3月のおたより

2024(令和6)年3月

 【 お寺の行事 】

          4月6日(土)祠堂経会 お始まり 午後1時30分
             7日(日)祠堂経会 帰敬式  午後1時
                         お始まり 午後1時30分
                         役員会 午後3時 

        説教は、不二井悟史師(穴水町 西蓮寺住職)にお願いしました。

               祠堂経は、ご門徒のご先祖をしのぶお参りです。
                   ご先祖のお経があがります。
                  お誘い合わせてお参りください。

               震災で、心落ち着かない日々が続きます。
                  こんなときこそ仏法聴聞。
               仏さまの教えに聞いてみたいものです。

【 施浴(せよく) 】

 昔から、人々に風呂を振る舞うこと(施浴)が行われてきました。

 『洗浴経』というお経に、施浴の功徳が説かれています。
 耆婆(ぎば)という名医がいました。
 死んだ人でも生き返らせるほどのすぐれた医術の持ち主で、誰からも尊敬されていました。
 あるとき耆婆は、考えました。

    自分は、名医の名声を得たが、何かもの足りない。
    人は病気が治っただけでは、ほんとうに幸せになったようには見えない。
    どうしたら良かろうか。
    ひとつ、お釈迦さまに尋ねてみよう!

と、お釈迦さまを訪ねて、

    耆婆  私は、人々に施浴をしようと思いますが?

    釈迦  お前は、難病まで治す名医として、人々に喜ばれているうえに、今また施浴をしたいと願っている。
         よく聞きなさい!
         施浴によって垢を洗い流せば、七病を除く。
         その七病とは、

              ①四大安穏-全身が健やかになる 
              ②風病を除く-風邪をひかなくなる
              ③湿痺を除く-水分過多によるむくみや関節のはれを起こさない
              ④寒水を除く-冷たい体にならない
              ⑤熱気を除く-体温を正常に保つ
              ⑥垢穢を除く-心の汚れも除く
              ⑦眼目精明-気力あふれた、すっきりした顔つきになる

 こうして、七病を除いてもらった人は幸せになることもちろん、風呂を振る舞った人も、

      …あるいは帝王となり、梵天ともなり、あるいは菩薩となって、やがては仏となる…

という徳が備わるのだと、お釈迦さまは説きました。

 このお釈迦さまの教えによって、昔から施浴をして功徳を積むことが行われてきました。
 日本では、古くは奈良時代、聖武天皇の后である光明皇后が1,000人に施浴したと伝えられています。
 皇后に洗ってもらった1,000人目の人は、阿閦仏となって、紫の雲に乗って飛び去ったということです。
 1,300年前の話です。
 また、『吾妻鏡』には、源頼朝が後白河法皇供養のため100日間の施浴を行ったと記録されています。
 今回の能登半島地震でも、自治体が住民に風呂を無料で開放しました。
 これも、施浴です。
 自治体側は、『洗浴経』のことを知っていたかどうか分かりませんが、被災した私たちは、ずいぶん助かりました。
 水の有り難みを、しみじみ感じた人も多かったのではないでしょうか。

 そして、仏さまの教えを人生の道しるべとする私たちは、風呂で体の垢を落とすばかりでなく、心の垢も落としたいものです。
 極應寺では、これまで、みなさんに「洗身洗心」のタオルをお渡ししてきました。

                                                              合掌



2023(令和5)年3月

 【 お寺の行事 】

  4月  1日(土)祠堂経会  ・お始まり 両日とも午後1時30分
      2日(日)祠堂経会  ・説教   西岸正映 師(中島町田岸)

      ※ なお、期間中、「初参会」と「帰敬式」も執行します。

【 子の心親知らず 】

 カラスと鵜の話です。

 カラスはどこにでも棲んでいますが、川鵜は、その名のとおり、川や沼や湖などに棲み、海鵜は海浜に棲んでいます。

 あるとき、カラスが海辺へ飛んで行って、松の木に止まって下を見ると、鵜が水に浮かんで魚を捕って食べています。
 鵜に話しかけました。

   
 カラス   鵜さん!
       鵜さん!
       あんたは、なんとも果報な鳥や!
       水にプカプカ浮かんで、水に首突っ込んで、何の苦労もなく、魚を捕って食べている。
       羨ましいかぎりや!
       それに比べてカラスは、一日中飛び回っても、餌にありつけない日もある。
       たまたま、柿がなっているのを見つけて食べてやろうと近寄ると、たちまち持ち主に見つかって、

           こら、泥棒カラス!

      と、棒を持って追い払われる。
       なかなか餌が口に入らない。      
       そこで、飛ぶことに疲れて、休もうと思って木の枝に止まって枝を掴んでいると、足がくたびれる。
       それならば、鵜のまねをして、水に浮かんで魚を捕ろうとすると、カラスは水に浮かべないから、
      たちまち溺れてしまう。
       鵜さんよ!
       あんたが、何とも羨ましい。
       少しは、あんたの捕った魚を分けてもらいたいもんだ!

  鵜   カラスさんよ!
       あんた、そう言わっしゃるけれど、ワレら鵜も、あんたが言うほど楽なものでもない。
       あんたが枝に止まって上から見ていれば、鵜は水に浮かんで、何の苦労もなく魚を捕っている
      ように見えるかも知れないけれど、水の中では、休み無しに足を動かしていなければならない。
       その苦労は並大抵のことではない。      
       それに、魚も命が欲しいから、簡単には掴まってくれない。
       また、海は広いから、一日中、魚に会わない日もある。
       さらに、波風荒く、海が時化ているときは、海にも浮かべず、一日中、岩の上にあがって、
      腹を空かせて、海を眺めているときもある。
       なかなか、思うようにはならん!
       だから、カラスさん、アンタに分けて上げる魚はないよ!

と言ったら、カラスは「カァー!」と一声鳴いて飛んでいったという話です。

 カラスには、鵜のことは分かりません。

 人間でも同じです。 
 他人のことは、分かりません。
 家族であっても、一緒に住んでいるから、なんでもかでも分かっているかというとそうでもありません。

 「子の心親知らず」ということわざがあります。

 あるお母さんの話です。

 お母さんには、小学1年生になった女の子がいます。
 初めての夏休みになりました。
 ラジオ体操は7月で終わました。
 外は暑いせいか、公園で遊ぶ子どもの姿も見えません。 女の子は、暇さえあれば家でゴロゴロしています。
 友だちのところへ遊びに行く気配もありません。

      友だちと遊ばなくて大丈夫なのだろうか!

と心配になってきました。
 ある日、部屋を掃除していたら、女の子のリュックから100円ショップで買ったと思われる「吸水ヘアキャップ」-女性が風呂で髪を洗ったあと、しずくが垂れないように被る帽子のようなもの-が出て来ました。
 女の子は、今までは、髪を洗ったあと、しずくが垂れても気にもしませんでした。
 なのに、「吸水ヘアキャップ」とは?
 我が子の心境の変化を疑ったお母さんは、

     なんでこんなもん買ったんよ!
     誰が使うんよ!

と問い詰めました。
 女の子は、黙ってじっと母親を見つめていましたが、泣き顔になって、

    お母さんに買ったんやよ!
    お母さんの誕生日プレゼントやったんやよ!

と答えました。
 母親は、自分の不明さに愕然としました。

    そうやったん!
    疑って、ゴメン、ゴメン!

と謝りましたが、あとの祭りです。
 お母さんは、しばらくの間、娘さんに頭が上がりませんでした。
                                          合掌



2022(令和4)年3月

 【 お寺の行事 】

       4月2日(土)祠堂経会 
         3日(日)祠堂経会
               ・お始まり 両日とも、13:30
               ・説教   大橋友啓 師(田鶴浜 得源寺住職)
            ※3日は、誕生児の初参りも勤めます。

                  皆さんのご先祖のお経があがります。  
                  お誘い合わせてお参りください。

       また、3月21日はお彼岸の中日です。
       お彼岸は、ご先祖の恵みに謝(礼をいう・わびる)する日です。
       春のお彼岸のお供えは、「ぼたもち」です。

【 仏性(ぶっしょう) 】

 ドイツの画家、フリッツ・アイヘンバーグ(1901~1990)の作品に「炊き出しの列にならぶイエス」があります。
 絵には、炊き出しの列に並んでいるイエス・キリストが描かれています。

 作者のアイヘンバーグは、キリスト教系の宗派の信者で、宗教画を得意としました。

 描かれた人たちは、一様に下を向い てうなだれています。
 中には、ポケットに手を突っ込んで空を仰いでいる人もいます。
 服装は厚着ですから、季節は冬でしょうか。
 皆、生きる事に疲れた貧しい人たちです。
 おとなしく順番を待っています。
 この炊き出しの列にキリストも並んでいるのです。
 今晩も、厳しい冷え込みの中で一夜を明かさねばなりません。

  アイヘンバーグは、この絵で何を伝えようとしたのでしょうか。

 仏教では、目に見えない仏さまを、絵や仏像の形で表します。
 また、聖徳太子の本体は観音菩薩だと言われたり、親鸞聖人は阿弥陀如来の仮の姿だと言われたりもします。
 キリスト教でも、同じような考え方をします。
 キリストは、目に見えない神さまが人間になって現れた姿です。

 絵の中のキリストは、並んでいる人たちと同じように下を向いてうなだれています。
 人々を救わねばならない立場のキリストが、助けてもらう人たちと一緒に炊き出しの列に並んでいるのが不思議です。

 実は、アイヘンバーグは、人々を救うために天下って来たキリストを描こうとしたのではありません。
 貧しい人々の心の中にキリストがいることを伝えようとしたのです。

 そうすれば、どうも私たちは、拝む方向を間違えていたようです。

 仏教でもキリスト教でも、その他の宗教でも、祈るときは手を合わせて顔を少し上の方に向けて拝みます。
 しかし、上の方には、神さまも仏さまもいないのです。

 『法華経』には、地面の中から無数の菩薩さまが湧き出してきたと説かれています。
 また、光明皇后が1,000人に風呂をつかわせる誓いを立てて体を洗ってやっていたところ、1,000人目に来たのは癩病患者でした。
 皇后は、嫌がりもせず体を洗ってやったところ、にわかに浴室に紫の雲がたなびき、患者は雲に乗り黄金の光をはなって、「我は阿閦仏(あしゅくぶつ)なり!」と言って雲の彼方に消えて行ったという言い伝えもあります。
 右の絵には、雲に乗って彼方に消えゆく阿閦仏を拝む皇后の姿が描かれています。
 仏さまは、癩病患者の中にもいるのです。

 仏教では、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」と説きます。
 人間に限らず、生きとし生きるものはみな「仏性」-仏さまのいのちを宿していると説かれます。
 枝に鳴くうぐいす、田に鳴く蛙、地を這う虫、野に咲く名もない花にも仏さまのいのちが宿っています。
 私たちが拝まねばならないのは、万物に宿る仏性です。
 仏性が仏さまなのです。

【 賭けごと 】

 新聞には、人生相談の欄があります。
 こんな相談がありました。

   相談  私は、競馬をやっていますが、なかなか当たりません。
        どうしたら良いでしょうか?

   回答  私も長年、ギャンブルをやってきました。
        そして、分かりました。
        みんな「負ける」ということです。例外はありません。
        負けを拒むと、性格がゆがみ、生活にも負けてしまいます。
        人はみな、「人生」というギャンブルをしています。
        そして、負けます。
        つまり、最後は「死ぬ」ということです。
        しかし、「死ぬ」と分かっていながら、みな最後まで賭けています。
        あなたも、そんな大勝負をしているのですから、たかが競馬のことで悩むことはありません。
        どうぞお好きなように!

 なるほど! 納得です!                      合掌


2021(令和3)年3月

 【 お寺の行事 】

        4月3日(土)祠堂経会  お始まり 13:30 両日とも
           4日(日)祠堂経会   布教   西岸正映 師(田岸 常光寺住職)

                皆さんのご先祖のお経があがります。  
                 お誘い合わせてお参りください。

【 ひと言 】

 江戸時代が始まる少し前、『イソップ物語』が日本に伝わりました。
 この物語を翻訳して出版したのが『伊曾保物語』です。
 『伊曾保物語』では、イソップは「イソポ」の名で登場します。
 イソポには、シャントという主人がいます。

 あるとき、主人のシャントが、

   シャント イソポよ!
        今日、大切なお客さんがあるからご馳走したいと思う。
        世の中に珍しい物を求めてまいれ!

と言い付けました。
 イソポは、獣の舌を持ってきました。

   シャント 世の中の珍しい物と言い付けたのに、獣の舌とは何事だ?

   イソポ  ハイ、つらつら世の中のありさまを考えまするに、安穏に暮らせるのも、
       舌三寸の物言いひとつによります。
         ゆえに、舌は一番珍しいものでございます!

   シャント なるほど!

 またあるとき、

   シャント イソポよ!
世の中で、一番、悪い物を求めてまいれ!

と言い付けられたイソポは、また、獣の舌を持ってきました。

   シャント 世の中で最も悪い物と言い付けたのに、また獣の舌とは何事だ?
          
イソポ  ハイ、世の中の悪事をよくよく見まするに、舌がいちばん禍のもととなります。
        命を失うような禍を招くのも、ひとえに舌先三寸の物言いによってではないでしょうか!

   シャント なるほど!

と、シャントはイソポのことばに深くうなづきました。

 「口は禍のもと」という警句がありますが、イソポは、口は良いこともすると言っています。
 
 ある住職さんの話です。住職さんには、高齢の母親がいます。
 母親は、認知症が出始め、介護も必要になってきました。
 家族の負担やストレスがたまってきたある日、母親が草履を履いて外に出ようとしています。

    住職 おふくろ! 何やっとるんや?

    母親 何やっとるって、草むしりに行くんや!

    住職 そんなこと分かっとる!
        外に出んでええ。草むしりに行かんでええ。この前も、外に出ようとして転んでケガしたやろ。
        そやから、外に出んといてくれ!

 母親は、恨めしそうな顔で部屋へ帰って行きました。

 またの日。門徒さんが来られました。
 母親は、台所で、なにやら「カチャカチャ」やり始めました。
 見に行くと、ガスコンロに火を点けています。
 それを見た住職さんは、

    住職 おふくろ! 何やっとるんや?

    母親 何やっとるって、湯、沸かしとるんや!

    住職 そんなこと分かっとる!
        コンロ触るな。この前も、ガス点けっぱなしで危なかったやろ。
        頼むから、コンロ触らんといてくれ!

 母親は、また恨めしそうな顔で部屋へ帰って行きました。

 そんなある日。
 今日は、敬老の日です。
 家族みんなで食事をしている時でした。

    住職 なあ、おふくろ。今日は敬老の日や。何か欲しいものはないか?
       欲しい物があったら買うてやるぞ!

    母親 この歳になって欲しい物はないけど、ひとつだけ頼みがある。

    住職 何や?

    母親 私を叱らんといてくれんか?

 この意外なことばに、家族は「アッ!」と驚きました。
 驚くと同時に、「そうやったのか!」とさとるものがありました。
 また、肩の力が抜けたようにも感じました。

 母親の一言で、家族の空気が変わりました。
                                合掌



2020(令和2)年3月

歓 喜 光 院 殿 御 崇 敬 厳 修
2021(令和3)年10月29日(金)30日(土)31日(日)の3日間 
【 お寺の行事 】
 

     3月28日(土) 親鸞聖人ご命日

     4月 4日(土) 祠堂経会 布教 川岸敬巖 師 林敬寺住職(輪島市名舟町)
         5日(日) 祠堂経会  同上    
                 期間中、帰敬式(お髪剃り)も行いますので、お問い合わせください。

         4月28日(火) 親鸞聖人ご命日

                   お誘い合わせてお参り下さい。

【 四門出遊(しもんしゅつゆう) 】

 2,500年前、お釈迦さまは、カピラ城の王子として生まれました。
 母親マーヤは、お釈迦さまを生んで7日後に亡くなりました。
 そのせいか、お釈迦さまは、王子として何に不自由なく育ちましたが、物に感じやすい繊細な心の持ち主でした。
 ある日、家来を連れて城の東門から出たとき、白髪頭で、腰曲がり、杖にすがってヨボヨボと歩いている人を見ました。  杖にすがって歩く老人と出会う釈迦(右)

   釈迦  あれは何ものだ?
   家来  老人です!
   釈迦  老人とは何ものだ?
   家来  かつては若く元気がありました。
        が、年月を重ねるうちに、気力体力ともに衰えました。
        今は立ち居振る舞いもままならず、余命いくばくもない者を老人と言います。
   釈迦  老人は、あの者だけか?
   家来  いえ、誰も免れることはできません!

 お釈迦さまは、外出する気分も失せて、お城へ帰りました。

 またの日、南門から出たとき、顔面蒼白で、痩せ衰え、歩くこともままならず、人に抱えられて歩いている人を見ました。
   釈迦  あれは何ものだ?
   家来  病人です!
   釈迦  病人とは何ものだ?
   家来  体を整える組織変調し、寒熱に苦しみ、眠臥安からず、飲食もかなわず、
        やがて息絶える者を病人と言います。
   釈迦  我は、かかる運命から免るることを得るや?
   家来  いえ、如何なる人といえども免れることはできません! 

 お釈迦さまは、また外出する気分も失せて、お城へ帰りました。
 今度は、南門から出ました。
 すると、香華で飾られた輿を4人で担ぎ、その後ろを泣きながら歩いて行く一団に出会いました。

   釈迦  輿の上の者は何ものだ?
   家来  死人です!
   釈迦  死人とは何ものだ?
   家来  息絶え、知覚なき骸(むくろ)となり、ついに野原に捨てられる者を死人と言います! 
   釈迦  皆、ああなるのか?
   家来  そうです!

 お釈迦さまは、また暗い気分になり城に帰りました。
 そして、北門から出たとき、頭髪を剃り、黄衣を着て、鉢を持ち、静かな姿で歩いている人を見ました。
 お釈迦さまは、その人を呼び止めて尋ねました。

   釈迦  あなたは、誰です?
   僧侶  私は、修行僧です。
   釈迦  修行僧とは何ものです?
   僧侶  身口意の三業をつつしみ、煩悩を起こさず、生きとし生きるものを憐れみ、
        やがてブッダになることを目指す者です!  

 仏伝は、お釈迦さまが、出家して修行僧となることを決意したいきさつを、このように伝えています。

 お釈迦さまの出家は夜でした。
 皆、寝静まったころを見計らって、御者に馬を引かせました。

   御者  今、真夜中です。敵が攻めてきているようには見えませんが?
   釈迦  お前には、大怨敵が攻めてきているのが見えないか。
        世の中には、老病死にまさる大怨敵がある。
        すぐ馬を引け! ぐずぐずするな!

と御者に命じ、白馬カンタカにまたがり、

     私は、生・老・病・死の苦悩を超えて生きる道をさとらなければ、城には帰  らない!

と言って、カピラ城を後にしました。

 「老病死にまさる大怨敵」とは、「生きることの苦しみ」のことです。  合掌


平成31年3月

【 お寺の行事 】

      3月28日(木) 親鸞聖人ご命日

      4月 6日(土) 祠堂経会  説教(両日とも) 
          7日(日) 祠堂経会 西岸正映師(田岸 常光寺 住職)

      4月28日(日) 親鸞聖人ご命日

            お誘い合わせてお参り下さい。

【 法聞け! 】

 今年は、暖冬のせいか、ウグイスの初音は、例年より早かったように思います。
 2月の初旬には、鳴き始めました。
 
 八代目の蓮如上人の命日は、3月25日です。
 上人は、ウグイスが盛んに鳴いている季節に、浄土へ還られました。

 亡くなる半月ほど前、病床へ、弟子の空善をお呼びになり、

   空善からもらったウグイスの声には慰められた!
   ウグイスの「ホーホケキョ!」は、私には、「法を聞けよ!」と聞こえる。
   鳥でさえ、「法を聞けよ!」と鳴いているのに、まして、我々は人間であり、親鸞聖人のお弟子である。
   仏法聞かねば、なさけない!
   鳥にも劣るぞ!

と戒められたという話が伝わっています。

 ♪汽車ぽっぽ♪という童謡があります。

 「シュシュポッポ シュシュポッポ」と煙を吐いて走る蒸気機関車の音を、

   ♪…なんだ坂 こんな坂 なんだ坂 こんな坂…♪

と歌っています。

 人間は、単なる音を、ことばとして聞く能力を持っています。
 ホトトギスの「キョキョキョキョキョ!」は、「てっぺんかけたか!」と聞きました。
 コノハズクの「ホッホッホッ!」は、「仏法僧!」と聞こえました。

 『平家物語』は、

   祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
   娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。…

で始まります。
 『平家物語』の作者は、祗園精舎で撞く、「ゴーン!」という鐘の音を「諸行無常~!」と聞きました。
 また、お釈迦さまが亡くなられたとき、娑羅双樹の花がいっぺんにしぼんで枯れてしまった故事から、枯れた花は、「盛者必衰の理」を説法していると感じました。

 こうして人間は、自然の音や姿から深い道理を感知して、豊かな心を育んでました。

 しかし、今は違うようです。

 保育園を建てようとしたら、町内会から反対されました。
 理由は、

    子どもの声がうるさい!

です。
 また、看取り施設を建てようとしたら、また反対です。

    亡くなった人を運ぶ車を見るのが嫌だ!

という理由です。

 保育園は、我が来た道です。
 看取り施設は、我が行く道です。

 近頃は、想像力が欠けているとしか言い様のないことが起こっています。

 もうすぐ、田んぼでは、蛙が「ケロケロ!」と鳴き出します。
 5月、6月になれば、「ケロケロ!」が「ゲロゲロ!」に変わり、蛙の大合唱となります。
 その声を、「南無南無南無…」と聞きながら眠る田舎暮らしは、悪いものではありません。

【 腹は立てず 】

 湯飲み茶碗に、太字で、

    人 己 心 腹 気

と書いてありました。

 「人己心腹気」の右横には、それぞれ、

   ひとはおおきくあがめ
   おのれはちいさくへりくだり
   こころはまるく
   はらはたてず
   きはながく

と説明が書いてあります。
 太字は、説明に合うように、それらしい形で書かれていました。

 金沢に住む80歳の男性が、別居中の妻を殺害する事件がありました。
 妻から、

    もう会いたくない!

と言われた一言に腹を立てたことが原因でした。
 また、大阪では、84歳の男性が妻を殺害しました。
 妻から

    介護施設に入ってくれ!

と言われて腹を立てたことによる凶行でした。

 腹を立てるのは、高齢者ばかりではありません。
 千葉県では、41歳の父親が10歳の女の子を虐待死させました。
 立てまいと心に誓っていても、腹の方から立ってきます。

 そこで、腹立ちを抑える方法を考えた人がいます。
 「アンガーマネジメント」と言います。
 その方法とは、腹が立ちそうになったら、心の中で6秒間、「1.2.3.4.…」と数えるのだそうです。
 この方法が、気短な現代人の妙薬となるか。
 今のところ、効き目は現れていないようです。       合掌



平成30年2月

【 お寺の行事 】

       3月28日(水)  初お講 午前8時 お勤め

       4月 7日(土)  祠堂経会      両日とも、午後1時半お始まり
           8日(日)   祠堂経会      説教は、大橋友啓 師 得源寺住職
       (8日は、誕生児初参会も勤めます。)

          お誘い合わせてお参り下さい。

【 維摩の病気 】

 『維摩経』に、在家でありながら、深くさとっている維摩居士のことが説かれています。

 あるとき、お釈迦さまは、維摩居士が病気になったと聞きました。
 そこで、文殊菩薩に、お見舞いに行ってもらうことにしました。

 維摩居士を見舞った文殊菩薩は尋ねます。

   文殊  あなたの病気の原因は何で、いつになったら治りますか?

   維摩  文殊よ!
        世の人に、無知と愛着という病があるかぎり、私の病は治りません。
        もし、すべての人の病が治ったら私の病も治るでしょう。  
        たとえば、一人しかいない我が子が病気になったら、親も病気になるようなものです。
        我が子の病気が治らないかぎり、親は悩み続けます。
        これと同じように、徳のある人は、あらゆる衆生を一人っ子のように可愛く思うのです。
        ゆえに、衆生が病気であるかぎり、私も病気であり、衆生の病気が治ったとき、私の病気も治ります。
        文殊よ!
        私の病気の原因は、「大慈悲」から起こっているのです。

と、居士は答えました。

 社会には、富める者もおれば、貧しい人もいます。
 健康な人もおれば、病気で苦しんでいる人もいます。
 今、自分にお金があったとしても、貧乏な人と自分とは無関係ではありません。
 また、今、自分が、たとえ健康であったとしても、病に苦しむ人とも無関係ではありません。
 
    ともに生きる同朋なのです!

 維摩居士は、自分の病は、「大慈悲」から起こっていると語ります。

 どうしたら、「大慈悲」は育つのでしょうか?

 このことについて、『三国伝記』に、維摩居士の記事があります。

 居士は、80才にして、初めて、お釈迦さまの説法の座にお参りすることになりました。
 家から40里も離れています。
 居士は、40里の道のりを歩いて行きました。

 お釈迦さまと対面した居士は、

   維摩  私は、40里の道を耐え忍んで歩いてお参りしましたが、その功徳はいかばかりですか?

   釈迦  汝が歩めるところの足跡の土を全部堀取って集め、砕いて砂とします。
        砂一粒が汝の一劫の罪を滅するがゆえに、砂の数に したがいて、汝が罪を滅すべし。
        また、汝が命の長きこと砂の数に同じ。
        さらに、砂の数に同じき数の仏に会いたてまつり、その功徳、また無量なり。

と、お釈迦さまが答えたという話です。

 「大慈悲」は、この無量の功徳から生まれます。
 「大慈悲」とは、衆生を哀れみ恵む心です。
 維摩居士は、文殊菩薩に、「大慈悲」がなければ、人の仕合わせも、我が身の仕合わせもないと教えたのです。

【 善因悪果も… 】

 2月5日、佐賀県神埼市の住宅に、自衛隊ヘリが墜落しました。
 この事故で住宅は炎上しましたが、家の中に居た11才の女の子は奇跡的に助かりました。
 事故後、父親は、インタビューで、

   許せないですよね!
 
と語りました。
 このことばが報道されると、

  ・は? 許せないとは何様? 墜落して亡くなった隊員のこと考えねぇのかよ!
  ・わざと落ちた訳じゃないと思うし、「許せない!」の意味が分からん!
  ・分からんでもないが、死ななかっただけいいじゃないか!

などと、被害に遭った人を非難する人が現れました。

 なぜ、こんなことが起こるのでしょうか?

 非難する心の中には、「善因善果・悪因悪果」の考えがあります。
 良いことをすれば良い結果になり、悪いことをすれば悪い結果になるのが道理だという考えです。

 今回の事故の場合、ヘリが墜落した家には、何の落ち度もありません。
 善因善果になるはずの家に、悪いことが起こりました。
 善因が悪果になったのです。
 こうなったとき、人には、不思議な心理がはたらきます。 
 被害に遭った人を、非難し始めるのです。
 自衛隊のヘリも悪かったけど、被害に遭った家にも落ち度があったと言い出すのです。
 たとえば、痴漢に遭った女性が、「派手な服装をしていたから、痴漢されて当然だ!」と言われるのと同じです。

 世の中には、善因善果・悪因悪果の考えだけでは割り切れない事が起こります。
 善因悪果もあれば、悪因善果も起こります。
 良いことをしても結果が悪くなり、悪いことをしても良い結果になることもあります。
 世の中、何が善か悪か分かりません。

 親鸞聖人は、「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり」と言われました。

 仏教は、何が善か悪か分からない事実を、「南無阿弥陀仏!」と受け止めて、念仏称えて生きることこそ、混濁した世を生きる智慧だと教えています。   合掌



平成29年3月

 
【 お寺の行事 】

     3月12日(日)初お講  08:00 お勤め   
                    09:00 おとき
                    当番 土肥組

     4月 1日(土) 祠堂経会  お始まり 13:30(両日とも)   説教 芳野廣照 師(牛ケ首 願行寺)
         2日(日)   ※ 子どもさんの初参会は、2日(日)13時から勤めます。

     4月      お 講  当番 福島(そうざ)組  

                      お誘い合わせてお参り下さい。

【 アラフォー3人 】

  香山リカさんという精神科の医師がいます。
 ある日、アラフォー(40歳前後)の女性が、続けて3人受診しました。

 最初に診察した女性は、独身のまま仕事を続けてきました。
 女性、曰く、
 
    最近、「私の人生は、これで良かったのか?」と思うようになりました。
    そう思うと胸がドキドキして止まりません。
    同級生の多くは、結婚して子を産み、子育てしています。
    自分だけ独身でいるのがみじめで、自信がなくなりました! 

と訴えました。

 香川医師は、軽い鬱状態と判断して、薬を処方しました。

 次の診察も、アラフォーの女性。
 女性、曰く、

    私は、20代で結婚して、専業主婦として、2人の子どもを育てています。
    下の子が中学生になり、少し、子育ての負担が楽になりました。
    同時に、不安になりました。
    友だちの多くは、何らかの仕事をして社会貢献しているのに、私は、世間知らずのまま。
    同窓会で、海外出張の話をする友達がうらやましい!

と訴えて、首うなだれました。
 医師は、この人も軽い鬱症状と診て、薬を出しました。

 その次に診察室に入ってきたのも、アラフォー女性。
 女性、曰く、

    私は、仕事をしながら子育てもしています。
    どれもこれも中途半端で、子どもにも会社にも申し訳ない。
    仕事なら仕事、家庭なら家庭と、はっきり方針を決めて生きている人がうらやましい!

と訴えました。

 ここで、香川医師は考えました。

    人は、他人を見て、うらやましいと思い、うらやましいと思われた人が、別の人を見て、うらやましいと思っている。
    これでは、堂々巡りだ。
    いっそのこと、3人集めて、

      さあ、ここに、あなたがたが、うらやましいと思っている人がいますよ!
      それぞれ、自分の事を言ってみてください!

   と言ってあげたほうが、治りが早いのでは?

 人は、誰でも仕合わせになりたいと思っています。
 そして、仕合わせは、自分のところにはなく、どこか別のところにあると思っています。

 あるお父さんが、新聞を読もうと思って、メガネを捜しましたが、見つかりません。
 何処に置いたかも忘れてしまいました。
 部屋にもないし、台所にもありません。

   お父さん  おーい! お母さん、オレの眼鏡知らんか?

   お母さん  あんた、何言うとるがいね。あんたの頭の上に乗っとるがいね!

   お父さん  おぉ、あった!あった!

 仕合わせは、遠い所を捜していても見つからないのです。

【 お彼岸 】    

 今年の春の彼岸は、入りが3月17日、中日が20日、彼岸明けが23日です。
 お彼岸のころは、太陽が真西に沈みます。
 古来、極楽浄土は西にあると信じた仏教徒は、お彼岸には、お寺参りやお墓参り、そして西に沈む太陽を拝んできました。

 お彼岸のお供えものは、「ぼたもち」です。
 「ぼたもち」は、「おはぎ」とも言います。
 春は「ぼたもち」、秋は「おはぎ」と言い替えます。
 そのわけは、春は、ぼたんの花にちなんで「ぼたもち」、秋は、ハギの花にちなんで「おはぎ」と言うのだそうです。

 「ぼたもち」は、地方によって、いろいろな言い方があります。

   おはぎ  ぼたもち  すりもち  かいもち  音なしもち  隣知らず
   つき知らず  まいころがし

 また、「三度よし」とも言います。
 「ぼたもち」は、出来たてを食べても美味いし、冷たくなったのを食べても美味い。固くなったのを焼いて食べても美味しい。
 ここから、「三度よし」と言うようになりました。

 さらに、「半殺し」という言い方もあります。
 「ぼたもち」は、ご飯を半分つぶすから、「半殺し」。
 そうすると、お餅は、全部つぶしてしまいますから、「みな殺し」となります。
 なんとも、物騒な言い方もあるものです。
                                  合掌



平成28年3月

 【 お寺の行事 】

   3月13日(日) お講 福島(そうざ)組

   4月 1日(金) 祠堂経会  
       2日(土) 布教使 矢口泰淳師(末吉 光念寺住職)
       3日(日) 3日は、誕生児の初参りも勤めます。

        皆さん、お揃いでお参り下さい。

【 私の体は、借り物! 】

 死んだら、どうなる?
 
 死について、昔から、いろいろ言われてきましたが、いまだ、誰もが納得するような答えは出ていません。
 出ていないというより、すでに出ているのでしょうが、その答えを聞く人のほうが納得しないだけなのかも知れません。
 そのわけは、死んだことのない人同士で、死を語り合っているからです。

 「死んだらどうなるか?」いう不安は、たとえば、出世した人が、その座から下りることになったとき、「オレは、これから先どうなるのか?」と思う不安に似ています。
 先の見通しがなければ、不安は大きくなります。

 ある会社員に、「退職したら何をするか?」と尋ねたことがあります。
 その人は、「第一次産業や!」と、淡々と答えました。
 農業をするという意味です。
 現在の仕事に、いつまでも恋々とする気はないようでした。
 先の見通しがあるからです。

 女優の樹木希林さん(73歳)が、出版社の広告に出演して話題を呼びました。

 広告写真の中で、希林さんは、死体となって小川に浮いています。
 小川の周りには、白い花がたくさん咲いています。
 写真は、極楽浄土をイメージしたかのような構成になっています。

 希林さんは、この仕事が来たとき、迷わず引き受けたと言います。
 自らの「死生観」を、表現できる場だと考えたからです。
 希林さんは、医師から「全身がん」と診断されるほど、数々の病気を経験してきました。
 放射線治療をしながら、女優の仕事を続けました。
 いまは、小康状態になっているそうです。

 たくさんの病気をかかえて考えたことは、やはり生きることと死ぬことでした。
 病に苦しみ、生きることと死ぬことの問題、その果てにたどりついた「死生観」が、

   私の体は、借り物!

でした。

 60歳になって、これまでの人生を振り返ったとき、

   あんな野放図な生き方をして、今まで、よくもったなあ!   
   自分の体を、これまでぞんざいに使いすぎた!
   自分の体は、自分のものだというおごりがあった!

と気づいたことから、「私の体は、借り物!」という思いに至りました。
 この思いが、

   だから、大事に使って、最後は、お返ししよう!

となり、

   人は死ねば宇宙の塵芥(ちりあくた)。せめて美しく輝く塵になりたい!

と達観しました。
 こう考えることで、生きることと死ぬことの不安が軽くなりました。
 これが、樹木希林さんの「さとり」です。
 その通りになるかどうか、死んでみなければ分かりませんが…。 

 死ぬことについて、常日頃から、よく考えておくことが大事かと思います。

   ああでなかろうか? こうでなかろうか?

自分の死について考え、ある確かな思いに至ることができれば、その通りになろうがなるまいが、死ぬことの不安は軽くなります。
 そのために、教えを聞くということがなければなりません。

【 人生の精算 】

 一龍斎貞水(77歳)という講談師がいます。
 講談の世界から、初めて人間国宝になった人です。

 一龍斎貞水さんの父親は、掛け軸や天井画を描く画家でした。
 お金には無頓着な人で、画を欲しい人にはただでやったり、画が売れれば、あればあるだけパッパと使ってしまい、残さない人でした。
 晩年、近所の寿司屋さんなんかへ行って、寿司を食べ終わると、

   じゃあ!

とだけ言って、勘定を払わずに帰って行ったそうです。
 それでも、寿司屋のおやじさんは、

   勘定払え!

とは言いませんでした。
 その理由は、

   いいよ、いいよ、良かったころには、ずいぶんお世話になった人だから!

でした。
 貞水さんの父親は、人生の精算は、とっくに済ませてあったのです。
 先に払っておけば、あとは気ままです。
 こんな人生も、いいなと思います。          合掌



平成27年3月

【 お寺の行事 】

        3月7日(土) 初お講  08:00 お勤め
                        09:00 おとき
                       当番 道辻組

        4月3日(金)~5日(日)の3日間    永代祠堂経会

              〈説教〉3日(金) 松下文映師(往還寺住職 珠洲市)
                   4日(土) 奥村文秀師(本乗寺住職 かほく市)
                   5日(日) 勝見了映師(栄通寺住職 羽咋市)
  
               ※5日は、誕生児の初参りも勤めます。

        4月未定    お講   当番 谷口組 

                 ご家族みなさん連れ立ってお参りください。

【 極楽はある? 】

 かつて、京都清水寺の管長で、大西良慶という方がおられました。
 機知に富んだ法話をされ、本も書き、テレビにも出演し、毎年12月には、「今年の漢字」を大書する姿が報道されました。
 107歳の長寿を生きた傑出したお坊さんでした。

 ある人が大西良慶師に、尋ねたことがあります。

   ある人  管長さん、極楽はあると思いますか?

   管 長  お経の本に、「ある」と書いてあるんやから、信じなしょうがないやないか!
         たとえば、お寺の小僧さんが、”お風呂沸きました。どうぞ!”と言ってきたら、
         ”そうか、有り難う!”と言って、さっさと風呂へ行って、着ているもんさっさと脱いで、
         ”じゃぶ~ん!”と湯船に浸かる。”あぁ、いい湯や。極楽、極楽!”。
         寒い冬なんか、これが最高やぜ。
         それを、小僧さんが、”お風呂沸きました。どうぞ!”と言ってきたら、
         ”あの小僧、嘘ついてるんとちがうか?”と疑ったら、さっさと風呂へ行って、着ているもん脱いで、
         湯船に”ざぶ~ん!”というわけにいかんやろ。
         まず、風呂へ行って、湯船に手を入れて、”あ、ほんまや沸いてるがな!”と確かめて、
         部屋へもどって仕度をして風呂へ行く。
         湯船に浸かりながら、”あの小僧、嘘ついたんとちがうかったな!”と考えていたら、
         ”極楽、極楽!”というわけにいかん。
         風呂、楽しめんやろ!
         これと、一緒や。
         お経に”極楽がある!”と書いてあるんやから、疑いなく、信じればいいことやないか?

 管長さんは、「疑うな。疑えば、せっかく極楽に来ておりながら極楽を楽しめないことになる」と答えました。
 「疑心、暗鬼を生ず」ということわざがあります。
 疑いだすと、ありもしない鬼の姿まで見てしまう不信の心を言ったことばです。

 新潟県から徳島県へ嫁いだ、キヨミさんという女性がいます。
 古里新潟に住む83歳の父親が、転んで大腿骨を骨折したという知らせがきました。
 骨折ぐらい命に別状ないと思って、仕事の忙しさにかまけて、見舞いが遅れました。
 父親は、入院中に認知症を発症して、見舞ったときは、我が娘のことが分からなくなっていました。

    父親  おまえさん、戸籍係の人のように俺のこと詳しいの!
         役場の人か?

    娘    そうだよ!

 キヨミさんは嘘をつきました。嘘をついたついでに、

    娘   おまえさんの娘のキヨミさん、どんな子供だったね?

    父親  まじめで頑張り屋の娘だったね。俺に似ないで、ばあちゃん(妻) に似てくれてよかった。
        今、結婚して幸せに暮らしているちゅうから、安心や!

 父親は、うれしそうに語りました。
 無口で頑固で、特に長女のキヨミさんに厳しかった父から出た意外なことばに、心の底では娘を思ってくれていた親の深い愛情を知らされて、涙が流れました。

 疑う必要のないことを疑って、父親と距離をとってきたキヨミさんの「疑心」を晴らすお見舞いの旅となりました。

【 義 】

 「義」とは、人として当然なすべき正しいみちのことです。

 かつて広島カープに在籍し、アメリカへ渡りMLBで活躍した黒田博樹投手が、アメリカ残留を請われながら、古巣広島カープに帰ってきました。
 このことが、話題になりました。
 黒田投手の日本復帰は、アメリカで通用しなくなったから帰ったのではありません。
 アメリカの球団が年俸21億円を提示して残って欲しいと希望したにもかかわらず、年俸4億円の広島に帰ったからです。

 黒田投手は、高校でも大学でも無名の選手でした。
 この無名選手の潜在能力の高さを見いだしたのが、広島カープのスカウトでした。
 広島カープは、黒田選手をじっくり育ててくれました。
 監督は、黒田投手が打たれても打たれても、マウンドに立たせました。
 やがて、心技体充実したカープのエースに成長しました。

 昨年10月、アメリカでのシーズンを終えて広島に帰った黒田投手が、真っ先に向かったのは、8月豪雨で被災した安佐南区でした。
 ボランティアの人たちと、黙々と作業する黒田投手を見つけた女性が、

    女性  今年も、アメリカで頑張りましたね!   

と声をかけると、

    黒田  いえ、本当に頑張っておられるのは、あなた方です!

と答えました。                                          合掌

 


平成26年3月

【 お寺の行事 】

         3月16日(日)  初お講  08:00 お勤め
                          09:00 おとき
                          当番 谷口組

         4月4日(金)~6日(日)の3日間
                   祠堂経会  説教 大橋友啓師(田鶴浜得源寺住職)
                      5日(土)は、聖徳太子絵像の御移徙法要
                      6日(日)は、初参会も勤めます。

         4月未定     お講    当番 谷川・石川組

                      ご家族みなさん連れ立ってお参りください。

【 心の金メダル 】

 2週間あまりにわたって行われた、ソチ冬期オリンピックが終わりました。
 連日、日本選手の成績が大きく報道され、その結果に一喜一憂させられる毎日でした。

 今回のオリンピックで最も大きく報道され期待も大きかったのは、フィギュアスケートの浅田真央選手でした。
 浅田選手は、小学生の時から注目され、天才少女と言われてきました。
 浅田選手の魅力は、誰もやらない難しい技に挑戦し、それを次々と成功させてきた点にあります。
 世界が、浅田選手の活躍に注目してきました。

 そして、浅田選手は、今回のオリンピックが最後のオリンピックと決めていました。
 ソチオリンピックの浅田選手  最後と決めて臨んだ個人ショートプログラムの結果が、16位に終わったとき、日本のみならず世界が驚きました。
 何よりも、浅田選手自身が驚いたことと思います。
 演技後、浅田選手は、

     …終わったあとは言葉にならなくて、今まで何やってきたんだろうなと思いました。…

と、インタビューに答えました。
 驚きとともに、混乱した心境も伝わってくることばでした。

 初日の演技が終わったあと、浅田選手に世界中から応援メッセージが寄せられました。

 そんな中で、元首相経験者が、

     …あの子、大事なときには必ず転ぶんですね。…

と語ったことが報道されました。
  悪気があったとは思えません。
 大きな期待をもって応援していただけに、意外な結果に終わったことで、つい愚痴が出てしまったのだろうと思います。

 『歎異抄』という書物に、

      …まことに如来の御恩ということをばさたなくして、われもひとも、よしあしということをのみもうしあえり。…

と書かれています。
 人間というものは、人の気持ちも知らないで、自分の勝手な思いだけで、他人のことを、良いの悪いのと言い合っているという意味です。
 本人の心は、本人にしか分からないのです。

 浅田選手は、一晩悩んだことと思います。

 迎えた2日目、本人にとっても完璧な演技となりました。
 競技中から、浅田選手の演技に、場内から大きな拍手が送られました。
 演技終了後、場内は割れんばかりの拍手がわき上がり、テレビの前で応援していた人たちも、拍手とともに感激の涙を流した人も多かったことと思います。
 浅田選手は、たった一晩で気持ちを切り替え、自分を修正しました。
 そういうところが、天才と言われる所以なのでしょう。

 試合後、浅田選手は、

  …昨日と今日とでは、天と地の差でした。今までも良かったとき悪かったときはあったので、自分が目指していたのは昨日のような演技ではなく、今日のような演技でした。でもこれが自分なんだなというのは受け止めています。…

と、一段と人間として成長した心境を語ってくれました。

 そして、浅田選手は、メダルを獲った選手よりも誰よりも、「心の金メダル」を私たちに届けてくれました。

【 今でしょ! 】

 「川柳」が流行っています。

 今年も「サラリーマン川柳コンクール」の候補作が発表されました。
 その中に、昨年の流行語大賞に選ばれた大手予備校の林修先生の「今でしょ!」をネタにした作品も入っています。

     今でしょ!と NISA(ニーサ)の勧誘 金NAISA(ないさ)

     今でしょう? いやいや、準備 いるでしょう

 「今でしょ!」は、仏教語では「而今(じこん)」にあたる高い精神性を表したことばです。
 仏教では、「今」ということを大事にします。
 親鸞聖人は、「今」について、

      明日ありと思う心のあだ桜
              夜半に嵐の吹かぬものかは

と詠みました。
 この心を、江戸時代の禅僧正受老人は「一大事とは今日只今の心なり」とさとりました。
 「而今」は、過ぎ去ったことも、これから起こることも含んだ「永遠の現在」なのです。 
                                                          合掌

平成25年3月

【 お寺の行事 】

       3月16日(土) お講 当番 谷川組

       3月29日(金) 祠堂経会    説教
          30日(土) 祠堂経会       芳野廣照師
          31日(日) 祠堂経会           願行寺住職(牛ケ首)

    今年は、4月に親鸞聖人の御遠忌が能登教務所で勤まることから、祠堂経会を早めて勤めます。

       4月       お講    当番 石川組

             ご家族みなさん連れ立ってお参りください。

【 啓蟄 】

 3月5日は「啓蟄」です。
 啓蟄とは、二十四節気のひとつで、冬ごもりしていた虫が地の中から這い出してくる時期という意味です。
 天明7年に編集された『こよみ便覧』という書物には、啓蟄のことを、

    陽気地中にうごき、縮まる虫、穴をひ らき出ず。

と書かれています。
 虫が動き始めるころから、春の農作業もはじまります。
                 
 二宮金次郎(尊徳)に、こんな話しがあります。
 笠井亀蔵という若者が、越後の国から江戸に出て、二宮尊徳に仕えたことがあります。

   尊徳  おまえは越後の出だが、越後は豊かな国だと聞く。そんな国を捨てて、なぜ江戸に出て来たのだ?

   亀蔵  越後は田畑の値段が高いわりに、儲けが少ないのです。
        江戸は大都会だから金儲けしやすいと思って出て来ました!

   尊徳  おまえは、思いちがいをしている。
        越後は、土地の肥えた国だ。
        土地が肥えているから収量も多い。
        収量が多いから人も多い。
        人も多いから、田畑の値段も高くなる。
        値段が高いから、利益も少ないのだ。
        だから、越後は「上国」だ。
        越後ほどの「上国」はない。
        それを「下国だ」というのはまちがいだ。
        おまえは越後に帰り、百姓に励んだほうがよい!

と言って、次のようなたとえ話しをします。

    尊徳  おまえは、土の中に棲むミミズが、夏の暑さに耐えかねて土の中から出て来たのと同じだ。
         ミミズは、土の中に棲むのが天分だ。
         それなのに、外に出れば涼しかろうと思って、土の中から出て来たりすれば、
         たちまち太陽にあぶられて死んでしまう。
         土から出て来たのが運の尽き。
         迷いが禍を招くことになる。
         分かったら、ただちに越後に帰り、「小を積んで大をなす道」に努めなさい。
         越後に腰を落ち着ければ、そこがおまえの安住の地になる。
         このまま迷って江戸にいたら、ミミズと同じになってしまうぞ!

 仏教に、「迷惑」ということばがあります。
 「迷惑」は、一般には、「困る」という意味で使われますが、仏教では、「まよいとまどう」という意味です。
 二宮尊徳がミミズにたとえた笠井亀蔵の状態を「迷惑している」と言います。
 自分の「天分」を忘れて、余所にいいところがあるように思う心が「迷惑する心」です。

【 健康寿命 】

 「健康寿命」ということが言われています。
 健康寿命とは、手助けもいらず介護の必要もなく、自立して生きられる期間のことです。
 日本人の平均寿命は、男性が79歳、女性が86歳です。
 平均寿命をもとに日本人の健康寿命を計算すると、男性が70歳、女性は73歳になるそうです。
 そうすると、男性の場合、自立して健康で生きられるのは70歳ぐらいまでで、その後は体が何らかの不自由な状態になり、手助けが必要になり、介護や看護が必要になります。
 その期間が、男性の場合9年間、女性の場合は12年間に及びます。
 今、健康寿命を延ばし、介護・看護の世話になる期間を短くすることが考えられています。
 寝たきりの状態が長く続けば、寝ているほうも大変だし、介護・看護するほうも負担が大きくなるからです。
 双方の負担を減らすためには、高齢者がいつまでも元気で自立して生きることが条件になります。
 健康寿命は、男性では愛知県、女性では静岡県が1位で、それぞれ全国平均を2歳ほど上回っています。石川県は男女ともに9位で、それぞれ全国平均を1歳上回っています。
 愛知県では、健康寿命が長い理由を次のようにまとめています。

   1.高齢者の就労率が高い。
   2.ボランティアへの参加意識が強く、参加率も高い。

 愛知県は、自動車産業が盛んですから、下請け・孫請けなどの会社がたくさんあります。これらの会社が、高齢者の雇用を生み出しています。
 社会に参加して、何らかの役割を果たすことが生き甲斐となり、生き甲斐を持つことが健康寿命を延ばす好結果につながっているようです。
 また、静岡県はお茶の産地です。
 お茶には、糖尿病や動脈硬化を防ぐカテキンが含まれています。
 お茶を飲む人と飲まない人とでは、飲まない人のほうが介護度が3割ほど高かったという報告もされているようです。

 元気で長生きすることは、誰でも望むことです。
 しかし、いつかは誰かの世話にならねばなりません。
 世話になることを怖れて無理して生きるのもつまらない話しです。
 世話になることを怖れる心が、ポックリさんなどの根拠のない信仰を生み出してしまいます。

 どうせ世話にならねばならないのなら、いつ世話になってもいいように人間関係を日頃から作っておくことです。
 その元となるのが、家族や親族、地域の人たちに感謝する心です。
 感謝の心は、生かされて生きるわが命を喜ぶ心から生まれます。 合掌

平成24年3月

【 お寺の行事 】

  3月 2日 初お講  午前8時 お勤め
                午前9時 おとき
                 当番  石川組 

  3月30日(金)   午後1時半 祠堂経会

     31日(土)   午後1時半 祠堂経会
                  3時   鐘楼ご修復落慶法要
                 4時   (落慶法要あとしき)

  4月 1日(日)   午後1時   初参会
                 1時半 祠堂経会

        説教は、3日間とも、矢口千代麿師(末吉 光念寺住職)

     お誘い合わせてお参りください。

【 ♪Voyagers♪ 】

 日曜日の夜7時30分、NHKテレビから軽快な音楽が流れます。
  「ダーウィンが来た」の始まりです。

     ♪僕たちの中にある小さな宇宙
      どこまでも続く地平線
      僕たちは果てしない
      まだ知らない世界へと
       きっとゆけるさ…♪

 主題歌は、♪Voyagers♪。
 航海者とか旅行者という意味です。
 歌詞は、♪Voyagers♪を歌っている平原綾香さんが作詞しました。
 この歌詞は、意味が矛盾しています。
  「…小さな…」と言いながら、「…どこまでも続く…」とか「…果てしない…」と歌っているからです。
 しかし、聴く人に矛盾を感じさせながら、”そうだろうな!”と、変に納得させるような響きが、歌詞にはあります。矛盾したことを歌いながら、その矛盾を、聴く人に納得させる不思議な歌です。
 「僕たちの中に宇宙がある」
 自分の中に、宇宙があると感じる。さらに、1人1人の中にも、宇宙があると見える。人間にあるものならば、動物や植物それぞれにも宇宙があると見える。
 これは、いったいどういう感覚でしょうか。
 たとえば、「1枚の紙に雲を見る!」と言ったら、”そうだ、見える!”と答えられるでしょうか。
 紙に、雲の絵が描いてあるのではありません。
 白紙なのです。何も描いてない白紙に雲が見える?
 それが、見えるのです。
 紙は、木から作られます。
 その木は、誰かが育てたものかも知れません。また、自然に生えたものかも知れません。
 どちらにしても、木は、地中から栄養を吸い上げ、太陽に照らされて大きく育ちます。
 木の栄養は、水に含まれて運ばれます。栄養を運ぶ水は、降った雨が地中に染みこんだものです。
 その雨は、雲から落ちてきます。
 だから、1枚の紙に雲が見えるのです。
 1枚の紙は、さまざまな条件がそろって、紙になります。
 その条件は、無数です。
 そして、それらの条件は、お互いに関係し合っています。関係を持たない条件はありません。独立してある条件などなく、みな、関係し合っています。1つの条件は、宇宙にある全部の条件とつながっています。
 したがって、1枚の紙に雲が見えるばかりでなく、宇宙が見えます。
 宇宙が、1枚の紙になったのです。
 1枚の紙に宇宙が見えると同じように、「僕の中にも宇宙がある」のです。
 人間は、誰でも、宇宙が形を表した姿なのです。動物も植物も、宇宙が姿を表した形なのです。
 私は、宇宙なのです。
 みな、宇宙なのです。
 みな、宇宙だから、みな父母兄弟姉妹なのです。
 親鸞聖人は、「…一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり」と言われました。
 生きとし生きるものは、死に変わり生き変わりして、そのつど関係は異なるけれど、みな肉親であり、親戚なのだという意味です。
 それは、みな、宇宙を母としているからです。
 私は、宇宙から生まれました。父も母も、兄弟姉妹たちも、みな、宇宙から生まれました。
 みんな、宇宙から生まれてきたのです。
 そして、やがて、宇宙に帰り、宇宙で色々な条件が集まり合って、ふたたび何らかの形となり、それを繰り返すのです。
 ♪Voyagers♪の歌詞の途中に、

       ♪…君が残した軌跡が 僕のからだに宿って
        無限の輪廻は終わらない
        聴こえる 時を刻む音…♪

と歌っているのは、このことを表しています。
  「無限の輪廻」を繰り返すということは、永遠を生きるということです。
 宇宙は、無限で、永遠であるがゆえに、私も無限で永遠なのです。
 だから、私たちは、Voyagerなのです。永遠を旅する航海者なのです。

 こんなことを考えされる不思議な歌が、♪Voyagers♪です。
 心が、のびのびとし、ゆったりともさせ、楽しい気分にさせてくれる歌です。
 一度、じっくり聴いてみてください。

【 答えがない 】
   
  「光市母子殺害事件」の最高裁判決は、死刑と決まりました。
 妻と子を殺された遺族の本村洋さんは、事件以来13年間、裁判を見守り、自らも活動してきました。
 その間、本村さんは、犯人の死刑を望む一方、立ち直りの機会を与えるべきではないかと考えるなど気持ちが揺れ続けました。
 そして、迎えた最高裁判決は、死刑でした。
 判決後、本村さんは、記者会見で、「悩み続けた13年間だった。遺族としては満足だが、決して喜びの感情はない」と語り、「犯人にやり直させるのが正義なのか、悩んできた」が、悩んでも「答えがない」と述べました。
 本村さんは、13年間悩んでも、答えを出せませんでした。
 本村さんは、これからも答えのない問題をかかえて生きねばならないのです。
 思えば、人生に答えがあるでしょうか。
 私たちは、答えがあると思って、日々、答えを見つけ出すため右往左往し、悩み苦しみ続けています。
 そうすることで、答えが見つかると信じているからです。

 結局、人生に答えはないのです。
 答えがないのが、人生です。
 だから、ひたすら愚直に生きる。
 これは、ちょっとしたさとりです。  
                                                合掌

平成23年3月

【 お寺の行事 】

      3月12日(土) 初お講 08:00 お始まり
                     09:00 おとき
                     当番 土肥組

      4月1日(金)~3日(日)の3日間

               祠堂経会
                説教 大橋友啓師(田鶴浜 得源寺住職)
               ※ 期間中、誕生児初参り・帰敬式も行います。

      4月11日(月)  お 講 08:00 お始まり
                      09:00 おとき
                      当番 福島組

                 お誘い合わせてお参り下さい。

【 クイズ浄土真宗 】

 日本人の生活は、仏教と深くかかわっています。そのため、生活の中には、仏教のことばがたくさんあります。
 しかし、本来の意味と違った意味で使われている例が少なくありません。
 たとえば、「入院」「出世」「上品・下品」などは、もともと仏教のことばです。「有頂天」もそうです。
 また、鳩山元首相の発言で問題になった「方便」もそうです。
 鳩山元首相は、「方便」ということばを使った当座は、「ごまかし・めくらまし」ぐらいの意味でしか考えていなかったようです。適切さを欠いた表現だと指摘され、勉強したのでしょう。
後で、「方便とは、正しい真理に導く手がかりのことだ」と釈明しました。
 「うそも方便」という言い方があることから、「方便」は「うそ」のことだと勘違いしている人がいます。
 「方便」は、鳩山元首相の釈明の方が正しい意味なのです。
このように、私たちは、仏教のことばを勘違いして受け取ることで、仏教そのものをも勘違いしていることがないでしょうか。
 『クイズ浄土真宗』(末本弘然著)に、次のようなクイズが載っています。ご自分の仏教理解度を試してみてください。
 答えは、問題の後にあります。

      問題1 念仏は、どんな思いで称えればよいでしょうか?
              ア.仏さまの救いを喜び、感謝の思いで称える。
             イ.仏さまに願いごとが届くよう、心を込めて称える。
             ウ.仏さまのご利益にあずかるよう、大きな声で称える。
      問題2 「他力本願」と言いますが、「他力」とはどんな意味でしょうか?
             ア.他人の力をあてにすること。
             イ.阿弥陀仏さまのお慈悲のはたらき。
             ウ.たなぼた式に自分に向いてくる運のこと。
      問題3 年季法要は、なぜ勤めるのでしょうか?
             ア.亡き人を寂しがらせないため。
             イ.先祖を供養するため。
             ウ.亡き人を縁として仏さまの教えに出会うため。
      問題4 お墓は、なぜ建てるのでしょうか?
             ア.自分が死んだとき入るため。
             イ.先祖を忘れないため。
             ウ.仏さまとなった故人を偲ぶため。
      問題5 除夜の鐘は108撞きます。何の数でしょうか?
             ア.昔の高徳の最高齢者の年齢。
             イ.煩悩。
             ウ.願い事。

                 〔答え〕問題1 ア 問題2 イ 問題3 ウ 問題4 ウ 問題5 イ
   
 結果は、どうだったでしょうか。
 3問以上正解ならば、まずまずでしょう。今後とも、たゆまず仏さまの教えに学んでください。
 正解が2問以下だった方は、がっかりする必要はありません。今からです。思い立ったが吉日で、今からでも間に合います。仏さまの教えとともに生きる生活を心がけていただきたいものです。
そもそも、信仰とは、自分の願いを実現するため、自分の思いをかなえるために神仏を信じるのではありません。自分の思うとおりにならない娑婆であることを、いったん受け入れて、そこから立ち上がろうとする力に動かされて生きることを信心を生きると言います。
 親鸞聖人は、「地獄一定」(じごくいちじょう)とおっしゃいました。自分は、間違いなく地獄住まいの人間だという意味です。「地獄一定」の自覚が、思い通りにならない娑婆を受け入れた姿です。
 「地獄一定」に立つと、見えてくるものがあります。
 それは、「おかげさま」ということです。「おかげさま」の自分であることが分かると、感謝の心が起こります。感謝の心から、力がわいてきます。感謝からわきだした力は、何事にも揺るがない強い力となります。その力は、「地獄一定」の覚悟から起こる力なのです。
仏さまの教えやことばを正しく理解すれば、思い通りにならない娑婆を生きる大きな力になるにちがいありません。

【 諦める 】

 女優で歌手の小泉今日子さん(45歳)が、「毎日かあさん」という映画に主演しています。
 映画は、酒乱の夫に悩まされながら、子育てに奮闘する漫画家の妻を描いています。映画からは、女性の強さが伝わってきます。
 小泉今日子さんは、40歳を過ぎてから、仕事や生きることに覚悟がでてきたと語ります。
 「女は、生理とか子供を産んだりとか、諦めみたいなことが体に組み込まれています。それ自体は大げさにはしないけど、体から突きつけられます。男より諦めることを先に経験しますが、男はいい年にならないと分からない。…40代になって、ここ1、2年、自分が解放されていく感覚、違う言い方をすれば、諦めていくことに納得しています。」と語っています。
 「諦める」とは、もとは「ものごとの真実を明らかにする」という意味です。
 それが、「途中でやめる」という意味に使われるようになりました。
 小泉今日子さんの「覚悟」は、女という事実を「諦める-明らかにする」ことから起こっています。
 女という事実に立つことで、覚悟が芽生える。その覚悟が、女性の強さになり、人間としての強さにつながります。
 女性は強いと言われるのはこのためです。
 「諦める-明らかにする」ことが、実は「さとり」なのです。                                     合掌


平成22年3月

【 お寺の行事 】

     3月8日(月)初 お 講  08:00 お勤め
                    09:00 おとき(当番 福島組)

     4月2日(金)祠堂経会 3日間とも、1時半お始まりです。
        3日(土)祠堂経会 説教・谷内宣雄師(酒見 柳泉寺住職)
        4日(日)祠堂経会 4日は、誕生児初参りも行います。

               お誘い合わせてお参り下さい

  [帰敬式]受式を希望される方を募集しています。

 5月22日(土)、能登教務所で行われる、ご門主親修の「帰敬式」(おか  みそり)受式希望者を募集しています。申込み〆切は、3月末日です。
また、「帰敬式」の翌日に行われる「お待ち受け大会」参加希望者も募集しています。
 ご希望の方は、極應寺までお問い合わせください。

【 赦す 】

 アフリカ大陸の南端に、南アフリカ共和国という国があります。
 この国は、かつてはアパルトヘイト(人種隔離政策)を行っていました。レストラン、ホテル、列車、バス、公園、公衆トイレなどの公共施設、海水浴場まで、白人用と白人以外に区別し、黒人たちの、白人専用の場所への立ち入りを禁止しました。違反した場合は、すぐに逮捕しました。
 さらに、就職、賃金、教育、医療、宗教など、日常生活の隅々にまで、白人と白人でない人たちを差別する政策を執りました。そのため、黒人たちから不満が噴出し、反対運動が各地で頻発しました。政府は、反対運動に加わった者を容赦なく逮捕し、たくさんの人を裁判にかけて死刑にしました。
 このことが、諸外国から批判を受け、経済制裁を受けたことで、南アフリカ共和国は世界から孤立することになりました。
 内外の批判に抗し切れなくなった政府は、やむなくアパルトヘイトを廃止し、全国民による選挙を行いました。その結果、黒人出身のネルソン・マンデラが大統領に選ばれました。ネルソン・マンデラは、南アフリカ共和国初の黒人大統領です。
 黒人出身者が大統領になったことで、黒人を差別し、支配してきた白人たちは、黒人たちの復讐を怖れ、国外に脱出する者が出始めました。また、主導権を握った黒人たちは、白人に対する復讐の機会を狙い始めました。
 この不穏な空気を、いち早く察知したマンデラ大統領は、全国民が人種の違いを超えて仲良くなるにはどうしたらよいか考えました。
「赦す」ことでした。
 白人たちが犯した罪を罰せず、「赦す」。「赦す」ことで、白人たちと和解する。このことが唯一、争わずに、国民を一つにする方法だと考えました。
 しかし、この考えに、黒人たちは素直に納得しませんでした。
 ある日、大統領警護主任のジェイソン(黒人)が大統領執務室にやってきます。
 ジェイソンは、大統領警護員の中に白人のいることを不満に思い、大統領に抗議するため来たのです。白人の警護員は、黒人の大統領を真剣に警護しないだろうと考えからです。

  ジェイソン  ”あの連中は、俺たちを殺そうとした連中です。大勢が殺されました!”

  マンデラ   ”分かっている!でも、ジェイソン。赦しが必要だ。赦しが魂を自由にする。
           赦しこそ、恐れを取り除く最強の武器なのだ。頼む、ジェイソン!”

 こんな会話が、大統領と警護主任のジェイソンの間で交わされます。
 マンデラ大統領は、「赦す」ことで、お互いが武器を捨て、白人を味方につけられると考え、黒人たちを説得しました。
 今、日本は、「赦す」ことのない社会になっています。自分のことを棚に上げて、相手の過ちを徹底的に追及し、過ちを犯した者を立ち上がれないまでにやりこめる風潮が広がっています。
 この風潮が、やりこめられた人が、やりこめた人を逆にやりこめる反発を引き起こし、この繰り返しが人間関係をぎくしゃくさせています。
 マンデラ大統領は、国民のぎくしゃくした関係をなんとかしなければならないと考えました。白人、黒人の対立をなくし、全国民が心を一つにして生きる道を考えたとき、「赦し」ということばが思い浮かんだのです。
 どうして、「赦し」ということばが浮かんだのでしょうか。
 マンデラ大統領は、どちらか一方が有利になるのではなく、肌の色の違いを超えて、すべての国民が一つに集まれる場所はどこかを考えたとき、それは、だれもが心の奥底に持っている「美しい心」だということに思いいたりました。
 「美しい心」に気づくためには、「赦し」がなければならない。「赦す」ことで、「美しい心」に気づくことができることに気づいたのです。
 この気づきは、マンデラ大統領自身が、すでに「赦されてある身」であるという気づきが前提にあります。
 人間には、まったくの善人はいません。誰でも、善人面していても、法律に違反するようなことをしていなくても、心の中に「悪」を抱えています。「悪」を抱えたまま生きて行けるのは、すでに私が「赦されて」ある身だからです。
 「悪」を抱えた私が、すでに「赦されている」のだから、私も「赦さねばならない」。「赦し」「赦される」関係を作り上げるためには、心の奥に潜む「美しい心」を心の奥底から押し出してこなければならない。押し出す力となるのが、「赦す」ことだ。心の底から押し出された「美しい心」を全国民が共有する。
 これが、マンデラ大統領の信念でした。
 仏教では、「赦す」ことを「慈悲」、「美しい心」を「仏性」と説いています。
 今、金沢の映画館で、マンデラ大統領を主人公にした映画が上映されています。タイトルは、「インビクタス」です。

【 感謝 】

 心筋梗塞で手術を受け、乳ガンを患いながら、透析通院のため、病院近くのアパートでひとり暮らしを始めた女性がいます。三つの病気を抱えて生きる女性は、いよいよ人生も終盤にさしかかったと覚悟し、一日が真剣勝負、一日が生涯と心に決めて暮らしています。
 ところが、この生活に悲壮感はありません。
 「感謝」だと言うのです。
 病を持ちながらも、生かしていただいていることに幸せを感じるというのです。
 女性は、これまで命の危機に何度も見舞われながら生還しました。医療の恩恵とともに、それを超えた生きようとするいのちの不思議さを感じています。
 「生かされてあるいのち。」「いただいたいのち。」このことを強く思うとき、授かったいのちを、精一杯輝かせて生きようと決心するのです。
 こんな人がいると、幸せは健康だけにあるのではなく、病にもある。体の状態にあるのではなく、心にあるのだと知らされます。合掌

平成21年3月

【 お寺の行事 】

      3月15日(日) 初お講   勤行 08:00
                        お斎 09:00
                        当番 道辻組

      4月 3日(金)~5日(日)の3日間
               祠堂経会
               説教 芳野広照師(牛ケ首 願行寺住職)
          ※ お始まりは、3日間とも、午後1時半です。
            期間中、帰敬式、誕生会も行います。

         お誘い合わせてお参りください。

【 病気はたまわりもの 】

 今年、66歳を迎えた女優の樹木希林さんは、一時、網膜剥離で左目を失明し、その後、乳ガンの摘出手術を経験しました。
2つの病気をして分かったことは、「病気はたまわりもの」だということでした。
 樹木希林さんは、18歳のとき、女優としてスタートしました。テレビドラマの「時間ですよ!」や「寺内貫太郎一家」などで活躍しました。
 若いころから、老け役が得意でした。「寺内貫太郎一家」では、主役の小林亜星さんより10歳も年下なのに、小林亜星さんの母親役を演じました。以来、老け役が、当たり役となりました。出演したドラマや映画では、脇役ながら、個性的な演技で、主役をしのぐ演技力を発揮します。また、ピップエレキバンやフジカラーのコマーシャルにも出演し、お茶の間の人気者となりました。樹木希林さんは、お茶目な一面を見せたり、おっとりした風貌からの演技が売りです。しかし、演技そのものに関しては厳しい人のようです。自分にも厳しく、共演者にも妥協を許さない厳しさを要求し、共演の若手女優を泣かしてしまうこともあったようです。
 30歳の時、音楽家として活動していた内田裕也さんと結婚しました。内田裕也さんは、ロックミュージックを得意とし、昭和35年ごろから、日本のロックミュージックの中心的存在として活躍しました。1女に恵まれましたが、2人が同居したのはわずか2年足らずで、その後は別居生活になりました。2人とも、芸能人です。すれ違いの多い生活でした。お互いを理解する時間を持てないまま、別々に住むことになりました。
 別居生活6年ほど経ったとき、内田裕也さんが、独断で離婚届を役所に提出しました。夫の勝手な行動を許せなかった樹木希林さんは、離婚無効の裁判を起こしました。裁判の途中、裁判官から、「あんなに分かれたがっているのだから、分かれてあげなさいよ!」と諭されたこともありました。それでも、頑として離婚を承知しませんでした。裁判に勝ち、離婚は無効となりました。結果、戸籍はもとに戻りましたが、2人の別居生活は続きました。
 その間に、1人娘の也哉子さんが結婚しました。相手は、本木雅弘さんです。映画「おくりびと」でアカデミー賞を獲得した、あの本木雅弘さんです。
そんな慶事をよそに、60歳のとき網膜剥離で左目を失明しました。担当医から手術するように言われましたが、手術しませんでした。そのときのコメントが、「今まで色々なものが見えすぎた!」という達観したものでした。これまでの、熱く燃え、がむしゃらに突っ走り、そして勇み足も多かった俳優人生が反省させられたのでしょう。その後、左目の視力は少し回復しましたが、十分ではありません。
 その2年後、62歳のときです。網膜剥離に追い打ちをかけるように、乳ガンが見つかりました。不安を感じて、摘出手術を受けました。
 連続して2つの病気を経験したことで、「死」を意識するようになりました。今まで、遠いものと思っていた死が身近に迫っている、他人事と思っていた死が自分のものになりつつあることを実感するようになりました。死を身近に感じると、これまで持ったことのなかった、「今を大事にしたい」という感情が涌き出てきました。
 そのとき、夫の内田裕也さんに謝ろうと思い立ちました。夫を恨んで死ぬのは良心が許さない、夫婦の問題を残したままでは死ねない、離婚問題を起こす原因となったであろう、ほったらかしにしたことを謝ろうと決心しました。
 友人を介して食事の席を設け、内田裕也さんに謝りました。そのときは、内田裕也さんから一言もありませんでした。その後、2人はちょくちょく会うようになり、今では、2人で旅行にも行くようになりました。
 30年あまりの、夫婦の長い闘いは終わりました。
 樹木希林さんは、「死に向けて行う作業は、おわびですね。謝るのはお金がかからないし、謝ったら、すっきりするしね。ガンはありがたい病気よ! 周囲の人も真剣に向き合ってくれるから。そういう意味で、ガンはおもしろいんですよね!」とか、「病気によって、いろんなよじれが見えてきて、人生が変わる。病気はたまわりものだと思っています!」とも語ります。
 私たちは、病気をたまわりものだとは考えません。病気は災難だと考えます。やっかいものだとも考えています。また、私たちは、歳をとることは、みじめだと考えます。死は、終わりだとも考えています。
 樹木希林さんは、病気をしたことで、夫婦の真実に出会いました。その出会いによって、病気を「たまわりもの」と引き受けました。
そうすると、歳をとることはみじめではなく、死は終わりでないという受け止め方もできるはずです。歳を取れば、人生の深い智慧に出会い、それを蓄える楽しみがあります。また、死は、映画「おくりびと」で、火葬場の職員を演じた笹野高史さんが言ったせりふ、「死は門だ。次のシーンへの旅立ちの門だ!」という受け止め方があることに気づきます。
 私たちは、ほんとうのもの、大切なものを見失っています。
 樹木希林さんにとって、ほんとうのもの、大切なものに出会うきっかけ、縁となったのが、病気でした。病気を縁として、真実に出会いました。
 だから、誰もが嫌う病気を、「たまわりもの」だと断言できるのです。

【 たまごかけご飯 】

 岡山県の美咲町は、「たまごかけご飯」の専門店をオープンしました。町内に、西日本最大級の養鶏場があることから、町おこしの一環として始めた事業です。ご飯・たまご・みそ汁・つけものセットを300円で売り出したところ、これが大当たり。休日ともなると、行列ができ、1時間以上待たねばならないほどの盛況だそうです。「たまごかけご飯」の店は、全国に広まりつつあります。和歌山県や島根県では、たまごかけご飯専用の醤油を販売しています。
 食べる物の貧しかった時代、たまごかけご飯は、ぜいたくな食事でした。たまごは、菜食の多かった日本人が、動物性蛋白を摂取する貴重な食べ物でした。
 それが、日本の高度経済成長とともに、いつの間にか忘れられていきました。日本人は、豊富な食べ物が手に入ることで、美食を好むようになったのです。それと同時に、たまごかけご飯は、貧しかった時代を象徴する食べ物となりました。
 その「たまごかけご飯」が注目を集めています。
 美味いものを食べすぎて飽食した反動でしょうか。また、近年の健康食ブームによるものでしょうか。はたまた、手軽に作れて、栄養も適度に摂れる簡便性が受けている理由なのかも知れません。
 米は日本で生産できます。卵も自給できます。世界的に食糧事情が悪化する中、自国で生産した食べ物で自給自足できれば、諸外国との間に煩瑣な問題も起こりません。経済的にも地球環境的にも、エコな省エネ生活が送れます。
 ちなみに、10月30日が、「たまごかけごはんの日」だそうです。  合掌

平成20年3月

【 お寺の行事 】


   3月23日(日) 初お講  お勤め 8時
                 おとき 9時  当番 谷口組 

   4月 4日(金)~6日(日)の3日間
            祠堂経会 説教 矢口千代麿師(末吉 光念寺住職)
                 お始まり 午後1時30分(3日間とも)
        ※ 6日は誕生児の初参りも勤めます。
        ※ 帰敬式(お髪そり)受式を希望される方はご連絡ください。

           お誘い合わせて、お参りください。


【 生涯現役、臨終定年 】

 
 臨済宗妙心寺派の僧である松原泰道さんは、100歳を迎えた今でも、本を書いたり、説法や講演に出かけるなど、現役生活を元気に続けておられます。
 松原泰道さんのモットーは、「生涯現役、臨終定年」です。
松原さんにとって現役とは、僧侶の仕事をすることです。僧侶の仕事を死ぬ直前まで続けることが「生涯現役、臨終定年」です。現在は、本を書いたり、説法や講演に出かけることができます。やがて、体が動かなくなり、声も出なくなってしまう時が来るでしょう。そうなっても、何らかの形で仏さまの教えを伝える活動を続け、命を全うしたいと願っています。
 そのためには、「心の受信装置を敏感にしておく」ことが大事だと言います。どんなことにも、好奇心を持って生きるということでしょう。また、「人生は途中で終わるもの」だから、「日々ベストを尽くし」、「人間の力の及ばないことは大いなるものにお任せする」という潔い人生観も持っておられます。「人間の力の及ばないこと」とは、「死」でしょう。松原さんは、「死」がやってきたら、迷わず「大いなるもの」、つまり仏さまにお任せし、それまでは、現役生活を続けたいと考えているのです。
 この人生観に至るまでに、松原さんには、若い頃から座右の銘としてきたことばがありました。それは「おいあくま」です。「おいあくま」とは、頭文字をつなげたことばです。「おこるな・いばるな・あせるな・くさるな・まけるな」の頭文字5文字をつなげて「おいあくま」です。「おこる」のは、健康によくありません。「いばる」のは、大したことのない自分をさらけ出すことです。「あせる」のは、事故のもとです。「くさる」のは、心まで腐らせてしまいます。「まける」のは、前向きに生きようとする気持ちの芽を摘んでしまいます。松原さんは、負けても、負けても、負けない心を持ち続けました。その結果として、常に「心の受信装置」の感度を上げ、「及ばないもの」は「お任せする」という人生観を確立しました。
 では、100歳になった松原さんは、今、何に「まけるな」と思っているのでしょうか。それは「自分にまけるな」ではないでしょうか。
 松原さんは、衰えゆく体力、衰えゆく気力と向き合いながら、「生涯現役、臨終定年」の人生を貫こうとしています。


【 貧者のパン 】

 昨年は、食品の偽装問題。今年になって、中国産ギョウザの農薬混入問題が発生し、食に対する不信感が一層高まっています。
 日本は、昭和30年代までは、食物の自給率が80%でした。それから50年経った今、主要な食物の自給率が45%にまで落ち込みました。日本人は、食べ物の半分以上を外国に頼っています。
 現在、石油の値上がりで、いろいろなものが連鎖的に値上がりしています。食品も値上がりしています。食品の値上がりは、異状気象や世界の人口増加と深い関係があります。やがて、食べ物の増産が、人口の増加に追いつけない時代が来ると言われています。その時、食べ物の取り合いになります。その兆候は、すでに現れています。大豆や小麦、とうもろこしなどは、軒並み値上がりし、日本は、米は100%自給しているものの、小麦は14%しか自給できていません。大豆にいたっては、3%しか自給できません。日本人は大金を持って、外国へ小麦や大豆を買い付けに行かねばならないのです。
 やがて春の農作業が始まります。畑に、まっさきに植えられるのはジャガイモでしょう。ジャガイモは、「貧者のパン」と言われてきました。南アメリカのアンデス山脈が原産のジャガイモは、ヨーロッパに伝わり、ヨーロッパからアジアへ、アジアから日本へ伝えられました。この過程の中で、ジャガイモは、何度も何度も人類の命の危機を救ってきました。食べるものが無くなったとき、人間はジャガイモを食べて生き延びたのです。
 食べ物は、人間の命を育てます。自給自足することで、取り合いという無用な争いも無くしてくれます。


【 往生際 】

 海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」との衝突から、半月が過ぎようとしています。清徳丸の船長、吉清治夫さんと息子の哲大さん親子は、依然として行方不明のままです。
 この衝突事故で、自衛隊側と漁民側の対応の違いが際だちました。
 漁民たちは、事故から1週間後、「浦終い」(うらじまい)という行事を行って、2人の捜索を打ち切りました。
 一方、国会では、漁船と衝突した経過や原因、事故の責任の所在について議論が続いています。国会の議論について思うことは、責任のなすりつけ合いをしていることです。誰も、責任を取る発言をしません。のらりくらりと、自分の責任をかわし、他の人に責任があると言わんばかりの他人事のような話しをしていることです。 そんな中、「なだしお」の艦長が、行方不明になっている清徳丸の家族を訪れて謝罪しました。謝罪を受けた清徳丸側は、「十分な誠意を見せてもらった。気持ちの整理もついた」とか「言いたいことはたくさんあったが、ずっと頭を上げずに謝罪されると、こちらも責める気持ちがなくなった」と、寛容な態度を示しました。
 これとは逆に、謝罪後に会見した艦長は、「監督責任を含めた全体の責任が私にある」と言いつつ、「通常の指導の中で、特に大きな問題はなかったと思っている」などと、開き直りとも聞こえる発言をしました。
 この両者の違いは、どこから来るのでしょうか。そして、漁民たちが、悲しみの中でも寛容になれるのはどうしてでしょうか。
 「板子一枚下は地獄」という危険な海で、命をかけて生きる漁民たちは、辛さや悲しみを知り尽くしています。辛さや悲しみを知り尽くしているがゆえに、寛容になれるのではないでしょうか。
 命をかけねばならないのは、自衛隊のほうなのですが。    合掌


平成19年3月

【お寺の行事】

     3月 4日(日) お 講 8時お始まり 当番 谷川組

      4月 6日(金)
          7日(土) 祠堂経会 説教 大橋友啓師
         8日(日)   (田鶴浜 得源寺住職)
          ※  8日は、誕生児初参りも行います。
              また、期間中、帰敬式(お髪そり)も行います。帰敬式ご希望の方はご一報ください。

♪ あゝ上野駅 ♪

 昭和三十年代後半から四十年代にかけて活躍した「井沢八郎」という歌手を覚えておられるでしょうか。「あゝ上野駅」や「北海の満月」などを歌って、一世を風靡した青森県出身の歌手です。その井沢さんが、1月に亡くなりました。
 井沢さんには、数々のヒット曲があります。中でも、♪どこかに故郷の香りをのせて、入る列車のなつかしさ♪ 上野は俺らの心の駅だ…♪ という歌詞で始まる「あゝ上野駅」は、当時、金の卵と言われ、田舎から東京へ集団就職した子どもたちの応援歌にもなりました。
 集団就職した子どもたちは、休みの日になると、よく上野駅へでかけました。古里からの上り列車や、汽笛を鳴らして古里へ下って行く列車を見るためです。上野駅は、東北や北陸から来る上り列車の終着駅であり、故郷へ向かう下り列車の始発駅でもありました。冬には、屋根に雪を積んだ汽車が上野駅のホームに入ってきます。その雪を見るたび、故郷を思い、古里にいる父や母、そして兄弟姉妹のことを思いました。  
 休みのたびに、 あまりにも大勢の子どもたちが上野駅へやってくるので、駅長さんは井沢八郎さんに電話しました。 「上野駅で歌って欲しい」と。井沢さんは、二つ返事で駅長さんの申し出 を引き受け、集団就職 した子どもたちの前で 「あゝ上野駅」を歌い ました。井沢さんも、 志を抱いて青森から東京に出てきた青年のひとりでした。したがって、「あゝ上野駅」は、井沢さん自身の応援歌でもあったわけです。
 そして、その後、「あゝ上野駅」は、井沢さんの人生の心の歌ともなりました。
 ある年の年末、歌手として成功しつつある井沢さんのもとへ、青森の父が上京してきました。父は、「年を越す金がないから、三十万円貸してくれないか」と、井沢さんに頼みました。しかし井沢さんは、年が明けたら青森でコンサートをする、それまで待って欲しいと言って貸しませんでした。
 父は、むなしく青森へ帰って行きました。
 年が明けて、井沢さんが、東京で歌の仕事をしているとき、突然、父が死んだという知らせが入りました。聞けば、父は、青森の街中に貼ってある井沢さんのコンサートを知らせるポスターが、吹雪で剥がれるのを心配して、ご飯をつぶして作った糊でポスターを貼り直して歩き回っている最中、脳卒中で倒れたということでした。これを聞いた井沢さんの胸は、父の願いに応えてやらなかった後悔の念で張り裂けんばかりになり、目から涙があふれ出しました。涙をこらえてステージに立った井沢さんは、「あゝ上野駅」を歌いました。歌の途中、とっさに思いついて、歌と歌との間にせりふを入れました。それは、「今度の休みには必ず帰るから、お父さんお母さん、それまで元気で待っていてくれよ」という内容のせりふでした。このせりふ入りの「あゝ上野駅」を歌った井沢さんは、これまでのせりふのない「あゝ上野駅」を録音し直して、せりふ入りの新しいレコードを作りました。
 井沢さんは、「あゝ上野駅」を歌い続けました。歌うたびに、せりふがあり、せりふを言うとき、かならず、青森の吹雪の中をポスターを貼り直して歩き回っている父の姿が、心によみがえりました。
 父の姿を心に浮かべて歌い続けた井沢さんは、やがて、NHKの紅白歌合戦に出場する歌手にまで成長しました。
 井沢さんの父親は、井沢さんの心の中で生き続けました。そして、井沢さんに力を与え続けました。井沢さんは心の中の父に励まされて、歌手生活を続けたのでありました。
 「念仏の生活」とは、私の心の中に生き続ける方々の純粋な心を思い念じ、その方々の願いに応える生き方をするということでもあります。

【 殉 職 】

 東京都板橋区にある「ときわ台駅」で、線路に入って自殺しようとした女性を助けるため線路内に入った警察官が、列車にはねられて死亡しました。「殉職」であります。殉職とは、仕事中、自分の任務を全うしようとして命を落とすことであります。例えば、犯人を追った警察官が、犯人に刺されて命を落とすということがあります。また、災害で出動したレスキュー隊員が、災害に巻き込まれて命を落とすという場合もあります。殉職とは、「公」のために働いて命を落とすことであります。
 私たちは、誰でも「公」としての立場と「私」という2つの立場を持っています。「公」とは社会の中の私であり、「私」とは私生活のことであり、家庭生活を営む私であります。
 私たちは、この2つの狭間で苦しむということがあるのではないでしょうか。どちらかに力を入れ過ぎると、片方の立場が悪くなります。家庭を守ろうとすれば仕事がおろそかになり、仕事を優先すれば家庭がおろそかになり、どちらを選ぶか決断を迫られるという板挟みの苦しい立場に立たされることがあります。
 殉職した宮本邦彦巡査にも家族がありました。あのとき、宮本巡査は、家族のことを思わなかったのでしょうか。家族のことを思えば、線路内に入ることなく、「戻れ!」と声をかけるだけだったでしょう。しかし、線路内に入らざるをえませんでした。たくさんの人が見ていましたが、みな「私」の立場の人たちばかりであり、「公」の立場にいたのは宮本邦彦巡査だけでした。そして、誰も宮本邦彦巡査が線路内に入ることを止めませんでした。
 踏切にある発煙筒を焚いて列車を止める方法もあったでしょう。また、駅のホームに設置してある列車非常停止ボタンを押すという方法も考えられたはずです。  しかし、宮本邦彦巡査は、これらの方法を用いることなく線路内に入りました。そして、大勢の人が見ていたにもかかわらず、だれひとり、発煙筒を焚いたり、非常ボタンを押すこともありませんでした。
 宮本邦彦巡査の殉職は、いろいろな問題を私たちに投げかけています。「公」と「私」の狭間にある個人の生き方と責任、社会の協力と社会の責任など、現代人の在り方を問い直す必要を訴えているように思います。     合掌


平成18年3月


【 行事の予定 】  

    3月12日(日) 初 お 講    当番 石川組
                        8時 おつとめ・法話
                       9時 おとき
   3月31日(金) 祠堂経会   13時30分
               説教 谷内宣雄師 柳泉寺住職
   4月 1日(土) 祠堂経会   13時30分
   4月 2日(日) 誕生児初参り・帰敬式
                       9時00分
              客殿・門徒会館落慶法要
                       10時00分
        お誘いあわせてお参りください。


【 不遇を生きる おわり 】

 あるお父さんがいます。
 息子さんが26歳で亡くなりました。跡取り息子でした。
息子さんは、高校を卒業してから、金沢へ出て、加賀友禅の絵付け職人になるための修行をしていました。かなりの所まで腕を上げ、もう少し辛抱すれば一人前の職人になれるというところで、体調を崩して入院しました。
 診断の結果、白血病だと分かりました。
 息子さんは療養のため帰省し、地元の病院に転院しました。
 しかし、息子さんの病気は、改善のきざしが見えません。
 あと1ヶ月の命と診断した医師は、外泊を許可しました。
 久しぶりに自宅に帰った息子さんは、お父さんに頼みました。
 「父ちゃん、オラのためにお経を読んでくれ。」
 それを聞いたお父さんは、驚きあわてました。
 「お経」ということばに不吉なものを感じるとともに、「お経を読んでくれ。」という息子の唐突な申し出にうろたえたからです。お父さんは、お経など読んだことがありませんでした。
 息子さんの申し出は、息子さんの状態を考えれば、察しがつきます。無下にできません。お父さんは、息子さんを仏間に連れて行き、仏壇に向かって、読んだこともないお経を、冷や汗をかきながら、息子のために必死に読みました。
 ようやく読み終えたお父さんに向かって、息子さんは、
 「父ちゃん、ありがとう。」
と言って、病院に帰りました。
 まもなくして、息子さんは亡くなりました。
 小さな男の子1人と奥さんが遺こりました。
 覚悟のこととはいえ、お父さんの落胆ぶりは、言い表しようのないものでした。頼りにしていた跡取り息子が、親より先に亡くなるという逆縁(親が子の死を弔うこと)の憂き目に遭ったからです。お父さんは、毎日、仏壇に向かってお経を読みました。そして、お寺参りをしたり、各地の法座に出かけて、仏さまの教えに耳を傾けるようになりました。
 やがて、お父さんの心に変化が訪れます。
 「俺が、こうして仏法を聞きに出かけられるのも、そしてお経を読めるようになったのも息子のお陰だ。」
 「いい息子だった。」
と思うまでになりました。
 今、お父さんは可愛いお孫さんを一人前に育て上げるために、懸命に頑張っておられます。

 このお父さんは、逆縁という辛い現実に遭わねばならない自分の運命を恨んだことと思います。そして、「なぜ息子が?」とか「なぜオレだけが?」という疑念が頭から離れず、暗い日々を送ったことが察せられます。お父さんは、心が晴れないまま、仏さまの教えを聞くようになりました。最初は、不公平な現実を何とかしてほしいとか、息子を亡くした償いを仏さまにお願いするような気持があったかも知れません。しかし、仏さまの教えは、お父さんの気持ちに応えてくれるものではありませんでした。仏さまは、他人と自分を比べて、不幸だとか幸福だとか言っていたら、いつまで経っても、幸不幸の悪循環から抜けだせないから、まず自分が置かれた現実にしっかりと向き合って立ち、その現実を受け入れることから始めなさいと説きました。
 この教えによって、これまで外に向いていたお父さんの心の目が、自分の内側に向くようになりました。
 このことが、お父さんの転機となりました。
お父さんは、目が内側に向いたことで、今まで気付かなかった新しいことに気付き始めました。それは、新鮮なできごとでした。
 そのひとつが、「いい息子だった。」と思うようになったことです。
 親の面倒をみることなく、親の恩に報いることなく、親より先に死ぬわけですから、普通ならば、「親不孝」となるところです。しかし、お父さんは、そうはなりませんでした。逆縁を契機として開かれた新しい生き方から見た息子は、「いい息子だった。」からであります。
 「仏法不思議」と言いますが、お父さんのような生き方の切り替えは、不思議としか言いようがありません。これまでとは、何の脈絡もない逆方向に生き方が変わり、そのことで人生が新しくなるわけですから、その不思議は、理屈では説明できないものがあります。このことを「不可称不可説」とも言います。
 この「仏法不思議」を体験した人たちが、「南無阿弥陀仏 阿弥陀仏」と念仏を称えて、その心の喜びを表してきました。
 そして、お父さんの生き方の切り替えは、不遇を不遇でないものに転化する変化でもありました。さらに、お父さんは生き方を替えることで、今までは持たなかった、人生を強く生きる力をも備えることとなりました。
結局、「不遇を生きる」とは、不遇を不遇でないものに切り替えて生きることであります。それは、心のスイッチを切り替えることで可能になります。心のスイッチの切り替えは、切り替える前は、至難の技に見えますが、切り替えてしまえば、簡単なことだったと思い知らされます。
 そして、私たちは、心のスイッチに手をかけておりながら、押すかどうか迷っているのではないでしょうか。 合掌



平成17年3月

【お寺の行事】 

   3月 4日(金)祠堂経会 13時30分
       5日(土)祠堂経会 13時30分
        6日(日)初 参 会(誕生児の初参り) 13時15分
            祠堂経会 14時00分 │
         ※ 帰敬式(お髪剃り)受式希望の方は、お知らせください。
            祠堂経会の期間中に執り行います。

      なお、説教は芳野広照師(願行寺住職)にお願いしました。

         お誘い合わせてお参りください。

【 悪人正機 】

 二軒の家がありました。一軒は、家族皆仲良く暮らしています。もう一軒は、ケンカばかりしています。親子ゲンカ、夫婦ゲンカ、兄弟ゲンカが絶えません。そこで、ケンカばかりしている家の主人が、ケンカのない家を訪ねて、「家族皆が仲良くできる秘訣を教えてくれ。」と言いました。ケンカのない家の主人は、「いや、別に秘訣なんかない。わが家は皆悪人ばかりだから。強いて言えば、これが秘訣かな。」と答えました。ケンカの絶えない家の主人には、何のことかさっぱり分かりません。納得できないまま家に帰りました。
 数日して、ケンカのない家で、なにやら騒ぎが起こったようです。ケンカの絶えない家の主人は、「はてな? 隣の家でもケンカすることがあるのかな?どれどれ、どんなようすか見てやろう。」と言って隣の家へ行きました。そして、隣の家の主人に聞いたところ、飼っている馬が餌をくれないことに腹を立て、怒って厩を飛び出し、母屋へ飛び込んで暴れたとのことで、家の中が散々に散らかっています。
 ケンカのない家の主人は、家族に謝っています。「すまん。すまん。俺が悪かった。山仕事で疲れて帰って、馬に飼い葉をやるのを忘れてしまったんだ。」と言うと、奥さんが、「わたしが悪いんです。家事にかまけて、誰かが飼い葉をやったんだろうと思って気にもしませんでした。」と言いました。すると、家の奥から出てきたお婆さんが、「いやいや。わしが悪かった。お前たちに全部まかせっきりで、何の心配もしなかった。わしが悪い。済まんこっちゃった。」と言うと、畑仕事から帰った息子が、「ぼくが悪いんだ。ぼくが、将来、この家を切り盛りしていかなければならないのに、家のことに目配りできず、知らず知らずのうちに親を頼っていた。この僕こそ悪いんです。」と言っています。
 このようすを見たケンカの絶えない家の主人は、ようやく分かりました。先日訪ねたとき、ケンカのない家の主人が、「この家は、悪人ばかりだ。」と答えた意味が分かりました。ケンカの絶えない家の主人は、「なるほど。そうか。そういうことだったのか。悪人正機とはこのことか。」と納得して帰りました。
 この話で、もしケンカの絶えない家の誰かが家族を非難して、「お前が悪いから、馬が暴れたんだ。」と言えば、「それならば、そう言うお前さまこそどうなんですか?」と反論されます。そのことが、ケンカの原因になります。お互いに、自分のことは後回しにして、相手を非難ばかりしていると、ケンカが絶えません。ケンカばかりしている隣の家は、お互いに非難し合っているから、ケンカが絶えないのです。誰かが、「自分が悪かった。」と言って謝り、他の人も、「俺が悪かった。」と言い、家族皆が「済まぬ。済まぬ。」と謝っていれば、ケンカは起こりません。そこに、家族が仲良くして暮らせる秘訣があります。一人だけ謝ったのでは、ケンカになります。皆が、「申し訳ない。」という気持ちを持てば、争いは起こるにも起こりようがありません。
 ところで、皆さんは、ご自分を「善人」と思っていらっしゃるでしょうか、「悪人」と思っていらっしゃるでしょうか。
 もし、「善人」だと思っていらっしゃるのなら、当分の間、覚ることも救われることも、その見込みはありません。それとは反対に、「悪人」だと思っていらっしゃるのなら、「悪人」と思った瞬間すでに救われています。
 親鸞聖人は、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。」とおっしゃいました。「善人さえ往生するのだから、悪人は言うまでもなく往生できるのだよ。」という教えです。変な言い方だと思われるかも知れませんが、親鸞聖人のおっしゃる「善人」とは、「ひとへに賢善精進の相をほかにしめして、うちには虚仮をいだけるものか。」という人です。つまり、善人とは、外づらは善人を装っていますが、心の中にはやましいものを抱えているというのです。そして、親鸞聖人のおっしゃる「悪人」とは、「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねにしづみつねに流転して出離の縁あることなき身と知る。」人のことです。「私は、罪深い人生を歩むつまらない人間であって、これまでずっと迷いさまよい続けてきた身であります。さらに、未来においても覚ることもなく救われる見込みもない人間であります。」という自覚を持った人のことです。 
 人間は、もともと親鸞聖人の言われるとおり「悪人」であります。外づらばかり体裁良くて、心の中は真っ黒です。それに気づかず、他人のことを「悪人だ。悪人だ。」と言って非難しているところに、救われがたいものがあります。そして、「悪人だ。悪人だ。悪人ばかりだ。」と言い合いながら、ケンカばかりしているのが人間の現実です。そして、そのことが殺し合いにまで発展したのが戦争であります。
 しかし、人間は「智慧」を持っています。そして、「仏性」という仏さまの萌芽も持っています。このふたつは、すべての人々に平等に与えられた恵みであります。
 現代という時代は、不況とかリストラだとか、暗い状況ばかりです。こういう時こそ、「仏性」と「智慧」に目を向けるべきであります。その方向に目を向けた人たちが、新しい生き方を発見します。
 最近、「社会的責任」ということが言われるようになってきました。自分だけが潤い豊かにさえなれば、他人はどうなってもよいという考えが、これまでの考え方でした。他人のことなどどうでもよい、追いつけ負けるなという時代でした。ところが、マイナス傾向の強い時代になってくると、自分だけと考えてばかりはおれません。同じ時代を生きる人間は、ともに助け合ってこの難局を乗り越えねばならないのではないかという連帯意識が芽生えてきました。見ず知らずの人であっても、他人が困っているのは、自分にも責任があるのではないかという責任意識の芽生えです。犯罪が起こるのは、自分には関係ないことだけれど、同じ時代を生きる人間として、自分にも何らかの責任があるのではないかという罪悪感の芽生えです。
 中越地震では、多くのボランティアが駆けつけました。そして、スマトラ島沖地震では、日本の海運会社が採算を度外視して無償で救援物資を運びました。
 このことが、「社会的責任を果たす」ということであります。「社会的責任」ということを多くの人が感じるようになれば、親鸞聖人の言われる「悪人」の自覚が深まり、暗い時代にも明かりがともるような気がします。  合掌

平成16年3月

 サービス業関係の会社の新人社員研修で、講師が、新入社員に必ず話す挿話があるそうです。この挿話は、東京ディズニーランドで本当にあった話だそうです。

 ある日、東京ディズニーランドのレストランへ若い夫婦連れが入ってきて「お子さまランチ」を2つ注文しました。
  店員・「お子さまランチは、大人には出していません。」
  若夫婦・「私たちは、子どもを連れてディズニーランドへ遊びに来ることが夢で      した。しかし、その子は病気で亡くなりました。夢がかないませんで      した。今日は、その子の命日なので、いっしょにディズニーランドへ      遊びに行くつもりで出かけてきました。そして、その子といっしょに      食事をするつもりで、お子さまランチを注文しました。」
この話を聞いた店員は驚いて、
  店員・「そのようなことならば、上の者と相談します。」
と言って、あわてて上司のところへ行って伺いを立てました。
  上司・「すぐ、お出ししなさい。」
若夫婦のテーブルに戻った店員は、先ほどの非礼をわびて、お子さまランチ2つを若夫婦のテーブルへ運んだあと、4歳の子供用椅子を出して若夫婦の席の間に並べました。そして、
  店員・「ごいっしょにお召し上がりください。」
と、若夫婦に言いました。


 子を失った親の悲しみは、経験のない者には分かりません。この若夫婦は、今は亡き子と同じ時間を過ごして楽しみたいと思い立って、東京ディズニーランドへ出かけることにしました。しかし、ディズニーランドへ行けば、たくさんの子どもたちが来ているはずです。その子たちを見て、亡くなった自分の子のことを思い出して悲しい気持ちになるのなら、ディズニーランドへ行くこと自体がむなしいことです。しかし、この若夫婦には、そのことは気になりませんでした。そういう心の段階は、すでに超えていたのでしょう。昼になり、一軒のレストランへ入ったところから、この挿話が始まります。そして、若夫婦の、亡きわが子と同じ時間を過ごして食事を楽しみたいという思いと、レストラン側のお客さんの気持ちになってサービスに努めようとする接客の心が共鳴して、うるわしい挿話が生まれることとなりました。
 この挿話が人々の心を打つのは、客の思いと店員の思いが共鳴し合って、難問が見事に解決されたところにあります。レストランに来た客と、店員の、心と心の感応が、ひとつの清らかな心の世界を作り上げました。
 このような清らかな心の世界のことを、「お浄土」と言います。
 「お浄土」は、仏さまの心で作られた世界です。仏教には、「三世因果」という考え方があります。「三世」とは、過去・現在・未来の3つの次元のことです。前世・現世・来世と言うこともあります。この3つの次元は、因果の関係でつながっていると考えるのが「三世因果」の考え方です。過ぎ去ったことなどは、どうでもよいということではありません。また、まだ始まっていないことなど考える必要はない、先のことなどどうなっても関係ないということでもありません。そして、「因果」とは原因と結果ということです。何かの原因があれば、それにともなう何らかの結果が生まれます。善い行い(善因)には、善い結果としての報い(善果)が生まれ、悪い行い(悪因)には、悪い結果としての報い(悪果)が生まれます。このことを「善因善果、悪因悪果」と言い、「因果応報」などとも言います。このような法則があることを考えれば、三世はそれぞれ断絶した時間ではなく、お互いが深い関係で結ばれていることが分かります。したがって、「三世因果」とは、現在だけを大切にするのではなく、過去も未来も、現在と同等に大切にする考え方です。
 亡くなった子とともにディズニーランドへ出かけた若夫婦は、仏教の「三世思想」を知っていたのかどうか分かりませんが、過去を過ぎ去ったものとせず、過去と現在を、連続した同一次元で考える「三世思想」を生きているように思えます。また、過去と現在と未来の深い関係や連続性が見通せているようにも見えます。さらに、子に先立たれるという重い運命を引き受けて、強く明るく生きようとする前向きな姿勢さえ感じさせます。「三世思想」に立って生きるということは、このようなことなのです。
 そして、若夫婦の難問に応えたレストランの店員の対応も見事でした。
 仏さまの心のことを「大悲」と言いますが、「同体の大悲」と言う場合もあります。
仏さまは、いつも私たちの苦しみをご自身の苦しみとして同感してくださっています。衆生が悲しいときには、いっしょに悲しんでやろう、衆生がつらいときにも、いっしょに苦しんでやろうとされるのが仏さまの「大悲」のお心です。もちろん、衆生の喜びは、仏さまの喜びでもあります。そして仏さまは、生きることに苦しみもがく衆生を何とかして救ってやりたいといつも思っておられます。私たちの心に、常に寄り添っていてくださる仏さまの思いやりの心のことを、「同体の大悲」と言います。
 レストランの店員は、仏さまの「同体の大悲」の心で若夫婦の注文に応えました。
若夫婦の仏さまの心と、レストランの店員の仏さまの心と、仏と仏の心と心の感応が、目には見えない清らかな精神世界を作り上げました。この精神世界には、感激があり、喜びがあり、満足があり、安心があり、信頼があり、共感があります。
 親鸞聖人は、信仰の心を表現するとき、「…一念慶喜するひとは 往生かならずさだまりぬ」(『浄土和讃』)のように「慶喜」とか「歓喜」ということばを使っておられます。「慶」「歓」「喜」は、ともに「よろこぶ」という意味です。
 信仰には、「よろこび」がともないます。その「よろこび」は、欲しい物が手に入ったというたぐいの「よろこび」ではありません。親鸞聖人は、ご著書の『一念多念文意』の中で、「歓喜」を説明して、「歓は身をよろこばしむるなり、喜は心をよろこばしむるなり」と述べています。信仰の「よろこび」は、身も心も、全身全霊を喜ばせる「よろこび」であります。そのことを「踊躍歓喜」とも言います。身も心も、躍り上がるような喜びのことです。この「よろこび」は、仏さまの心と出会わなければ起こるものではありません。

 東京ディズニーランドであったこの挿話は、「人をもてなす心とは何か」ということを、新入社員に教えるための教訓として話されるそうですが、仏さまの教えは、お寺にだけあるのではなく、在家の生活の中にあることをしみじみと思わせられた挿話でありました。                        合掌


             3月28日(日)お講 お勤め 午前8時 当番 土肥さん組
                          おとき 午前9時 

            春の「お彼岸」は、3月17日(水)からの一週間です。
            お彼岸には、家族そろってお墓参りにお出かけ下さい。

            4月2日(金)・3日(土)・4日(日)の3日間は「祠堂経会」を勤修します。

                          お誘い合わせてお参りください。


平成15年3月

 先日、NHKテレビの「人間ドキュメント」という番組に、靴下を販売する兵庫県の63歳になる会社の社長さんが登場しました。丁稚奉公からたたき上げて、一代で作り上げた会社は、近年安い中国製の靴下に押されて業績が伸びません。そこで、販売担当者を集めて会議を開きました。販売員は、こぞって「見た目のよい売れる靴下を売りたい。」と主張しました。この意見は、社長を納得させるものではありませんでした。社長は、「地味でも履き心地のよい靴下を売りたい。」と考えていました。社長は、社員との気持ちが離れてしまっていたことに気づきました。このことに激怒した社長は、涙を流して自分の意見をまくし立て、会議の席を立ちました。
 この時から、安い中国製に対抗する「履き心地のよい靴下」の開発に向けて、社長さんの再挑戦が始まりました。そして、インタビューに答えた社長さんは、「おれは今まで社長になってしもうとったんや。靴下屋やゆうこと忘れとった。もういっぺん、やったんねん。」と社員との衝突で、これまでうぬぼれていた自分に気づき、初心に帰ることができたその意気込みを語りました。
 私たちは、誰でも心に「真実」と「欲望」を持ち、ともすれば欲望に引きずられて欲望を満たすために色々なことをしながら生きています。そのため、色々な理屈をつけて欲望を塗り固めて体裁を飾ろうとします。その一つが「肩書き」というものでしょう。肩書きに惑わされ、欲望とともに塗り固められてしまった「真実」も見えなくなってしまっていたのが社長さんでした。このことに社長さんが気づいたわけです。それが「もういっぺん、やったんねん。」ということばになりました。
 親鸞聖人は、その著『歎異抄』で、「よろずのこと、みなもって、そらごとたわごとまことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします。」と説きました。聖人は、名誉や利益に戸惑うことは「そらごとたわごと」であり、「まこと」のことではないと説き、「念仏」だけが「まこと」であると断言しました。
 では、「まこと」である「念仏」とは何でしょうか。それは、社長さんにとってみれば、丁稚奉公時代に持っていたはずの「初心」です。「履き心地の良い靴下を売って、お客さんに喜んでもらいたい。」という「まこと」の心です。この心に、はっきりと目覚めた社長さんは、63歳にして初めて念仏の世界・「まこと」の世界に心を向けることができました。がむしゃらに生きた丁稚時代には、気づかなかった心の大転換でした。   合掌!

                      3月16日(日) お 講  お始まり 午前8時
                                      おとき     9時
                                      当番   谷口さん組
 
                   皆さまお誘い合わせてお参りください。