の出自(出どころ・生まれ)に不満を持つことがあります。しかし、自分の出自に不満を感じようが、変えたいと思おうが、それはできない相談です。動かしようのない事実が出自であるからです。
 七尾出身の洋菓子職人は、自分の出自から逃げず、自分の出自に堂々と立って世界と勝負をしています。こういう人でないと、いい仕事は出来ないのでしょう。
 彼は、話を続けました。「僕は、自分をはぐくんだ七尾を誇りに思っているし、そして感謝している。」
はたして私たちは、出自というものを彼のように感じて生きているでしょうか。自分に命を伝えてくれたご先祖の方々に感謝して生きているでしょうか。
 自分をはぐくんだ背景や、自分の今の生き方や考え方、そして「後生」というものを、先祖を偲ぶ仏事である魂迎会やお墓参りなどのお盆の行事をとおして、改めて考え直して見たいものであります。 合掌

          7月 1日(火)魂迎会 お と き 正午  【当番 谷口さん組】
                        お 勤 め 午後1時
                        法  話 午後1時30分

          7月20日(日)お 講 おつとめ・法話 午前8時 【当番 谷川さん組】
                        お と き 午前9時

                                      お誘いあわせてお参りください。


2002・7月

 中庭のヤマユリです。手前のつぼみは5つ付いています。
 つぼみの重みで茎が傾いています。

 先日のテレビで、先祖の墓参りをした人が、「先祖は、先祖というより遠い家族という気がする。」と述べていました。
 今、極應寺の境内では、遅咲きのヤマユリが咲き出し、すがすがしい香りを境内にただよわせています。年輩の方なら、誰でもヤマユリにまつわる思い出があると思います。昔の子どもたちにとって、ヤマユリは美しい花を観賞するというより、おやつになっていたような気がします。ヤマユリは、花の奥の方においしい蜜を持っています。子どもたちは、花びらを一枚一枚めくって蜜を嘗めました。それは、当時の子どもたちには日常生活の中では味わえない甘露でした。また子どもたちは、ヤマユリの根を掘りだして、球根を食べました。少しの苦みと粘り気のある球根は、水分も含んでいて歯ごたえも良く、いつも腹を空かせていた子どもたちには格好のおやつとなりました。
 ヤマユリの花の季節になると、いつもこのことを思い出します。
 人はみな、色々な体験をして、思い出を持って生きています。中には、過去を思い出したくもないという人もいることでしょう。しかし、そういう人でも過去を無かったことにはできません。誰でも、過去と現在はつながっているのです。
 これと同じように、「先祖は遠い家族」と述べた人は、過去と現在の連続ということを思い、先祖あっての今の自分ということを強く実感しているのだと思われます。こういう人の人生には、感謝と謙虚さが生まれます。
お念仏に生きようとする人にとって、銘ずべき言葉であります。        合掌