6月のおたより

2023・6月

 【 お寺の行事 】

      7月1日(土) 13:30 魂迎参り  

                 講師 藤懸了世 師(志賀町鹿頭 常徳寺)
                     松下文映 師(珠洲市鵜飼 往還寺) 

                 当番 福嶋そうざ組

     お斎(食事)は、感染症が拡大している報道がありますので、今年も取り  止めとし、お参りのみなさまにはお斎に代    わる品をお持ち帰りいただきます。

      また、魂迎会は、お盆に先立ってお寺で勤まるお盆のお参りです。
      5月の珠洲地震で被災された松下住職さんにも出講していただきます。 

                    お誘い合わせてお参りください。

【 慶讃法要終了 】

・法要

 今年は、親鸞聖人ご誕生850年、立教開宗800年を記念する法要が浄土真宗各派で勤まりました。

 東本願寺・西本願寺は、3月下旬から5月にかけて、途中休止期間をはさんで、それぞれ30日間勤まりました。
 両方の本願寺にお参りしてきましたので、その様子や雰囲気をお伝えします。 

 参詣は、両本願寺とも全国からたくさんのお参りがありました。
 法要では、まず門首(西では門主と書く)の焼香がありました。
 たちまち馥郁たるお香のかおりが堂内に満ち、その中から雅やかな楽の音が沸き上がり、笛・太鼓の音もにぎにぎしく、さらに僧侶らの声明は堂内にひびきわたり、参詣者の心をゆさぶる感動がありました。

 西本願寺では、法要のあと、大谷光淳門主のおことばがありました。

 (途中から) …浄土真宗のみ教えに出会う前と後では、まったく同じではありません。
 如来のさとりと真実に会わせていただくことで、これまでとは違った新しい生き方がはじまるのです。
 それは、自分の煩悩だけを願うような自己中心的な生き方から、すべての人々の苦悩を自らの苦悩とするような生き方への転換です。
 そして、そこから仏恩を念じつつ、そのお心にかなうよう精進する念仏者の生き方が開かれてくるのであり、その精進努力する姿のままが、如来のお慈悲によって生かされている姿なのです。
 これからも、「世の中安穏なれ。仏法広まれ」と教えられた親鸞聖人のことばを胸に、すべての人々が心豊かに生きる社会の実現に向けてともどもに歩みを進めてまいりましょう!

 ご門主は、真宗門徒の生きる心構えを呼びかけられました。
 おことばが終わると、参詣の人たちは一様に手を合わせ、
   
    南無阿弥陀仏!
    南無阿弥陀仏!
    ……

と念仏を称えました。
 参詣を終えて、下向される皆さんの表情には、50年に一度の大法要にお参りできた満足感がありました。
 北は北海道、南は九州から、全国津々浦々からお参りされたみなさんは、ご門主のことばを胸に、志を新たに、それぞれの生活に戻って行かれたことと思います。

・法要以外(その他)

 今回の慶讃法要では、両本願寺とも慶讃テーマを決め、テーマソングも作りました。

    西本願寺の慶讃テーマ

         ご縁を慶び、お念仏とともに

    東本願寺の慶讃テーマ

         南無阿弥陀仏
         人と生まれたことの意味をたずねていこう

 また、東本願寺のテーマソングは ♪ ひとりじゃない ♪ 他2曲。
 西本願寺は加藤登紀子さんが歌う ♪みんな花になれ♪ 1曲です。
 それぞれの慶讃テーマ、テーマソングが、どこまで浸透していくか、その成果が見えるのはまだ先のことです。

 真宗教団は、伝道教団と言われます。
 伝道、つまり法話を大切にします。
 両本願寺とも法話はありましたが、それぞれに工夫が見られました。

 西本願寺では、境内の休憩所を法話会場として、若手の布教使さんが法話しました。
 法要の始まりを待っている参詣の皆さんの休憩場所に出向いて、1人15分ずつ4名の法話がありました。
 真宗の教えを法要の前にあじわうという趣向です。

 これに対して、東本願寺は、法要のあと真宗の教えをあじわう趣向でした。
 それも、落語でです。
 上方落語の桂小春團治さんが起用されました。
 法要のイベントに落語を取り入れたのは、堅苦しい話よりも、楽しく笑いながら教えを聞いてもらえば、自然と教えが身につく効果があるという理由からだそうです。
                                                            合掌

2022・6月

 【 お寺の行事 】

       7/1(金) 魂迎会 お始まり 午後1時30分

               法話 藤懸了世 師 常徳寺住職(志賀町鹿頭)
               重藤 明 師 長永寺住職(羽咋市寺家町)

               当番 道辻組
 
     「魂迎会」は、お盆に先立ってお寺で勤まるお盆を迎えるお参りです。
     今年は、お二人の住職さんの法話を聞いていただきます。
     なお、お斎(食事)は、コロナ感染が収まらないことから今年も取り止めとし、お参りされた方には、お斎(食事)に代わ   る品をお持ち帰りいただきます。

        お誘い合わせてお参りください。


【 一水四見 】

 今年のNHK大河ドラマは、「鎌倉殿の13人」です。
 鎌倉幕府の実権が、源氏から北条氏に移る過渡期の武士達の人間ドラマを描いた番組です。

 鎌倉幕府は源氏三代のあと、北条氏の時代が十六代続きました。
 北条氏も後半になると、諸行無常・盛者必衰のことわりにたがわず幕府衰退のきざしが見え始めます。
 第十四代執権は、北条高時という人でした。
  『太平記』には、高時は、鎌倉へ「田楽」を踊る連中をわざわざ都から呼び寄せて夢中になったと語られています。
 「田楽」とは、今で言えば「よさこい踊り」のように衣装を凝らして踊る集団踊りのことです。

 ある晩、高時はいつものように「田楽」連中を屋敷に呼び、酒を飲みながら見物していました。
 踊りを見ているうちに、自分も興が乗ってきて連中と一緒に踊り出しました。
 あまりにも騒々しいので、気になった女官が戸のすきまから覗いてみると、高時と一緒に踊っているのは人間ではありません。
 異形の集団です。 
 ある者は、口がトンビのように尖って、鳥のような足をしています。
 またある者は、背中に羽が生えて山伏のような格好をしています。
 驚いた女官は、高時の祖父に知らせます。
 知らせを聞いた祖父は、急いで駆け付けます。
 足音高く廊下を歩いてくる音に気づいた異形の者たちは、かき消すように出て行きました。
 祖父が部屋へ入ってみると、高時は酔い潰れて伏せっています。
 他には、誰も居ません。
 ただ、畳の上には、鳥が歩いた足跡がたくさん残っていました。

 同じものを見ても、見る人によって違って見えるのです。

 仏教には、「一水四見」という教えがあります。
 同じものを見ても、見る人によって見え方が違うという教えです。
 たとえば、人間が「水」と見るものを、

    ・天上から下を見下ろしている天人には、ガラスの大地に見えます。

    ・魚は、我が住みかと見ます。

    ・餓鬼には、炎に変わる怖ろしい液体に見えます。 
      ※ 目蓮尊者が、餓鬼道に堕ちた母に食べ物を渡すと、母の口に入る前にみなことごとく炎になって燃えてしまったという故事による。

 このように、同じものを見ても、立場が異なれば違う見方をします。
 「一水四見」をたとえた歌に、

     手を打てば鳥は飛び立つ鯉は寄る女中茶を持つ猿沢の池

があります。
 池の端の旅館で、客が池を眺めながら休んでいます。
 池には、水鳥が遊び、鯉が泳いでいます。
 客が、「ポン!」とひとつ手を打ちました。
 この音を聞いた水鳥は、鉄砲かなんかの音と思ってびっくりして飛び立ちました。
 一方、泳いでいた鯉は、餌をくれるのかと思って寄ってきました。
 また、女中は、お茶の催促かと思ってお茶を汲んできたという意味です。

 「ポン!」という音を聞いても、それぞれ聞き方が違うのです。

 金子みすゞに『私と小鳥と鈴と』という詩があります。

     私が両手をひろげても、
     お空はちっとも飛べないが、
     飛べる小鳥は私のように、
     地面(じべた)を速くは走れない。

     私がからだをゆすっても、
     きれいな音は出ないけど、
     あの鳴る鈴は私のように、
     たくさんな唄は知らないよ。

     鈴と、小鳥と、それから私、
     みんなちがって、みんないい。

 「みんなちがって、みんないい」といえば、お経の中にも、極楽浄土の池の蓮のことが、

    池の中の蓮華、大きさ車輪のごとし。
    青き色には青き光、黄なる色には黄なる光、赤き色には赤き光、白き色には白き光あり。
    微妙香潔なり。

と説かれています。
                                 
 「一水四見」の教えは、北条高時は別として「みんなちがって、みんないい」ということを教えています。

 家族でも同じです。
 家族は一緒に住んでも、それぞれ別のことを考えています。
 一緒に居るのだから、同じでなければならないと考えたらもめ事の原因になります。
 「みんなちがって、みんないい」と思えば、思いやりの心も生まれ仲良く一緒に暮らせます。  合掌!

2022・6月

 【 お寺の行事 】

       7/1(金) 魂迎会 お始まり 午後1時30分

                 法話 藤懸了世 師 常徳寺住職(志賀町鹿頭)
                 重藤 明 師 長永寺住職(羽咋市寺家町)

                 当番 道辻組
 
     「魂迎会」は、お盆に先立ってお寺で勤まるお盆を迎えるお参りです。
     今年は、お二人の住職さんの法話を聞いていただきます。
     なお、お斎(食事)は、コロナ感染が収まらないことから今年も取り止めとし、お参りされた方には、お斎(食事)に代わ   る品をお持ち帰りいただきます。

          お誘い合わせてお参りください。


【 煩悩(ぼんのう)じゃ! 】

 作家の石牟礼道子さんは、『苦海浄土』という本を書きました。
 日本では、昭和30年代から40年代にかけて、工業地帯で公害が発生しました。
 『苦海浄土』は、熊本県の八代海(不知火海)沿岸の水俣市で発生した「水俣病」を取材して書いた作品です。

 現地の人たちの会話は、話したとおりそのまま書かれています。
 九州弁です。
 九州の話しことばですから、能登のことばとはまったく違います。                    
 どう考えても意味の分からない九州独特のことばもいくつか出てきます。

 昔から八代海沿岸の漁で暮らしてきた人たちは、「煩悩」ということばをよく使います。
 「煩悩」は仏教語ですから、九州ばかりでなく本州の人でも、仏教の話を聞いたことのある人なら知っていることばです。
 「煩悩」は、身心をわずらわせ悩ませる心のはたらきのことです。
 本来、否定的な意味で使われます。 
 このことばを、八代海の漁師たちは肯定の意味も含めて使うようです。
 たとえば、

    あそこの婆さんな、あの子ばかりにゃ「煩悩」じゃが!

という言い方をするそうです。
 子育てには、手間がかかります。
 手のかかる子育ては煩わしいけれど、子どもは可愛くて仕方がないという意味のようです。
 「煩悩」ということばを、否定と肯定の意味を混ぜ合わせて使うのです。
 といっても、肯定の意味のほうが強いようなニュアンスがあります。

 このことが良く分かるのは、9歳の杢太郎少年のことです。
 杢太郎少年は、祖父母に育てられています。
 杢太郎少年は水俣病に罹って、治る見込みがありません。
 自分では、何もできません。
 このため祖父母は、介助・介護からはじめて、日常生活すべての世話をしなければなりません。
 そんな杢太郎少年に、祖父は、

    …杢よい…爺やんな、…お前にゃ「煩悩」の深うしてならん!

と言います。
 孫の世話は、老人にとっては負担です。
 まして、水俣病に罹って自分では何もできない孫の世話はなおさらです。
 それでも、孫が可愛いくて仕方がない。
 放っておけない
 こんな孫のことを「お前にゃ煩悩の深うしてならん!」と言うのです。
 
 『苦海浄土』には、焼酎を唯一の楽しみとしている老人のことを、近所の女たちが、

    …あの爺やんな…焼酎だけにゃ、いよいよ煩悩のゆく…

とうわさする場面もあります。
 また、夫婦で漁をしていた妻が水俣病になり入院しました。
 妻は、元気で漁に出ていたときのことを振り返って、

   …わが食う魚にも海のものには煩悩のわく。
   あのころは、ほんによかった!

と語る場面もあります。

 生きることは簡単なことではありません。
 苦労の連続です。
 仏教には、「四苦八苦」ということばがあります。
 「四苦」は「生老病死」の4つの苦しみのことです。
 4つの苦しみの最初が「生」です。
 「生」きることは、とにかく苦しみなのです。
 けれども、苦しみの中にあっても喜びがある。
 喜ばせるものに、無条件に情愛を注ぎたくなる。
 そんな気持ちを、有明海の漁師たちは「煩悩じゃ!」と言うのです。

 石牟礼道子さんは水俣病を取材して、苦しみの中にも深い情愛を持って生きる漁師たちの姿から、『苦海浄土』ということばを思いつきました。
 「苦海」と「浄土」は、まったく違った反対の概念です。
 しかし、苦しみの海に溺れるようにして生きても、生活の中に浄土がある。
 この発見が、『苦海浄土』という本のタイトルになりました。

 私たちも、苦しみの中にある浄土を発見すれば、もっと楽に生きられるのかも知れません。    合掌!

2021・6月

 【 お寺の行事 】

     7月1日(木)魂迎会 お始まり 午後1時30分

                 説教 元尾教恵 師 西性寺住職(梨谷小山)
                 矢口泰淳 師 光念寺住職(末吉)
                 藤懸了世 師 常徳寺住職(鹿頭)

                 当番 谷口組(土肥組と合併)

    今年は、新型コロナ感染予防のため、「おとき(食事)」はありません。
    お参りされた方には、「おとき」に代わる品をお持ち帰りいただきます。

    魂迎会は、皆さまのご先祖を偲ぶお参りです。
    今年は、三人の住職さんの法話を聞いていただきます。 

          お誘い合わせてお参りください。

 【 ねずみ教 】

 たとえ話です。

 「ねずみ教」という宗教がありました。

 「ねずみ教」は、教祖さまに色々なお供え物をしてお祈りを欠かさず、教団の行事に参加しておれば、そのご利益として、家内安全、商売繁盛、無病息災、その他、諸願成就してくれると説く宗教です。
 うわさを聞いたねずみたちが、たくさん入信しました。
 中には、一家そろって信者になったものもあります。
     
 ところが、ある日、事件が起きます。

 突然、猫が現れ、一匹の信者ねずみの首根っこを押さえつけ、「ガブリ!」と噛みつきました。
 噛みつかれた信者ねずみは、

    あんなに信心したのに、猫に食われるとは!
    神も仏もあるものか!

と叫んで、猫に食べられてしまいました。

 信者ねずみたちは、震え上がりました。
 これまでの平和な生活が、一変したのです。
 慌てた信者たちは、教祖さまのところへ駆け込みました。

    信者  教祖さま、大変です!

    教祖  どうした!
         騒がしい!

    信者  どうしたもこうしたもありません!
         仲間が、猫に食べられてしまいました!
         なんとかして下さい!

    教祖  それは、信心が足りないからだ!
       
そこで、信者たちは、必死に祈りました。
 しかし、ご利益はありません。
 次々と、仲間が猫に食べられていきます。

 猫に鈴を付けることを思いつきましたが、誰が付けに行くかとなると、皆、尻込みしてしまいます。
 困り果てた信者ねずみたちは、ふたたび教祖さまにお願いしました。

    信者  教祖さま!
         仲間が、どんどん猫に食われてしまいます。
         あれほど熱心に信心していた私の父親も食われてしまいました。
         父親は、「神も仏もあるものか!」と言って死んで行きました。
         何とかしてください!

    教祖  それは、お前の父親の信心が足りなかったからじゃ!
         信心さえしておれば、猫に食われることはない!

というにべもない返事をしたというたとえ話です。

 「禍福は、あざなえる縄のごとし」ということわざがあります。

 人生、順調なときは、

     有り難い宗教じゃ!

と拝みますが、いったん逆境に遭ったら、

     神も仏もあるもんか!

となるのが「ねずみ教」です。

 親鸞聖人も、逆境に遭われました。
 師匠、法然上人の弟子が問題を起こしたとき、法然上人の監督責任は仕方ないとして、かかわりのない親鸞聖人まで連帯責任を負わされ流罪になりました。
 しかし、親鸞聖人は、

     法然上人が流罪にならなかったら、自分も流罪になることはなかった!
     そうなれば、田舎の人たちが念仏の教えに出会うこともなかっただろう!
     流罪は、まことに法然上人のお陰である!

と語って、流罪というピンチをチャンスととらえ、念仏教化に努めました。

 逆境に遭うと、「神も仏もあるもんか!」となりがちですが、逆境の中には「神も仏も」いるのです。              

                                          合掌!



2020・6月

 【 お寺の行事 】

  7月1日(水)の魂迎会は、コロナ禍緊急事態宣言が解除されたとはいえ、まだまだ油断できない状況にあります。
 このため、春の祠堂経会に続いてとなりますが、参詣自粛をお願いします。
 お寺では、読経のみ行います。
 したがって、「お斎」のお世話をいただく福島そうざしんたく組の当番もありません。
 魂迎会は、お盆にさきがけてお寺で勤めるお盆の仏事です。
各位におかれては、ご家庭の仏壇を整えて、ご先祖を偲びつつ、お勤めして、お盆を迎える気持ちを新たにしていただければと思います。

【 ほどほどに 】
 
 『阿含経』の中に、お釈迦さまと弟子ソーナの話があります。

 ソーナはさとりを求めて、厳しい修行に打ち込んでいました。
 しかし、なかなかさとれません。
 
 ソーナは思いました。

   自分は、どれだけ修行してもさとれない。
   いっそのこと、出家をやめて世間の生活に戻ろうか。

 ソーナの心のうちを知ったお釈迦さまは、ソーナを呼び、そして諭しました。

  釈 迦  ソーナよ。そなたは出家する前、琴を弾いたことがあるか?
  ソーナ   はい、私は琴を弾くのが得意でした。
  釈 迦  では、琴の弦をきつく締めて弾けば、良い音が出るか?
  ソーナ  いえ、お釈迦さま。良い音は出ません。
  釈 迦  では、緩くしてはどうか?
  ソーナ  はい、緩くしてもだめです。
  釈 迦  では、きつくもなく緩くもなく締めて弾けばどうだ?
  ソーナ  はい、ちょうど良い音がでます。
  釈 迦  修行も同じだ。
        修行は厳しすぎれば嫌になり、楽な修行では怠け心が起こる。
        ゆえに、そなたは、厳しすぎることもなく楽すぎることもない修行を心がけねばならない。
 
 ソーナは、このお釈迦さまのことばで、たちまちさとりました。

 お釈迦さまは、ソーナに、修行は極端になってはいけないと説きました。
 厳しすぎてもいけないし、そうかといって楽なことばかりでもいけない。  
 その中間。
 「ほどほどに」が一番良いのだと諭したのです。
 「ほどほどに」のことを、仏教の専門用語では「中道」と言います。
 江戸時代の俳人小林一茶が詠んだ正月の句、

    目出度さも ちう位なり おらが春

の「ちう位」のことです。
 小林一茶の正月は、正月だからといって浮かれるわけでもなく、そうかといって目出度くないのかというと、やはり目出度い正月でした。
 そんな気分を「ちう位」と表現したのです。

 私たちは、どうしても、どちらかに片寄ってしまいます。
 片寄った考え方は「こだわり」から生まれます。
 「こだわり」は、執着心から生まれます。
 執着心が、苦しみの元なのです。

 お釈迦さまは、生きることの苦しみから逃れる道を求めて修行をされました。
 お釈迦さまの修行も、ソーナと同じく厳しいものでした。
 「これではさとれない!」と分かったお釈迦さまは苦行を止めて、菩提樹の下で静かに瞑想しました。
 そのとき、さとりをひらいたのです。
 お釈迦さまのさとりは、「ほどほどに」ということでした。

 「ほどほどに」は簡単なようですが、実はなかなか難しいことなのです。
 
 そこで、仏教は「ほどほどに」を生きるために「不浄観」という修行を考え出しました。
 「不浄観」とは、亡くなった人が変わりゆく姿をじっと観察する修行です。
 昔は、遺体を墓場や野原に捨てて行くことがありましたから、その遺体が腐り、獣に食われ、やがて白骨になるまでをじっと見続けるのです。
 そうすると、生きることの「こだわり」や「執着心」が薄らいでいきます。
 しかし、現在は、こんな修行はできません。
 「不浄観」の応用ならできます。
 たとえば、道行く人を見て、

   あぁ、不浄な者が歩いている。
   あの人たちも、やがて腐りゆく者たちだ。
   あぁ、骨と皮と肉でできている者たちよ。
   私もまた、不浄なものであり、骨と皮と肉でできている。
   そして、やがて崩れ白骨になるのだ。

などと思うのです。
 これが、現代の「不浄観」です。
 この「不浄観」ができれば、人を憎む心も、また逆に盲愛する心を薄らぎ、「中道」を生きる心が開かれます。
                                                      合掌!

2019・6月

 【 お寺の行事 】

    6月28日(金) 親鸞聖人ご命日

    7月 1日(月) 魂迎会 法話 吉水法淳 師   遍行寺(富来)−ぼたん寺住職
                   当番  福島そうざ組           
                 
          お誘い合わせてお参り下さい。

【 風薫る 】
                  
       薫風を入れて酢をうつ飯まろし

                       古賀まり子

 お母さんが台所で酢飯を作っています。
 チラシ寿司の下ごしらえでしょうか。
 折から、開けてある窓から、初夏のすがすがしい風がそよぎ、しゃもじで混ぜるご飯にからんで、何ともまろやかな酢飯に仕上がりました。
 季節の風を添えたちらし寿司を囲む一家の団らんが目に浮かぶような一句です。

 心地よい風の季節となりました。

 初夏に吹くすがしい風のことを「薫風」と言います。
 「薫風」が吹くことを「風薫る」と言います。
 「薫る」は「香る」と違って、匂うような雰囲気があるという意味です。
 「文化の薫り」というような言い方をします。

 「薫る」は、お経の中にも出て来ます。
 『正信偈』の「法蔵菩薩」は、阿弥陀仏になる前、厳しい修行をされました。
 たくさんの人を教え導き、恵みを授けることで無量の功徳を積みました。
 その菩薩の姿は、

    …口の気、香潔にして優鉢羅華(うはつらげ)のごとし。
    身のもろもろの毛孔より、栴檀香(せんだんこう)を出だす。
    その香、普く無量の世界に薫ず。…

ようであったと説かれます。
 「優鉢羅華」とは青い蓮の花、「栴檀香」は白檀などの香木の香りのことです。
 法蔵菩薩の口から青い蓮の花の香り、全身から白檀の香ばしいかおりが漂っているように見えました。
 今風に言えば、菩薩から何とも言えないオーラが感じられたということです。

 「薫り」とかオーラは、その人がかもしだす雰囲気のことで、その人のしぐさやことばから薫り出て、他の人を感化します。
 作家の小檜山博さんの高校時代は寄宿生活でした。
 生徒たちは、寄宿舎の食事では満腹せず、夜、寮を抜け出して、近所の畑からカボチャやジャガイモ、トウモロコシを盗んできて空腹を満たしました。
 作家になった小檜山さんは、高校卒業後40数年たったとき、このときのことを「盗み」という題で書きました。
 ある日、この文章を読んだという女性に会いました。
 女性は、小檜山さんの寄宿舎から300mほど離れた農家の娘さんでした。
 女性は、


  …父は、野菜を盗んでいくのが寄宿舎の高校生だと知って、校長先生や舎監に文句を言いに行こうとしたとき、母が「父ちゃん、そんなことするんではない。盗んでいってもいいように、そのぶん余計に作ってやればいいでしょ。
  あの子たち腹すかせてるんだから!」と言ったら、父は一瞬びっくりした顔をして母を見ましたが、何も言いませんでした。
  次の年から両親は、寮生のためにキャベツもジャガイモもカボチャも多く作りだしました。…
 

と笑いながら語りました。

 実は、火打谷の奥山(おっきゃま)という山地を切り開いて広い耕地にした、通称、パイロットと呼ばれる畑地があります。
 その畑で、スイカを栽培している農家があります。
 広い畑にたくさんのスイカを植えてありますが、畑の周りに柵はありません。
 これでは、狸やムジナの格好の餌になってしまいます。
 「なぜ柵を作らないのか?」と農家の人に尋ねたところ、

    …オレは、連中(狸・ムジナ)の食べる分も、ちゃんと作ってある。
    連中は、好きなだけ食べて、腹膨れれば山へ帰って行く。
    出荷するスイカが、足りなくなることはない!…

と答えました。

 法蔵菩薩のかおりは、全世界に薫ったと説かれます。
 菩薩ほどでなくても、一隅に薫るオーラもあるのです。
 
【 娑婆 】

 私たちの住む世界のことを「シャバ」と言います。
 「シャバ」は、インドのことばです。
 「シャバ」ということばを聞いた中国人は、発音に漢字を当てただけの「娑婆」という字を書くようになりました。
 しかし、これでは意味が分かりません。
 そこで、「忍」と翻訳して意味が分かるようにしました。
 このことから、私たちの世界のことを「忍土」とか「堪忍土」と言います。
 また、日本では、「忍」を「しのぶ」と読みました。
 「しのぶ」とは、「耐える」とか「我慢する」という意味です。

 まさに、私たちの世界は我慢の世界です。
 「我慢」という荷物を背負うため、歳を取ると、荷物が重くなりすぎて、背中が曲がり腰も曲がってきます。
 背中や腰が曲がるのは、歳を取ったせいばかりではありません。
 これからの季節、暑さにも我慢しなければなりません。くれぐも熱中症にはご注意を!  合掌



2018・6月

 【 お寺の行事 】

    6月28日(木) お講 午前8時 

    7月 1日(日) 魂迎会 12:00 おとき
                   当番 谷口組
                   13:00 お参り
              法話 藤懸了世師(鹿頭 常徳寺住職) 

               お誘い合わせてお参り下さい。

【 尊し! 】

 『徒然草』(吉田兼好著)に、法然上人のことを書いた一段(第39段)があります。

 法然上人が、ある人から、

    私は、念仏を称えているとき眠くなります。
    どうしたら、良いでしょうか?

と問われて、

    目の覚めているとき念仏しなさい! 

と答えました。
                
 この法然上人のことばを、吉田兼好は「尊かりけり!」−尊いことだったなあ!−と書いています。

 また、法然上人が、

    極楽往生は、確かにできると思えば往生できる。
    不確かだと思えば往生できない!
とか、

    疑いながらでも念仏すれば、極楽往生できる!

などと答えたことも、どれもこれも「尊い!」と書いています。

 法然上人は、修行中に眠るとか、疑いながら称える念仏であっても「尊い!」と言います。

 先般、フランスの映画祭で、「万引き家族」という日本の映画が、最高賞を受賞しました。
 都会の片隅で、家族5人が、お婆さんの年金だけを頼りに暮らしています。
 家族は、年金だけでは生活できないので、万引きしながらその日その日を生きていきます。
 この映画が、世界から応募があった21作品の中で、最も高く評価されたのです。

 万引き映画が、なぜ絶賛されたのでしょうか。

 万引きが悪いことは当たり前のことですが、審査員は、万引きしながらも、三世代5人、さらに他人までも含めた家族が、肩を寄せ合って、家族のつながりを深めながら生きる姿を「尊い!」と評価したのです。

 居眠りしながら称える念仏は良くないが、念仏を称えることが「尊い!」のです。
 万引きは良くないが、家族がつながって生きることが「尊い!」のです。

 上辺はどうであれ、上辺は、そのときの縁により、どんなふうにでも変わっていきます。
 自分では、どうにもならない縁に会うこともあります。
 それでも、もっとも大事なことを見失わず生きることが「尊い!」のです。

 「万引き家族」は、6月上旬から一般公開されるそうです。

【 自利・利他 】
 
 仏教には、「自利」「利他」ということばがあります。

   自利−自分のためにすること。
   利他−他の人のために尽くすこと。

 仏教では、この2つのことが同時に成り立っていることを理想とします。
 自分のためにしていることが、人のためにもなっていることを、「自利利他円満」と言います。
 自分のためだけで、人のためになっていなかったら、「自利利他円満」とは言いません。

 丹羽是(にわ すなお)という医師がいます。
 丹羽先生は、熱心な真宗門徒です。
 診察室には、仏像をかざったり、仏さまの絵を貼ったり、法語カレンダーが吊ってありますから、初めて診察室に入った患者さんは、びっくりすることでしょう。

 冬のある日の診察で、先生は、聴診器をしきりに温めていました。
 ストーブの前にかざしたり、自分の頬に当ててみたり、またストーブにかざしてみたり、頬に当ててみたりしていました。

 冬の聴診器は、部屋がどれだけ暖かくても、冷たいのだそうです。
 冷たい聴診器を患者さんに当てたら、「ヒャッ!」とします。
 そうならないために、人肌の温度にするため加減していたのです。
 それを見た患者さんが、

    先生、すみませんな!

と言いました。
 丹羽先生は、

    いやいや、これは、あんたのためばかりでなく、実は私のためなんじゃ!

と答えて、その訳を話しました。

   冷たい聴診器を当てたら、患者さんは「ヒャッ!」 として、そのとき体が、いくらか硬直する。
   そんな状態で診察したら、誤診が起こるからじゃ!

と説明しながら、

   あぁ、これが「自利利他円満」ということか!
   自分のためと思ってしていることが、人のためにもなっている。
   不思議なことだな!

と思ったとそうです。    合掌

2017・6月

 【 お寺の行事 】

      6月17日(土) お 講  08:00 お勤め
                      09:00 おとき
                      当番 道辻組

      7月 1日(土) 魂迎会  12:00 おとき    
                      13:00 お勤め
                      当 番 土肥組

                       法話 藤懸了世師(鹿頭 常徳寺住職)                  

                お誘い合わせてお参り下さい。

【 現代版 白骨の御文 】
      
 お葬式の後の初七日法要で、必ず読まれる読み物があります。

   それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、…

で始まり、

   …念仏もうすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

で終わる「白骨の御文」です。
 「白骨の御文」は、八代目の蓮如上人が書きました。
 この御文を聞いた人は、一様に、

      何回聞いても、心に染みる御文さまや!

と言います。
 この御文は、皆さんお持ちのお勤めの本、「赤本」の67P にも載っています。

 「白骨の御文」には、聞いているだけでは、誤解されやすいことばが入っています。
 たとえば、「まんざい」とか「にんじん」、「おろかなり」ということばです。
 「まんざい」は「万歳」のことで、10,000歳という意味で、落語・漫才の「漫才」のではありません。
 また、「にんじん」は「人身」で、人間としての命という意味です。
 食べる「人参」ではありません。
 さらに、「おろかなり」は、愚かなこと・ばかばかしいこという意味ではなく、「言ってみても仕方がない」という古典のことばです。
 これらの意味を知った上で、「白骨の御文」を聞けば、蓮如上人が伝えてくださる教えが、より深く伝わることと思います。

 蓮如上人は、「白骨の御文」によって、私たちは、はかない命を生きる身であり、命のはかなさという現実に行き当たったとき、念仏申すことしかないことを教えてくださっています。

 お母さんを亡くしたある小学生が、詩を書きました。

    お母さんが 車に はねられた
    お母さんが 病院の れいあんしつにねかされた 
    お母さんを かそうばへ つれていった

    お母さんが ほねに なってしまった 
    お母さんを 小さなはこに いれた
    お母さんを ほとけさまに おいた
    お母さんを まいにち おがんでいる  『天声人語の七年』より

 この詩は、使われていることばこそ違いますが、「白骨の御文」と同じことを伝えています。
 お母さんが、交通事故で亡くなったこと、葬式のことなどを事実のまま、感情を交えず書いていき、骨になったお母さんを、毎日拝んでいると結んでいます。
 この詩は、現代版「白骨の御文」です。

 今も昔も、そして老いも若きも、命のはかなさ虚しさを思い知らされたとき、念仏を称え、手を合わすしかないのです。

【 寺院や神社の近所で育つと… 】

 大阪大学の先生が、「小学生のころ近所に寺院や神社があった人」と「なかった人」を比べて、それぞれの幸福度を調べる研究をしました。

 その結果、あった人のほうが、幸福度が高いことが分かりました。
その理由として、

   ・ 子どものころから、地域に伝わるお祭りなどの神事に参加することで、
     地域の人たちとの結びつきを深める。

   ・ 子どものころから、お葬式や法事などの仏事にお参りすることで、
     生きることと死ぬことを考える機会となり、親族との連帯感を強める。

 さらに、

   ・ 寺院や神社の存在は、
     「どんなことでも神仏は見ている」とか「神さま仏さまはいる」、
     「死後の世界はある」などという宗教観を持つことにより、
     「思いやる心」や「人との交わりを大切にする心」を育てる。

ことなどが、子どもの心を育てることに役立っているからだそうです。
 また、研究では、子どものころ、近所に寺院や神社があった人となかった人との幸福度を数字で計算して、その差をお金に換算したところ、あった人の方が169.3万円高いことも分かりました。
             
 この研究は、子育てについて、私たちが忘れかけている大事なことを、数字で示してくれました。

 今、地域が、少子高齢化、過疎化していく中で、これまで伝えられてきた伝統的な行事を続けることが困難になっています。
 地域から、形ある文化や伝統が消えつつあります。
 やむを得ないこことかも知れません。
 しかし、私たちは、子どものころ、近所にお寺があり神社がある環境の中で育ち、伝統的な文化の中で育てられたことを思うとき、次の時代の子どもたちに伝えるものがなくなることが残念に思えてなりません。 合掌


2016・6月

【 お寺の行事 】

        6月4日(土) お 講  08:00 お勤め
                       09:00 お斎
                       当番 谷口組

        7月1日(金) 魂迎会  12:00 お斎
                       13:00 お勤め
                       法話 藤懸了世師(鹿頭 常徳寺住職) 
                       当番 福島(そうざ)組

                  皆さん、お揃いでお参り下さい。

【 仏さまに近づく 】    

 去る4月23日、極應寺で、仏教講演会が行われました。
 講師は、元金沢美術工芸大学教授で、羽咋市在住の岩田崇先生にお願いしました。
 岩田先生は、日本画家で、仏像の絵を描いておられます。
 このことから、画家の目から見た仏教に対する考えや信仰について語っていただきました。
 先生が、仏像を描き始めたきっかけは、年賀状に仏像を描いて出したことでした。
 その年、父親が亡くなりました。
 翌年も仏像の絵の年賀状を出したら、奥さんのお母さんが亡くなりました。
 岩田先生は、2年続けて近親者が亡くなったことと、仏像の絵の年賀状との因果関係を考えました。

   縁起の悪いことをしてしまった!

と思いましたが、「近親者が、続けて亡くなったのは、早く仏法に目覚めよ!」との仏さまのおさとしだと思えるようになりました。
 こんなことがあって、仏像の絵を描くようになり、仏教の本も読むようになったそうです。

 『法華経』に、「子どもが、遊び半分で、砂の上に、棒きれや指先で仏像の絵を描いただけでも、その子は、やがて仏道を成就するだろう」と説かれています。
 また、『法華経』を解説した『百座法談聞書抄』という書物には、ある男が、和尚さんがお経を書くとき、硯に水を入れてあげただけなのに、仏さまのご利益を得たという話もあります。
 その話によると、
 
 男は、仏法嫌いでした。
 仏さまの名前を聞いただけで、縁起が悪いといって耳を洗うほど、毛嫌いしていました。
 ある日、和尚さんからお金を借りよう思って、お寺を訪ねました。
 和尚さんは、ちょうどお経を書こうとしているところでした。

   和尚さん  お経の一行を書き終わったらお金を貸す。
          すまんが、硯に水を入れてくれんか!

 男は、「写経の硯に水を入れるという穢らわしいことをさせるなあ!」とは思うものの、お金を貸して欲しいばっかりに、仕方なしに、硯に水を入れてあげました。

 お金を借りた男は、帰り道、どうしたことか死んでしまいます。
 さっそく、地獄から鬼が迎えに来て、閻魔大王の前に連れて行かれました。
 閻魔大王の家来たちは、口をそろえて、

  この男は、仏法を信ずることなく、ひとつも良いこと  をしていません。すぐ地獄に堕としてください!
  
と訴えているところへ、空から、仏さまが光りを放って下りて来て、

   仏さま  その男は、功徳のある者だから、赦してやりなさい!   

   閻魔大王  いや、仏さま。この男には、何一つ功徳はございません。
           地獄へ堕としてしかるべき者です! 

   仏さま  その男は、写経する硯に水を入れる功徳を積んだ。
         私は、そのとき写経した一行の最後の文字だ。
         お経の文字ひとつひとつは、みな仏さまだ!

 これを聞いた閻魔大王は、座っていた椅子から転がり降りてひざまづき、男を拝み、極楽へ通しました。

 写経する硯に、水を入れただけでも、仏さまがご利益をくださるという話です。

 たとえば、お寺の前を通ったとき頭を下げたり、食事の始めと終わりには、「いただきます! ごちそうさまでした!」と手を合わせるなど、仏さまとかかわりのあることをすれば、仏さまがご加護をくださるということです。 
 たとえ、行う人間に徳はなくても、行為に備わっている仏さまの功徳が、行う人の徳となって、行う人に備わるのです。

 これが、仏さまに近づく方法です。

【 呼び声 】

 ホトトギスの季節となりました。

      ほととぎす 鳴きつる方や 山ならん

                    舵とりなおせ 夜の舟人

 右も左も分からない真っ暗闇の海を漕いでいた船頭が、ほととぎすの鳴き声を聞いて、陸の方角を知ったという歌です。

 「真っ暗闇の海」は、人生のたとえです。
 「ほととぎすの鳴き声」は、仏さまが「南無阿弥陀仏!」と称える念仏のたとえです。
 仏さまは、なぜ念仏を称えるのか?
 それは、真っ暗闇の人生を、迷いながら惑いながら生きている私たちを導かんがためです。
 ほととぎすの鳴き声を、阿弥陀仏の呼び声と聞いて、人生の暗闇の中で希望を見い出した人が詠んだ歌です。  

                                               合掌

2015・6月

 【 お寺の行事 】
               
     6月14日(日) お講  午前8時 お勤め
                       9時 おとき
                     当番 石川・谷川組 

     7月 1日(水) 魂迎会  正午   おとき(当番 道辻組)
                    午後1時 お勤め
                          法話 藤懸了世師(常徳寺住職)

                みなさんお誘い合わせてお参りください。  


【 預かりもの 】
                    
 テレビ金沢では、夕方の時間帯に、「となりのテレ金ちゃん」という番組を放送しています。
 番組の後半に「めばえ」というコーナーがあり、生まれて間もない赤ちゃんを、家族とともに紹介します。

 ある日の放送で、赤ちゃんを抱いた母親の後ろに、仏壇が映っていました。
 仏壇には、赤いローソクが点されています。
 お寺のお孫さんとして生まれたようで、祖父にあたる僧形のおじいさんが、

   仏さまからお預かりした命だから、大切に育てたい!

とコメントしました。

 100歳のお祝いで、市長さんか町長さんがお宅を訪問して、お祝いを渡している写真が、よく新聞に載ります。
 そのときは、だいたい、後ろに仏壇が映っています。
 長生きしたことを、仏さまに感謝する心が、写真をとおして伝わります。
                         
 これに比べ、新しく生まれた命を、「仏さまからお預かりした命」と考えて、仏さまに感謝し、その心を形で表すことは少ないように思います。
 子どもさんの「健やかな成長を願う」お宮参りは盛んに行われているようですが、「預かった命に感謝する」お寺参りは少ないようです。

 蓮如上人が、

    仏法領の物を、あだにするかや!

と言われたことがあります。
 あるとき、蓮如上人が廊下を歩いていました。
 一枚の紙が落ちていました。

 それを見た蓮如上人は、

    何と、もったいない。仏さまのものを粗末することよのぉ!

と言って、落ちていた紙切れを拾い上げて押し頂かれました。

 蓮如上人にとって、紙切れ一枚であっても、それは仏さまのものなのです。
 その仏さまのものを使わせてもらっているのが、私たちです。
 私たちが、自分のものと思っているものは、みな仏さまから一時的にお借りしているものばかりです。
 家、田畑、財産、そして「我が命」、何一つ、自分のものはありません。
 
 いずれは、仏さまにお返ししなければならない預かりものばかりです。
 預かりものだから、大切に使わねばなりません。
 預かりものだから、大事に育てねばならないのです。

 ものを大事にすることは、当たり前のことですが、かつて「消費は美徳!」と言われた時代がありました。
 現在も、消費をうながす動きがあります。
 消費が盛んになれば、ゴミが出ます。
 また、まだ使える物も捨てられます。
 こんな現状を蓮如上人が見たら、「仏法領の物を、あだにするかや!」と嘆かれるにちがいありません。

 「仏法領の物」を「あだに」しないことが、美徳ではないでしょうか。

【 わらじ医者 】

 かつて、「わらじ医者」と言われ、往診や訪問看護など在宅医療に力を入れて活動した医師がいます。
 早川一光さん(91歳)です。
 早川医師は、多くの人を看取り、その体験を本にしたり、講演などで語ってきました。
 その早川さんが癌に罹り、患者になりました。
 患者になって気づいたことがあります。
 早川さんは、
  
   病に向き合うと一変、心が千々に乱れた。
   布団の中では最期の迎え方をあれこれ考えてしまい、眠れない。
   食欲が落ち、化学療法を続けるかで気持ちが揺れた。
   僕がこんなに弱い人間とは思わなかった!

と語ります。
 早川さんは、治る見込みのない病気を抱え、鎮痛剤で痛みを分からなくする治療を受けながら、「本当の医療とは何や?」と考えました。
 そして、たどり着いた答えが、

   10分でいいから患者の悩みを聞いてほしい。
   患者の最期まで、ともに歩んでほしい。

でした。
 医療とは、施術でもなければ、化学療法でもなく、投薬することでもありません。
 最期まで、患者と共にあることが医療だという結論でした。

 そして、早川さんは、

   どうせ避けられない三途の川や。上手な渡り方を勉強しよう!

とさとりました。
 早川さんの、死ぬことを受け入れた達観した心境が、私たちの手本になります。         合掌



2014・6月

 【 お寺の行事 】

       6月14日(土) お講    08:00 お勤め
                      09:00 お斎
                      当番 土肥組

       7月 1日(火) 魂迎会 正午 お斎
                      13:00 お勤め
                       当番 谷口組

                ご家族みなさん連れ立ってお参りください。

【 逆境 】

 今から800年前、親鸞聖人は、後鳥羽上皇の院宣により、念仏禁止の勅命を受けて越後の国に流罪となりました。
 京都を発たれた聖人は、どのような経路をたどられたか定かでありませんが、北陸道をずっと歩まれ、富山県と新潟県の境にある親不知の険阻を越え、糸魚川から舟に乗り、直江津の居多ケ浜に上陸されたと伝えられています。
 現在、居多ケ浜には、親鸞聖人の上陸を記念する記念堂や八角形の屋根の見真堂が建てられ、案内板やいくつかの石碑も立ち、さながら聖地のように整備されています。
 その石碑のひとつに、「もしわれ配所  におもむかずは、何によりてか辺鄙の群類を化せん、これ猶師教の恩致なり」と刻まれています。
 このことばは、親鸞聖人が語ったことばとして、伝記の中にあります。
 親鸞聖人は、越後国に流されたことは、師匠である法然上人のご恩であると考えました。
 その理由は、京の都から遠く離れた越後という辺鄙な国に流されたことは、田舎の人たちを教化する好機をいただいたことだと考えたからです。
 「都落ち」ということばがあるように、都に住む人にとって田舎に行くことは楽しいことではありませんでした。
 田舎は、都に比べて何もかも遅れています。
 生活水準が低く、貧しく、これといった楽しみも娯楽もない文化的にも劣る田舎行きは、都落ちする都人の心を暗くしたにちがいありません。
 しかし、親鸞聖人はちがいました。
 流罪という逆境を、順境と受け止めたのです。
 都では、念仏に対して逆風が吹いていました。
 その逆風を、越後の国で、念仏を広める順風に変えようと考えたのです。

 だいたい念仏者には、人が都合悪いと思うことを、好都合と受け止めて生きる傾向があります。

 昔、石見国の有福村に、善太郎というおじいさんが住んでいました。
 善太郎さんは、妙好人といわれたすぐれた念仏者でした。
 ある夜、善太郎さんの家に米泥棒が入りました。
 善太郎さんは、その夜は外出していました。
 家に帰り庭を歩いていると、盗んだ米を担いで出てくる泥棒と出くわしました。
 泥棒はおどろいて、米俵を庭に投げ捨てて逃げて行きました。
 善太郎さんは、米俵をそのままにして家の中に入り、仏壇にお灯明をあげて念仏を称えながら、

   ”前世で借りた米を今返さしてもらいました。有り難いことです!”

と、お礼を言ったそうです。
 善太郎さんにとって、米を盗まれたことは不都合なことではありませんでした。
 善太郎さんが忘れていた「前世の借り」を、泥棒が世話をやいて返してくれたと喜んだのです。
 
 さて、いよいよ日本の男性の平均寿命も80歳になりました。
 日本人は、男女とも長寿を更新し続けています。
 高齢者が集まると、話題はとかく病気の話になりがちです。
 病気の話が、つい愚痴になり、お互いに愚痴を言いあって、愚痴で話が終わることが多いように思います。
 長生きを愚痴とせず、笑いや喜びに変える知恵が、念仏者が逆境を順境に変えて生きた生き方の中にありそうです。

【 ローソク 】

 お寺のお参りでも、仏壇にお参りするときでも、お墓参りでもローソクを点けます。
 また、災害で命を失った人たちの鎮魂のイベントやクリスマスケーキを食べるときにも点けます。
 世界には、色々な宗教があります。
 そのほとんどが、儀式のときローソクを点けます。
 ローソクには、どんな意味があるのでしょうか。

  ・ローソク屋さんの説
      ローソクの明かりには、邪気を払い災いを避け、周りを浄化し幸運を呼ぶ魔力がある。
  ・霊能者の説
      ローソクは、死者の足下を明るく照らすはたらきをする。
  ・ある住職のお通夜の説教
      ローソクはいつかは消えるので、命のはかなさを意味している。
 
 これらの説明を聞いて、皆さんはどう思われるでしょうか。
 3者の説は、それぞれもっともらしく思われますが、3者とも人間の都合から見た考えです。

 ローソクは、人間の都合で点けるものではありません。
 仏さまの都合で点けるのです。
 仏さまが、私たちを見守ってくださっている。
 このことを意味するのが、ローソクの光です。
 ローソクの光は、他を照らすのでなく私たちを照らしているのです。
 その光は、私たちがいただいている「恵み」が形になったものです。
 仏さまを拝む、お墓にお参りすることは、仏さまやご先祖が私たちに差し向けてくださっている恵みに手を合わせることです。
 恵みに手を合わせる心は、感謝の心です。
 感謝の心で拝むのと、”どうか邪気を払ってくださいませ!”とか、”人間の命ははかないなあ、さびしいなあ!”などと思って拝むのとでは、ずいぶん違います。                                 合掌


2013・6月

【 お寺の行事 】

     6月16日(日) お講  8時 お勤め
                    9時 お斉(食事)
                    当番 土肥組

     7月 1日(月) 魂迎会 正午 お斉(食事)
                    1時 お勤め
                    当番 谷川組

     7月       お講  当番 福島組

            ご家族みなさん連れ立ってお参りください。

【 不思議 】

 金子みすゞは、大正末期から昭和初期にかけて活躍した童謡詩人です。
  「不思議」という詩を作りました。

                   不思議

               私は不思議でたまらない、
               黒い雲からふる雨が、
               銀にひかっていることが。

               私は不思議でたまらない、
               青い桑の葉たべている、
               蚕が白くなることが。

               私は不思議でたまらない、
               誰もいじらぬ夕顔が、
                ひとりでぱらりと開くのが。

                私は不思議でたまらない、
                誰にきいても笑ってて、
                あたりまえだ、ということが。

 黒い雲からふる雨が銀色に光り、緑の桑の葉を食べる蚕の体が白色になること、夕顔の花がひとりで開くことが不思議でならず、”なぜそうなるの?”と人に尋ねてみても、誰もが、”それは当たり前のことだ、なんでそんなことを尋ねるのかね?”と相手にしてもらえなかったことが不思議でしかたがないと歌っています。
 金子みすゞは、自然現象の不思議だけを歌っているのではありません。
 すばらしい自然現象に感動する心を持たない人がいることが不思議でならないと歌ったのです。
 金子みすゞは、誰もが当たり前とすることを当たり前とせず、自然が起こす妙なる現象に感動するこころを持っていました。

 ところで、人間が地球上に存在することも、不思議な自然現象のひとつです。
 そして、私の存在も、自然の不思議な配慮、思いやりがあればこそのことです。
 このことを当たり前としているのが、私たちではないでしょうか。
 私があることは当たり前のことではないと思えれば、感動が生まれます。
 感動は、当たり前でないことにたまたま出会ったことの喜びです。
 喜びは、感謝の心を引き起こします。
 感謝の心は、拝む心を呼び起こします。
 この心が宗教心です。

 金子みすゞは、自然現象まで拝めるみずみずしい感性を持った詩人でした。

【 アイヌのこころ 】

 現在、日本には305万人の認知症の人がいます。
 そして、65歳以上の10人に1人が認知症と言われています。
 認知症がもとで虐待も起こっています。
 高齢者が増えつつある今日、認知症は他人ごとでは済まされない社会問題になっています。

 アイヌの人たちは、「人間は神の国から来て、神の国に帰る」という宗教観を持っています。
 赤ちゃんは、神の国から来たばかりだから、神の国のことばをしゃべります。
 だから、何を言っているのかよく分かりません。
 認知症の老人は、もうすぐ神の国に帰る人だから、神の国のことばをしゃべり出します。
 だから、一生懸命聞いてあげねばならない、分かってあげねばならないとアイヌの人たちは考えるのです。 
 このアイヌの人たちの考え方は、認知症の人と向き合う心構えを教えてくれています。

 認知症の母を持つ人の話です。
 その人の母は、自分は独身だと思っています。

    子  お見合いせんといけんね?
     母  へへ、もらい手があろうか?
    子  あるよ!○○さん(父の名)はどうだろう?
    母  うん、あの人は昔から知っとるけど、エエ人よね!
    子  わかった! ○○さんにお見合いする気があるか聞いてくる!

           −10分後−
  
    子  ○○さんがお見合いしてもいいって!
    母  えぇー、あの人とお見合い? あの人は、私より10も年上じゃ、嫌よね!

 ここで、”さっき、お見合いするって言ったでしょ?”と、突っ込みを入れないのがこつなのだそうです。
 母のことばを、そのまま受け入れる。
 母の矛盾を、そのまま包み込む。

 ここに至るまでには、さまざまな葛藤や紆余曲折があったそうです。
 矛盾は、人生に付きものです。
 不正な矛盾は許せませんが、不当でない矛盾は矛盾のまま受け入れる。
 これが、アイヌのこころです。

【 天上音楽 】

 金沢の県立美術館で、薬師寺展が開かれています。
 展示品のひとつに、薬師寺東塔の先端部にある「水煙」といわれる透かし彫りの装飾が展示されています。
  「水煙」には、何体もの「飛天」が彫られています。
  「飛天」とは、空を飛んでいる天人のことです。
 その天人のひとりが、笛を吹いています。
 どんな調べを奏でているのでしょう。
 聞こえるよしもないことですが、おそらく、雅やかで厳かな心澄む調べにちがいありません。
  「飛天」を彫った職人は、どんなことを思いながら彫ったのでしょうか。
 一般に、「飛天」が持つ楽器は、笛のほかに、琴、琵琶、笙、太鼓や銅鑼などです。
 これらが一度に演奏されれば、オーケストラになります。
 それは、今日も演奏されている雅楽に似た調べなのかも 知れません。 
 天人の奏でる調べは、仏さまの徳をたたえていると言われます。
 天上のオーケストラは、どんな旋律だったのかゆかしい気がします。  合掌


2012・6月

【 お寺の行事 】

              6月2日(土)お講  8時 お勤め
                            9時 おとき
                           当番 福島組

              7月1日(日)魂迎会 正午 おとき
                            1時 お勤め
                            当番 石川組  

                お誘い合わせてお参りください。

【 転ずる 】

 親鸞聖人は、「転ずる」と言われました。
 真実に目覚めること、正しいことに目を開くことを「転ずる」と言います。
 たとえば「転勤」ということがあります。
 転勤は、他の職場に変わることです。
 その会社の社員資格のまま、仕事をする場所が変わることを転勤と言います。
 職場が変わるということは、環境が変わることです。
 本人自身は、何も変わらないのに、住む環境が変わる。
 このことを、「転ずる」と言うのです。

 人間は、そのときの縁によって、良いことをしたり悪いこともしでかします。心が良いから善人で、心が悪いから悪人だということはありません。

 間寛平さんという人気俳優がいます。
 寛平さんは、義父に育てられました。
 子供のころ、近所の家の柿を盗んで食べたことがあります。
 このことで、義父が、学校へ呼び出されました。
 寛平さんは、学校から帰った義父に殴られることを覚悟しました。
 帰ってきた義父は、

    ”殴って罪が消えるか?消えへんやろ。それやったら、もうすんな!”

と諭しました。

 寛平さんは、義父のこの一言で、

    ”もうしない!”

と決心したそうです。
 あのとき殴られていたら、寛平さんの悪さは治らなかったかも知れません。

 悪いことをした事実は消えません。
 その事実を抱えたまま、生き方が変わる。
 悪いことをした人間が、そのまま、許されて生きる身になる。
 このことを、「転ずる」と言うのです。

 寛平さんが「転ずる」縁となったのが、義父のやさしい一言でした。
 「やさしさ」が、人を「転ずる」のです。
 「やさしさ」が、悪をも犯す人間を、そのまま、善に「転」じていくのです。

【 仏教女子現象 】
     
 以前、「仏像ガール」についてお伝えしたことがあります。
 仏像に興味を持つ若い女性が増えているという話題でした。

 また、近年、仏像がブームになっているという話題もお知らせしました。
 3年前、東京と九州の国立博物館で、奈良・興福寺の阿修羅像が展示されたとき、たくさんの若い女性が見学に行きました。

 そして、今、「仏教女子」が話題になっています。
 「仏教女子」とは、お寺巡りをしてお寺のことを知り、お坊さんと話をしたり写経やお坊さんの体験をしたりして、仏教をレジャーとして楽しむ若い女性のことです。

 「お寺へ気軽に行ってみよう!」
 「そして、お寺を楽しもう!」

 これが、「仏教女子」の発想です。

 かつて、お寺は気楽に行ける所でした。
 老若男女が、なにやかやと集まってくるのがお寺でした。
 お寺は、公民館や集会場の役割も果たしていました。
近年、あちこちに公民館 や集会場、憩いの施設などができたことで、お寺は、「気楽に行く」場所ではなくなりました。
 お寺は、法事や葬式などを執り行うことしかなくなってしまったからです。

 こんな中で、「仏教女子」が増えていることは、現代社会がかかえる問題と無関係ではありません。
 今、人々は、迷路の中をさまよっているような閉塞感を感じて生きています。

  ”生きることが息苦しい!”
  ”この息苦しさから解放されたい!”
  ”解放されて、癒されたい!”

 こんな気持ちが、若い女性たちをお寺に向かわせるようです。

 最近、「パワースポット」ということばも耳にします。
 「パワースポット」とは、癒されたり、元気をもらったりする場所という意味で、雄大な自然の見える所であったり、大きな木や岩などがあったりする場所です。
 また、お寺や神社なども、「パワースポット」です。
癒しやパワーを求めて、お寺や神社を訪れる人が増えています。

 この傾向を、あまり良く思わない人もいます。
 「気楽にお寺!」という発想には、信仰が欠けているからです。

 ”信仰抜きにして、遊び気分でお寺に来てもらっては困る!”
 
 もっともな意見です。

 しかし、今、生きることに疲れた人たちの心が、お寺に向いていることは確かなようです。
 このことは、家庭に癒しがない、地域にも癒しがない現実の裏返しです。
 本来、家庭や地域は憩うところでした。
 家庭や地域が、憩うところでなくなってきているのです。
 家庭に癒しがない。
 地域にも、くつろぐところがない。
 田舎や都会にも、憩うところがない。
 こんな現代人の行き場のない心が、癒しを求めてたどりついた所がお寺だったということのようです。   合掌


2011・6月

【 お寺の行事 】

              6月 5日(日) お 講 08:00 お勤め
                             09:00 おとき
                             当番 道辻組

              7月 1日(金) 魂迎会 12:00 おとき
                             13:00 お勤め
                             当番 土肥組           

              7月  未定   お 講 08:00 お勤め
                             09:00 おとき
                             当番 谷口組

                  お誘い合わせてお参り下さい。


【 神とともにある 】

 日本に住む少女が、東日本大震災について、ローマ法王に質問したことがニュースになりました。
 質問したのは、千葉県に住む7歳の少女です。

 質問・今、私はとっても怖いです。大丈夫だと思っていた私のお家がとっても揺れたり、私と同じ歳くらいの子どもがたくさん死んだり、お外の公園に遊びに行けないからです。なんで、子どもも、こんな悲しいことにならなくちゃいけないのですか? …教えてください!

 法王は、少女の質問に答えました。

 答え・私も同じように、「なぜ?」と自問しています。
     答えは見つかりませんが、神はあなたとともにあります。
     この痛みは、無意味ではありません。
     私たちは、苦しんでいる日本の子どもたちとともにあります。
     祈りと行動で、あなたを支持します。
     神は我々を助けてくださいます!…

 法王は、「答えは見つかりません」と答えました。

 この問答で、思い出すことがあります。
 お釈迦さまにも、同じような話があるからです。

 ある時、ひとりの弟子がお釈迦さまに尋ねました。

 弟子・人間は死んだらどうなるのですか?

 釈迦・たとえば、ここに毒矢が刺さって、もがき苦しんでいる男がいたとする。それを見た周りの人たちが医者を呼びに行こうとする。ところが、その男は、「医者を呼ぶ前に、この矢を打った男を捜して、どんな弓を使って、どんな種類の毒で俺を射たのか聞いてくれ。治療は、その後だ!」と言ったとする。お前は、この男のことをどう思うか?

 弟子・その男は馬鹿です。そんなことをしているうちに死んでしまいます!

 釈迦・お前の質問も、同じようなものだ! 死んだらどうなるか、死んでみなければ分からない。どうなるかも知れないことを気にしていても、何も始まらない。お前は、今しなければならないことを忘れているのではないのかね?

 お釈迦さまの、このことばを聞いた弟子は、一瞬にしてさとったということです。

 人間には、考えても分からないことがあります。
 考えても分からないことを、分かろうとしてもがくのが人間です。
 地震が起きるしくみは、分かっています。しかし、分かっていることを、さらに、「なぜ、こんなむごいことを…?」と、考えるのが人間です。
 また、どうなったら死ぬのかも分かっています。しかし、分かっていることを、さらに、「なぜ、死なねばならないのか…?」と、考えてしまうのも人間です。
 人間は、考えても、どうにもならないことを考えて悩みます。
 親鸞聖人は、それは「煩悩の所為」だと言います。「煩悩のしわざ」という意味です。煩悩のしわざによって、私たちは悩まなくてもいいことに悩むのです。考えなくてもいいことを、考えすぎて苦しむのです。
 お釈迦さまは、「あなたにとって、今しなければならないことは何だ?」と弟子に尋ねました。
 私たちは、「今」という時間を忘れています。「今、生きている」ことを忘れて、過ぎたことに引きずられ、まだ先のことを心配して、心がさまよっています。
 今回の東日本大震災では、被災した多くの人が、「生きているだけで幸せです」「生きているということが幸せなんだと感じました」と語りました。
 「幸せ」は、何か特別なものではありません。どこか、別の所にあるのでもありません。私が、どんなことになろうとも、「今」、私とともにあるのです。
 このことに気づいた被災された人たちは、ローマ法王の「神はあなたとともにあります!」ということばを、実感をもって受け止めたにちがいありません。
 親鸞聖人は、『正信偈』の中で、「神はあなたとともにある」ということを、「摂取心光常照護」と表現されました。

【 念仏九徳 】

 毎年、福井県の吉崎別院で、蓮如上人のご命日にあわせて、蓮如上人御忌法要がつとまります。
 京都の東本願寺から、7日間かけて徒歩で運ばれた上人のご絵像をお掛けして、法要がいとなまれます。
 この御忌法要に、第3山方組の門徒会員の方たちとともにお参りしました。
 吉崎別院の山門を登ったところに、売店がありました。
 売店には、吉崎に伝わる宝物の展示や数珠やお経の本、お土産などを売っています。
 売店の壁に、「念仏の功徳」と書いた紙が貼ってありました。誰が考えたのか分かりませんが、念仏には、9つの功徳があると書いてあります。

 お念仏は
   1.不安が おさまる世界
   2.不足が 恥ずかしくなる世界
   3.怒りが やわらぐ世界
   4.恐れを 感じなくなる世界
   5.老いを いとわぬ世界
   6.いつも 仏に遇える世界
   7.病を 受けられる世界
   8.死を いただける世界
   9.我が 救われていく世界 

 1から4は、念仏には、煩悩を転じるはたらきがあることを表しています。
 念仏は、煩悩を消すものではありませんが、煩悩が邪魔にならなくなる世界を開きます。

 そのことを、『正信偈』では、「不断煩悩得涅槃」と表されています。

 5から9は、念仏は、身の事実を素直に受け入れて生きられる世界を開くことを表しています。
 私たちは、「老病死」をまぬがれるものではありません。

 念仏は、「老病死」のままに、逆らわずに生きることで、救われていく心の世界を開きます。
 そのことを、親鸞聖人は、「憶念弥陀仏本願 自然即時入必定」と表されました。          合掌

2010・6月

【 お寺の行事 】

     6月6日(日)   お 講  お始まり 午前8時
                       当  番 谷口組のみなさん

     7月1日(木)   魂迎会 正午 お斎
                      1時 お勤め
                         法話 富樫一就 師 (安津見 専念寺住職)

                     お誘い合わせてお参り下さい

【 帰敬式 】

 去る5月22日(土)、能登教務所で、真宗大谷派門主・大谷暢顯師による帰敬式(おかみそり)が行われました。940名の方が希望され、一度に本堂に入りきらないため、3回に分けて行われました。極應寺からは、6名の方が受けられました。
 帰敬式とは、お釈迦さまの弟子となって仏弟子としての名前である法名をいただく儀式です。お釈迦さまの弟子になることは、お釈迦さまの教えを学び、その教えを生活の中に実現する歩みを生きる身になることです。また、法名をいただくことは、お釈迦さまの弟子としての名乗りです。
 昔の人は、よく名前を変えました。豊臣秀吉は、豊臣秀吉になるまでに、姓と名をそれぞれ3回変えました。徳川家康は、姓を2回、名を3回変えています。また、親鸞聖人も、親鸞と名乗るまでに、名を3回変えました。現代は、本名を変える人はあまりいませんが、芸名を変える芸能人はいます。歌手の五木ひろしさんは、五木ひろしになるまでに、4回も芸名を変えたことで有名です。
 名前が、人を変えるということがあるのではないでしょうか。名が変わるたびに、人間が大きくなる。人間が大きくなったから、名を変える。「名前負け」という人もいますが、名前と人間力は、深い関係があるように思います。
 そして、帰敬式を受けることは、お釈迦さまの教えに帰依し、人生の完成を目指して歩みはじめることでもあります。

【 幸福の7ケ条 】

 NHK、朝の連続テレビ小説は、「ゲゲゲの女房」が放送されています。
 「ゲゲゲの女房」は、妖怪マンガ「ゲゲゲの鬼太郎」で知られる水木しげるさんの奥さんの自伝をもとに、ドラマ化されました。番組には、もちろん水木しげるさん役も登場します。
 水木さんは、先の戦争で片腕を失う過酷な運命に合いながら、からくも生還しました。 南方戦線では、たくさんの兵士が死にまし た。いつ誰が死んでもおかしくない状況の中から生還した水木さんは、「生きられるのが当たり前なら、腕をなくすことは重大なことかもしれないが、生か死で死のほうが多いと、腕の一本や二本なくなったって生きたほうがいいと思った」と語り、「ぼくの場合など、生きのびた、というより、生きのびさせられたという感じがしないでもない。…生きているのではなく生かされている、即ち、あるものによって生かされている…と考えている」と語っています。そんな人生観から、水木さんは「幸福の7ケ条」を考えつきました。
 その7条目は、「目に見えない世界を信じる」です。
 「目に見えない世界」とは、水木さんにとっては妖怪たちが住む世界のことです。水木さんは、「目に見えない世界」を信じています。「目に見えない世界」からの働きかけが、水木さんを生かしていると信じています。そして、「見えない世界を信じることで元気と幸福を授けてもらえる」とも感じています。
 水木さんは、「目に見えない世界」を可視化して妖怪を描きました。
 仏教では、「目に見えない世界」を「浄土」と言い、その世界には「仏さま」が住み、私たち衆生を救う働きをしておられると可視化して説きます。
 私たちも、目に見えない「浄土」の存在、「仏さま」を信じ、「仏さま」の私たちへの働きかけを感じることができれば、水木さんと同じように、「生きる元気と幸福」を授けてもらえるのです。
 「目に見えない世界」からの働きかけとは、たとえば「ご恩」というようなことです。「ご恩」には、親の恩・社会の恩・師の恩・仏の恩の「四恩」を始め、空気や水など、私たちは、さまざまな恵みをいただいて生きています。これらの「恵み」を「ご恩」と言うのです。この「ご恩」は、目に見えない「浄土」に住む、目に見えない「仏さま」の目に見えない働きであり、これが、親や社会、空気や水という形をとって、私たちに働きかけてきます。その働きかけが「ご恩」なのです。
私たちは、誰にも何にも世話にならず、自分一人で生きているように高上がりしていますが、そんな思いを持つことが恥ずかしいくらい、実にたくさんの、目に見えない世界からの目に見えない働きかけによって支えられ、生きています。生きているというより、生かされています。
 このことに気づかないから、生きることを有り難いとも何とも思わず、不足ばかりとなえる人間が増えるのです。
 「生かされて生きる」自分に気づくこと、これが信心への第一歩です。

【 細胞が「なつかしい」と… 】

 宇宙から帰還した山崎直子さんは、インタビューで、衛星から見た地球の印象を「…とてもきれいで、まるで一つの生命体のように見えた」と語り、宇宙での無重力状態の感想を「…自分の体が、細胞が”なつかしい!”と言っているように感じた」と語りました。
 これまで、「地球は美しかった!」と語った宇宙飛行士は何人もいましたが、無重力状態を「細胞がなつかしいと感じた」と語った人はいませんでした。
 山崎さんは、なぜこんな感想を持ったのでしょうか。
 山崎さんには、子どもさんがいます。出産の経験から、胎内の羊水に浮かぶ赤ちゃんのようすと、無重力状態にある人間のようすが似ていると連想したことからでたことばなのかも知れません。
 しかし、山崎さんは、自分自身の細胞が「”なつかしい”と言った」と語りました。そう言えるのは、自分がかつて無重力状態と同じようなことを経験したことがあるから言えることばです。その経験の記憶を、山崎さん自身は忘れていましたが、山崎さんの細胞が覚えていたのです。その記憶とは、山崎さん自身が母の胎内の羊水の中に浮かんでいたときの記憶にちがいありません。
 私たちは、「古里がなつかしい」とか、「昔がなつかしい」と言います。「古里」や「昔」の記憶には、人を帰りたくさせるなつかしい思い出があります。それは、心の古里とでも言える心温まる思い出です。そのなつかしい思い出を、自分自身は忘れていても、細胞が覚えているということがあるのです。
細胞の記憶を呼び戻す、細胞に聞いてみるという感覚を持った生き方は、人間社会のストレスを忘れさせてくれるのではないでしょうか。  合掌


2009・6月

【 お寺の行事 】

   6月6日(土) お講   おつとめ 8:00
                  お と き 9:00
                  当  番 谷 川 組

   7月1日(水) 魂迎会  お と き 12:00
                  おつとめ 13:00
                      法  話 上野寿弥 師 
                      聞成寺 住職(七尾市吉田町)
                  当  番 道 辻 組

              お誘い合わせてお参り下さい。

【 がんばらないけどあきらめない 】

 NHKのラジオ番組で、「鎌田實 いのちの対話」という番組があります。先日、津幡町文化会館「シグナス」で、公開放送が行われました。公開放送には、北は東北、南は九州から聴取者が集まりました。近年、「いのち」に対する関心が高まっています。
 鎌田實さんは、長野県の諏訪中央病院の医師です。鎌田實医師は地域医療にこだわり、中央の先端医療とは一線を画す医療に取り組んでいます。その基本姿勢は、「がんばらないけどあきらめない」という立場です。「がんばらない」とは、あらゆる医療的手段を用いて延命措置をおこなう「頑張る医療」はおこなわない。「あきらめない」とは、「頑張る医療」はおこなわないが、死に逝く命に寄り添い、穏やかな死を迎えるサポートとなる医療をおこなうことです。
 たとえば、終末期を迎えた患者が、病院ではなく家で死にたいと希望すれば、24時間体制の訪問医療・訪問看護・訪問介護をおこないます。お花見や花火見学を希望すれば、途中で何事が起こっても、適切な対応ができるよう万全の準備をして出かけます。さらに、食べたいと言えば、希望した食べ物を、体に負担のないように食べてもらいます。
 このように、鎌田實医師は、「あれもだめ!これもだめ!」ではなく、終末期の患者の希望に寄り添い、体の負担や心の負担をできるだけ軽くすることで、やすらかな死を迎えてもらう医療を行っています。
 鎌田医師の治療法は、これまでの「がんばる」医療にはなかった、人に優しい医療として注目を集めています。
 また、ただひたすら手術で切る西洋医学と体に優しい東洋医学を融合させた医療に取り組む医師もでてきました。
 今後、これらの治療法は盛んになると思われますが、課題もあるように思います。
 終末期の患者にかかわる医療スタッフが、すべての患者にかかわり、すべての患者の希望を実現できるかという課題です。
 今年の4月、歌手でタレントだった清水由貴子さんが、墓地で自殺しました。その側には、清水さんが介護していた認知症の母親が車椅子でぐったりしていました。
 清水由貴子さんの自殺は、母親の介護に疲れ、精神的に追い込まれたことが原因だろうと言われています。清水由貴子さんには妹がいましたが、妹にも頼らず一人で母親を介護していました。誰にも頼らず、自分一人で介護したことが、清水さんを追い込んだのかも知れません。介護する側が、される側よりも先に疲れ果ててしまうことがあります。
 同じように、24時間体制で訪問医療に取り組む医師、訪問看護を行う看護師の方が患者より先に疲れて、気持ちが切れてしまうことも懸念されます。
 鎌田医師たちが取り組む医療は、高齢化社会、ガンなどの死亡率が高い社会では、患者に優しい医療として喜ばれていますが、万人の医療となるためには、支える側の負担の軽減ということも考えねばなりません。
 清水由貴子さんの自殺をきっかけとして、介護する側を支えるしくみを作ることの必要性が言われるようになりました。介護する人に過剰な負担がかからないしくみ。介護する人を孤立させないしくみ。医療・看護・介護にかかわる人にだけ負担がかかることのないしくみ。一部の人にだけ負担が集まることのないしくみを作ることができれば、鎌田医師たちが取り組む医療は、多くの人たちが受けられる医療として、社会に広まることでしょう。
 子どもが生まれれば、家族や親類が寄り集まって祝います。
 そして、誰でも、いずれは死を迎えます。死は、万人に与えられています。特定の人にだけ与えられたことではありません。誰にも与えられていることは、悪いことでもなさそうです。死は、次なる段階への旅立ちです。家族・親戚が寄り集まって、逝く者も残る者も、お互いに「有り難う!」と言って別れることができれば、医療・看護・介護にたずさわった人たちも報われるのではないでしょうか。

【 菩薩道 】

 先日、高浜町の本谷俊信さんという男性が亡くなりました。59歳でした。本谷さんは、役場の吏員として勤めていましたが、繊維の方に転進し、その後は建設関係の仕事をされていました。そのかたわら、公民館の主事や館長、行政相談員、体育協会や文化協会の活動にもかかわり、広範な社会活動をされました。
 通夜には、本谷さんの死を悼む弔問者がおおぜいお参りしました。セレモニーホールは、椅子席が埋まり、立ってお参りする方もたくさんいました。
 読経の後の法話では、住職さんは、本谷さんの59年の人生を「凝縮された人生」と表現されました。このことばにうなずき、納得しながら聞いている参詣者が多くいたように思います。
 社会活動は、仏教のことばで言えば「菩薩道」です。
 菩薩は、自分のことはさておき、衆生を仏道に導くために日夜励んでいます。「自分のことはさておき」とは、菩薩は、仏さまになる一歩手前の存在です。しかも、すでに仏さまになる資格を備え、いつ仏さまになってもよい立場にいます。その資格や立場をさておいて、仏にならず菩薩の段階にとどまり、一切衆生のために働くことを選んだのが菩薩さまです。
 このことから言えば、人のために社会活動に取り組む人は、みな菩薩さまです。政治の道も菩薩道です。韓国では、前大統領が自殺するという事件が起きました。盧武鉉(ノムヒョン)前大統領は、北朝鮮との融和を図る政策を実施するなど、韓国内はもとより、国際的にも好感度の高い政治家でした。しかし、その裏側では、親族も関係する多額の賄賂の受け取りがあり、このことが発覚したことで政治生命を断たれ、せっかく積み上げた菩薩道も台なしにしてしまいました。
 本谷俊信さんが行った菩薩道は、汚れのないものでした。本谷さんは亡くなりましたが、死んではいません。なぜならば、菩薩は不滅だからです。菩薩道は死なないのです。本谷さんの肉体は消滅しましたが、菩薩道として今もなお生きています。これからも、ずっと生き続けることでしょう。そして、私たちを仏道に導き入れる働きをしてくださるのです。
 このことから、仏さまとか菩薩さまとは、衆生救済のはたらきとしての「道」を人格化したことばだと教えられるのであります。 合掌

2008・6月

【 お寺の行事 】

        6月8日(日) お 講  8時 お勤め   当番 石川組
                        9時 おとき

         7月1日(火) 魂迎会  正午 おとき
                        1時 お勤め
               法話は、覚龍寺住職芳岡昭夫師(栗山)にお願いしました。

                    お誘い合わせてお参りください



【 願い 】
 中国の四川大地震では、阪神淡路大震災の10倍をはるかに超える犠牲者が出ています。被災者は5,000万人とも言われ、桁外れの被害を出した中国の大地震が、中国国内にとどまらず、世界経済に大きな影響を与えるのではないかと心配されています。被災地では、今も、がれきの下から次々と死者が掘り出されています。
 そんな悲しみの連続の中で、感動的な出来事がありました。
 地震が起こった翌日のことです。建物の崩壊現場で、女性が両手を突いて、ひざまづいた状態で発見されました。女性は、すでに死亡していました。捜索隊員が女性の死亡を確認し、別の場所に移動しようとしたときのことです。隊員たちは、声を聞いたような気がしました。1人の隊員が、死亡した女性の身体の下を点検しました。女性の身体の下に、生後4ケ月ほどの男の赤ちゃんがいました。
 隊員は、「生きている! 赤ちゃんがいるぞ!」と叫びました。赤ちゃんは、母親である女性が覆いかぶさってくれたお陰で、無傷で助け出されました。
 そのとき、赤ちゃんをくるんでいた毛布から、携帯電話がこぼれ落ちました。携帯電話の画面には、「い としい赤ちゃん! もし生き延びられたら、お母さんが、あなたを愛していたことを覚えておいてね!」と書かれてありました。隊員たちは、携帯電話を回覧しました。画面につづられた文字を見て、涙を流さない者はなかったということです。
 助け出された赤ちゃんは、孤児となりました。今後、どんな人生を歩むのでしょうか。平坦でないことだけは確かです。
 しかし、赤ちゃんには願いがかけられています。母は、「生きて欲しい、力強く人生を歩んで欲しい」と願って死にました。母の願いは、子に託されました。
 親は、自分を犠牲にしてでも、子を守りたいという願いを持っています。
 親の願いには、出世して欲しいとか、お金持ちになって欲しいなどという願いもあります。それは、世俗的な願いでしょう。親の願いには、そういうものも確かにありますが、親は、そういう願いをも含んで、さらにそれを超えた大きな愛情で子を包んでいるのではないでしょうか。親は、子どもの思いを超えた大きな願いで、子どもを包み込んでいるような気がします。
 それは、仏さまが、苦悩の衆生を救ってやりたいと願っておられるのと同じです。親の願いに、子はなかなか気づきません。それと同じように、仏さまの願いに、衆生はなかなか気づきません。衆生は気づかないけれど、仏さまは、親が子を見守るように、すでに私たちを慈悲の心で見守ってくださっています。

【 メタボ検診 】
 今年から、「メタボ検診」が始まりました。「メタボ」とは、「メタボリックシンドローム」の略語で、内蔵脂肪症候群という状態になることです。40歳から74歳までが検診の対象になります。日本人の場合、男性は2人に1人、女性の場合は5人に1人がメタボだと言われています。
 検診では、まずお腹の周りが測られます。男性は85p以上、女性は90p以上の場合、メタボが疑われます。さらに、体重と身長の関係、血液検査の結果、血圧の結果や喫煙の有無などを総合的に判断して、メタボかどうか診断されます。
 メタボと診断された場合、保健師さんや栄養管理士さんから食事指導などを受けねばなりません。この指導は、3ケ月以上続きます。そして、初回の指導を受けてから6ヶ月後、ふたたび検査を受けて、改善の度合をチェックします。
 これが、メタボ検診の概略です。
 40歳から74歳までの年齢を限定してメタボ検診を行うのは、この年代層のメタボの割合が、他の年代層に比べて多いからです。その理由は、働いている年代にもかかわらず、運動量の少ないことが原因と考えられています。さらに、会社や地域、家族とのかかわりの中でストレスが溜まり、生活習慣や食習慣が不規則になることで、メタボを助長しやすいからとも考えられています。
 最近、歩いている人の姿をよく見かけます。靴屋さんでは、ウォーキングシューズなるものも売られています。昔は、生活するために歩きました。現代は、健康を保持するために歩きます。しかし、働く現役世代では、歩く時間も持てないほど忙しい人が多いのではないでしょうか。
 国が法律を作って国民の健康の面倒を見てくれることは、何とも有難いことですが、このことに加えて、肉体的にも精神的にも余裕の持てる社会を作ることにも腐心して欲しいものです。楽しく健康的に働ける、楽しく快適な生活が送れる社会を作ることができれば、メタボの人が減り、メタボ検診も必要なくなります。
 現代は、他人のことはおかまいなしに、自分の利益を守ろうとする非情な価値観が幅をきかせています。仏教のことばで言えば、阿修羅の時代です。阿修羅の時代とは、闘争の時代です。人々が武器を持って争う時代のことを言います。現代人は、手に武器は持ちませんが、心の中に斧や鎌、槍や刀を持って生きているのではないでしょうか。
 仏さまは、そんな社会は望みませんでした。仏さまが期待したのは、立場や思いが違っても、お互いが認め合い、お互いを尊重し合う価値観を持った社会です。
 そんな社会を、仏さまは「浄土」と言いました。
 浄土とは、心の中に開かれてくる世界のことです。

【 琴欧州関 】
 大相撲夏場所は、大関琴欧州が優勝しました。ヨーロッパ出身の関取では初めて。外国人力士の優勝では、7人目。かど番大関の優勝でも7人目という記録づくめの優勝でした。琴欧州の優勝は、モンゴル勢ばかりの優勝が続いている大相撲に、新しい風を吹き込みました。
 琴欧州の優勝が好感を持って受け取られるのは、琴欧州の礼儀正しさと謙虚さです。琴欧州は、欧州人でありながら、日本人力士と同じように、きちんと頭を下げて礼をします。土俵上では、勝っても表情を顔に出しません。負けた相手を思いやる心からでしょう。優勝を決めた後、佐渡ケ嶽親方の右手を両手で持って握手しました。そして、琴欧州は、毎日、稽古が終わると、先代親方(元横綱琴桜)の仏前にお参りするのだそうです。優勝インタビューでは、「先代がついていてくれる。どこかで見ていてくれるから…」と答えました。
 琴欧州の優勝で、久しぶりに相撲道に期待される理想的な品格を持った力士の誕生を見る思いをしました。

                                                                        合掌


2007・6月

【 お寺の行事 】

     6月10日(日) お 講  おつとめ 午前8時  お と き 午前9時
                      当  番 土 肥 組

     7月 1日(日) 魂迎会  お と き 正午     おまいり 午後1時
                      当  番 谷 川 組

           お誘い合わせてお参りください。


【 はしかの大流行 】

 首都圏の大学で、はしかが流行し、学校が休みになる大学が増えています。
 はしかは、患者の咳などで空気感染する病気で、人が多いところで発症すれば、たちどころに多くの人に感染します。はしかを経験していたり、経験していなくても、予防接種をしていれば罹ることはありません。しかし、現在の大学生の年代は、子どものころの予防接種に問題がありました。
 当時の予防接種は、はしか・おたふくかぜ・風しんを予防するという一石三鳥の「新三種混合ワクチン」が使用されました。ところが、この便利なワクチンは、約1,000人に1人の割合で副作用があり、死者も出ました。このことから、予防接種を見合わせる親もいて、その子たちは予防接種をしないまま、はしかにも罹らず、今、大学生の年代になっているわけです。
 仏教に、「因果応報」という教えがあります。原因があれば、それに応じた結果が現れるという教えです。確かに、「火のないところに煙は立たず」のことわざどおり、何もしなければ何も起こりません。何かをすると、それに応じた結果が現れます。それは、良い結果であることもあるし、悪い結果になる場合もあります。その善し悪しは、原因の善し悪しによると説くのが「因果応報」の教えです。
 次のようなたとえ話が、『涅槃経』というお経に説かれています。

    インドの頻婆沙羅という王さまが、ある日、家来とともに鹿狩りにでかけました。
    しかし、一頭も狩ることができません。そのとき、一人の仙人と出会いました。頻婆沙羅王は考えました。「鹿が一頭も狩れないのは、  仙人が、わしが来ることを知って、鹿を逃がしてやったにちがいない。」そう思った頻婆沙羅王は、仙人が憎らしくなり、家来に命じて仙人  を殺させました。
    仙人は、「私は罪もないのに、殺されることになりました。来世には、必ずあなたに害悪をなすことでしょう」と言って死にました。
    その後、仙人は、頻婆沙羅王の子となって生まれ変わりました。 
    そして、頻婆沙羅王は、わが子によって王位を襲われ、牢獄に閉じこめられ、なぜ自分が、子に苦しめられるのか分からないまま死ぬ   ことになりました。

 私たちは誰でも、良い結果を出したいし、良い結果が欲しいとも思っています。そのためには、良い原因を作らねばなりません。
 今回のはしか騒動は、副作用のあるワクチンを使用したことが原因でした。副作用を恐れた母親たちは、予防接種を忌避しました。その子どもたちが大学生の年頃になって、はしかに罹るという悪循環が生まれたのです。
 「新三種混合ワクチン」接種は、約20年くらい前の出来事でしたから、今回のはしか騒動は、比較的簡単に原因を突き止めることが出来ました。しかし、その原因が、何百年も何千年も幾世代を越えた昔にあるということもあるように思います。『涅槃経』のたとえ話は、そのことを示唆しています。そうなると、簡単に原因を突き止めることが困難になります。それでも、後世の人たちは、頻婆沙羅王のように、与えられた結果を訳も分からず引き受けて行かねばなりません。
 心に止めておかねばならないことは、私たちは、今、何百年何千年も前から、祖先たちが営々として積み重ねてきた営みの結果の中にあるということです。さらに、私たちは、何百年何千年も先の子孫たちが受ける結果の原因を作っているということです。例えば、今、格差社会と言われています。お金でいえば、お金は、持っている人に一方的に流れ、持っていない人には徹底して流れない社会のしくみが出来あがってしまいました。また、凶悪な犯罪が頻発し、他人事では済まされないほど身近で起こっています。これは、凶悪事件を起こさねばならないような人間関係社会を作り上げてしまったということです。これらは、すべて結果であり、この結果が原因となって、次の時代の社会を作り出します。私たちは、頻婆沙羅王のような、後世に悪影響を与える愚行は慎まねばなりません。
 私たちは、いつも結果の中にあり、同時に原因を作っています。「善因善果・悪因悪果」であります。善因ばかり作ることができれば、問題は起こりません。しかし、人間のすることは、良かれと思ってしたことでも、往々にして悪果となることが多いように思われます。人物でも、同じです。ある時代にもてはやされた人が、次の時代には人々の考え方が変わり、批判の対象になるということはよくあることです。長い歴史を貫いて、高く評価され続ける人は多くないのであります。
 そして、人間や人間のすることは、そういうものだという諦念も必要であります。

 
【 お茶をたのしむ 】

                          
              ♪ 夏も近づく八十八夜           
                野にも山にも若葉が茂る        
                 「あれに見えるは             
                  茶摘ぢゃないか              
                  あかねだすきに菅の笠」♪       

 「八十八夜」とは、立春から数えて88日目の日を言います。今年は、5月2日が八十八夜でした。この頃になると、茶の木も新芽を出して茶摘みごろとなります。
 茶の木は、中国が原産で、世界に広がりました。茶の葉から、緑茶はもとより、紅茶やウーロン茶を作ります。緑茶は主に日本人などが飲みますが、紅茶はヨーロッパの人々、ウーロン茶は中国や東南アジアの人たちに好まれているようです。
 茶には、眠気を覚ましたり、気分を良くするカフェインや、解毒に効く物質が含まれていることから、昔は薬として扱われました。日本へは、奈良時代に唐へ留学した僧侶たちが持ち帰ったと言われています。日本でも、初めは薬として扱われたようですが、しだいに庶民の間に広がりました。
 極應寺でも、以前は茶を作っていました。茶作りは、手間暇がかかりますが、家庭でも作れます。特別な道具はいりません。
 店で売っている茶より、自分で作った茶を楽しむというのも一興ではないでしょうか。
 そのためには、茶の木を育てることから始めねばなりません。極應寺では、秋になると白い茶の花が咲き、実をつけます。茶株のない方は、実を拾って、自宅の庭や畑に撒いて育てることから始めてみてはいかがでしょうか。    合掌

2006・6月

 【 お寺の行事 】 

         6月18日(日) お講  当  番・福島組
                        お始まり・午前8時
                        お と き・午前9時

         7月 1日(日) 魂迎会  当 番・石川組
                        お と き・正午
                        お始まり・午後1時

         7月未定 お講 当  番・道辻組

               お誘い合わせてお参り下さい。

 【 宗教教育 】

 以前、テレビのコマーシャルで、お婆ちゃんと男の子と女の子が仏壇にお参りする、線香か何かの宣伝がありました。
コマーシャルでは、お婆ちゃんの後ろでお参りしていた子どもたちが、お婆ちゃんのお参りしているスキに、そっと仏間を抜けだし、遊びに行ってしまいます。お婆ちゃんは、その様子を後ろ姿で見ていました。子どもたちが仏間を出たあと、お婆ちゃんは、「今に分かるわよ!」と言って、ニッコリ笑います。そのお婆ちゃんのほほえみは、孫の成長を温かく見守る慈愛に満ちたものであり、「孫たちが、仏さまにお参りする意味の分かる時が必ず来る」という確信に満ちたほほえみであったことが印象的でした。このコマーシャルを、先般、代田の光済寺で勤まった法事にお参りしたとき、思い出しました。
 そして、子どものための宗教教育ということについて考えました。
 代田の光済寺の法事では、稚児行列がありました。光済寺では、お稚児さんを募集するとき、はたして稚児が集まるのかどうか心配したそうです。というのは、近年、稚児行列のある大法要が地域のお寺では勤まっていなかったからです。(極應寺でも、稚児行列があったのは、鐘楼の落慶法要の時で、今から50年前のことです。それ以来、極應寺では稚児行列をともなった法要は勤まっていません。また、今後も、予定はありません。)このため、人々の心の中では、稚児行列についての記憶や理解が風化してしまっているのではないかと考えたからです。ところが、募集してみると、180人を超える応募があり、心配は杞憂となりました。
 現在、土田小学校の全校児童数は120名ぐらいですから、土田小学校の児童数を上回る子どもたちが集まったことになります。中には、母親に抱っこされた、一歳に満たない子も参加していました。高学年児童の顔が稚児の中には見られませんでしたから、低学年以下の子どもたちが、土田校下のみならず、校下を超えた近郷近在の広い範囲から集まっていたものと思われます。そして、極應寺門徒の子どもたちも、たくさん参加してくれました。
 法要当日、土田小学校を出発した稚児行列は、付き添った親も含めて、総勢500人を超える大行列となりました。稚児衣装を着た子どもたちが親に手を引かれ、手を引く親たちには和服姿が目立ちました。我が子を大行事に参加させる親の意気込みが、服装に表れているように思いました。そして、稚児に対する地域の人々の認識や理解は、まだまだ風化していないと感じました。
 やがて、稚児行列はお寺に到着し、稚児の行堂(本堂の仏さまの周りを回ること)が終わったのが午後4時頃でしたから、稚児となった子どもたちには、5時間から6時間に及ぶ大修行となりました。
 参加した子どもたちは、それぞれが、さまざまなことを感じ、さまざまな印象を心に残したはずです。さらに、記憶能力がまだ発達していない幼児は別として、どの子の心にも共通して、「稚児に参加したという事実の記憶」が、鮮明に残ったはずです。なかなか巡り会えない行事に参加した新鮮な思い出は、法事の華やかな雰囲気とともに、生涯忘れることはありません。
 感受性の豊かな子ども時代に、いろいろな体験をさせておくことは大事なことです。体験させれば、子どもの記憶に残ります。子どもの心には、楽しかったとか、悲しかったとか、怖かったとか、嬉しかったなどと、何らかの感想をともなって記憶されます。そして、体験と記憶は、その子の人生の力になったり、人生の戒めになってくれたりもします。
 子どもには、「稚児」の意味が分かりません。なぜ、稚児衣装を着て、冠をかぶり、お寺まで歩き、仏さまの周りを回るのか分かりません。このことは、我が子の手を引いた親たちの中にも、この意味を知らずに参加した人がいたかも知れません。
 昔、お寺には、お坊さんの世話をする子どもがいました。その子どものことを、「稚児」と言いました。やがて成人した稚児は、お坊さんとなって修行に励みまます。昔の子どもにとって、稚児としてお寺に行くことは、お坊さんとしての第一歩を踏み出すことを意味しました。したがって、昔の稚児には、女の子はいませんでした。将来、お坊さんになるわけですから、男の子ばかりでした。
 これに対して、現在の稚児行列は、昔の形式をまねて行われますが、女の子も混じります。稚児衣装を着て、お寺まで歩き、仏さまにお参りし、そこで終わりとなります。昔のように、お寺に入って、お坊さんの第一歩を踏み出すということにはなりません。ですから、現在の稚児行列は、子どもの宗教体験という意味合いを持つことになります。体験の意味が分からなくても、体験は、その子の人生にとって、大きな意味を持ちます。冒頭に紹介したお婆さんが言ったように、「今、分からなくても、今に分かる時が必ず来る」からです。
 分かるといっても、お稚児さんの歴史など、細かいところまで知る必要はありません。知らないより、知っているに越したことはありませんが、大切なのは、「宗教を尊び、敬うことは大事なことだ」ということが分かればよいのです。
 人は、人生の壁に突き当たったとき、悩み、苦しみ、迷います。このとき、人生の選択や歩む道を踏み外すか外さないかは、幼児期の体験がものを言います。「三つ子の魂百まで」と言います。三才までの体験は、その子の人間的な基盤を作り上げます。その子は、その基盤の上に、自分の人格を積み上げて行きます。したがって、基盤の善し悪しが、その後の人生に大きな影響を与えます。堅固な基盤は、確かな人格を作り上げます。脆弱な基盤は、絶えず揺れ動き、行き当たりばったりで定まりのない人格を形成します。
 我が子を稚児に参加させ、家の法事にお参りさせ、親戚の法事や葬式にもお参りさせ、家族の葬式では、肉親の死顔をしっかり見届けさせ、家の仏壇にお参りすることも教え、さらに、親が宗教行事にかかわる姿を子に見せておくことが、子どものための宗教教育です。子どもは分からないからという理由だけで、仏事に参加させることをうやむやにしておけば、その子の人格や人生までもうやむやになってしまいます。意味が分からなくても、見せておけば、子どもなりに感じるものがあります。感じたものが、人格の基盤を形成するわけですから、子どもにさせる体験は良質のものでなければなりません。たとえ、悲しい体験であっても、怖い体験であっても、驚くような体験であったとしても、子どもの心のケアーを、子どもが将来において、確かな人格を形成して行けるように方向づけしておいてやれば、良質の体験となります。体験そのものに、善し悪しがあるのではありません。どんな体験であっても、子どものためになるように意味づけしてやることが大切なのです。
 現代のような、将来が不安で心細い、未来が不透明な時代であるからこそ、子どもの確かな人格形成のための良質の宗教体験・宗教教育ということについて考えてやらねばならないのではないでしょうか。   合掌

2005・6月


【 共命鳥 】

 JR福知山線の脱線事故から1ケ月が過ぎました。遺族をはじめ、事故にかかわった人たちは、それぞれの立場で、さまざまな思いを抱いて、事故後の対応に苦しんでいます。
今回の鉄道事故は、私たちに、いろいろな問題を投げかけました。
 その中には、事故に関係しなかった人でも、自分の問題として考えてみるべき、人間の在り方にかかわる問題が事故の背後にあるような気がします。
 事故責任の追及は、JR西日本やJR職員に集中しています。確かに、事故を起こしたのはJR西日本の列車です。そして、その車両を運転していたのも、JR西日本の社員です。したがって、当然のこととして、事故の直接の責任は、JR西日本にあります。しかし、JR西日本という会社の実態が分かってくるにつれて、間接的な事故責任というものもあるのではないかという見方が出てきました。列車を速く走らせ過ぎたのはJR西日本ですが、JR西日本をそうさせた者がいるという見方です。
 それは、誰なのでしょうか。
 現代は、「速さ」と「正確さ」が求められる時代となり、「速くて正確であること」は、価値が高いと信じられています。このため、人々は「速さと正確さ」を競い合い、世の中のすべてがスピード化することとなりました。このスピード化時代の犠牲者が、JR西日本であるという見方です。JR西日本は、速さまでは時代の要請に応えることができましたが、「正確さ」を欠くこととなり、その結果、大惨事を起こしてしまいました。
 「スピード」は時代の要求です。この風潮を作り出したのは、とりもなおさず、現代を生きる私たちです。私たちが、「スピード」を求めたのです。
 私たちの要求が過重な負担となって、事故に結びついたと考えるのは考えすぎでしょうか。
 こう考えることが許されるなら、事故の間接的な責任は、現代を生きる私たちにあることになります。JR西日本の列車に速く走らせたのは、実は、この私たちであったわけです。

 『仏説阿弥陀経』には、極楽浄土に棲む鳥のことが説かれています。
 お経は、次のようになっています。

【本文】
   彼國常有.種種奇妙.雜色之鳥.白鵠孔雀.鸚鵡舍利.迦陵頻伽.
   共命之鳥.是諸衆鳥.晝夜六時.出和雅音.其音演暢.五根五力.
   七菩提分.八聖道分.如是等法.其土衆生.聞是音已.皆悉念佛.
   念法念僧.

 【意訳】
 極楽浄土には、いつもいろいろな美しい鳥たちが棲んでいます。
   白鵠・孔雀・鸚鵡・舎利・迦陵頻伽・共命の鳥たちです。このさま
   ざまな鳥たちは、一日中、のどかな美しい声でさえずっています。
    その鳴き声は、五根・五力・七菩提分・八聖道分などの仏さまの
   尊い教えを説き述べています。極楽浄土に住む人々は、この鳴き声
   を聞きおわると、だれもかれも仏さまのことを思い、仏さまの教え
   のことを思い、お坊さんのことを深く思う心が起こるのです。

 極楽浄土には、白鳥や孔雀など6種類の鳥が棲んでいます。その中に、胴体は1つで頭が2つある「共命鳥」という鳥がいます。この鳥には、次のようなエピソードがあります。

    2つの頭それぞれにカルダとウパカルダという名のついた共命鳥
   が棲んでいました。ウパカルダが眠っている間に、いつもカルダが
   木の実を食べるので、ウパカルダが目覚めたときは満腹で何も食べ
   られません。胃袋は1つだからです。ウパカルダには、食べる楽し
   みがなくなりました。
    これを不満に思ったウパカルダは、あるとき毒の木の実を見つけ
   ました。ウパカルダは、「これを食べれば、胃袋が同じなのだから、
   カルダは死んでしまうだろう」と考え、カルダが眠っている間に毒
   の木の実を食べました。
    思ったとおり、カルダは死んでしまいました。
   しかし、当然のこととして、やがてウパカルダも死んでしまうこ
   とになりました。
このようなわけで、この世から共命鳥がいなくなりました。

 『仏説阿弥陀経』の共命鳥の教えは、「命のつながり」ということを説いています。
地球上には、いろいろな生き物が棲み、いろいろな人たちが生きています。そして、それぞれは別々なように見えて、実は、「いのち」という点で深くつながっているのです。そのことを、『仏説阿弥陀経』では、共命鳥のたとえで説いているのです。
 極楽浄土の共命鳥は、頭が2つあっても、いがみ合うことなく、ひとつの命を共有して仲良く暮らしています。
 これとは反対に、娑婆の人たちは「命のつながり」を忘れて、いがみ合いながら、時には命を奪い合って生きています。そのいがみ合いや殺し合いは、果てることがありません。
 共命鳥の教えは、このような人間の生き方が、ついにはお互いをダメにしてしまうことを教えています。
いのちの一番小さな単位は、ひとつの(又はひとりの)生命体です。それが集まって、「集団」や「家族」という「いのち」の単位を共有することになります。そして、やがては「地球上の生き物全体」として、ひとつの「いのち」を共有していることに気付かねばなりません。
 そうすると、小さな単位のひとつのいのちが傷ついても、それは「地球上の生き物全体のいのち」が傷ついたことを意味します。また、誰かが何かの(誰かの)命を傷つけたとき、その痛みは「地球上の生き物全体」のいのちとこころの痛みとなります。
 その痛みを感ずる心が、現代人には欠けているように思います。
「いのちの共有」を忘れている人は、JR西日本だけが悪いように考えがちです。
 今回の大事故は、決して他人事ではありません。すべての人ひとりひとりが、自分に起こった問題として受け止めなければ、いづれは、ふたたび同じ事故を起こすことになります。           合掌


2004・6月


【 良薬 】
 

 昔は、家で生まれ家で死にましたが、現代は病院で生まれ、病院で死なねばならない時代となりました。現代は、約85%の人が病院で死を迎えます。残りの15%には、交通事故で亡くなる人や事件に巻き込まれて亡くなる人などを含みますから、家で死を迎えることができる人は、10人に1人くらいの割合になります。
 しかし、ほとんどの人は、家で死にたいと思っています。そして、病院に入院したお年寄りなどは、そのことを口にもしてみますが、希望が叶えられません。在宅での介護や看病は、家族にとって大きな負担となります。食事・排泄・風呂などの世話を十二分に行うためには、付きっきりの介護と看病が必要になります。現代の少数家族社会では、主として介護と看病を行う人員を家族の中から確保することは困難です。そして、家庭での介護や看病は、施設や病院などの行き届いた介護や看護には及びません。
 このような事情から、施設や病院にお願いした方が、お年寄りにとっても、家族にとっても都合がよいということになります。
 そうしたとき、一つの問題が起こります。それは、家族と離れたことによるお年寄りの不安や孤独が、必要以上に大きくなるということです。
 そのため施設や病院では、入所者や入院中の患者さんの不安を和らげ、寂しいと感じることなく、安心して暮らせるための対応が試みられています。その試みを「緩和ケア」と言います。「緩和ケア」には、病気による身体の痛みを和らげる治療も含まれますが、主に入所者や入院中の患者さんの心の痛みを和らげることに眼目が置かれます。その基本は、声かけ・話しかけにあります。それも、介護や医療を提供する側としての高飛車な態度ではなく、入所者や患者さんの心に寄り添った形で行われます。いわゆる、「人間の病気」に向かうのではなく、「病気を持った人間」に接するという認識を持って、どのような病状や状態に置かれていても、人間としての尊さを無視することなく、人間愛を持って患者さんに接します。これが「緩和ケア」です。
 したがって、「緩和ケア」とは、見方を変えれば「仏さま」の行いを人間が行うのと同じです。仏さまは、「貪欲」「瞋恚」「愚痴」という三つの毒に侵された心の病を持った私たち凡夫を救うためにお出ましになられました。その基本は、「慈愛」です。「慈愛」とは、「大切に思う心」のことです。仏さまは、いつも私たちを見そわしておられます。そして、私たちが嬉しいときには共に喜び、私たちが悲しいときには共に悲しみ、私たちが苦しいときには共に苦しんでくださっておられます。このように、どんなときでも、いつでも、私たちに寄り添って、私たち凡夫を大切に思って下さっているのが仏さまです。
しかし、人間は仏さまではありません。仏さまと同じことはできません。介護や看護、そして医療にたずさわる人は、所詮人間です。「貪欲」「瞋恚」「愚痴」といった煩悩も持っています。それらの煩悩を持ちながら、仏さまと同じ行いをしなければなりません。そのとき問われるのが、医療や看護にたずさわる心構えはどうなっているのかということです。つまり、「してやっている」と思って仕事をしているのか、「させてもらっている」と思って患者さんに接しているのかということです。ここが、分かれ目です。
 これと同じように、医療や看護を受ける側にも問題があります。提供される医療などを「当たり前」と思っているのか、「ありがたい」と思っているのかということです。ここが、分かれ目です。
 浅原才一という念仏者は、「ありがたいな。娑婆ですること、家業を営みすることが、浄土の荘厳に、これがかわるぞよ。ふしぎだ、なんとふしぎでありますな。南無阿弥陀仏は、どういう良い薬であろうかいな。南無阿弥陀仏は、どういう良い薬であろうかいな。」と言いました。浅原才一は、下駄職人でした。下駄を作ることを極楽浄土の行と心得て、念仏を称えながら黙々と下駄作りに励みました。そして浅原才一は、下駄作りの仕事を「ありがたい」と受け止めました。
 また、小川仲造という念仏者は、「御恩のければ、不足が残る。御恩思えば、苦にゃなりませぬ。御恩御恩で日暮らしすれば、胸がやゆらぐ、心が勇む。御恩うれしや、なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」と言いました。小川仲造は、日常のあらゆることを「御恩」と受け止めました。世の中は、すべて自分に都合の良いことばかりではありません。また、自分に都合の良いように動いてはくれません。むしろ、意にそぐわないことの方が多いのが世の中です。小川仲造は、そのような思い通りにならない状況までも「御恩」と受け止めて、不足を感じることなく満足して人生を生き抜きました。
 この2人の念仏者に共通するのは、「感謝」の気持ちです。そして、「なむあみだぶつ なむあみだぶつ」と念仏を称えました。
仏さまの行為を施さねばならない医療にたずさわる人も、時には腹立たしく思うことがあるでしょう。また、それを受ける側にも不満を感じることがあるにちがいありません。その不足に思う気持ちを、「させてもらっている」「ありがたい」に切り替えて行くのが、「なむあみだぶつ」の念仏の智慧であります。
 「感謝」は、「満足」であります。
 満足して生きる人生は、やがて訪れる死をも満足な気持ちで受け入れていくことができます。      合掌

2003・6月

日本を旅行した台湾人医師が、台湾帰国後に入院することになり、診断の結果新型肺炎に罹っていることが判明しました。
 新型肺炎は、発症までの潜伏期間が約10日前後であることから、この医師は、日本へ来る前に台湾で感染してから来た可能性が高く、この医師の病原菌が日本にばらまかれたのではないかという不安が広がり、関係当局は実態の把握と対応に追われています。病原菌は、目に見えないだけに、どこにいるのか分かりません。日本でも、新型肺炎の波紋が広がりつつあります。
 日本人は昔から、災いが起こったり、疫病が流行ったりしたとき、目に見えない神や悪霊のたたりとして恐れました。この信仰は、現代では根も葉もない迷信と考えてしまいますが、昔の人にとっては、人間の行き過ぎた行いにブレーキをかける働きもしてきました。その結果、昔の人には、目に見えないものを感じ取ることができる心が備わることとなりました。
しかし、現代人はこの心を育てて来ませんでした。目に見えるものしか信じないようになってしまったからです。そのため、「もの」だけしか見なくなり、「恩」とか「思いやり」、「生かされていることの恵み」といった「目に見えない私に対するはたらきかけ」を感じ取る心を失ってしまいました。そして、これらを見失ったときに起こる人間関係の混乱を恐れる心も同時に失ってしまいました。
 『法華経』というお経に、「仏さまが『我、常にここに住すれども、諸々の神通力をもって、瞋倒の衆生をして、”近し”といえども、しかも見えざらしむ。』とおっしゃっておられる。」と説かれてあります。
 仏さまは、さまざまな方法でもって、いつも人々の身近にいることを知らせているのだけれども、人間は迷いが多いために、それに気づいてくれないのだと嘆いておられるというのです。
いつも身近にいるのが新型肺炎のような病原菌では有難くありませんが、『法華経』は、仏さまがいつも私たちといっしょにいてくださっていると説いています。このことは、私たちにとってはこの上ない恵みであります。
しかし、この仏さまの恵みを心に感じて生きている人の少ないことが、なんとも残念なことであります。   合掌!

                        6月15日(日)お 講 お始まり 午前8時
                                      お と き 午前9時

                        7月 1日(火)魂迎会 お と き 正午
                                      お 勤 め 午後1時
                                      法  話 午後1時30分


                                    お誘いあわせてお参りください。


2002・6月

裏山の墓地に咲く「きんらん」 雨だれに咲く花…何という名か分かりません
 中国の古典の中に、「死馬の骨を買う。」という話があります。燕という国のある人が、主君の命令で千金を持って名馬を買いに行ったところ、その名馬はすでに死んでいたので、その骨を五百金で買って帰ったところ、その話が中国全土に広まり、生きた馬ならもっと高く買ってもらえるだろうと各地から名馬が集まったという話です。
 この話は、宗教的な生き方を考える点においても、たいへん示唆に富んだエピソードです。
 近年、命を粗末にした事件が相次いでいます。先日も、九州の看護師仲間が、医療知識を悪用して、夫に保険金をかけて、アルコール中毒状態にして殺害してしまうという医療の信用を落とすショッキングな事件がありました。この事件は、医療関係者にとってもショッキングであっただろうし、患者として医院にお世話になる我々にとってもアッと驚かされる事件でした。
 このように命が粗末に扱われる社会は、すでに狂い初めていると言えます。
 命を尊く思う気持ちは、ご先祖や亡くなった人を大切に思う気持ちから生まれます。先の中国の話のように、死んでしまった馬を大切にすることで、たくさんの名馬を手に入れたのと同じように、ご先祖や亡くなった人を大切にすることで、たくさんの信用を得ることができます。
 ご先祖や亡くなった人を粗末にする人は、生きている人間さえも大切にできません。故人のことを思える人は、生きている人のことも思える人です。故人のことを思えない人は、生きている人のことも思えません。
 私たちは、故人を大切に思うことで、人間としての大切なものを身に付けていくのです。     合掌!