12月のおたより

2023(令和5)12月

【 お寺の行事 】

     12月 3日(日) 若衆報恩講  午前

     12月31日(日) 除夜の鐘 午後1時から撞き始めます。
                    今年1年の煩悩を撞き飛ばしてください。

      1月 1日(祝) 修正会 午前7時。
                    1年最初のお参りです。         
                    お参りの皆さんと一緒にお勤めをします。
                    そのあと、参詣記念写真を撮ります。
                    他、年酒など…
  
      1月 7日(日)役員会  午前10時。
                    役員会のあと、お参り。その後、懇親会。
                    懇親会は、どなたでも参加できます。

            みなさま、お誘い合わせてお参りください。

【 愛語 】

 12月8日は、お釈迦さまがさとりを開いた日です。
 禅宗のお寺では、修行僧が、この日に向けて、1週間の座禅修行をします。
 禅宗と言えば曹洞宗の道元禅師。
 道元禅師に「愛語」の教えがあります。
 「愛語」とは、やさしいことば、思いやりのあることばという意味です。

     愛語ヨク廻天ノ力(ちから)アルコトヲ學スベキナリ

 道元禅師は、愛語には人間を大きく成長させる力があることを知るべきだと教えています。

 たとえば、歌手の森進一さんは、♪おふくろさん♪を歌っています。
 この歌を作詞したのは、川内康範(1920~2008)さんです。
 川内康範さんは、函館の日蓮宗の小さなお寺に生まれました。
 収入の少ないお寺だったので、お母さんは針仕事して6人の子どもを育てました。
 お母さんは、檀家の人がお参りに来てお供えした果物やお菓子などをリュックサックに入れて、子どもの康範さんを連れて街に出ました。
 当時、街には、ホームレスの人がたくさんいました。
 お母さんは、リュックから供え物を出して、ホームレスの人たちにあげました。
 お母さんから、

    お前もあげて来なさい!

と言われて、康範さんは手伝いました。
 何回も、やっているうちに川内さんに疑問が起こってきました。 
 ある日、その疑問をお母さんにぶつけてみました。

    あの人たちは、働きもしないで、ただ物乞いだけしている!
    あんな生き方は、卑怯だ!
 
 お母さんは、

    世の中には、やむを得ず、ああいう生き方をしなければならない人がいる。
    お前は、大きくなったら、人に幸せをあげられるようになりなさい。
    弱い人の力になってくれるなら、お母さんはうれしいよ!

とやさしく諭してくれました。
 その母の「愛語」の教えを、

      ♪…お前もいつかは 世の中の
       傘になれよと 教えてくれた
       あなたのあなたの真実
       忘れはしない〜♪

と歌に読み込みました。
 やがて、川内康範さんは、脚本家として、作詞家として成功します。

 道元禅師は、愛語とは慈愛(いつくしみの愛)のこころから顧愛(心からの愛)のことばとなって出て来るのだと教えています。

【 紅白 】
                        
 年末のNHK紅白歌合戦の出場者が決まりました。
 以前と違って、アルファベット表記の名前が多く、歌も顔も知らない人が多くなりました。
 ある雑誌社が、「出場しなくてもいい【紅組歌手】は?」という意地悪なアンケートをしました。
 その結果、

       1位 ano
       2位 LE SSERAFIM
       3位 伊藤蘭
       4位 新しい学校のリーダーズ
       5位 天童よしみ

という結果が出たそうです。
 天童よしみさんは、28回目の出場となる大ベテランです。
 50数年にわたる演歌一筋の長い芸能生活とその実績が認められて、出場回数を増やしてきました。
 他の4組のうち3組は初出場ですが、それぞれ下積みの苦労を重ねて掴んだ晴れの舞台です。
 芸能界の裏側は、一般の人には見えません。
 今年は、芸能界の裏側が世間を騒がせた年でした。
 ジャーニーズ問題、宝塚歌劇団員の自殺など、芸能界の過酷な実態が明らかになりました。
 現在、放送中の朝ドラ「ブギウギ」のモデル笠置シズ子さんも何やかやと紆余曲折を経て、「ブキの女王」と言われるまでになりました。

 仏教では、すぐれた念仏者を蓮の花にたとえて、妙好華(みょうこうげ)と言います。
 蓮は、泥の中から咲きだして美しい花を咲かせ、芳しい香りを周りに漂わせます。

 芸能人は、蓮の花に似ています。
 見る人に希望を与える華やかな舞台でも、根っこは蓮と同じく泥の中なのです。
 厳しい世界なのです。

    ともかくも あれやこれやで 年の暮れ           合掌
 


2022(令和4)年12月

 【 お寺の行事 】

     12月 4日(日) 若衆報恩講  午後

     12月31日(土) 除夜の鐘 午後1時から撞き始めます。
                       今年1年の煩悩を撞き飛ばしてください。

      1月 1日(祝) 修正会 午前7時。
                   1年最初のお参りです。         
                   お参りの皆さんと一緒にお勤めをします。
                   そのあと、参詣記念写真を撮ります。
                   他、年酒など…

      1月 8日(日)役員会  午前10時。
                     例年行っている新年会は、コロナ感染がふたたび増加傾向にありますので、
                    まだまだ油断できません。
                     新年会は取り止め、役員会のみ行います。

 [東本願寺団体参拝参加者募集]

  東本願寺では、翌3月から4月にかけて、

       親鸞聖人誕生850年・立教開宗800年慶讃法要

 が厳修されます。
  第三山方組では、4月22日(土)、23日(日)、2日間の日程で団体参拝を計画しています。
  当寺の割り当ては、2名です。
  旅程には、東本願寺参拝のほか、よしもと新喜劇の鑑賞も含まれています。
  希望される方は、極應寺までお知らせください。


【 山のあなた 】

 かつて、上方落語に桂枝雀という落語家がいました。
 桂枝雀は、「山のあなた」という落語を語りました。
 落語のネタに使ったのは、ドイツの詩人カールプッセが詠んだ詩を日本語に翻訳した「山のあなた」という詩です。

    山のあなたの 空遠く
    「幸い」住むと 人のいう
    噫(ああ)われひとと 尋(と)めゆきて
    涙さしぐみ かえりきぬ
    山のあなたに なお遠く
    「幸い」住むと 人のいう             

 誰でも「幸い」−幸福に関心があります。
 この詩は、幸福はどこにあるかを詠んでいます。
 桂枝雀は、この詩をネタにして、幸福の在処を語りました。

 話は、ピクニックにでかけた都会のサラリーマンが峠茶屋のお婆さんと話するところから始まります。

   サラ…  ここは、気持ちのいいところやな!
         ところで、「山のあなたの空遠くさいわい住むと人の言う」と言うけれど、
         やっぱり「さいわい」は、こんなところにあるんやろな?

   お婆さん   あ、「さいわい」ですか、おりますおりますですよ!

   サラ…   「おる」って、どこにおるんや?

   お婆さん   ハイ、向こうの峠を越えた原っぱにおりますですよ! カールプッセ

   サラ…   おります、おりますって生き物みたいやな!
          いったい、どんなもんやねん?

   お婆さん   どんなもんて、一口には言えません。ふわふわしたもんです。
            私、「さいわい」捕まえました!

   サラ…   捕まえたって、捕まえたときはどんな気持ちやった?

   お婆さん   そうですね、お天道さまがおられますですね。それで山生きとられます。
           木も生きとられます。鳥たちも生きとられます。虫たちも生きとられます。
           そして私も生きとるのですちゅことですね!
            そのことが有り難いことじゃなちゅうようなことですかね!

   サラ…   ああ、そうか!
          それにしても、とてものことではないが、わし等のようなものには、そんな気持ちになれんな!
          無理な話やな!
          ま、あきらめて帰るわ!

   お婆さん   いやいや、あきらめることはありませんですよ。
           あなたさまが帰られました町にも、「さいわい」はおりますから!

   サラ…   お婆さん、馬鹿なこと言いなさんな。
          昔から言うでしょう。
          『山のあなたの空遠く、「幸い」住むと人のいう』ちゅうて、
          「さいわい」は「山のあなたの空遠く」にしかおらへんねん!

    お婆さん   いや、そんなことはありませんです!
             「山のあなたの空遠く」からあなたさまの町を見れば、あなたさまのおられます町が、
            「山のあなたの空遠く」ですけねえ!   

と「落ち」を付けて落語が終わります。

 今、日本は、先進国の中で最も幸福感のない国だと言われています。
 日本は、世界幸福度ランキングによれば、156カ国・地域中50位台にあります。
 世界第三位の経済大国でありながら、どうして国民の幸福度が低いのでしょうか。
 その原因は、日本人の心の持ち方にあるようです。
 第八代蓮如上人は、

    仏法をあるじとし、世間を客人とせよ

と教えましたが、私たちは、その反対です。
 「世間をあるじとし、仏法を客人としている」ために、「さいわい」は、はるか「山のあなた」にしかないと思ってしまい、我が手の中にある我が身に寄り添ってくれている「さいわい」に気づかないからです。
                                                   合掌


2021(令和3)年12月

 【 お寺の行事 】

     12月 5日(日)若衆講 午後3時。

     12月31日(金)除夜の鐘  午後1時から撞き始めます。
                       今年1年の煩悩を撞き飛ばしてください。

     1月 1日(祝)修正会 午前7時。
                   1年最初のお参りです。            
                   お参りの皆さんと一緒にお勤めをします。
                   そのあと、参詣記念写真を撮ります。
                   他、年酒など…

     1月 9日(日)役員会  午前10時。
                    例年行っている新年会は、コロナ感染が収まって いるとはいえ、
                   まだまだ油断できません。
                    新年会は、取り 止め、役員会のみ行います。


【 御崇敬円成 】

 多くの皆さんのお力によって、御崇敬を勤めることができました。

 31日の最後の高座に登られた廣陵兼純さんは、次のように語って高座を降りられました。

 …縁あって御崇敬にお参りなされ、先達の方々のご苦労の話は聞かせていただいた、その命が私の所へ流れておるとするならば、もう一遍ふり返って手合わせて親先祖はどんなにかご苦労なされ、その命を私が受け継いでおるとするならば、今日一日の生活の中で、「申し訳がない。何もすることのできない身であった。申し訳ない!」と念々称名常懺悔、謝り謝り念仏の相続が肝要かと頂戴させてもらって終わらせていただくことだが、また皆さんと会うご縁はないかも知れないけれど、手を合わせて、苦しいこともあるだろうし、寂しいこともあるだろうし、その時には、しみじみと手を合わせて、「南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!」と念仏を称えて欲しいというのが、ご当流のおいわれかと思うことです。…

 廣陵さんは、「…また皆さんと会うご縁はないかも知れないけれど、…」と語りました。
 縁といえば、48年前、極應寺で御崇敬が勤まりました。
 200年に一回しか回って来ないはずの御崇敬が、半世紀を経て回ってくるとは、まさにご縁としか思えません。

 ひとつの物事は、原因があって、ある条件(縁)が揃ったことで起こります。
 原因があっても、条件がなければ起こりません。
 また、条件があっても、原因がなければ、やはり起こりません。
 原因と条件が揃ってはじめて物事が成就(円成)します。
 成就(円成)は、一人の力でどうこうできるものでもありません。

 富来町に「縁(えにし)」というセレモニー館があります。
 死ぬということも、ひとつの原因があったとしても、さまざまな条件(縁)が揃わねば死ねません。
 さまざまな条件は、自分ひとりのはからいを超えています。
 自分を超えた条件が集まって命が全うされます。
 全うした命は、人生を成就(円成)した姿と言えるでしょう。
 日本人は、昔から、命終えた人の姿を、人生を完成した姿と受け止めて、亡き人とのご縁を深く思い、

     南無阿弥陀仏! 南無阿弥陀仏!…

と手を合わせて念仏を称えてきました。

【 開戦の日 】

 12月8 日は、先の大戦が始まった日です。
 今から80年前のことです。
 4年後の8月15日、終戦となりました。
 現在、終戦の日は記念式典が催されたり、マスコミも大々的に報道しますが、開戦の日はさほどでもありません。
 カレンダーにも、記載されないことが多いようです。
 どちらも大事な日です。
                       
 今年は、東京を主会場としてオリンピックが開かれました。
 期間中、お盆のころの新聞に、

   …今、「平和の祭典」「平和の祭典」と騒がれているが、
        この平和は誰のお陰なのか、それを忘れたら、
            ただ口先だけの平和で終わってしまう。…

と書いてありました。
 戦争の犠牲になった人、戦後の混乱の中から日本を復興発展させてくれた先人たちの犠牲と努力のお陰で、現在の平和があります。

 このことを忘れたら、人間はおごり高ぶり傲慢になってしまいます。

                                              合掌

2020(令和2)年12月

 【 お寺の行事 】

     12月      若衆報恩講 ※ コロナ禍のため、今年は休止します。
      
     12月31日(木)除夜の鐘 ※ 午後1時から撞き始めます。
               今年1年の煩悩を撞き飛ばしてください。

      1月 1日(祝)修正会   ※ 1年最初のお参りです。
               午前7時    お参りの皆さんと一緒に年始めのお勤めをします。
                        そのあと、記念写真を撮ります。
                        他、年酒など…

      1月10日(日)役員会 ※ コロナ予防のため、例年行っていた新年会は取り止めます。
               午前10時

【 妙好人 】     

 12月8日は、お釈迦さまがさとりを開かれた日です。

 禅宗のお寺では、この日に向けて、「臘八接心(ろうはちせっしん)」という座禅修行をします。 

 私たち真宗では、修行らしい修行はありません。
 それでは、ないのかというと、そうでもありません。
 あることはあります。
 あることはありますが、修行の場所はお寺ではありません。
 日々の生活の場が、修行道場です。
 世間の生活をしながら、お釈迦さまと同じさとりを 開くことを目指します。
 これが真宗の修行です。

 島田洋七さんというタレントがいます。

 かつて、漫才ブームに火を点け、ブームの先駆者として人気を博した人です。
 島田洋七さんは、『佐賀のがばいばあちゃん』という本を書きました。
 子供の頃、親と離れて、佐賀に住むお婆ちゃんと暮らしたときのエピソードが書かれてあります。

 洋七さんのお婆ちゃんは貧乏でしたが、たいへん信心深い人でした。

 毎朝・毎晩、お仏壇にお参りして、念仏。
 鍋釜洗っている時でも、念仏。
 道を歩いていても、念仏。
 お婆ちゃんは、一日中、

    南無阿弥陀仏! 南無阿弥陀仏!…

と念仏を称えていました。

 お婆ちゃんの家の前には、細い川が流れています。
 その川に、木を一本渡してあります。
 その木に、上流から流れてきた木切れや木っ端クズが引っかかります。
 お婆ちゃんは、それを拾ってきて、乾かして薪にします。
 そして、

    燃料費はタダ。川も綺麗になる。一石二鳥や!

と言います。
 ときには、川に渡してある木に、野菜が引っかかるときがあります。
 上流に市場があって、売り物にならない野菜を川に捨てるのです。

 二股の大根、曲がった胡瓜、形の悪い南瓜、キャベツや白菜のはっ葉など…。

 それらも、お婆ちゃんは拾ってきます。
 そして、言います。

    二股の大根でも、輪切りにして煮込めば一緒!
    曲がったキュウリも、刻んで塩で揉んだら同じ!

 まったく気にしません。

 こんなことから、お婆ちゃんは、家の前の川のことを「スーパーマーケット」と呼びます。
 ときには、川を覗いても、何も引っかかっていないことがあります。
 そんな時は、

    今日は、スーパーは休みか!

と言って帰って来ます。

 あるとき、ゲタの片方が流れてきて引っかかりました。
 洋七さんが拾って、薪にしようと思って割ろうとしていると、

    ちょっと、二三日待ちなさい!
    じきに、もう片方流れてくるから!

と言います。
 二三日経ったら、本当にもう片方流れてきました。
 お婆ちゃん曰わく、

    片方無くしてしまった人は、しばらくは諦めきれないけれど、二三日した   ら諦めて、もう片方を川に捨てる。
    そしたら、家の前で、一足揃うことになる!

 島田洋七さんは、こんなお婆ちゃんの智恵には驚かされたと書いています。  

 お婆ちゃんは、世間の常識にまったくこだわりません。
 それでいて、道に外れたことをしているわけでもありません。
 悪いことをしているのでもありません。
 誰にも迷惑かけません。
 それでいて、人助けしているような生き方です。

 洋七さんのお婆ちゃんは、人間社会という修行道場でさとったさとりの智慧を持っていました。
 こんな人のことを、仏教では「妙好人」と言います。
 世間のことばで言えば、人生の達人ということになります。     合掌!

令和元年12月

【 お寺の行事 】

     12月 8日(日) 若衆報恩講 午後 

     12月31日(火) 除夜の鐘 1回目 午後12時30分から
                       2回目 午後11時45分から
                二回撞きます。
                今年1年の煩悩を撞き飛ばしてください。 

      1月 1日(祝) 修正会 午前7時
                年頭のお参りです。
                参詣者一同で年初めのお勤めをします。
                そのあと、記念写真を撮ります。

      1月12日(日) 役員会 午前10時
                新年講 午前11時
                懇親会 正午 
                女性の方もご参加ください。お家に余っている日用品を、皆で持ち寄り、食事しながら、ビンゴゲームを               楽しみます。
                   参加費1,000円。

                         お誘い合わせてお参り下さい。

【 自利利他円満 】

 自分のためにしていることが、人のためになっているということがあります。

 名古屋に、小児科・内科の個人病院を営む 丹羽 是(すなお)医師がいます。
 丹羽先生は、医師であり、仏教の教えを大切にされている念仏者でもあります。
 診察室には、「法語カレンダー」や仏像が飾ってあり、待合室にも仏教書が置いてあります。

 冬のある日、診察室で聴診器をストーブにかざしたり、自分の頬に当ててみたりして、聴診器の温もりを加減していました。
 そこへ、中年の女性が診察に入ってきました。

    女性 先生、すんませんな。聴診器温めてもらって!

    丹羽  いやいや、これは、あんたのためじゃない。
         私のためなんじゃ!

    女性  ヘェー、私のためかと思いましたが?  

    丹羽  そうなんじゃ。
         患者さんには、そう見えるかもしれんけど、実は、私のためなんじゃ!

    女性  はぁ。どうしてですか?

    丹羽  こう寒くなってくると、どれだけ部屋を暖かくしていても、聴診器は冷たい。
         冷たい聴診器を患者さんに当てると、ヒャッとして体が固まってしまう。
         そうすると、ワシが病気見落とし誤診して、ヤブ医者の評判が高くなる。
         そうならんためにしていることじゃ。
         ま、こうすりゃ、あんたも暖かいし、ワシも誤診せずにすむ。
         一挙両得ということかな!

    女性  ヘェー、そうでしたか。それにしても有り難うございます!

 このことがあったあと、丹羽先生は、

    そうか。仏教で言う「自利利他円満」とは、一挙両得のことを言うのか!

と思い当たりました。

 自分のためにしたことが、人のためにもなっていたのです。
 このことは、丹羽医師にかぎらず誰にでもあることです。

 たとえば、クリスマスシーズンになると、家をイルミネーションで飾る人がいます。設計図まで書いて、多額のお金をかけて電飾を揃えます。
 その労力は、1日で終わるものではありません。
 「我が家を華麗に豪華に飾りたい! そして、人にほめてもらいたい!」思いに駆られてのことですが、見返りはひとつもありません。
 せいぜい、「綺麗ですね!」と言ってもらう程度でしょう。

 しかし、電飾の家は、一時的ではありますが、近所の名所になります。
 評判を聞いた人が、遠くからでも見に来ます。
 見た人は、「きれい!きれい!」と言って感動し、また来年も見に来ます。

 電飾の家は、飾った人も見に来た人も満足させます。
 このことも「自利利他円満」と言います。

 また、家の前の花壇に花を咲かせることもそうです。
 花を植えることは、その人の趣味ですることですが、花を見た人の心を慰めます。

 さらに、仕事も同じです。
 仕事をすることは、家族を養うため、我が身のためです。
 生活するためです。
 しかし、自分がした仕事で誰かが助かっている、誰かが喜んでいるということがあります。
 我が生活を立てるためにしたことが、誰かの役に立っているのです。
 
 幕末から明治にかけて、「因幡の源左」と言われた妙好人がいました。
 妙好人とは、すぐれた念仏者のことです。
 あるとき、源左が牢屋に繋がれた人を拝みました。

   源左さん。どうして、あんな人を拝むんじゃ?

と尋ねられた源左は、

   オラ、牢屋に入っている人を見ると、拝まにゃおられん。
   この源左はまこと悪い人間じゃが、牢屋に繋がれずにおれるのは、あの人たちが、オラの身代わりになって、「悪いことすりゃ、こうなるぞ」という姿を見せてくれているからじゃ。
   そう思えゃ、拝まずにはおられん!

と答えました。
 牢屋に繋がれた罪人も、人のためになっているのです。
 罪人は、牢屋に繋がれたことを、やがては自分のためであったと気づくときが来るでしょうが、自分のためにもなり、人のためにもなっていることならば、それが、どんなことであろうとも、「仏さまのご用を務めている」ことになります。
                                                               合掌


平成30年12月

 【 お寺の行事 】

  12月 9日(日) 若衆報恩講 午後 

  12月31日(月) 除夜の鐘 午後11時45分

   1月 1日(祝) 修正会 午前7時

   1月13日(日) 役員会 午前10時

            新年講 午前11時 
             女性の方もご参加ください。
             お家に余っている日用品を、お持ち寄りください。
             皆さんと、食事しながら、ビンゴゲームを楽しみたいと思います。
             参加費1,000円。

       お誘い合わせてお参り下さい。

【 阿留辺幾夜宇和(あるべきようは) 】

 京都、西北の山間に高山寺というお寺があります。
今から、800年くらい前、明恵上人という徳の高いお坊さんが住んでいました。

 明恵上人は、

   人は、阿留辺幾夜宇和の七文字を持(たも)つべきなり。

と弟子たちを諭し、

   僧は僧のあるべき様、俗は俗のあるべき様なり。
   …このあるべき様を背く故に、一切悪きなり。

と教えました。

 人には、それぞれ、その人のあるべき望ましい姿があります。
 お坊さんなら、お坊さんのあるべき姿、在家の人ならば、在家の人としてのあるべき姿があります。
 このあるべき姿を忘れると、世の中が乱れてしまうから、阿留辺幾夜宇和の七文字を、決して忘れてはいけないという戒めです。

 たとえば、皆さんのお家には、仏壇があります。
 仏壇は、極楽浄土を形にしたものです。
 お家にある仏壇は、極楽浄土が、形になって、皆さんのお家に来てくださった姿です。
 阿弥陀仏も、極楽浄土とともに来て下さっています。
 したがって、仏壇のある生活は、阿弥陀仏と共住まいの生活を意味します。
 そんな家に住んでおりながら、家の中で、ゴタゴタもめていたら、阿弥陀仏と共住まいの阿留辺幾夜宇和−あるべき家庭の姿になっていないことになります。

 親鸞聖人のお師匠さんは、法然上人です。
 法然上人は、明恵上人のことばから一歩踏み込んだ発言をされました。

   …現世のすぐべき様は、念仏の申されん様にすぐべし。
   念仏のさまたげになりぬべくば、何なりともいといすてて、これをとどむべし。…

 上人は、念仏を称えられるような生き方をせよと教えました。

 たとえば、念仏称えながら、夫婦喧嘩している人はいません。
 口喧嘩は、口の中から、斧や鎌のような、人の心を傷つける恐ろしいことばが次々と出てきますが、念仏は出て来ません。
 念仏の出て来ない夫婦の在り方は、夫婦の阿留辺幾夜宇和−あるべき姿になっていません。
 また、念仏称えながらご飯を食べている人もいないのです。
 このため、日本人は、食べ残しを、ドンドン捨てて、反省もありません。
 念仏も申さず、手を合わせ合掌もせずに食べる食事は、食事の阿留辺幾夜宇和−あるべき姿になっていません。

 ある人が言いました。

    家の爺ちゃんは、念仏称えながら、ションベンしとったじゃ!

 ションベンの出ることまで、念仏のタネになる。
 法然上人は、こういう生活をせよと教えられたのです。
  
【 念仏を買う 】

 昔、権兵衛という50歳過ぎの男が、殺生を生業として暮らしていました。
 この歳まで、念仏を称えたことは、ただの1回もありません。
 近所のお年寄りに、「それでは、極楽往生は無理だ。今からでも、念仏を称えよ!」
と意見されて、念仏を称えることにしました。
 けれど、50歳過ぎてから、念仏称えても、多寡が知れているから、極楽往生の土産にならないと考えた権兵衛は、念仏を買いに行くことにしました。
 まず、円輪寺を訪ねて、

   権兵衛  念仏を買いたいが、いくらで売るか?
   僧侶   百文で8つじゃ!
   権兵衛  では、買おう!

 代金を払って、今度は、誓願寺へ行き、

   権兵衛  念仏を買いたいが、いくらで売るか?
   僧侶   百文で3つじゃ!
   権兵衛  円輪寺では、百文で8つじゃったが?
   僧侶   あっちは駄念仏で、こっちは上念仏じゃ!

と答えたという話が、昔の本の中にあります。

 念仏を売り買いすることが、実際にあったとは思えませんが、称える念仏に、上下があると考えたことはあったようです。

 しかし、親鸞聖人は、念仏に、上下があるとは考えませんでした。
 称える人に、貴賤上下、老若男女の違いはあっても、称える念仏に違いはありません。
 そのわけは、「南無阿弥陀仏」は、阿弥陀仏の「念仏称える衆生を助ける!」という約束のことばだからです。

 念仏は、数や中味が問題なのではありません。 
 ただ、称えればよいのです。  合掌

平成29年12月

【 お寺の行事 】


     12月10日(日)若衆報恩講 午後

     12月31日(日)除夜の鐘 午後11時45分から

      1月 1日(祝)修正会 午前7時

      1月 7日(日)役員会、新年講
 
              お誘い合わせてお参り下さい。

【 ままならぬ 】

  年の暮れとなりました。

 皆さんにとって、今年はどんな年だったでしょうか。

 鎌倉時代の吉田兼好は、『徒然草』で、

   日々に過ぎゆくさま、かねて思ひつるには似ず。一年の中もかくの如し。一生の間もまたしかり。…

と、世の中は思い通りにならず、人の一生も同じだと書いています。

 たとえば、何かしようと思っていたら、別の用事ができたり、約束していた人に用事ができて会えず、会いたくない人が訪ねてきたりなど、世の中は、自分の都合のいいようにはなりません。
 また、明治の文豪、夏目漱石は、『草枕』の冒頭に、

   …智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。…

と書きました。
 そして、現代。
 島倉千代子は、♪このよの花♪で、

      ♪想うひとには 嫁がれず
      想わぬひとの 言うまま気まま…♪

と歌いました。また、植木等の♪スーダラ節♪には、

      ♪ねらった大穴 見事にはずれ
       頭カッと来て 最終レース
       気がつきゃ ボーナスァ 
       すっからかんのカラカラ…♪

の歌詞があります。

    ・明日は晴れて欲しいと思っても、雨になったり、
    ・憎まれっ子が世にはびこり、良い子は目立たず、
    ・お金は、要る人には回らず、有り余る人に集まり、
    ・美人は薄命で、バカは風邪一つひかず、
    ・桜の花が咲けば、春の嵐が吹き散らし、

とかく、いつの時代も、渡る世間はままなりません。

 昔、ご飯は、薪で炊きました。
 上手に炊けば、美味しく炊き上がります。

    とかく浮世はままならぬ  ままになるのは米ばかり

 しかし、下手な炊き方をすると、黒焦げになったり、半熟になったりします。

    ままにならぬとお櫃(ひつ)を投げりゃ  そこらあたりがままだらけ

 「思うとおりにならん、ならん!」のお櫃を投げ出してしまえば、「そのままで良い」道が開けてくるという教えです。
 そこで、一句、

    ともかくも あなたまかせの 年の暮れ     一茶

 「あなた」に任せて、気ままな年の暮れ。
 「あなた」とは、阿弥陀仏のことです。

 どうぞ、良いお年をお迎えください。

【 氷が溶けると… 】

 小学校三年生の女の子が、学校の理科のテストで、

    氷がとけると □ になる。

という穴埋め問題の □ に「春」と書き入れました。
 結果は、×でした。
 答えは、理科の試験ですから「水」です。
 女の子は、テストを家に持ち帰って、お母さんに見せました。
 お母さんは、

    あんたは、学校で何を勉強しているの!
    先生が教えてくれることを真面目に聞いていなさい!

と叱りました。 
 しかし、お婆ちゃんは、

    この子は、心の優しい子だ!

と褒めてくれました。
 お婆ちゃんは、女の子の文学的才能を認めてくれたのです。

 仏教では、

   …煩悩のこおりとけ すなわち □□ のみずとなる…

と説いています。
 □ には、漢字一字ずつ入ります。
 ヒントは、「煩悩」と対になることばです。
                               合掌


平成28年12月

 【 お寺の行事 】

      12月11日(日) 若衆報恩講 午後3時ごろから

          31日(土) 除夜の鐘  午後11時45分から

       1月 1日(祝) 修正会   午前7時から
                  1年最初のお参り。お勤め、年酒。

       1月 8日(日) 新年講   午前11時から
                  お勤め、懇親会。10時から役員会を行います。

                    皆さん、お揃いでお参り下さい。

【 年の暮れ 】

 今年も、残すところ、あと1ケ月となりました。

 ある年の暮れ。長屋で暮らす熊さんが、向かいの家の障子が破れたままになっているのを眺めながら、

   向かいの家は、あのまま正月を迎えるつもりか。
   ひどいものだ!

とつぶやきながら、自分の家の障子の破れ目から見ていたという話があります。

 人間というものは、人のことは、よく見えますが、案外、自分のことは見えていません。
 このことから、「人の振り見て我が振り直せ」ということわざがあるにもかかわらず、「我が振り」を直すことが忘れられがちになってしまいます。

 昔は、鬢つけ油や灯りに使う油を売り歩く商売(上図)がありました。
 やかんのような容器に油を入れて、油を量り売りしました。
 この商売は、大正・昭和になってもありました。

 村山熊太という人が、東京に住んだとき、伊豆大島から、椿油を売りに来た女性がいました。
 女性は、油を量りながら、念仏を称えました。
 村山熊太さんは、

   何と、ありがたい油屋じゃのう!

と言うと、女性は、

   だんな様は、お浄土をもっていらっしゃいますか?

と問い返されて、大いに反省したということです。
 村山熊太さんは、仏教を研究した人で、その著書の中に、越前の国の弥平という人のことも書いています。

 弥平さんは、麹(こうじ)を売り歩いていました。
 注文した人が、留守であっても、きちんと秤って置いていきました。
 弥平さんは、麹を秤るとき、いつも口癖のように念仏を称え、

   見てごさる!見てござる!

と言いました。
 不審に思った人が、

   それは、何のことか?

と尋ねると、

   お恥ずかしながら、麹を秤るとき、つい煩悩が出ますので、如来さまが見てごさると、自分から戒めたのであります! 

と答えました。

 この話を書いた村山熊太さんは、「油屋といい、麹屋といい、量目をごまかそうと思えば、いくらでもごまかせるのに、心が浄土に通う人には、犯しがたい尊厳さがある」と結んでいます。

 念仏には、いろいろな念仏があります。
 死んだら、いい所へ行きたいと思って、念仏を称える人もいます。
 あるいは、人から、「あの人は信心者だ!」とほめられたいために、念仏する人もいます。
 また、感謝の心から出てくる念仏もあります。

 この感謝の念仏が、浄土真宗の念仏です。
 しかしながら、『正信偈』の中に「難中之難無過斯」とあるように、感謝の念仏は、なかなか出て来ません。
 それというのも、私たちは、我が身のことを忘れて、人のことばかり見ているからです。
 我が身を戒める念仏。
 この念仏があってはじめて、感謝の念仏が出てくるのです。

 色々なことがあったこの1年。
 「我が振り」を戒めて、感謝の心で終わりたいものです。

【 北風と太陽 】

 イソップ寓話に「北風と太陽」という話があります。
 北風と太陽が、旅人のコートを脱がせる競争をして、太陽が勝ったという話です。
 イソップは、話の最後を、「言って聞かせるほうが、無理強いするよりも、ききめが多いことがしばしばある」と結んでいます。

 後年、ラ・フォンテーヌは、この話を「太陽と北風」という話に書き直しました。
 話の内容は、だいたい同じで、太陽の勝ちになります。
 違うところは、最後の結びです。
 ラ・フォンテーヌは、「徳は力にまさる」と結びました。

 「寓話」とは、教訓を含んだたとえ話のことです。
 「寓話」から、どんな教訓を学ぶか、読む人によって違いがあります。

 「徳は力にまさる」という教訓は、できれば、そうあって欲しいと願われますが、いつの時代でも、力が「徳」を押さえつけてきた人間の「業」の深さが思われます。

 これから、寒い季節となります。
 「かぜ」には、くれぐれもご用心!  合掌

平成27年12月

 【 お寺の行事 】

       12月 6日(日) 若衆報恩講 午後

           31日(木) 除夜の鐘  午後11時45分から

        1月 1日(祝)  修正会   午前7時

           10日(日) 役員会    午前10時
                  新年講    午前11時(その後、懇親会)

             皆さん、お揃いでお参り下さい。

♪琵琶湖周航の歌♪  

 極應寺の前坊守は、現在96歳です。 
 週2回、デイサービスに通っています。
 デイサービスから帰ってくると、デイサービスであったことを、よく話します。

 ある日、こんな話をしてくれました。

    デイサービス利用者で、「毎日することがない、することがない!」と言いながら、
    嫁の悪口や家族の不満を言っている人が多い。
    そこで、私が言ってあげた。
    私ゃ、することがないということはない。何もすることがなければ、歌を歌っている。
    ♪琵琶湖周航の歌♪。
    そう言うと、利用者の人は、「私ゃ、歌なんか知らんから、そんなことできん!」  と言いながら、
    相変わらず悪口を言い、愚痴をこぼしている!

 ♪琵琶湖周航の歌♪は、前坊守の十八番で、戦前、弟から教えてもらった歌だそうです。
 昭和15、6年ごろ、僧侶の資格を取るため、京都の専修学院に学んだ弟は、その頃、京都で流行っていた歌を覚えて帰ってきました。
 京都から帰った弟は、

    姉さん、歌教えてやる!

と、紙に歌詞を書いて教えてくれたのが、♪琵琶湖周航の歌♪だったと言います。
 前坊守は、

    この歌は、四高(現金沢大学)漕艇部の学生が、琵琶湖で遭難死したこと悼んで作られた歌だ!

と言いますが、思い違いがあるようです。
 そのことは、どうであれ、前坊守には、♪琵琶湖周航の歌♪は、遭難死した学生を悼む歌であり、弟に教えてもらった歌なのです。

 歌を教えてくれた弟は、その後、出征して、昭和19年12月20日、ニューギニアのサルミで戦死しました。
 せっかく取った僧侶の資格が、生かされることはありませんでした。

 この話を聞いて思ったことが、2つあります。

 ひとつは、「人間には、出来ることや、することがなくなることはない」ということです。
 体が、思うようにならず、不自由な生活になっても、できることはあります。
 頭で考えたり、歌を歌ったりすることができます。

 もうひとつは、「年を取ると、過去も現在も未来もなくなり、すべて現在になる」ということです。
 ♪琵琶湖周航の歌♪を歌っているときの前坊守には、歌を教えてくれた弟は過去の人ではありません。
 今、目の前に弟がいて、紙に歌詞を書いてくれているのです。
 その弟は、戦死しました。
 戦死しましたが、今も、心の中に生きています。
 このことは、亡き父母を思ってみても、同じことでしょう。
 亡き父母は、今も目の前に一緒にいます。

 過去も未来もない、すべて現在なのです。
 人は、こういう心になれたとき、穏やかな死を迎えられる気がします。

   ※ ♪琵琶湖周航の歌♪は、琵琶湖周辺の景色を歌った滋賀県のご当地ソングです。大正6年に作られました。
     これとは別に、♪琵琶湖哀歌♪という歌があります。
     この歌は、昭和16年、琵琶湖で遭難死した四高の学生を悼んで作られました。
     ♪琵琶湖周航の歌♪を、遭難死した学生を悼む歌だと思っている人が多いようです。

【 落ちる前に来い! 】
                   
 昔、江州の国(滋賀県)に、どんなときでも、”遅かったのお!”という医者がいました。
 そこで、ついたアダナが「おそいさん」。 
 あるとき、庭師が、松の木から落ちて、戸板に載せられて運び込まれました。 
 医者が、”遅かったのぉ!”と言うと、怪我人を運んだ人は、

   今、落ちたばかりのホカホカですよ!

と答えると、医者は、

      それにしても、遅かったのぉ!
      落ちる前に来い!

と答えました。
 高い木に登るときは、命綱のついた安全ベルトを着用するのが常識です。

 蓮如上人のことばに、

   …信心を獲得せずは、極楽には往生せずして、無間地獄に堕在すべきものなり。       「お文」二帖目第二通

という教えがあります。
 地獄に堕ちないために、「信心」という安全ベルトで、しっかりと心を結んでおけという戒めです。

 師走12月は、今年1年を振り返り、新しく来る年を思いつつ、我が心の「安全ベルト」の絞まり具合を確かめてみる月でもあると思います。 
                                                                       合掌


平成26年12月

 【お寺の行事】

    12月13日(土) 若衆講  午後

    12月31日(水) 除夜の鐘 午後11時45分から

     1月 1日(祝) 修正会  午前 7時

     1月11日(日) 役員会 午前10時
               新年講  午前11時
               懇親会 正午                 

         ご家族みなさん連れ立ってお参りください。 

【 かがみ 】  

 『雑譬喩経』に、「かめに映った影」という話があります。 
 昔、長者の息子が嫁をとり、2人は仲良く暮らしていました。
 ある日、息子が嫁に、
   ”ブドウ酒が飲みたい!”
と言いました。
 嫁は台所へ行き、ブドウ酒のかめの蓋を取って、
   ”アッ!”
と叫びました。
 かめの中に、若く美しい女が入っていたからです。
 驚き怒った嫁は、夫に、
    ”私に黙って女を隠していたとは!”
と言って泣き、わめき散らしました。
 夫は、何のことか分からず、かめの蓋を取ると、夫もびっくり。
 大きな声を上げました。
    ”お前こそ、男を隠していたではないか!”
と、2人で、「女だ!」「男だ!」と言い争っているところへ、修行僧がやって来て、夫婦喧嘩の訳を聞き、
    ”では、私がかめの中の者を追い出してやろう!”
と言って、そばにあった大きな石をかめにたたきつけました。
 かめは、大きな音を立てて割れ、ブドウ酒が台所にあふれましたが、中から誰も出て来ませんでした。

 ここで、若い夫婦は、ブドウ酒に映ったのは、自分たちの影であったことに気づいたのです。
 落語に、よく似たネタが出てきますが、もとは、仏教の教えの中にある話で、人にはものを正しく見ない傾向があることを教えるために作られたたとえ話です。

 過日、大相撲九州場所で優勝し、優勝回数で大横綱大鵬の記録と並んだ横綱白鵬は、
    …この国の相撲の神様が認めてくれたから、この結果がある…
と語りました。 
 白鵬は、相撲の神様を「鏡」の中に見て、相撲道に精進しました。

 はたして、私たちは、何を「鏡」の中に見て、日々を営んでいるのでしょうか。

 蓮如上人は、

  『御文』は、これ、凡夫往生の鏡なり。

と、弟子たちに語りました。
 『御文』とは、蓮如上人が、仏さまの教えを分かりやすいことばで書き、全国の門徒たち に送った手紙です。
 蓮如上人は、『御文』を鏡とせよと言われました。
 『御文』を鏡とせよとは、仏さまの教えを鏡として生きよということです。

 外国人が日本の精神を語っているのに、日本人が自国の精神を語れないとしたら、情けないことです。
 「自分が鏡の中に見ているのは、これだ!」と、自信を持って言える確かなものを持ちたいものです。

【 母の背中 】              

 新藤兼人という映画監督がいました。
 新藤さんは、母親について、

   母親は普通の家から農家に嫁に入り、農作業のかたわら、家事全般を取り仕切り、愚痴一つこぼさず働いた。
   秋には、稲を刈り終えた田に出て、麦を撒くために、稲の株を一株一株、鍬で掘り起こした。
   それが母の仕事だった。…母は、4人の子どもを産み、そのうち家が破産して、一家離散の中で死んだ。
   母には、一 生のうちで、何かおもしろいことがあったのかと考える。
   母は、何も言わなかった。
   母は、普通に生きて普通に死んだ。
   こんな僕の母のことを、世間の人は誰も知らない。
   でも、僕にとって母の背中は非常に大きい!

と語っています。
 新聞のお悔やみ欄の遺族のことばには、

   優しい人でした!
   温厚な人でした! 

などが多い中で、先日のお悔やみ欄に、96歳の母を亡くした長男のことばとして、

   母は、狭い世界を長く生きた人でした!

とありました。
 母性とは、そういうものなのかも知れません。
 ひたすら家族のことを思い、黙々と働く母の背中を見て育った子の、万感の思いがこめられた惜別のことばが、目に止まりました。    合掌


平成25年12月

【 お寺の行事 】

      12月 2日(日) 若衆報恩講  午後3時
                  ゲーム・お勤め・おとき

      12月31日(月) 除夜の鐘   午後11時45分

       1月 1日(祝) 修正会    午前7時
                  お勤め・年酒

       1月13日(日) 新年講    午前10時
                  役員会・お勤め・懇親会

          ご家族みなさん連れ立ってお参りください。

【 正覚大音 】

 12月のことを、「極月」とも言います。
 「極」には、「行き着く」とか「終わる」という意味がありますから、「極月」は12月の異称にふさわしい名です。
 今年も、大晦日には、各寺で「除夜の鐘」が撞かれます。
 釣り鐘に彫られている文字があります。
 「正覚大音響流十方」という文字です。
 「お釈迦さまの教えが、お寺の鐘の音となって、あまねく世界に響きわたる」という意味です。
 ”ゴーン!”という音が、お釈迦さまの説法なのです。
 ”ゴーン!”という音の中に、お釈迦さまの説法が詰め込まれているのです。
 釣り鐘の”ゴーン!”にお釈迦さまの説法を詰め込んで宅配する。
 これが、鐘を撞く意味です。

 毎朝、お寺で鐘が撞かれます。
 その”ゴーン!”が、寝ている人の枕元に届きます。

    ”ああ、今日もまた、お寺からお釈迦さまの説法を届けてくださった!”
    ”南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!”

と昔の人は念仏を称えました。

 『阿弥陀経』というお経に、極楽浄土には種々の鳥が飛んでおり、その鳥たちがきれいな声で鳴いていると説かれています。
 鳴き声は、聞く人の耳に仏さまの説法となって聞こえてきます。

 このことは、私たちの住む娑婆世界においても同じことです。
 鳥や虫、蛙などの声、稲や野菜などの声なき声を仏さまの説法として聞ける人は、極楽浄土の心と耳を持った人なのです。

【 死後の世界 】

 京都の龍谷ミュージアムで、「”絵解き”ってなぁに?」という展示がありました。

 昔は、お経に説かれる仏さまの世界やお寺の由来、高名なお坊さんの一生などを絵に描きました。
 その絵を説明することを「絵解き」と言います。
 上の絵は、「熊野観心十界曼荼羅」下半分の絵です。
 「十界」とは、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏の10の世界のことです。
 「曼荼羅」とは、「真実」という意味です。
 したがって、「十界曼荼羅」とは、10の世界の真実を描いた絵ということになります。
 上の絵には、10の世界のうち、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅の4つの世界が描かれています。
 この世での行いの結果が悪いと、死後、落とされる世界です。

 私たちは、死後の世界について、あれこれ考えることをしなくなりました。気にはなりますが、深く考える人は少ないようです。
 そんなことよりも、「今」が一番大事なのであって、死後のことは、その時になればなるようになるだろうぐらいにしか考えていないように見受けられます。
 死後の問題を先送りして、「今」にとらわれすぎているのが、私たちの生きざまではないでしょうか。
 
 昔の人は、死後のことまで考えて生きました。
 死後のことばかりでなく、生まれる前の世界のことも考えました。
 現在という時間を生きながら、過去と未来を念頭において生きたのです。
 ということは、昔の人は、「今」の中に、「今」と過去と未来の3つの時間が同居していたことになります。
 「今」を生きながら、過去のことも未来のことも考えて生きたのです。

 『仏説無量寿経』というお経に、「過来現仏、仏仏相念」(過去と未来と現在の仏さまが、仏さま同士が時間を超えて話し合っておられる)ということばが出て来ます。
 これが、仏さまの世界なのです。
 
 仏さまの世界の「今」は、「今」が1/3、過去が1/3、未来が1/3なのです。
 これに対して、私たちの「今」は、「今」が9/10、過去と未来でたった1/10しかないような生き方をしています。

 こんなことをしていたら、死後、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅の世界に落とされますよと、「熊野観心十界曼荼羅」は私たちに警告しています。    合掌


平成23年12月

【 お寺の行事 】
 
        12月 未定  若衆報恩講 午後

        12月31日(土) 除夜の鐘 午後11時45分

         1月 1日(日) 修正会   午前7時

         1月 8日(日) 役員会 午前10時
                   新年講 午前11時
                   懇親会 正午から

            お誘い会わせてお参りください。

        〔お知らせ〕

          鐘楼石垣組み直し工事のため、12月10日過ぎから、当分の間、朝の鐘は鳴りません。
          12月31日の「除夜の鐘」までには、工事が完了する予定です。
          ご了承ください。

【 無量寿 】

 日本の科学者が、宇宙で最初に出来た星は10万年かけて太陽の43倍の重さに成長したことを計算で証明したというニュースがありました。
 これまでは、最初の星の重さは、太陽の20倍から40倍ぐらいだろうということしか分かっていませんでした。
 この漠然とした数字が、具体的な数字として明らかになったことがニュースになったわけです。
 そもそも、宇宙は、今から137億年前に誕生しました。
 この宇宙誕生のとき、私たちの体を作っている元素のひとつである水素やヘリウムができました。
 これらの元素の生成は、宇宙誕生後、10分間で終わったと言われています。
 ということは、私たちの体の中には、137億年前にできた物質が息づいているということです。
 そして、137億年前にできた物質が、私の命となってはたらいていることになります。

 さきごろ、「はやぶさ」という映画が上映されました。
 この映画の終わりのほうで、人工衛星「はやぶさ」のプロジェクトにかかわった女性科学者が、講演する場面があります。
 その講演の中で、科学者は、”私は、宇宙の研究にたずさわって、私の命は宇宙誕生のときから始まっていたことを知らされました!”と話します。

 仏教には、「三世」という思想があります。
 「三世」とは、過去・現在・未来のことです。
 過去・現在・未来という時間の流れは、私たちの命にとって、途切れた時間ではありません。
 連続した時間です。
 私たちの命は、宇宙誕生と同じ137億年前に誕生して現在に至っているのです。
 人の年齢は、人間として誕生してから数え始めます。しかし、「命」という点から数えれば、私たちはみな137億歳という同じ年齢を生きていることになります。

 仏教には、「無量寿」ということばもあります。「無量寿」とは、永遠の命という意味です。永遠に生き続ける命という意味です。
 このことと「三世」思想を合わせて考えれば、私たちは、これまで137憶年生き続け、さらにこれから、宇宙があるかぎり永遠に生き続ける、「無量寿」の命をたまわった身なのです。

 中国の曇鸞大師は、「…四海のうち、みな兄弟となすなり。眷属無量なり。…」(世界の人たちは、みんな兄弟だ。だから、私たちの親戚は無数にいるのだ)と説かれました。

 また、親鸞聖人は、「…一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり。…」(生きとし生けるものは、みな、死に変わり生まれ変わりして、あるときは父になり母になり、あるときは兄になり弟になり、命を共有してきた間柄だ)と言われました。

 生きとし生けるものすべては、命を共有して生きる間柄なのです。
 それぞれの命は、それぞれの命を生きているように見えますが、それぞれが集まって大きな命となり、大きな命の一部が、私の命なのです。そして、私の命は、永遠の時間、無量寿を生きる命なのです。

 親鸞聖人は、無量寿の命をたまわった感動を、「帰命無量寿如来」と表されました。

 仏教の思想は、科学のない2,500年前に起こりました。
 その思想が間違いでないことを、現代の科学が証明してくれました。

【 常不軽菩薩(じようふぎようぼさつ) 】

 『法華経』というお経に、常不軽菩薩のことが説かれてあります。
 菩薩とは、仏になる一歩手前の段階まで修行を積んだ存在です。そして、仏になるために、最後の修行に励むのが菩薩です。
 常不軽菩薩の修行は、少し変わっていました。
 座禅もせず、お経を読むこともせず、厳しい修行もせず、ただひたすら誰彼問わず会う人すべてを拝む。
 これが菩薩の修行でした。
 常不軽菩薩は、会う人ごとに、

   ”私は、あなたをバカにしません。あなたは、    将来、仏になる人です!”

と言って拝みました。
 菩薩は、遠くで人を見かけても、わざわざ近づいて行って拝みました。
 この修行によって、常不軽菩薩はさとりを得たと説かれています。

 さきごろ、「神様の女房」というテレビドラマがありました。
 「経営の神様」と言われた松下幸之助さんの奥さん「松下むめの」さんの物語です。むめのさんは、「もうひとりの創業者」と言われるほどの内助の功で、松下幸之助さんの事業を支えました。
 奥さんの内助の功で、世界の松下になった松下幸之助さんは、若い経営者に常に語りました。

 ”人間は偉大な存在である。いわば宇宙においては王者だ!”
 ”ええか、きみ、経営をしておっても、どの人も王者だ、という考え方を根底に持っておらんとあかん。そこが大事やで。社員の誰に対しても、「ああ、この人はすばらしい存在なんや、偉大な力を持った人なんや」と考えんといかんね。それを、「これはたいした人間ではない」とか、「きのう入ってきたばかりの、なんも知らん社員や」とか、そういう考えで社員と話をしたらだめやな。むしろ、部下が偉く見える、という気分にならんとな!”

 松下幸之助さんは、昨日入社した新入社員、お茶を運んできた社員、電気製品の点検に来た社員、誰に対しても、「この人は人間としての無限の可能性を持っている。無限の価値を持っている」と拝みました。
 この松下幸之助さんの生き方は、常不軽菩薩そのものでした。
 松下幸之助さんは、常不軽菩薩と同じように、どんな人でも拝んだのです。
 この経営が、社員を育て、会社は世界を代表する電気産業に発展しました。

 常不軽菩薩は、人を拝んで仏になりました。
 松下幸之助さんは、人を拝んで世界の松下になりました。

 人を拝むことは、自分を卑しめることではありません。人を拝める人は、自分を高めることができる人なのです。       合掌





平成22年12月

【 お寺の行事 】

      12月 4日(土) 若衆報恩講   午後
                      
      12月31日(金) 除夜の鐘   夜11時45分から

       1月 1日 元旦 修 正 会   午前7時

       1月 9日(日) 役員会及び新年講、懇親会

           お誘い合わせてお参り下さい。

【 笑って死ねる病院 】 『笑って死ねる病院』(テレビ金沢)より

 金沢市に、笑って死ねる病院があります。
 金沢駅近くにある城北病院です。
 城北病院には、看護師さんたちが伝えてきたことばがあります。
 「最も困難な人に光りをあてると、それ以外の人にも光りがあたる。」
 「最も困難な人」とは、本人はもちろん、家族、病院の3者が大変な困難を抱え込まねばならない患者さんのことです。
 ALSという病気があります。
 ALSとは、筋力が衰えることで、歩くことができなくなり、寝たきりになって、声も出せなくなり、やがて呼吸もできなくなって死に至る難病です。
 Bさん(女性)は、40代後半で、ALSを発症しました。
 最初は、在宅で、家族が食事・排泄などの介助と介護をしていました。病状が悪化し、家族では面倒を見られなくなり、城北病院が受け入れました。
 Bさんの看護は、困難を極めました。Bさんは、看護の手がかかり過ぎるのです。Bさんに付きっきりで看護するわけにはいきません。
 受け入れたものの、看護師さんたちは、困ってしまいました。
 ALSの患者さんは、体力が衰え、やがて呼吸する力も無くなり、呼吸困難になる段階がやって来ます。
 そのとき、家族は決断を迫られます。
 人工呼吸器を付けるか付けないかの決断です。人工呼吸器を付ければ、生き延びられます。付けなければ、そのまま死に至ります。
 しかし、生き延びることは、本人・家族・病院の困難が、これからも続くことを意味します。また、死を選べば、3者は苦しみから解放されますが、生き延びられる可能性を捨てることになり、Bさんを見殺しにすることになります。
 どちらを選んでも、地獄です。
 それでも、どちらかを選ばねばなりません。
 Bさんも、とうとう呼吸困難の症状になりました。Bさんの夫は、どちらにするか決断できませんでした。
 そのとき、”付けてください!”と言ったのは、娘さんでした。理由は、”母に、花嫁姿を見せてあげたい!”でした。娘さんは、近々、結婚する予定でした。
 娘さんの決断で、Bさんに人工呼吸器が付けられました。
 それから、病院はあわただしくなりました。
 Bさんを、結婚式に出席させる取り組みが始まったのです。
 寝たきりのBさんが、車椅子に座れるようリハビリが始まりました。
 結婚式は、ホテルで行われます。当日は、外出することになります。 
 外出には、どんな準備をして、誰が付き添い、万一のときどうするか、対応が話し合われ、準備が進められました。
 結婚式の数日前には、外出の予行を兼ねて、スーパーへ買い物にも出かけました。
 結婚式当日は、酸素ボンベ、手押し式の人工呼吸器、痰の吸引器などを持って、担当医師、看護師、理学療法士が付き添いました。
 結婚式が始まりました。
 娘の純白のウェディング・ドレスは、Bさんを感動させました。花嫁姿を母に見せたい娘の思い、その思いを叶えるための病院の取り組み。Bさんは、生きていることの喜びを、これほど感じたことはありませんでした。健康なときには感じなかった生きることの喜びが、涙となって次々とあふれ出ました。
 披露宴では、担当医師がスピーチしました。
 医師は、Bさんの病気のこと、娘さんの決断、結婚式に向けての病院の取り組みなどを話しました。招待客たちは、驚きました。スピーチを聞く人の中から、すすり泣く声も聞こえました。
 看護師さんが、声を出す力のないBさんに代わって、娘に向けたメッセージを代読しました。メッセージは、感謝の思いにあふれたものでした。
 娘さんも、母へのメッセージを読みました。
   ”…病院でともに過ごす時間はとても貴重で大切なひと時です。生きることのすばらしさを教えてくれた、強いお母さんのようになりた   いし、誇りに思っています…”
 娘の結婚式を乗りきったBさんは、その後、兼六園の見学やコンサートにも出かけました。そして、孫を2人も見ることができました。
 Bさんは、10年以上もALSと付き合い、62歳で亡くなりました。
 担当医師は語ります。
   ”いい生き方をすればいい死に方ができるんです。…笑って死ねるような人生を力一杯生きる。そのお手伝いをこれからもしていきた   いです。”
  「最も困難な人に光りをあてると、それ以外の人にも光りがあたる。」
「最も困難な人」とは、Bさんです。Bさんに光りを当てるとは、Bさんを中心に医療を進めることです。そのことで、Bさんに生きる力がよみがえります。
 「それ以外の人」とは、家族や病院関係者です。この人たちが、Bさんを中心にかかわることで、Bさんから生きることのすばらしさを学びます。この学びをとおして、人間的に成長するのです。
 このことを、「それ以外の人にも光りがあたる」というのです。
 社会には、困難な生き方をしている人がたくさんいます。その人たちに光りを当てれば、社会全体が明るくなります。
 阿弥陀仏の光りは、「十方」を照らすと説かれます。「十方」には、もちろん、「困難な人」が含まれています。
 阿弥陀仏は、みんなが差別なく出会える世界を作るために、今も働いて下さっているのです。  合掌


平成21年12月

【 お寺の行事 】


       12月13日(日)若衆報恩講  午後

       12月20日(日)前住職3回忌法要 午前10時30分

       12月31日(木)除夜の鐘  午後11時45分
 
         1月 1日(祝)修正会 午前 7時

              お誘い合わせてお参り下さい

【 さとり 】

 12月8日は、お釈迦さまがさとりをひらいた日です。
 お釈迦さまは、29歳のとき出家し、6年間の修行の後、35歳でさとりをひらきました。
 お釈迦さまは、左の写真のように瞑想(座禅)の修行を行い、さとりをひらいたと言われています。
 このことから、禅宗のお寺などでは、12月8日に向けて1週間ほど座禅をします。この修行のことを、「臘八摂心」と言います。「臘八」とは、12月8日のことです。「摂心」とは、心をおさめて散らさないこと、つまり精神集中することです。お釈迦さまの瞑想修行にならって座禅を組み、お釈迦さまと同じさとりをひらくためです。
お釈迦さまは、何をさとられたのか?
いろんな解説があります。いろんな解説が出てくるのは、お釈迦さまのさとりの内容を説明するが難しいからです。お釈迦さまは、「真理」をさとりました。真理というものは、形がありません。形のないものを、ことばで説明するのはなかなか難しいのです。
 古来、先人たちは、形のない真理の説明に苦労してきました。どれだけことばを用いて説明しても、真理を説明し切れません。親鸞聖人などは、真理のことを「いろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず。ことばもたえたり」(真理は、色もなく、形もないから、想像もできないし、説明することばも見あたらない)と述べています。これでは、とりつく島もありません。これが、真理なのです。
 この真理を、形として表したのが仏さまです。仏さまは、真理を表しています。どこかに、仏さまの形をした人がいるというのではなく、形のない真理を仮に形として表したのが仏さまなのです。したがって、仏さまは、私たちが真理を会得する方便なのです。私たちは、仏さまに向かって合掌することで、仏さまをとおして真理を見るのです。その手だてとして、仏さまがいらっしゃるのです。
 真理は、仏さまの形ばかりでなく、いろんな形をもって現れます。草花や鳥獣なども、真理から形を現しました。畑の野菜も田の稲も、真理から形を現しました。虫魚も同じです。また、経典によれば、地獄、餓鬼、畜生も真理から現れたと説かれます。
  そして、何よりも、私たち人間も真理から現れました。私たちは、真理の中から生まれたのです。私たちの古里は、真理です。人は、そのことを忘れて迷っています。何かもの足りない気持ちでいるとするならば、その人は古里を見失っているからです。もの足りないのは、古里が恋しいからです。
 よく見れば、真理は、いつも私たちの目の前にあります。気づくか、気づかないかは、その人によります。真理は、すでにその姿を私たちに見せてくれています。 草花や鳥獣、畑の野菜、田の稲、虫魚、地獄、餓鬼、畜生は真理から生まれたのですから、それらをとおして真理が見えるはずです。また、人間も真理から生まれたのですから、私が出会う人をとおして真理が見えるはずです。
 しかし、草花や鳥獣は真理の全体ではなく、真理の一部分にしかすぎません。真理の全体は、仏さまを拝むように、草花や鳥獣、畑の野菜、田の稲、虫魚、地獄、餓鬼、畜生、私が出会う人々を拝むことをとおしてその全体が見えてくるのです。
たとえば、草花や鳥獣、畑の野菜、田の稲などを見て、それらの命の輝きが見えれば、その人は真理を見ています。
また、たとえば、事件を起こして警察に逮捕された人がいたとします。
 その人を見て、「あいつはバカだ!」と思う人は、真理が見えていません。
 その人を見て、「あの人は、私のために、悪いことをするとこうなるんだと、悪いことをして見せてくれているのだ!」と受け取れれば、その人は真理を見ています。地獄も餓鬼も畜生も、私をいましめる手だてとして現れているのです。
 仮に、自分が地獄に堕ちたとします。その苦しさから逃れようとします。逃れようとすれば、ますます苦しくなります。親鸞聖人は、逃げませんでした。親鸞聖人は、地獄が私に寄り添ってくれていると考えたからです。「…とても地獄は一定すみかぞかし」。私は、まちがいなく地獄住まいの身である。このことばで、親鸞聖人は楽になりました。「地獄一定」の覚悟をとおして、真理に出会ったのです。真理は、ことばになっても現れるのです。
 先頃、森繁久弥さんが亡くなりました。96歳でした。その森繁さんが、80歳に近づいたころ、「死ぬことがすこしも怖くなくなってきた!」と語ったそうです。このことばを聞いて、「森繁さんも私と同じだったか!」と思った人は、人生を達観し完成した人です。私たちは、真理に出会うと気持ちが楽になります。真理は、私たちの気持ちを楽にしてくれます。
 なぜならば、真理は、私たちの古里だからです。

【 狂い咲き 】

 急速に進む地球温暖化によって、環境に関する関心が高まっています。地球温暖化は、よその国の話しではありません。私たちの身の回りにも、温暖化の影響を見ることができます。
 今、極應寺の庭では、もみじが紅葉し、サザンカが咲き、椿も咲き始めました。俳句では、もみじは秋、サザンカは冬、椿は春を表す季節のことばです。秋と冬と春が同居する奇妙なことが起こっています。 
 「狂い咲き」とは、花が季節はずれに咲くことです。正常な咲き方でないことから、「狂」という語を使いますが、別に植物が狂ったわけではありません。人間の方が狂ったのです。人間が、地球を温暖化したため、季節はずれの花が咲くようになったのです。植物は、正直で正常です。
 人間は、地球を温暖化したことで、どれほど「罪」を感じているでしょうか。「エコ」「クリーン」などということばが盛んに言われています。「エコ」「クリーン」と、どれだけ叫んでも、基本的なところで間違っています。人間が環境を支配しようとする態度に変わりはないからです。人間が環境を支配するのではなく、人間が環境に対して謙虚になるという姿勢が欠けています。

    除夜の鐘 わが身の奈落より聞ゆ   山口誓子

 「奈落」とは地獄のことです。人間は誰でも、心に地獄を抱えています。わが身の地獄を忘れて、正しいと思っているところに、人間の思い上がりがあります。
 山口誓子さんは有名な俳人です。ある年の暮れ、除夜の鐘を聞きながら、わが心の地獄をしみじみ思い知らされたのです。除夜の鐘が、私の心の地獄で鳴っていると聞いたのでした。 合掌


平成20年12月

【 お寺の行事 】


     12月 7日(日) 若衆報恩講    午後
                ※ お釈迦さまのアニメを上映します。

     12月14日(日) 前住職一周忌法要 午前10時30分

     12月31日(水) 除夜の鐘     午後11時45分
 
      1月 1日(元旦)修正会      午前 7時
                ※ 1年最初のお勤め、初参りです。

            お誘い合わせてお参りください。


【 アンチエイジングの時代 】

 人から「若く見えますね!」と言われたり、医師から「あなたの体は、実年齢より15歳は若いですよ!」などと言われて、怒る人はまずいないでしょう。
 みんな、年齢よりも若くありたい、いつまでも歳をとりたくないと願っているからです。
 今、「若さ」と「健康」を求めることが、時代の流れとなっています。
 そんな中で、「アンチエイジング」ということが言われるようになりました。「抗老化」「抗加齢」という意味だそうです。
 「抗老化」「抗加齢」とは、「老化現象や加齢に立ち向かう、逆らう」ということです。つまり、「若返る」ことです。「アンチエイジング」を「老いを先送りすること」とか、「時計の針を少し戻して、針の進みを少し送らせること」などと定義する人もいます。
 「アンチエイジング」では、まず外見を若く見せるために、若々しい肌を保ち、内臓や骨・筋肉などを若返らせるようにします。
 一般的には、スキンケアを行い、サプリメント(健康補助食品)で足りない栄養素を補い、加齢とともに不足しがちなホルモンを補充する方法などが考えられています。
 老いないこと、若返ることは、古来からの人類不変の願いなのかも知れません。中国では、不老不死の仙人思想が普及しました。韓国や台湾などでは、垢すりや足裏マッサージなど、伝統的な美容健康法が行われています。
女優の草笛光子さんの「アンチエイジング」は、ウォーキング、歩くことだそうです。作家の曾野綾子さんは、家庭菜園をすることだそうです。漢方薬で作った化粧水を肌に塗って、若返りを図っている人もいます。また、毎日、新聞に目を通して社会への関心を失わず、テレビでニュースを見たり、読書したり、日記をつけたりして脳を活性化させる「アンチエイジング」をしている人もいます。
 このようにして、外見や身体的に若返ったところで、次に、内面(心)の若返りを考えます。どう生きるか、どんなライフスタイルを作り出すか、生きがいの問題についてまで考えるのが「アンチエイジング」なのだそうです。
富山刑務所で、月1回、刑務所内だけに放送されるラジオ番組のパーソナリティーをしている人がいます。曹洞宗の寺院の住職、川越恒豊(67歳)です。川越さんは、ラジオ放送を通じて、受刑者の社会復帰に貢献しています。
 川越さんは、「730ナイトアワー」という番組を、ボランティアで29年間も続け、700回を超えました。
 番組は、受刑者がリクエスト曲とともに添えてくる作文を紹介しながら進められます。作文には、
    女房が3歳の娘を連れて面会に来てくれたとき、娘が「このおじちゃん、だあれ?」と言ったとき、
    私は初めて、罪の深さを感じました。 
とか、
    70歳を過ぎた母が面会に来てくれました。
    ずっと心配ばかりかけて、申し訳ないです。
などと綴られています。
 川越さんは、「なるほど、二度とここに戻らないようにね! 心の鏡を磨きましょう!」などと、優しくコメントします。
 番組中は、刑務所のテレビがすべて消され、受刑者全員が放送に聞き入ります。看守長さんは、「放送中は、いざこざもなくなり、みな静かになる。それだけ楽しみにしているんですよ!」と言います。
 川越さんは、小さい頃は体が弱く、死にかけたこともあったそうです。そんなとき、父や母が必死に看病してくれました。まわりの人たちや社会に助けられたという強い思いも持っています。川越さんは、それらの人たちから借りたものを、何らかの形でお返ししたいという思いで番組を続けています。
 人生をどのように生きるか、どんなライフスタイルを作り出すか、生きがいの問題について考えたとき、川越さんのご恩返しの生き方が、究極の「アンチエイジング」と言えるのではないでしょうか。
 「アンチエイジング」を生きるとは、「喜び」を生きることです。若さを保ち元気であることは、「喜び」につながります。また、家庭菜園をし、運動をすることも「喜び」になるでしょう。
 しかし、そこまでだと自己満足で終わってしまいます。自分だけの満足で終わってしまいます。人々の「喜び」にはなりません。人は、一応はほめてくれるでしょうが、ほめてくれた人の喜びにはなっていないからです。
 ほんとうの「喜び」とは、自分だけ喜ぶのではなく、「喜び」を人に与えられることを「喜ぶ」ことです。これが、真の「喜び」です。
体の弱い川越さんの元気の秘密が、ここにあるように思います。

【 今年の流行語大賞 】

 今年の流行語大賞が発表されました。
 上位3位までは、どちらかと言うと、明るい話題。以下は、社会問題や政治問題など、今年を騒がせたものが多いようです。
 みなさんは、い くつ分かったで しょうか。
 流行語は、その時代の世相を反映します。流行語を見れば、その時代の傾向と時代が進んでいる方向が分かるような気がします。
 今年の世相をどう評価するか、人それぞれでしょう。見方が異なれば、評価も異なります。
 親鸞聖人は、人間社会を「火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」と評価しています。こんな評価の仕方もあるのです。       合掌

平成19年12月

【 お寺の行事 】

           12月 9日(日) 若衆講 午後

           12月31日(月) 除夜の鐘  夜11時45分

            ご家族お誘い合わせて、お越しください。

【 正覚大音響流十方 】
 お寺の鐘のことを「梵鐘」と言います。
 「梵」は、「清浄で汚れがない」という意味です。そうすると、「梵鐘」は、「清浄で汚れのない音を出す鐘」ということになります。 「清浄で汚れがない」のは、仏さまのさとりの境地が、清浄でけがれがないのです。そのけがれない境地において説かれた教えは、当然のこととして、清浄でけがれのない教えでもあります。
 したがって、お寺の鐘を鳴らすということは、梵鐘の澄んだ音とともに、仏さまのけがれない教えを、人々の心に届けるということです。人々は、お寺の澄みわたる鐘の音を聞いて、煩悩にまみれた心の垢を洗い流すのです。ここに、梵鐘を鳴らす意味があります。梵鐘は、時間を知らせるためにだけ鳴らすものではありません。
 また、梵鐘には、「正覚大音響流十方」と刻まれています。「仏さまのさとりの境地が、大きな音となって、あちこちに響き渡る」という意味です。
 では、皆さんは、お寺の鐘の音をどんなふうに聞いておられるでしょうか?
 『平家物語』の作者は、物語の最初に、「祇園精舎の鐘のこえ、諸行無常のひびきあり…」と書きました。祇園精舎とは、お釈迦さまの修行道場のことです。そのお寺で鳴らされる鐘の音は、「諸行無常 諸行無常 …」と鳴り響いたと言うのです。『平家物語』の作者は、梵鐘の音を、平家の滅亡を予感させる音として聞きました。
 梵鐘の音は、撞木が当たった瞬間の音を「アタリ」と言い、次に唸りが来ます。その唸りを「オシ」と言います。そして、次第に音が小さくなっていきます。この段階の音を「オクリ」と言います。アタリ1里、オシ1里、オクリ1里と言って、鐘の音は3里かなたまで届くと言われます。
 「オシ」の音は、「グゥワ〜ン グゥワ〜ン …」とか「グゥオ〜ン グゥオ〜ン …」というように聞こえます。この音を、私たちは、「ご恩 ご恩 …」と聞かなければならないのではないでしょうか。
 梵鐘の音は、私たちはご恩を受けて生きる身であることを知らせています。しかし、私たちは、受けているご恩に背くような不埒な生き方をしています。そして、ご恩を受けていながら、ご恩に気づかせないのは、煩悩のせいです。
 梵鐘の上の方には、108個の突起物が付いています。これは、私たちひとりひとりが持っている煩悩の数を表しています。108とは、数限りがないという意味です。このことから、除夜の鐘は、108回鳴らすのが習慣になりました。鐘を鳴らすたびに、煩悩をひとつひとつ消していく。そのような気持ちで、除夜の鐘を聞きながら、この1年を振り返り、新しい年を迎えていただきたいものであります。

【 現生不退 】
 先月行われた大相撲の九州場所を最後に、現役を引退した力士がいます。一の矢さん(46歳)です。
一の矢さんは、大学で相撲を始めました。卒業後、角界に入りましたが、身長170p・体重100sの小兵だったため、大きい力士には勝てませんでした。大きい力士に勝つにはどうしたらよいか、一の矢さんの相撲研究が始まりました。到達した結論は、相手の力を利用して勝つというものでした。しかし、実際に相撲を取ってみると、なかなかうまくいきません。
 一の矢さんは、あきらめませんでした。得意技は、出し投げや肩すかしです。相手の力を利用するこれらの技を使いながら、研究を重ね、相撲を取りつづけて24年。地位は序二段と三段目の間を行ったり来たりの相撲人生でした。生涯成績は、484勝518敗。負けが勝ちを上回りました。
 負けが勝ちを上回っても、24年間も、しかも46歳になるまで、現役を続けたということは驚きです。
 一の矢さんが、相撲にこだわったのは、相撲道の奥の深さでした。現役を引退して高砂部屋にマネージャーとして残ることを決めた一の矢さんは、これからも相撲道の奥をきわめたいと話しています。一の矢さんの相撲に対する情熱は、衰えることを知りません。
 「現生不退」ということばがあります。「ひとたび信仰を得たならば、二度と煩悩に惑わされることがない」ことを言います。二度と後戻りしない不退転の状態になったことを、現生不退と言うのです。信仰に目覚めた状態のことであります。
 相撲道に目覚めて、生涯をつうじて相撲道をきわめようとする一の矢さんの不退転の生きざまは、まさに「現生不退」を絵に描いたような生き方であります。
 ところで、高砂部屋といえば、あの朝青龍が所属する部屋でもあります。部屋での朝青龍は、先輩に当たる一の矢さんを敬う態度を取っているようですが、相撲道に対してはどうなのでしょうか?

【 共生 】
 毎年、イノシシによって菜園を荒らされ、困っている人がいました。
 ところが、今年の夏ごろから、イノシシは、ぱったり来なくなりました。
 変に思って調べて見ると、菜園の裏手にある藪が、新しく道路を通すため、刈り取られていることが分かりました。その藪の中に、イノシシの巣の跡がありました。食べ物の食べ残しやフンが散らかっていました。もちろん、イノシシの姿はありません。どこかへ、引っ越したようでした。
 その人は、被害者は自分だけでなく、イノシシも「被害者」だったのだと気づかされたと語っています。
最近、車で走っていると、車にひかれた狸の死体をよく見かけます。以前は、ウサギが車にひかれて死んでいました。このことは、動物たちの生態系が変化したことを意味しています。狸の棲む環境が変化したのです。住みかを追われた狸は、安住の地を求めて、さまよっているのです。
 昔の狸は、畑のウリなどを食べに出てきましたが、今では、イチゴも食べて帰ります。以前は、そんなことはありませんでした。狸の食べ物が、山になくなっている証拠です。
 最近は、山仕事をしなくなったことで、山が荒れるとともに、雑木林が減っています。雑木林は、動物たちのさまざまな食べ物を育みます。どんぐりなど、色々な木の実、それを求めて集まる小動物など、雑木林は狸の餌場でした。
 「協働」いうことばがあります。協働とは、異なる団体や立場の人たちが、互いに力を合わせて課題に取り組むことを言います。そして今、協働という概念を、人と人との関係においてだけでなく、人と動物の関係にまで広げ、共生ということについて考える必要があるように思われます。そうしないと、いつまで経っても狸による被害はなくならず、被害に遭う狸が減ることはありません。 合掌

平成18年12月

【お寺の行事】
     12月 3日(日) 若衆報恩講   午後

         31日(日) 除夜の鐘    午後11時45分

       1月 1日(休) 修 正 会     午前 7時

         14日(日) 役 員 会     午前10時
                新 年 講        11時
                懇 親 会        12時

【 助成講 】
 11月19日(日)、極應寺において「助成講」が勤まりました。「助成講」とは、「お講」のひとつでありますが、各寺の門徒有志で構成される「門徒会」および「親友会」の方々がお世話して、講師を招いて親鸞聖人の教えを学ぶお講のことです。 当日は、田鶴浜町の宿善寺住職・畠河等師が講師として法話され、門徒会および親友会会員をはじめ、極應寺門徒や地区の方々がたくさんお参りされました。
 畠河等師は、「ただ、念仏して」という講題で、”念仏が知恵を授けてくれる”ということを強調されました。
 さて、そう言われたからといって、「念仏」と「知恵」との深い関係を、すぐに納得して受け止めることのできる人は少ないと思います。念仏が知恵を授けてくれるというより、知恵は学校で勉強してつけるものだと考える人が多いからです。
 昔、因幡の国に源左という妙好人がいました。家の柿の木に茨を巻き付けてあるのを見て、誰が巻いたか尋ねました。息子が、「巻いたのは俺だけど、村の若い者に柿を盗ませないためだ」と答えました。源左は、「他人の子に怪我をさせたらどうするのだ」と言って、茨を取り外して、登りやすいように、柿の木に梯子をかけました。それを見た息子は、「梯子を外そう」と言いましたが、源左は外させませんでした。息子は不満に思って、「梯子をそのままにしておけば、人がどれだけでも取って行ってしまうぞ」と言いました。
 源左は、「人が取っても、やっぱり家の者が余計食うわいの」と言ったということです。
 この源左の知恵は、学校で教えてくれるでしょうか。
 源左は、妙好人と呼ばれた優れた念仏者でした。源左の知恵は、仏さまの教えが授けてくれた知恵でありました。
 これに対して、息子の知恵は学校で習った知恵であります。この知恵では、柿の木があるかぎり、取った取られたという争いの絶えることはありません。
 源左の知恵は、人に喜んでもらって我が身も喜べる争いのない解決方法であり、これこそが、念仏が授けてくれた知恵でありました。

【 向川清彫刻展 】
 11月18日・19日の2日間、向川清さんの協力を得て、「向川清彫刻展」を行いました。新聞にも掲載されたことで、記事を見た人が、羽咋市や、遠くは門前町からも見学に訪れ、予想外の反響を呼びました。
 自分の思いを形にする方法や技術を持っている人は、持っていない人にとっては、うらやましい限りであります。思いを形にするということは、自分の心を形にするということでもありますから、できあがった作品には、自ずと作者の人柄がにじみ出ます。できあがった作品が、作者の顔に似ているなどと言われるのは、そのためです。
 棟方志功という版画家の作品を見たことがあると思います。
 棟方志功の版画は、お世辞にも上手とはいえません。巧みな技術など、まったく感じられないからです。しかし、全体としてまとまっていて、ある種の雰囲気を漂わせています。その雰囲気が、棟方志功の深い心根を感じさせます。それが、芸術というものであります。
 深い心が込められた作品は、人々の心を動かします。思いを形にする人は、形を作る技の修行とともに、心の修行も同時に行っているのかも知れません。
 それは、米や大根・白菜を作るときでも同じであります。

【 師 走 】

     わけもなきこといさかいつ年の暮れ  高橋淡路女

 この俳句は、師走の慌ただしさから、ちょっとしたことが原因で起こった夫婦喧嘩を詠んでいます。私たちは、夫婦喧嘩までいかなくても、こういった類のことは身に覚えのあることで、他人ごとではありません。誰にも、経験のあることです。
 江戸時代の作家、井原西鶴の小説『世間胸算用』には、大晦日に喧嘩する夫婦の話があります。この夫婦は、大晦日に大勢やってくる借金取りを撃退するため、これまで色々な工夫をしてきました。
 ある年の大晦日、借金取りを撃退するため、主人は魚包丁を振り回して狂ったように見せかける演技を思いつきました。主人の演技を見て驚いた借金取りたちは、巻き添えを恐れて、あきらめて帰って行きました。しかし、ひとりの借金取りが、演技であることを見破りました。そして、「あなたのやり方はもう古い。私が借金取りの新しい撃退法を教えましょう」と言って教えてくれたのが、夫婦喧嘩でした。
 新しい方法を教えてもらった夫婦は、さっそく次にやってきた借金取りの前で、夫婦喧嘩を始めました。「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」と言われるように、誰もかかわりたくありません。借金取りたちは、後難を恐れて、皆帰ってしまいました。
 昔の庶民の年越しは、大変だったようですが、年越しの大変さは、今もたいして変わりありません。一年の始末をすっきり済ませて、新たな気分で新年を迎えたいのは、皆同じ気持ちであります。

     仏訪ひ神訪ふ里の秋惜しむ  土田まつい(はまなす句会)
 
 世間のことはすべて済ませて、さらに神仏にも感謝して一年を終え、余裕を持って新しい年を迎えたいものであります。     合掌


平成17年12月

【年末年始のお寺の行事】  

   12月31日  除夜の鐘  午後11時45分

   1月 1日  修 正 会 午前 7時

   1月 8日  役 員 会  午前 9時30分
            新 年 講  午前11時
           新 年 会  正午

      お誘い合わせてお参りください。


【 不遇を生きる 2 】

 「11月のおたより」で取り上げた問題の続きを考えてみたいと思います。
 先月取り上げたのは、「罪のない人間が、なぜ被害者になるのか?そして、そのことをどう受け止めたらよいのか?」ということでした。
 そして、原爆で弟を失った女性のことを書きました。
 この女性の悲しみは、他人事ではありません。生きているかぎり、私たちには誰にどんな災難が待ち受けているか分かりません。自然の災害や人間の過失による事故、そして無差別に危害を加える通り魔的な災難は、予期しないとき突然襲ってきます。そのとき、誰もが驚きあわて、災難を憎み、恨み、ののしり、自分の不幸を嘆くのが常であります。
 しかし、襲った災難を、無かったことにすることはできません。事実は、すでに起こってしまっています。この消しがたい事実をどう受け止めるかということです。
 災害が起これば、大勢のボランティアが駆けつけて、救援活動や支援活動を行い、援助物資提供の呼びかけや義捐金の募金活動まで始まります。また、加害者を特定できる場合は、補償交渉が始まります。
 その結果、補償問題が解決し、お金を含めた支援や救援が十分になされ、以前よりも物質的に恵まれた環境で暮らすことができるようになったとしても、解決されない問題が残ります。それは、心の空白と心の傷をどう埋めて癒すかという問題です。たとえ物質的に豊かになったとしても、物が心の空白を埋め、心の傷を癒してくれることはありません。物質による癒しは、ある程度は可能でしょうが、それは一時的なもので、根本的で永続的な癒しにはなり得ません。
 やはり、この問題は宗教によらなければ解決できません。仏さまは、この問題について、どう答えてくれるのか、教えに耳を傾けてみたいと思います。
 
 先月のおたよりで紹介した「王舎城の悲劇」の物語は、罪もない王が息子の王子に捕らえられて牢屋に入れられ、王位を奪われた話でありました。
 この物語は、『仏説観無量寿経』に説かれています。親鸞聖人は、この「王舎城の悲劇」の物語から、次のような和讃を作りました。
   頻婆娑羅王 勅せしめ 宿因その期をまたずして
      仙人殺害の むくひには 七重のむろにとぢられき

 この和讃の意味は、次のようになります。

  王舎城の頻婆娑羅王は家臣に命令して、韋提希夫人が生むはずの子の因縁を
 待ちきれず、わが子として生まれ変わるはずの仙人を、寿命が尽きる前に殺し
 てしまいました。そして、その報いとして、息子として生まれた阿闍世王子に
 よって七重の囲いのある牢獄に閉じ込められてしまったのです。

 この和讃の背景には、次のようなエピソードがあります。

 王舎城の頻婆娑羅王は、年老いても子に恵まれず、後継者問題で悩んでいました。 ある日、占い師がお城にやってきて、「私は聞いています。ある仙人が命終わったあと、王の子として生まれ変わるということを。」と言いました。
 これを聞いた頻婆娑羅王は喜んで、「その仙人は、いつ死ぬのか?」と尋ねました。 占い師が、「あと三年後です」と答えると、王は、「三年も待てない。その仙人に、早く死ぬよう頼みなさい」と家来に命じました。
 王の命令を受けた家来が山奥に仙人を訪ねて、王のことばを伝えました。
 しかし、仙人は、「私は、あと三年後に死ぬのであって、今すぐ死ねという王の申し出は受け入れられません」と答えました。
 この報告を聞いた怒った王は、「私の国のものは、すべて王である私のものである。今、礼を尽くして頼んだのに、承知できないとはけしからん。もう一度頼んで、受けなければ、仙人を殺してしまえ」と家来に命じました。
 再び山奥に入った家来は、王のことばを伝えましたが、仙人は、どうしても受けようとしません。
 そこで、王の命令にしたがって仙人を殺してしまいました。
 仙人は、「王は私を殺しますが、私が王の子となって生まれ変わったときは、誰かに王を殺させますよ」と言い残して死にました。
 その後しばらくして、韋提希夫人が懐妊し、阿闍世王子が生まれ、この阿闍世王子によって、父の頻婆娑羅王が七重の牢獄に閉じこめられることになりました。

 「善因善果」、「悪因悪果」ということばがあり、良いことをすれば良い結果につながり、悪いことをすれば悪い結果が生まれることは誰でも知っています。このことを、『歎異抄』では、「善き心の起こるも、宿善のもよおすゆえなり。悪事の思われせらるるも、悪業の計らうゆえなり。」と説いています。「宿業」とは、「現世で報いを受ける前世で行った善悪の行為」とか「前世の報い」という意味です。
 また、「因果応報」ということばもあります。人の行いの善悪に応じて、必ず報いが現れることを言います。原因と結果の関係は、無関係というものはなく、必ず深くつながっているということです。
 したがって、「王舎城の悲劇」の物語は、「因」と「果」の深いつながりを説き、「因果律」−原因となる状態には、必ず結果となる状態がともなうという法則に気付いてもらうためのたとえ話であります。
 この「因果」の教えは、どの宗教にも共通するものであり、また自然の摂理でもあります。仏教は、この因果の教えから説き始めて、生きることそのものが罪を重ねることであると説き進めます。この根元的な罪の自覚が、「不遇」を生きる人生に力を与えてくれることになるのです。 合掌    (次号に続く)


平成16年12月


【年末年始のお寺の行事】 

     12月 5日(日)若衆報恩講 午後
             ※ 子どもたちがお経の練習をしたあと、みんなでいっしょに報恩講のお勤めをします
         31日(金)除夜の鐘 午後11時45分
      1月 1日(祝)修正会 午前 7時
              ※ 新年の最初のお参りです。年酒の儀があります。
          9日(日)役員会 午前9時30分
               新年講 午前11時
             ※ 新年の最初のお講です。お勤めと法話があります。
                親睦会 正午
             ※ 新年講のあと、お参りの方々が親睦を深めます。
                 会費1,000円です。

           お誘い合わせてお参りください。


【浄土の家族】

 最近、「浄土の家族」ということばを知りました。これは、滋賀県の長浜教区の門徒会の活動テーマです。長浜教区では、今後10年間、「浄土の家族」というテーマで教区活動を展開していく予定をしています。
 「浄土の家族」とは、時宜を得たことばだと思いました。東本願寺は、蓮如上人の五百回忌ごろから、活動のテーマを「バラバラでいっしょ」と決めていますから、「浄土の家族」というテーマは、趣旨としては同じ内容を意味することばです。
 近年、人間の生活スタイルが多様化してきました。一つの家庭をとってみても、家族それぞれの生活リズムが異なり、大人は仕事のつごう、子どもは学校や塾のつごうなど、家族全員がそろうということがなかなかありません。家族が、それぞれバラバラに帰ってきて、バラバラに食事を摂り、バラバラに寝て、バラバラに起きて仕事や学校に出かけるという家庭はざらにあります。そして、家族がバラバラに行動することで、家族の結束力もにぶりがちになります。
 そこで、東本願寺は、時代の状況としてバラバラになることは仕方ないが、バラバラでありながらも心を一つにして生きることができる社会を作りましょうという提案をすることになり、「バラバラでいっしょ」という活動テーマを決めました。そして、長浜教区では、社会の原点は家庭にあることから、「バラバラでいっしょ」を斟酌して「浄土の家族」というテーマを提案することになりました。
 おばあさんと父母と子ども3人の計6人家族がありました。おばあさんは、毎日、畑に出て野菜を作っています。採れた野菜は、家族で食べるほか、朝市に出荷しています。それがおばあさんの小遣い稼ぎであり、唯一の楽しみでもありました。しかし、子どもたちは、畑の土で汚れた服で帰ってくるおばあさんを嫌がります。さらに、畑で採れた野菜を家の中に干してあるのも、「きたない!」と言って毛嫌いします。また、お父さんは、会社勤めのかたわら田んぼを作っています。家族の誰も手伝いません。お母さんも手伝いません。お父さんは、一人で田んぼを作っています。誰も手伝ってくれないことが、お父さんには不満です。
 この家族は、家族構成といい、家庭の収入(お母さんも会社で働いています)といい、はたから見れば申し分ありません。しかし、家族の中がしっくり行っていません。家族の心が一つになっていません。家族の行動がバラバラなのは仕方ありませんが、心もバラバラです。
 こういう家族を、「浄土の家族」とは言いません。
 また、別の家族がありました。お父さんは、土木の仕事をしています。この家のお父さんも、汚れた作業服で帰ってきます。お父さんは、夕食ではお酒を飲み、変な歌を歌ったりします。そして、家に居るときは、何もせずゴロゴロしています。中学3年生になる娘は、そんな父親が好きではありませんでした。さらに、父親が土木の仕事をしていることも嫌でした。
ある日のことです。家族でドライブに行くことになり、お父さんが運転しました。ドライブの途中、お父さんが「この道路は、お父さんたちが作ったんだ」と言いました。娘は、わが耳を疑いました。家では何もせずゴロゴロしている父親の様子から、道路を作る仕事をしている姿など、とても想像できなかったからです。娘は、父に道路のことを尋ねました。車内の話題は、道路の話になりました。父は、道路を作る手順や工事のこと、土や砂や砂利やアスファルトの計算のこと、そして道路幅が設計図どおりでなく、1p違っていても許可にならないことなどを話しました。
 娘は、外で働く父のほんとうの姿を知ることとなりました。
 その日から、父親を見る娘の目が変わりました。いままでは、土木の仕事は、計算できなくても体さえ動かしていればできる仕事だと思っていました。父親の話を聞いてから、どんな仕事でもバカにしてはいけないと思うようになり、仕事に対する差別感が消えました。
 そして、これまでとは違った目で父親を見ると、父親は実におもしろい人だと思うようになりました。父は、料理に関してはお母さんよりたくさんのことを知っています。そしてある日、娘に、「おまえは、お母さんが川へ行ったら流れてきた子だ。それを拾って帰って顔を見たら、お父さんに似ていたので育てることにしたんだ」と言いました。娘は、父親の、子へのこんなユニークな愛情表現がとても気に入りました。娘は、自分が大切にされていることを実感しました。
 それ以降、土木にたずさわる父親・家ではゴロゴロしているだらしない父親を全面的に受け入れることができるようになりました。
 こんな親子関係のある家族を「浄土の家族」と言います。親は、子を育てるため一生懸命に働いています。そして、そのことを子はよく知っています。親は、子を大切に思い、子は親の愛情を深く感じています。
 これが、「バラバラ」でありながら、心を「いっしょ」にして生きるということです。現代は、家族が地球規模で分散して生きる時代です。そういう時代であるからこそ、心を一つにして生きる生き方が求められています。        合掌

平成15年12月

今年は、「なんでだろ〜。」ということばが流行語になりました。
 子どもからお年寄りまで、「なんでだろ〜。なんでだろ〜。」を連発した一年となりました。
 なんで、こんなおかしな世の中になってしまったのでしょうか。
 「阿弥陀経」というお経の中に、「…この世は『五濁悪世』であり、五濁とは”却濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁”の5つの濁りである。…」と説かれてあります。
 5つの濁りは、おおよそ次のような意味です。
却濁………時代が悪くなる。良くないことが、次々と起こる世の中になる。
見濁………考え方が乱れる。まちがった考えがはばをきかし、それがまかり
       通るようになる。
煩悩濁……欲望がますます強くなり、人間らしさを失っていく。
衆生濁……人間の性質が悪くなり罪の意識が低下し、正しい感覚や判断がに
       ぶってくる。
命濁………人間らしい生き生きとした人生を歩む人がいなくなる。
 このような状況を、五濁悪世と言います。
今まさに、時代は五濁悪世のようすを見せています。人類は「しあわせ」を求めて、その営みを続けてきたはずなのですが、なんで、こんな変な息苦しい世の中になってしまったのでしょうか。
昔、島根県に源左衛門という妙好人が住んでいました。源左衛門は、信心に関する数々の名言やエピソードを残しています。その中に、「わが身大事なら、人さんを大事にせえよ。」ということばがあります。
 現代は、「わが身大事で、人を大事にしない」時代です。自分の権利や主張・利益などを守るために、人のことなど考えないやり方が目立ちます。そのため、人間関係を悪化させてしまい、人と人との関係を立て直し・保つのに大変なエネルギーを消耗しながら現代人は生きています。源左衛門は、自分が可愛かったら、まず人を可愛がれと言いました。これは現代人とは、まったく正反対の発想でした。
 また源左衛門には、次のようなエピソードもあります。
 ある男が、源左衛門の畑で牛に食わす草を盗んでいました。そこへ源左衛門がやって来て、草を刈っている男に向かって「ここもいいけど、そっちのいいとこを刈りなされ。」と言いました。そう言われると、男は逃げるに逃げられず困り果ててしまい、二度と草を盗むことをしなかったという話です。
 現代人には、源左衛門のような智慧が欠けています。
 源左衛門の智慧は、せっかちな現代人にとっては遠回りの解決法に思えますが、実は確実な近道であり、最も良い解決法であることを教えています。
そして源左衛門は、いつも仏さまのことを心に思い、「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏…」と念仏を唱えて生きたすぐれた念仏者でありました。
合掌

                12月 7日(日) 若衆報恩講 午後2時
                12月31日(水) 除夜の鐘 午後11時45分
                 1月 1日(祝) 修正会  午前 7時
                 1月 4日(日) 役員会  午前 9時30分
                   同上     新年講  午前11時
                    ※ 新年講のあと門徒懇親会 会費1,000円

                    お誘い合わせてお参りください。



平成14年12月

 親戚のお寺の中庭に咲くサザンカ。
 花のない季節なので、よく目立ちます。
清楚な感じがお寺に似合って、心をなごませて
くれます。
 茶の花。自坊の庭に咲いています。子どもの
ころは、両親が茶葉を摘んできて自家製のお茶
を作りました。それが、ご門徒のかたがたには
好評でした。
 よく手伝いをしたものです。今は、作っていま
せんが、リタイアしたら作ろうと女房と話して
います。


 『光陰矢の如し。』とは、よく言ったもので、またたく間に1年間が過ぎてしまいました。以前は、もっと時間を楽しむ余裕があったように思いますが、することが多い現代という時代は、雑事に取り紛れているうちに、時間の方が勝手に過ぎて行ってしまいます。まさに『歳月人を待たず。』です。
 そして現代人は、時間という濁流に押し流されて、大波に呑み込まれながら、アップアップして溺れているかのような生き方をしています。歌手の美空ひばりは”川の流れのように おだやかに この身をまかせたい”と歌いましたが、この歌詞のように、のんびり生きられる時代でもなさそうです。
 この時代を生き抜くためのヒントを、仏さまが説いておられます。それは「現生不退」ということばに表されています。意味は、「この世においてさとりを開き、ふたたび六道に輪廻しない、迷わない。」ということです。
 寺尾という力士がいました。先般、引退しましたが、彼は、小兵でしたが、突き押しの正攻法で、切れのいい相撲を取った人気力士でした。どんな強い相手にでも真正面からぶつかり、突っ張りを連発して、一歩も引かない相撲っぷりは、相撲ファンを喜ばせました。この寺尾関の、逃げない・引かない相撲が、まさに「現生不退」そのものです。そして、寺尾関の生涯成績は860勝938敗でした。相撲人生においては、負け越しです。しかし、寺尾関は、このことを恥ずかしくないと言います。黒星が多いのは、それだけ長く相撲を取ったことの証であり、自分の誇りであると言い切りました。負け越しても、自分を誇れるのは、やはり「現生不退」の相撲人生を生き抜いたからです。一番一番の取り組みを、手を抜くことなく全力を傾けて取り続けた者でなければ、とても言えることばではありません。
 人生勝負ということばがありますが、たとえ人生勝負に負けたとしても、自分を誇れるという人は、「現生不退」の人生を生き抜いた人です。寺尾関のように「誇れる負け方」が人生そのものにおいてもあるはずです。
 そして「現生不退」ということばは、今日のような閉塞的な時代を生き抜くための時代のキーワードのような気がします。               合掌!

   12月 1日(日) 若 衆 講 午後 2時 

   12月31日(火) 除夜の鐘 午後11時45分
                  ”みそか汁”有ります……(青年団提供)
    1月 1日(祝) 修 正 会 午前 7時

    1月 5日(日) 役 員 会 午前10時 
              新 年 講 午前11時
        ※ 12時から新年会。会費1,000円。

皆さまお誘いあわせてお参りください。