11月のおたより

2023(令和4)年11月

 【 お寺の行事 】

             11月12日(日) 13:30 お七昼夜・かかお講
                            兼 住職継承及び得度受式記念法要 

                            当番 お七昼夜−谷口組
                                かかお講−道辻組
 〈 柿 〉 

 柿のシーズンとなりました。

 親鸞聖人が越後の国に滞在しておられたとき、柿を詠んだ和歌が伝えられています。

 あるとき、親鸞聖人は国府(県庁)に向かっていました。
 途中、柿崎あたりで日が暮れてしまいました。
 一軒の家に一夜の宿を頼んだところ、主人は不承不承ながら泊めてくれることになりました。
 夜、親鸞聖人は、囲炉裏を囲みながら念仏の話をしました。
 念仏の話を聞いた宿の夫婦は、たちどころに念仏に帰依しました。
 親鸞聖人は、

      柿崎に しぶしぶ宿を とりければ あるじの心 熟柿なりけり

と詠んで、念仏に帰依した主人を熟柿にたとえて褒め、「南無不可思議光如来」と書いて与えました。
 喜んだ主人は、

      門とおる 法師に宿を 貸しければ 書きくれたりや 九字の名号

と返歌して、感謝の心を伝えました。

 主人は、親鸞聖人から「釈善順」という法名をもらい、柿崎の地で浄福寺を建て開基となりました。
 浄福寺は、今もあります。

 後に、柿崎を訪れた小林一茶は、

      柿崎や しぶしぶ鳴くの かんこ鳥

と詠んで、親鸞聖人を偲ぶ句を残しています。

【 門出 】

 谷村新司さん(74)が亡くなりました。
 名曲「昴(すばる)」は、日本のみならず、中国、アジアの人たちに感動を与えました。

 谷村さんと親交のあった人たちから追悼のことばが寄せられました。
 
 谷村さんと一緒に歌っていた堀内孝雄さんは、

      また、いつか空のほとりで一緒にライブをやろうね!
      もうちょっと待っててね!

 また、ギター抱えてフォークソングを歌っているイルカさんは、

      昴になられましたね! 
 
 さらに、谷村さんと一緒に歌ったことのある さだまさし さんは、

      いやいや、俺は信じない!
      何度、電話しても出ないから、どっか旅にでも出たに決まっている!
      いやいや、俺は信じない!

と追悼のことばを語りました。

 かつて、ドリフターズの志村けんがコロナで亡くなったとき、加藤茶さんは、志村さんの葬式で、

      5人がそっちに全員集合したら、そっちのお客さんを大爆笑させようぜ!
      約束だぞ!

と弔辞しました。

 これらのことばから、日本人の死生観がうかがえるように思います。
 日本人は、死ぬことをどんなふうに受け止めようとしているか分かります。

 話題になった映画「おくりびと」の中で、斎場で火葬のスイッチを入れる仕事をしている職員が、

      長いこと、ここさいると、つくづく思うのよの!
      死は門だなって!
      死ぬってことは、終わりってことではなくて、そこをくぐり抜けて、次へ向かう、まさに門です!

と語るシーンがあります。

 誰も、死んだら終わりだと考えていません。
                                                合掌

2022(令和4)年11月

 【 お寺の行事 】

       11月13日(日) お七昼夜(かかお講併修)
                  お始まり 午後1時30分

                       当番 お七昼夜−福島そうざしんたく組
                           かかお講−谷口組

     ※ お斎(食事)は、コロナ感染の収束が見通せないことから取り止めとし、お参りされた方には、
       お斎(食事)に代わる品をお持ち帰りいただきます。

             お誘い合わせてお参りください。

 [季節の話題]
 
 「お七昼夜」とは、「報恩講」のことです。
 「報恩講」は、念仏の教えを伝えてくださった親鸞聖人のお徳を偲び、そのお徳を讃えるお参りです。
 「報恩講」は、私たち真宗門徒にとって、一年で最も大事な仏事だと教えられています。
 親鸞聖人のお徳をお慕い申し上げるとともに、皆さんがそれぞれのご先祖からいただいた恵みに手を合わせる機会を持ちたいものです。

 【 腹立ち 】
                     
    風が吹けば桶屋がもうかる

ということわざがあります。
 一つのことが起こると、思わぬところに影響が出ることを喩えたことばです。

  (1)風が吹けば、ホコリが立ちます。
  (2)ホコリが立つと、人の目に入ります。
  (3)ホコリが目に入ると、盲目になる人が増えます。
  (4)盲目になった人は、三味線で生計をたてようとします。 
  (5)三味線弾きが増えると、三味線に張る猫の皮がたくさん要ります。
  (6)猫の数が減りますから、ネズミが増えます。
  (7)増えたネズミは、桶をかじって穴を開けます。
  (8)穴が開いた桶が増えると、桶屋にたくさん注文が入ります。
  (9)桶屋がもうかります。 

 似たようなことばで、かつて、「アメリカがくしゃみをすれば、日本が風邪をひく」と言われたことがあります。
 また、「ブラジルの蝶が羽ばたきすれば、テキサス州に竜巻が起きる」ということわざもあるそうです。
 仏教では、「腹を立てたら、山に棲む猿500匹が焼け死んだ」という話があります。

 昔、インドの街に一人の金持ちがいました。
 朝起きたら、豆を食うのが習慣でした。
 召使いの女中が、毎朝、主人のところへ煎った豆を持っていきます。
 ある朝、女中が、豆を持っていこうと思いながら、ちょっと他の用事をしていました。
 そのすきに、飼っていた羊が、二口三口食べてしまいました。
 女中は、そんなことを気にもかけず、主人に残った豆を運びました。
 主人は、いつもより豆の量が少ないので、

    今日は豆が少ないぞ!

と言うと、女中は、

    羊が、ちょっと食べまして…!

と正直に答えました。
 すると、主人は、

    ハハァー、どんな羊が食ったか分からんなぁ…!

と言います。
 主人のことばで、自分が疑われていると思った女中は、言い訳しようとしましたが、相手が主人ですから、恐れ多くて、口答えできません。
 出かかったことばを飲み込んで、言いたいのを我慢することにしましたが、ムシャクシャした心が収まりません。
豆を食べた羊を見ると腹が立って、

    お前が豆を食ったせいで、私が主人に疑われている。
    お前は憎いやつだ!

と、羊をいじめるようになりました。
 羊は、最初はおとなしくしていましたが、何度もいじめられ 十能
ると、羊も腹が立ったものとみえて、女中に仕返ししました。

 ある日、女中が十能に火を入れて運んでいると、羊が後ろから突き当たってきました。驚いた女中は、思わず十能の火を落としてしまいました。落ちた火が、羊の毛に燃え移り、驚いた羊が慌てて羊小屋に逃げ込んだので、羊についた火が小屋に燃え移り、小屋が焼け、小屋の火は町中に広がり、やがて山にまで燃え広がり、山に棲んでいた猿500匹が焼け死んでしまいました。

 女中の腹立ちが、大災害を起こしたという話です。

 親鸞聖人は、欲・怒り腹立ち・そねみねたむ煩悩は、命終わるまで尽きることがないと戒めています。
 ちょっとしたことが、大事になることがあります。
 自戒したいものです。 
                              合掌


2021(令和3)年11月

  【 お寺の行事 】

   お七昼夜・かかお講

       11月14日(日) お始まり 午後1時30分

               説教 不二井悟史 師(穴水 西蓮寺住職)
               当番 お七昼夜−福島そうざ組
                   かかお講−福島そうざしんたく組

     今年も、コロナ感染予防のため、「おとき(食事)」はありません。
     お参りされた方には、「おとき」に代わる品をお持ち帰りいただきます。
     お七昼夜・かかお講は、この一年を感謝する真宗門徒の報恩の仏事です。

            お誘い合わせてお参りください。

【 弥七夫婦 】

 ギリシャの哲学者ソクラテスは、妻が祭り見物にでかけるとき、

    妻  着るのは、あんたの上着ぐらいしかないわ!

と愚痴を言ったとき、

    ソクラテス  お前は、見に行くのか見られにいくの かどっちだ!

と、妻をなじったそうです。

 誰でも外出するときは何を着ていくか迷います。 
 「見にいく」ばかりでなく、「見られること」も意識します。

 かつて中国政府は、上海万博があったころ、パジャマ姿での外出を禁止したことがありました。
 そのころ、中国の人はパジャマ姿でコンビニやスーパーに入ったり、デパートにまで出かけました。世界のお客さんを迎えるのに、パジャマ姿の外出は国際感覚になじまないという理由からでした。
 国が異なれば、「見られること」の意識もずいぶん違うようです。

 親鸞聖人は、常陸の国に滞在されたことがあります。

 稲田の草庵に住み、在家止住のともがらに念仏の教えを説きました。
 草庵では、毎日、親鸞聖人の説法があり、近郷近在から男女の聴聞がありました。
 岡村という在所に、弥七という人が住んでいました。
 夫婦ともに篤い念仏者でしたが、貧乏で、夫婦の間には、少しましな着物がたった一枚しかありません。
 それを夫婦代わる代わる着て、稲田にお参りしました。

 弥七がお参りした日、親鸞聖人の仰せには、

    明日は、最も大切な法門を説くによって、みなみな連れを誘って参られよ!

とのおことば。
 これを聞いた、

    弥七  明日は、女房が参る順番、自分は家で留守をせねばならぬ!
         しかし、聖人が「明日は最も大切な法門を説く!」と仰せられるからは、何とかして聴聞したいものだ!
         そうじゃ!
         女房に、代わってもらおう!

と思案しながら家に帰り、
 
    弥七  これ女房よ。たっての頼みがある!
         どうか聞きとどけてくれまいか?

    女房  お前さま、どうしたのじゃ?

    弥七  今日、稲田へお参りしたら、聖人の「かくかくしかじか!」の仰せ。
         明日は、お前の番なれど、どうぞオレを参らせてくれまいか!

    女房  それはなりません!
         それほどの大切な法門、この私こそぜひ聴聞せねばなりませぬ! 

 女房は譲りません。
 問答往復して、なかなか結論が出ないので、

    弥七  よし、それならば、一枚しかない着物をオレが着て、お前を「つづら」に入れて背負っていってやる。
         お前は窮屈なれど、つづらの中で聴聞してくれ!

    女房  それならそうしましょう!

と夫婦の相談がまとまり、弥七はつづらを背負っての参詣となりました。
 稲田では、つづらを不審がられましたが、弥七は何くわぬ顔でお聴聞。
 やがて、聖人の説法が始まり、感激した人たちは、感涙にむせびながら、「南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!」のお念仏。

 一方、つづらの中の女房は、弥七に「声を出してはダメだ!」と戒められていたにもかかわらず、説法のあまりの尊さに、思わず「南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!」。
 これを聞いた、

    参詣者  弥七どの。あれはどうしたことじゃ!

と問われた弥七は、貧しさゆえのなしわざと涙ながらの物語。

    参詣者  何とも殊勝な心がけじゃ!

と一様に感心することしきり。
 このことを聞いた親鸞聖人は、

       皆人の 死出の旅路を 行くときは

                   一重の着物 肩にかからず

と詠みました。
 人は、この世では、たとえ立派なものを着ていても死ねば誰でも裸で行かねばならないという意味です。 

 「仏法を聞きに行く」のか、「人に見られに行く」のか、目的をはき違えたら、たどり着くべきところへ着けません。

                                                                  合掌

令和2年11月

【 お寺の行事 】

     期日 11月15日(日) 極應寺前住職十三回忌法要
                  かかお講(当番 福島そうざ組)
                  お七昼夜(当番 道辻組)

                    法話 芳野廣照 師(牛首 願行寺前住職)

            上記、三仏事を併修します。

     日程 午前10時 読経及びお勤め
         正午    おとき(※ 時節柄、お弁当と引き出物をお持ち帰りいただきます)
 
             お誘い合わせてお参り下さい。

【 喉ちんこ 】

 東井義雄さんは、小学校の先生をしていました。
 ある日の終礼のとき、子供たちに、

   東井先生  君たち!
           何でもいいから質問しなさい!

   北村くん  先生!
          喉ちんこは、何で付いているんですか?

   東井先生  ?

   子供たち  ……

   東井先生  今晩、帰って調べてくるから、明日まで待ちなさい!

 その日、東井先生は、学校から参考になりそうな本をみな借りて帰りました。
夜中まで調べました。
 そして、分かりました。

  ・喉ちんこは、食べ物を飲み込むとき、食べ物が鼻の方に上がるのを防ぐ。
  ・人間が、他の動物と違って、しゃべったり歌ったりできるのは、喉ちんこが複雑な動きをしてくれるから。

 今まで、思ってもみなかったことが分かりました。
 そして、東井先生は、深く考えました。

    今までは、

       オレが生きてやっているんだ!

と思っていたが、とんでもない間違いだった。
 母親の乳を飲み始めてからこのかた、はたらきづめにはたらいてくれているものがあった。

    生かさにゃおかん!

の願いが、私にはたらいていた。

    これが仏さまだ!

    目も耳も、呼吸も心臓も同じだ。

    私は、このことに気づかず、仏さまをあなどり背いてきた!

と語っています。
 東井先生は、小学生の素朴な疑問によって、仏さまに目覚めました。

 10年ほど前に厳修された親鸞聖人750回忌御遠忌のテーマを思い出します。

    今、いのちがあなたを生きている!

 東井先生の目覚めは、まさに「今、いのちがあなたを生きている」の発見でした。

 しかし、我が命が「生かされている」と考える人はほとんどいないと思います。
 まして、喉ちんこの複雑なはたらきにまで考え及ぶこともありません。

 高齢の人で、よく誤嚥性肺炎を起こす人がいます。
 喉の筋肉力の低下や唾液の量の減少などが原因だそうです。
 こうなると、喉ちんこも十分にはたらけません。

 呼吸器科を受診すると、誤嚥予防体操のチラシをもらえます。

 また、体操が習慣化しにくい人には、「吹き矢」がお勧めです。
 近年、高齢者の間で、「スポーツ吹き矢」が盛んになりました。
 大会まであります。
 「吹き矢」は、息を吹いて飛ばしますから、喉の筋力アップに効果があります。
 「吹き矢」は、的に当てることを楽しみながら喉の筋肉を鍛える一石二鳥のスポーツです。

 誤嚥予防体操や「吹き矢」を楽しむことは、我が身のためばかりでなく、生まれてからずっとはたらきづめにはたらいてくれている喉ちんこの動きを助ける、仏さまへの恩返しともなります。
                                                                   合掌!

令和元年11月

 【 お寺の行事 】

    11月 7日(木) おてらのグランドゴルフ大会
               於:シルバーハウスGG場

    11月10日(日) かかお講とお七昼夜
               12:00 おとき(食事)
               13:00 お勤め
                法話 奥村文秀 師 本乗寺住職(かほく市元女)
                    禾几文栄 師 正覺寺住職(穴水町沖波)
                    藤懸了世 師 常徳寺住職(志賀町鹿頭)
                 当番 かかお講  道辻組
                     お七昼夜  谷口組

    11月28(木)  親鸞聖人祥月命日

                    お誘い合わせてお参り下さい。

【 報恩講 】

 報恩講の季節となりました。
 報恩講は、親鸞聖人のご恩を深く思い、念仏の教えに生きることを喜び感謝するお参りです。

 金子みすゞは、大正・昭和にかけて活躍した童謡詩人です。
 山口県の仙崎という漁港に生まれました。
 仙崎は、念仏信仰の盛んな土地柄でした。
 法義厚い土地に育った金子みすゞは、自ずと優しい心を持つ人柄に育ちました。
 そして、仙崎のことを童謡に書きました。

      大 漁

    朝焼小焼けだ
    大漁だ
    大羽鰯の
    大漁だ

    浜は祭りの
    ようだけど
    海のなかでは
    何万の
    鰯のとむらい
    するだろう

 鰯の大漁で賑わう浜のようすを、こんな歌に詠みました。
 漁師たちは、「大漁だ!大漁だ!」と喜んでいます。
 しかし、金子みすゞは、海の中のことを考えました。
 人間は、生きるために生き物を殺して食べねばなりません。
 魚は、生きたいと思っているはずです。
 人間も、生きたいと思っています。
 私たちは、人間のために命を差し出している命のことを、あまり考えていません。
 金子みすゞのように、「私たちを生かしている命」について考えて見る。
 このこころが、「報恩講」を迎える心です。

【 宇右衛門(うえもん) 】

 江戸時代、播州(兵庫県)に、宇右衛門という妙好人がいました。
 妙好人とは、すぐれた念仏者のことです。
 
 妙好人・宇右衛門には、いくつものエピソードがあります。

 たとえば、宇右衛門が水車を踏んでいるとき、村の青年が通りかかって、

    宇右衛門さん、こんなに天気続きじゃ困るねぇ!
  
と声をかけると、

    天気が良けりゃ、作物が良く実りますわい!

と答えます。
 また、大雪が降った冬のある日、

    宇右衛門さん、この大雪じゃ困るねぇ!

と声をかけると、

    雪が降って、麦が良く穫れますじゃ!

と答え、雨が降っても風が吹いても、不平不足を、一切、言いません。
 どんなことがあっても、悪いように考えないのが宇右衛門でした。

 その極端な例が、宇右衛門がお寺に持って行く柴を背負って歩いているときのことです。
 村の悪たれどもが、宇右衛門を怒らせてやろうと、川へ突き落としました。

    ザブーン!

 ずぶ濡れになった宇右衛門は、怒るどころか、

    南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏…!

と念仏称えながら、

   あぁ、オレが悪かった。
   阿弥陀さまへお供えするお仏飯を炊く柴が、山で、牛や狐や人間の小便で汚れているかも知れないのに、
  洗いもせず、お寺へ持って行くオレが悪かった。
 これからは、よく洗って持って行けとの仏さまの戒めだ!

と、それ以来、柴や薪は洗って、お寺へ持って行くようになったということです。
 
 宇右衛門は、どうなっても、悪いようには受け取りませんでした。

 宇右衛門のことばは、負け惜しみのようにも聞こえますが、宇右衛門は決して負け惜しみで言っているのではありません。
 現実に妥協しているようにも見えますが、決して妥協していません。
 真実、そう思っているのです。
 真実、そう思って生きているのです。
 いわば、生き方の方向転換です。
 方向転換しながら、新しい生き方を作っていく。
 それでいて、生き方がちぐはぐになるのではなく、筋が通っている。
 
 ここが、妙好人の妙好人たるゆえんです。

 宇右衛門の徳を慕った後の人たちが、お手次寺・浄因寺の境内に宇右衛門の銅像を建てました。  合掌


平成30年11月

 【 お寺の行事 】

     11月 1日(木) おてらのグランドゴルフ大会 
                於:代田シルバーハウスGG場

     11月11日(日) かかお講とお七昼夜
                 12:00 おとき(食事)
                 13:00 お勤め
                 法話 畠 川  度 師(宿善寺住職 田鶴浜)  
                 当番 かかお講 福島(そうざしんたく)組
                 お七昼夜 土肥組

             お誘い合わせてお参り下さい。

【 死にともない! 】

 禅宗の高僧、仙豪`梵和尚が臨終を迎えたときのことです。
 弟子たちが、和尚の床の周りを、グルッと囲んで座っていました。

   弟子 和尚さま!
       最期に、何かいいことばをお遺しください! 

   和尚 死にともない!死にともない!

   弟子 天下の名僧ともあろうお方が、そんな見苦しいことでは困ります!
       もう少し、ましなことばを言ってください!

   仙香@ほんまに!ほんまに!

 仙腰a尚は、「死にともない!」ということばを遺して亡くなりました。

 死ぬことは、昔も今も、誰であっても一大事です。
 何が一大事といっても、死ぬことほど大事件はありません。

 このことから、昔から、多くの人が、死ぬことについて語ってきました。
 中でも、蓮如上人は、「老少不定」ということばで、命のはかなさを説きました。
 死ぬことに、順番はありません。
 順番が決まっていないうえに、いつ何時(なんどき)ということも決まっていません。
 このため、ついつい、いたずなら一生を過ごしてしまう人もいます。
 
 かつて「俺たちに明日はない」というアメリカ映画がありました。
 刑務所を出たものの、行き場のない若者が、食料品の強奪や銀行強盗を繰り返し、警察に追われながら逃げ回ります。
 やがて待ち伏せしていた警察官に射殺されます。
 映画は、無軌道な若者の暴走ぶりを描きました。
 無軌道な生き方では、それこそ「明日はない」のです。
 もし、この若者たちが、我が命は、いつ何時(なんどき)終わるということを知っていたならば、それは不可能なことですが、もう少し、ましな生き方になっていたかも知れません。

 心療内科医の海原純子医師は、

   死をみつめる生き方は、遺された時間 を十分に活かし生きることを可能にする。
    
と語ります。
 医師は、臨床の現場から、死を自覚した人が、その後の人生を深く豊かに生きる姿を何人も見てきました。

 思い当たる人がいます。

 それぞれのお寺には、そのお寺の門徒を代表する門徒会員という方がおられます。
 あるお寺のご門徒で、門徒会員になられた方がいます。
 この方は、生死をさまようような大病をしましたが、運良く病は癒えて、大病からよみがえりました。
 そのとき、思いました。

   オレは、もう少し生きていいというお墨付きをもらった!

 元気になったので、門徒会員の会合に出席しました。
 会議の結果、役職が当たりました。
 そのときは、

   命長らえさせてもらったうえに、残された命の生きがいまでもらった!

と思ったそうです。
 今、能登の門徒会員を代表して、東本願寺での会合に出席するなど一生懸命になっておられます。
 この生き方こそ、「遺された時間を十分に活かし」切ろうとする姿です。
 
【 手の位置 】

 拍手のとき、合掌のとき、手の位置は、人によってさまざまです。
 顔の前であったり、胸の前であったり、お腹のあたりであったり、サッカー選手は、頭の上で拍手します。

 かつて、カンボジアにシアヌーク殿下という王さまがいました。
 カンボジアは、仏教国ですから、仏さまを拝むときはもちろん、人に会ったときも合掌します。
 殿下の合掌は、仏さまを拝むときの手の位置は頭の上、国民の前では口元、身近な人には胸の前と、使い分けていたそうです。

 実悟上人は、合掌の手の位置について、

   仏を拝むも、手をあまり上げたるも悪ろし。
   また、あまり下がりたるも悪ろし。
   袈裟の結び目の上に手を置きたる良し。  

と、僧侶たちを戒めました。

 この戒めは、拍手にも当てはまります。
 合掌にしても、拍手にしても、胸の前でするのが、いちばん心がこもっているのです。    合掌


平成29年11月

 【 お寺の行事 】

      11月12日(日) かかお講・お七昼夜
                  12:00 お斎
                  13:00 お勤め
                       当番 かかお講 福島(そうざ)組
                           お七昼夜 道辻組
              法話 松下文映 師(珠洲市 往還寺住職)
 
                   お誘い合わせてお参り下さい。

【 食前のことば 】

 ケネス・タナカという日系三世でアメリカ国籍の学者がいます。
 『真宗入門』という本を書いています。
 ケネス・タナカは、アメリカで育ち、日本の大学で学び、「真宗」を研究しています。
 『真宗入門』は、アメリカ人の目で、「真宗」について書いた本です。

 私たちは、仏教書を読むとき、書店に、外国人が、あるいは外国人の目で書かれた仏教書があまり置かれていないせいもあり、だいたい、日本で生まれ育った人が書いたものを読んでいます。
 日本人が書いた仏教書は、何かしら、暗くて、重苦しく、閉塞感を感じさせるものが多いように思われます。
 心に錘(おもり)が残ったような読後感の本もあります。

 「宗教離れ」と言われて久しいですが、日本人の「仏教離れ」の原因が、こんなところからも起こっているようにも思えます。

 ケネス・タナカの目は、内向きではありません。
 前向きに、「真宗」を考えています。
 『真宗入門』は、読んで、心が明るくなる本です。
 初心者に分かりやすく書かれています。
 まさに、「真宗」を学び始める人の「入門」書にふさわしい一冊です。
 
 たとえば、「南無阿弥陀仏」。
 「南無阿弥陀仏!」は、仏さまに手を合わせて拝むときに称えることばです。
 現代人は、このしぐさに違和感を感じる人が多いのではないでしょうか。

    なぜ手を合わせるのか。

    なぜ「南無阿弥陀仏!」と称えるのか。

 その理由と意味が分からないからです。
 人は、分からないことには抵抗を感じますから、分からなければ、素直な気持ちで、手を合わせて念仏を称える気にはなれません。

 「宗教離れ」は、こんなことからも起こります。

 ケネス・タナカの家では、食事のとき、家族全員で手を合わせて合掌しながら、「南無阿弥陀仏。いただきます。お母さん、食事を用意してくれてありがとう!」と言って食べるのだそうです。

 ケネス・タナカは、「南無阿弥陀仏」の「南無」は、「私は心から感謝します!」という意味だと言います。
 次に、「阿弥陀仏」は、人間の食べものとして命を捨てねばならなかった、すべての植物や鳥、魚などの動物類を意味し、さらに、食べ物が、食卓に届くまでにかかわってくれた農家の人や漁師さん、食品加工の人たち、トラックで運んでくれた運転手さん、売ってくれたお店の人たちの努力が「阿弥陀仏」だと説明しています。
 そして、このことを家族に説明し、家族がよく理解したうえで称えているそうです。

 日本人も、食前には手を合わせ、「いただきます!」とは言いますが、「南無阿弥陀仏!」と称える人は少ないように思います。
 東本願寺では、合掌して、

     み光のもと 我いま幸いに この浄き食を受く いただきます!

と唱えることが、食事の作法として決められています。
 「浄き食」とは、ケネス・タナカの言う「阿弥陀仏」の意味を、ことばを変え言った表現です。

 食べ物の意味を深く理解し、手を合わせて食べる習慣を伝えていきたいものです。

♪だまされない音頭♪    

 先ごろ、石川県老人クラブ女性会員の皆さんが、♪だまされない音頭♪を作ったと報道されました。

 振り込め詐欺の被害は、なかなか減りません。
 昨年、石川県だけで、142件の振り込め被害があり、約38億円だまし取られたことが、警察で確認されています。
 警察に知らせなかった被害もあったことでしょうから、実際の被害額は、もっと多かったと思われます。

      どうしたら、被害を減らせるか?
                                    
 ポスターだけでは効き目がないと考えた警察官は、寸劇で啓発活動を始めたり、民間のボランティア劇団も生まれ、あの「ばあちゃんコント」の御供田さんも、啓発に一役買っています。

 そんな中で、歌が生まれました。

 ♪だまされない音頭♪です。

   電話がなるなる 誰かいな ヨイヨイ 
   孫の名前を 言うけれど
   事故を起こして 困ってる
   ばあちゃん助けて くれんかいや
   サノヨイヨイ

 歌詞は、3番まであります。
 この音頭は、♪炭坑節♪のメロディで歌って踊るのだそうです。    合掌


平成28年11月

 【 お寺の行事 】

    11月13日(日) かかお講 当番−道辻組 12:00 おとき
              お七昼夜 当番−谷口組 13:00 お勤め
   
              説教 不二井悟史 師(穴水中居 西蓮寺住職)

            ※ かかお講とお七昼夜を併修します。

                 皆さん、お揃いでお参り下さい。

【 関係ないことは、ひとつもない 】

 小松市の南部に木場潟という大きな湖水があります。
 1周すれば、6,4qもある大きな湖です。
 この潟の周りに、4ケ所の緑地公園が整備され、小松市民はもとより、石川県民の憩いの場になっています。
 この公園を造るとき、土地の買収にかかわった元石川県の職員、宮井さん(94歳)の話が、新聞に載りました。

 昭和48年、木場潟公園造成の計画が発表されましたが、土地の買収が難航しましていました。
 宮井さんは、この問題を解決すべく、木場潟公園事務所に派遣されました。

 木場潟の周囲は、田んぼばかりです。
 農家は、木場潟の水を利用して稲作をしていました。
 着任したのは、4月でした。
 農家の4月、5月は田植えで忙しく、土地買収の話を、誰も聞いてくれません。
 収穫が終わっても、話は、一向に進展しませんでした。
 宮井さんは、農家の人の土地への強い愛着を感じました。
 小松市役所の職員、関係する7町の町会長さんに仲介に入ってもらって交渉するのですが、一向に話が進みません。

 あるとき、ひとりの町会長さんから、

     1人、強力に反対している人がいる。会ってもらえないか?

と言われて、会いに行くことになりました。
 玄関で挨拶すると、先方は、いきなり、

     親鸞聖人は、80歳を超えても書きものをされたが、どう思うか?

と尋ねてきました。
 土地の買収とは、何の関係もない話です。
 どう答えていいか、すぐには思いつきませんでした。

 宮井さんは、そのころ、いつも、ポケットに数珠を入れて持ち歩いていました。
 ポケットの数珠に触りながら、考えた答えが、

     後世に残るものを書く気になられたのだと思います!

でした。
 この答えを聞いた先方は、

     まあ、上がれ。茶でも飲んでいけ!

と言って、部屋へ上げてくれて、茶道具を出してきました。
 そして、お茶をいただいて、雑談して帰りました。

 このことがあってから、その町の土地買収がとんとん拍子に進み、他の町でも同調する動き出て来ました。
 こうして、買収は2年ほどでめどが立ち、現在の木場潟公園ができました。

 親鸞聖人と土地買収は、何の関係もないように思われます。
 が、深い所でつながっていたのです。
 そのつながりが話の落としどころとなり、買収がスムーズに進みました。

 「袖振り合うも多生の縁」ということばがあります。
 何の関係もない人と道で出会っても、その人とは、必ず深い因縁があるという意味です。
 世の中のものすべて、「関係ない!」と簡単には済まされない関係でつながっているのです。
 人は、その関係を見つけられないために、仲良くなれないのです。

【 猿でも… 】
              
 越後の国に、乙寺というお寺がありました。
 和尚さんは、毎日『法華経』を読んでいました。
 ある日、お堂の前の木に、二匹の猿がきました。

 それから、毎日来るようになりました。
 猿は、一日中、和尚さんのお経を聞いています。

 和尚さんは不思議に思って、

     お前たちは、毎日来るけれども、『法華経』を読みたいのか?

と尋ねると、二匹とも、首を横に振ります。

     では、お経を書いて欲しいのか?

と尋ねると、二匹とも、うれしそうに首を縦に振りました。

     それならば、お前たちのために、お経を書いてやる!

と言うと、猿たちは喜んで山へ帰って行きました。

 その日から、五六日後、たくさんの猿が、木の皮を持ってやって来ました。
 和尚さんは、木の皮を紙に漉いて、お経を書き始めました。
 二匹の猿は、お経を書きはじめた日から、毎日、山芋や栗、梨、柿などを持ってきて和尚さんにくれます。…

 こんな話が、『今昔物語集』や『法華経験記』という書物にあります。
 猿でも、恩返しをします。
 まして、人間にできないはずはありません。
 恩返しを忘れるなという教訓を伝える話です。

 これから、報恩講シーズンとなります。             合掌



平成27年11月

 【 お寺の行事 】

     11月23日(祝)  かかお講 当番 谷口組     12:00 おとき
                 お七昼夜 当番 石川・谷川組 13:00 お勤め

              お説教 不二井悟史 師(中居 西蓮寺住職)
   
         ※ 都合により、「かかお講」と「お七昼夜」を併修します。

                 お誘い合わせてお参りください。

【 死の質 】      

 イギリスの雑誌が、医療・介護などの社会福祉の充実度などから、「死の質」の国別ランキングを発表しました。
 これによると、日本は14位で、5年前に比べて、10番くらい順位が上がりました。               
 世界には、196の国(外務省発表)がありますから、日本は、上位にランクしています。
 日本は、「死の質」が高い国なのです。

 では、「死の質」とは、何でしょうか。

 英誌は、医療や社会福祉の制度や対応などの充実度からランキングしたようですが、「死の質」ということになると、亡くなる人の心の満足度が問題になります。
 安らかな心で亡くなったか否かということです。

 ランキング上位の国は、福祉制度が整った国ばかりですから、安心して死ねる条件がそろっているのでしょう。
 しかし、制度に頼りすぎて、亡くなる人の心が忘れられることがあります。
 亡くなる人の心を忘れてしまうと、いくらお金をかけて、制度を整えても、「死の質」は高くなりません。
 福祉にかけられる予算が少なく、先進国に比べて、制度の劣る国でも、「死の質」の高い国はあるように思います。

 「死の質」と言った場合、最優先されるのは、お金ではなく「こころ」です。

 『今日は死ぬにはもってこいの日』は、アメリカの原住民、インディアンが語った死生観を記録した書物です。
 その中に、

    今日は死ぬにはもってこいの日だ。

で始まる、インディアンのことばがあります。

    今日は死ぬにはもってこいの日だ
     ……
    わたしの家は、笑い声に満ちている。
    子どもたちは、うちに帰ってきた。
    そう、今日は死ぬにはもってこいの日だ。

 危篤の知らせを聞いたわが子や親戚たちが、アメリカ各地から集まってきました。
 死の意味を知らない子どもたちは、大勢の人が集まってきたので楽しくなり、お祭りのように、はしゃぎ回っています。
 こんな中、大勢の人に見守られ、一人の老人が、穏やかに息を引き取ります。

 これが、「死の質」の高い死に方です。

 また、マザー・テレサ(1910年〜1997年)は、インドのカルカッタで、貧しいゆえに医療も受けられず、誰からも受け入れてもらえず、路上で死んで行かねばならない人たちを施設に収容し、看取りをしました。
 路上に寝転んでいる病人を、屋根のある施設まで運び、体を洗い、手当てをし、食べさせ、清潔な毛布でくるんであげました。
 マザー・テレサの看護と介護を受けた人たちは、一様に感謝し、輝くような顔をして死んで行きました。

 インドにも、「死の質」の高い死に方がありました。

 日本では、亡くなってから、僧侶が「枕経」を読む習慣があります。
 昔は、臨終が近づくころから読み始めました。
 「枕経」は、亡くなる人が、安らかな死を迎えるための「臨終の行儀」として読まれてきました。
 「死の質」を高めるための工夫だったのです。

 臨終に家族が集まる、心からの介護・看護をする、そして「枕経」を読むことは、不安なく死んで行ける「生」と「死」を自然につなぐためのいとなみだったのです。
 
 その「こころ」や工夫を大切にしたいものです。

【 喜び 】

 明治安田生命は、毎年、「マイハピネスフォトコンテスト」を行っています。
 幸せな瞬間を撮った写真を募集するコンクールです。

 入賞作品は、たとえば、入学式、結婚式、誕生、夫婦、家族、祭りなど、さまざまです。
 「健康」をテーマにした写真もあります。
 元気で長生きは、誰もが願うことです。

 しかし、蓮如上人は、

 それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。…   「お文」第5帖16通目

と、人間の一生は、はかないぞ、「あっ!」という間やぞ、喜びもつかの間やぞと言われます。
 つかの間の人生の中にある、つかの間の喜び、それは本当の喜びではないぞ、本当の喜びは、念仏を称えて生きられることが、本当の喜びやぞと、

 …たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみま  いらせて、念仏もうすべきものなり。

 「念仏称えよ!」と、私たちに念仏を勧めてくださっています。

 これまでの喜びが、喜びでなくなっても、そんな中でも喜びを見つけ出して喜び生きる、その智慧が、念仏の中にこめられてあることを教えてくださっています。 合掌


平成26年11月

 【 お寺の行事 】


         11月14日(金) かかお講 お始まり 午後1時半
                           当番   谷川・石川組

             15日(土) お七昼夜兼前住職七回忌法要

                           お始まり 午前10時
                           当番   土肥組

                  ご家族みなさん連れ立ってお参りください。  

【 報恩講 

 11月28日は、宗祖親鸞聖人の祥月命日です。
 この日を前後に、報恩講が勤まります。
 報恩講は、お寺でも勤まります。
 門徒宅でも勤まります。
 また、集落でも勤まります。
 報恩講は、真宗門徒にとって最も大切な仏事です。

 親鸞聖人は、90歳のご生涯を生きられましたが、亡くなるとき遺言をされたと伝えられています。

   一人居て喜ばは二人と思うべし。
   二人居て喜ばは三人と思うべし。
   その一人は親鸞なり。          「御臨末の御書」

 親鸞聖人は、自分は亡くなっても、皆と一緒に居ってやると言われました。
 このことから、お釈迦さまの臨終のときのことばを思い出します。
 お釈迦さまが亡くなるとき、弟子たちに告げました。

     お前たちのためにわたしが説いた教えとわたしの制した戒律とが、
     わたしの死後にお前たちの師となるのである。
                                               『ブッダ最後の旅』より

 親鸞聖人が言わんとするところも、同じことなのです。
 自分は人間としての肉体は無くなるが、教えとなって残り、後の人の生きる道しるべとなってやろうというお心が「御臨末の御書」の遺言となりました。

 親鸞聖人は、念仏の教えとなって、今も私たちとともに居てくださいます。
 お釈迦さまも居てくださいます。
 そして、皆さんそれぞれのご先祖も、みなさんに今もなお恵みを与え続けながら、みなさんとともに居てくださいます。

 お釈迦さまも親鸞聖人も、そして皆さんのご先祖も、みなさんのことを思い心配してくださっています。
 仕合わせになって欲しいと願っておられるのです。

 自分の願いばかりにかまけて、「願われている」ことを忘れて生きる私を振り返る。
 これが、報恩講をお迎えする心です。

【 無縁墓 】              

 ある寺院の墓地入り口に、

     お墓を捨てないでください!  住職

と書かれた看板が立っていました。
 住職さんに尋ねたところ、

   ”墓石を、ゴミのように捨ててあったので!”

とのことでした。
 墓石は、明らかに他所から持ち込まれたもので、なぜ捨てられたのか分からないそうです。

 墓地の隅に集められた無縁墓 お墓が捨てられる時代になりました。

 過日、NHKテレビが「墓がすてられる〜無縁化の先に何が〜」という番組を放送しました。
 番組では、日本人の80%がお墓参りするというデータが紹介されました。
 日本人は、先祖とのかかわりを深く思い、お墓を大切に守ってきました。
 その意識は、現代でも変わりなく続いていますが、その反面、先祖から受け継いだお墓を継承できない事情も起こっているのです。
 人口の流動化、少子化現象などが主な要因です。

 この現象は、葬送の在り方やお墓に対する考え方まで変えつつあります。
 「直葬」のことを、最近では「ゼロ葬」と言うのだそうです。
 カタカナ表記になると、葬送が機械的に処理されている印象を強くします。
 葬送が機械的に行われるようになり、お墓を作らない人も現れてきました。

 そもそも、お墓は、納骨する場所であるとともに、子孫が先祖に向かって手を合わせる場所です。
 先祖に手を合わせることは、人間の自然な行為です。
 お墓は、先祖とのつながりを確かめる場所でもあります。
 もし、お墓がなければ、子孫は、どこに向かって手を合わせればいいのか分かりません。

 子孫が、先祖に手を合わせなければ、先祖は無縁仏になります。
 また、その子孫も、この世において、心の無縁状態を生きることになるのではないでしょうか。

 NHKテレビの番組では、第一生命の研究員が招かれていました。

 司会者が、

   現在のような状態になったことで、私たちは、お墓のことをどう考えていけば良いでしょうか?
 
と質問しました。
 研究員は、

   残された人が、死者を忘れない。死んで行く人が、残された人を見守れる存在になれるか。
   残された人が、お参りしてくれる人になれるかどうかがポイントだ!

と答えました。

 「なるほど!」と思いました。
 「無縁の問題」は、人ごとではないのです。
 一人一人に投げかけられた、生き方の問題なのです。         合掌



平成25年11月

【 お寺の行事 】

      11月23日(土) かかお講 午後1時半−お勤め、御伝鈔
                          その後、軽食
                          当番:土肥組

          24日(日) お七昼夜 正午−お斎(食事)
                        午後1時−お勤め、御俗姓御文、法話
                        当番:福島組

               ご家族みなさん連れ立ってお参りください。

【 米粒の中に仏さまが… 】

 東井義雄先生が書かれた本の中にある話しです。

 名古屋に宇野正一さんという人がいました。
 母親が、産後間もなく亡くなったので、正一さんは、祖父母に引き取られて大きくなりました。
 母の顔は知りません。
 お祖父さんは信心深い人で、

    ”仏さまにお参りしていたら、お母さんに会える!”

と教えられ、よくお参りしました。
 お祖父さんは、

    ”米粒の中に仏さまがござる!”

が口癖で、こぼしたご飯は拾って食べるよう、正一さんをしつけました。

 正一さんが小学5年生の時、学校に顕微鏡が届きました。
 理科の先生は、いろんなものを大きくして見せてくれました。
 正一さんは、いつもお祖父さんから「米粒には仏さまがござる」と聞かされていたので、ご飯粒の中に、いったいどんな仏さまがいるのか見たいと思いました。
 昼の弁当のご飯を少し残して、先生に頼んで顕微鏡にかけてもらい、何度ものぞいてみましたが、なにも見えません。
 金色に輝く仏さまが見えると思ったのですが、まったく見えません。
 そこで先生に、

    ”うちの爺ちゃんから、お米の一粒一粒に仏さまがいると聞いているのですが、何も見えません。なぜですか?”

とたずねたら、先生は大声で、

    ”君の爺ちゃんの言うことは迷信だ。米粒の中に仏さまがいるわけがない!”

と笑いました。
 そばにいた友だちも、

    ”アハハー!”

と笑いました。

 正一さんは、笑われたことが悔しかったので、家に帰るとすぐお祖父さんに、

    ”爺ちゃん、俺にうそついた!”

と、お爺ちゃんを責めました。
 するとお祖父さんは、大きな声で、

    ”この罰あたり!”

と言いながら、仏壇の前に座って泣きながら念仏を称え始めました。
 正一さんは、その時のお祖父ちゃんの後姿が忘れられません。

 米粒の中の仏さまが、見える人と見えない人がいます。
 見える人は、手を合わせて「いただきます!」と言って、ご飯を食べます。
 見えない人は、箸を持つなりかぶりつき、まるで犬や猫が「餌」を食べるように食べます。

【 信じる 】

 やなせたかしさんの代表作『アンパンマン』に、「マダム・ナン」という女性が登場します。
 マダム・ナンは、アンパンマンの宿命のライバルである「ばいきんまん」を理解する数少ない登場人物です。

 ある日、ばいきんまんがアンパンマンに攻撃をしかけようとしているのを見つけました。

    マダム・ナン ”ばいきんまんさん、そんなことをするなんて、あなたらしくありません!
             思い出してください!
             心やさしい本当のあなたを!”

    ばいきんまん ”うるさい、おれさまは悪いことが大好きなんだ!”

    マダム・ナン ”いいえ、ちがいます。あなたは、いつだって、たくさんの人たちを幸せにしてきたじゃありませんか?”  
    ばいきんまん ”ちがうってば、ちがう!”

と言って、アンパンマン目がけて、振り上げた大きな金槌を打ち下ろします。
 金槌の的が外れて、地面を叩いてしまいました。
 その衝撃で、山が崩れてしまいました。
 崩れた山の向こうに、海が見えます。
 ちょうど、きれいな夕日が沈んで行くところでした。

    マダム・ナン ”なんて、すばらしいんでしょう。この美しい風景を私たちに見せたかったんですね!”

 感動したマダム・ナンは、ばいきんまんをほめたたえる歌を歌い出します。
 マダム・ナンの歌を、アンパンマンたちは複雑な気持ちで聞きます。
 自分をほめる歌に居たたまれなくなったバイキンマンは、逃げ出してしまいます。

 家に帰ったばいきんまんは、一人考え込んでしまいます。

 今、悪いことや失敗した人を、徹底的にやりこめる風潮があります。
 立ち直ろうとする芽すら摘んでしまうような圧力で、その人を追い込んでしまいます。
 そのため、1度の失敗で人格を壊され、社会の底に沈んで、2度と浮かび上がるチャンスを失う人も数多くいます。

 そういう人を受け止めるのが、「マダム・ナン」です。
 マダム・ナンは、誰にも可能性があることを信じ、ばいきんまんをどこまでも信じます。
 バイキンマンが、どんなに悪いことをしても、疑いの欠けらも見せず信じつづけます。
 
 このマダム・ナンの心を、仏教では「大慈悲」と言います。
 大慈悲とは、仏さまの心のことです。
 大慈悲は、善悪の区別をしません。
 善も悪も区別なく、母が子を抱きかかえるように深く包み込むこころが大慈悲です。
 善悪区別なく包み込んで、やがてすべて善に変えて力強く立ち直らせます。

 今、そんな心が、忘れられているのではないでしょうか。     合掌


平成24年11月

【 お寺の行事 】

      11月10日(土) かかお講 午後1時半−お勤め、御伝鈔拝読
                                 その後、軽食
                                 当番:福島組

          11日(日) 助成講  午前10時−お勤め
                                法話 西山郷史師(珠洲・西勝寺住職)

                   お七昼夜 正午−お斎(食事)
                         午後1時−お勤め
                            法話 元尾教恵師(梨谷小山・西性寺衆徒)
                         当番:道辻組

                  ご家族みなさん連れ立ってお参りください。

【 菩薩 】

 総合病院の眼科の待合でのことです。
 その日は月曜日ということもあって、受診する人で混んでいました。
 突然、”遅い!”という声が起こりました。
 声の主は、初老の男性でした。
 男性は、”遅い!遅い!”を繰り返し、診察の待ち時間が長いことに腹を立てているようでした。
 そのうち、受付に行って、”遅い!”と文句を言い始めました。
 受付の女性は、長く待たせていることをしきりに謝っていました。
 男性は、”俺より後に来た者が先に診察室に入ったじゃないか!”と文句を言います。
 受付の女性は、”あの方は、予約していた方です!”と言い訳をしています。
 やがて、男性は、あきらめたらしく、自席に戻りました。
 しばらくしてから、男性が呼ばれて診察室に入りました。
 診察を終えて出てきた男性は、その足ですぐに受付へ行き、また文句を言い始めました。
 しまいには、”謝れ!”と言い出し、その挙げ句に、”医院長を呼んで来い。医院長に謝らせろ!”と、どなりはじめました。
 そうなったとき、男性と一緒に来ていた奥さんが、”あんた、そこまで言ったらだめやわ!”となだめて、帰ることをうながしました。
 男性は、それでも怒りが治まらないらしく、ぶつぶつ言いながら、奥さんと帰って行きました。
 
 病気を治してもらいにきた患者が、なぜ、病院に文句を言うのでしょうか。
 病院側に落ち度があったのならともかく、病院側に落ち度があったとは思えない状況の中で、待ち時間が長いということだけで文句を言うのです。

 こんな人のために、仏さまは教えを説かれました。

 『法華経』の中に、妙音と呼ばれる菩薩がでてきます。
 菩薩とは、さとりの世界から私たちの世界に現れて、人々を救うはたらきをする仏さまの資格を備えた存在のことです。
 妙音菩薩は、ほかの菩薩と違った現れ方をします。
 『法華経』によれば、妙音菩薩は、「…この菩薩は種々の身を現して、処々に衆生のために、この経典を説けり。…」と説かれています。
 妙音菩薩は、菩薩の姿ではなく、「種々の身」に変じて現れるというのです。
 たとえば、わが父となって現れ、わが母となって現れ、わが兄弟姉妹となって現れ、親戚となって現れ、朋友となって現れ、妻や夫となって現れ、わが子ともなって現れるなど、さまざまな人に姿を変えて現れます。
 もちろん、病院の医師ともなって現れ、看護師ともなって現れるのです。
 したがって、私たちの周りにいる人たちはすべて妙音菩薩の化身なのです。
 妙音菩薩は、なぜ色々な人に姿を変えて現れるのかというと、私たちの救済は、一筋縄ではいかないからです。
 そのため、あの手この手の方便が必要になるのです。
 そのため、「種々の身」に変じて現れるのです。
 そんな菩薩に、何も落ち度のない菩薩に、感謝こそすれ、理不尽な文句を突きつけるいわれはないはずです。

 ひたすら”ごめんなさい!ごめんなさい!”を繰り返して謝っている受付の女性の姿に、哀れな衆生に涙を流して悲しんでいる菩薩の姿を見る思いがしました。

【 金木犀 】

 この季節、道を歩いていると、甘い強烈な香りに、はっと驚かされることがあります。
 香りの主は、金木犀です。
 金木犀は、中国南部が原産で、江戸時代に日本へ持ち込まれたそうです。
 やはり南国育ちだからなのでしょう。
 日本の秋には似つかわしくないほど強い香りを放ちます。
 そんなことから、金木犀は、汲み取り式便所の時代には、匂い消しのために、便所の隣に植えられることもあったようです。
 それは、ともかく、お経の中にも香りが出て来ます。
 『正信偈』でおなじみの法蔵菩薩は、「栴檀香」の香りを全世界に漂わせながら修行に励んだと説かれます。
 「栴檀香」とは、白檀や紫檀などの高級なお香のかおりのことです。
 また、極楽浄土には、「…万種温雅の徳香を流布す。それ聞くことあらば、塵労垢習、自然に起こらず…」と説かれています。
 極楽浄土の香りには徳があり、その徳には煩悩を起こさせないはたらきがあるというのです。
 そして、親鸞聖人は、念仏者も香りを放って生きる人だと言います。
 その香りは、浄土の香りです。
 浄土の香りに染まり、浄土の香りを放って生きるのが念仏者なのです。
 その念仏者の香りを嗅いだ人が、新しい念仏者として生まれます。
 念仏者は、そんなふうにして誕生して来ました。
 昔は、念仏の中に生まれ落ち、念仏に育てられ、念仏者となって、念仏を称えて生き、念仏の香りを残してこの世を過ぎていく、これが人の一生でした。
 私たちは、そんな念仏の歴史の中に生まれて来たはずです。
 その念仏の香りが聞こえなくなりました。
 いつのまにか、念仏を称える人がいなくなりました。 
 そもそも、香りには、嗅ぐ人の心をなごませ、さわやかな気分にするはたらきがあります。
 心を洗ってくれるのが、香りです。
 念仏は、洗われた心から、その心の徳が、”南無阿弥陀仏!”となって出てくるのです。
 念仏が聞こえなければ、徳も香らないことになります。
 徳の香らない社会は、徳のない社会になってしまいます。
 徳のある香りが、心豊かな人間を育て、社会を作ります。
 これを実現するためには、念仏の心が欠かせません。       合掌


平成23年11月

【 お寺の行事 】

    11月12日(土)かかお講 13:30 お勤め
                     当番 道辻組

        13日(日)お七昼夜 12:00 お斎(食事)
                     13:00 お勤め
                     当番 谷口組
             
           お誘い合わせてお参り下さい。

【 鈴木大拙 】

 鈴木大拙は、金沢出身の仏教学者です。
 鎌倉の円覚寺で禅の修行に励み、英語が堪能だったことから、英語で禅の本を書き、禅を海外に紹介しました。
 80歳でアメリカへ渡り、アメリカの大学で禅の講義を行うなど、禅を海外に広め、世界の仏教学者となりました。 
 鈴木大拙は、たくさんの本を書いています。
 その中に、念仏と禅の共通点に注目して書いた『妙好人』という本があります。
 大拙は、『妙好人』の中で、栃平ふじという一人の女性を紹介しています。
 栃平ふじさんは、能登の珠洲に住み、念仏に深く目覚めたすぐれた念仏者でした。
 ふじさんは、昔ながらの封建的な家に嫁入り、家庭的にはずいぶん苦労したようです。
 その苦労が、信仰に向かわせました。
 学問もなく、字も満足に読むことも書くこともできなかったふじさんは、ひたすら説教を聞きました。法座があると聞けば、どこへでも出かけました。
 そして、説教師に、日ごろの不審を質問し、信心を深めました。
 そのふじさんが、語ったことばがあります。

    み仏の 真実心を取るときは 機(き)のかたばかり 見るものよ なむあみだぶつ

 「真実心を取る」とは、信心をいただくという意味です。「機」とは、人間という意味です。
 ふじさんは、信心は外にさがすものではなく、自分の心の中をさがせばみつかると言います。
 私たちが信心を考えるとき、どこか別世界に神さまや仏さまがいて、その神さまや仏さまを信じることで、ご利益をいただくことが信心だと考えます。
 ふじさんは、その反対でした。
 信心は、我が心の中にあるとさとりました。

 『青い鳥』という話があります。

 チルチルとミチルの兄妹が、魔法使いのおばあさんから、幸せの青い鳥を見つ けてきてほしいと言われ、鳥かごを持って、青い鳥を探しに行く物語です。
 2人は、はじめに「思い出の国」を訪ねました。
 その国で、死んだはずのおじいさんとおばあさんに出会いました。
 おじいさんは、「人は死んでも、みんなが心の中で思い出してくれたなら、いつ でも会うことができるんだよ!」と言いました。
 おじいさんは、2人に、青い鳥がいることを教えました。
 しかし、青い鳥をつかまえて「思い出の国」を出たとたん、青い鳥は黒い鳥に 変わってしまいました。
 2人は、「夜のご殿」「ぜいたくのご殿」「未来の国」にも行きました。
 どの国にも、青い鳥はいるのですが、持ち帰ろうとすると、皆、死んだり色が 変わってしまいました。
 そして、青い鳥は、どこにもいませんでした。
 2人は、がっかりして帰りました。
 クリスマスの朝。
 目を覚ました2人が鳥かごを見ると、中に青い羽根が入っています。
 チルチルは、気づきました。
 「そうか、ぼくたちの飼っていたハトが、ほんとうの青い鳥だったんだ。
 しあわせの青い鳥は、ぼくたちの家にいたんだね!」
  2人は顔を見合わせて、ニッコリ笑いました。

 『青い鳥』の話は、幸せは身近なところにあることを教えています。

 「幸せ」と「信心」は、つながっています。
 「幸せ」を感じて生きることは、「信心」を生きる身になったことであり、「信心」を生きるとは、「幸せ」を生きることです。
 栃平ふじさんは、幸せは、自分の心の中にもともとあることに気づきました。
 それは、苦労の底に沈んでいた、生きることを喜ぶ命の躍動でした。
 栃平ふじさんは、苦しみの底からわきあがってくる命の躍動を、「南無阿弥陀仏!」と称えて拝んだのです。
 ふじさんの心の底に眠っていた仏さまが、目を覚ましたのです。
 
 このほど、金沢の本多町に「鈴木大拙館」がオープンしました。郷土が誇る偉人の記念館を、一度は訪ねてみたいものです。

【 仏像ブーム 】

 仏像ブームが続いています。
 奈良や京都には、たくさんの、しかも色々な仏像があります。仏教各宗派の本山が、奈良・京都に集中しているからです。
 北陸は、浄土真宗が多いことから、阿弥陀仏像が圧倒的に多く、私たちが日ごろ拝む仏像も阿弥陀仏です。
 右に、「飛天」の図を掲載しました。
 飛天像は、お寺の本堂の欄間などによく見られます。
 欄間のような高いところに飛天像が彫られるのは、天人は空を飛んでいると考えられているからです。
 天人像は、複数体彫られるのが普通です。
 それらをよく見ると、合掌している姿もありますが、たいてい何か手に物を持っています。
 右図の天人は、琵琶という楽器を持っています。笛を吹いている飛天もいれば、太鼓をたたいている天人もいます。
 このことは、天人たちが音楽を演奏していることを表しています。その音楽とは、仏さまの教えをほめたたえる音楽です。  
 天人たちは、音楽を奏でながら、仏さまの教えがすばらしいことを宣伝しているのです。
 どんなメロディーなのか?
 それは想像にまかせるしかありません。
 お寺の本堂に座って、天人たちが奏でる音楽に静かに耳を傾ければ、聞く人の胸に安らぎが満ちてくるはずです。
 次に、門の両脇に、「仁王像」が立っているお寺があります。仁王像は、怒ったような顔をしています。仁王は、仏さまに害をなす者をお寺に入れまいとして、お寺に来る人をにらみつけているのです。
 同じく怒っている姿に、「明王像」があります。不動明王が、よく知られています。明王の怒りは、仏さまの教えに心を向けようとしない私たちを怒っているのです。
 このように、仏像にはさまざまな姿や表情があります。その意味を理解することが、仏さまの教えに近づく手がかりともなります。  合掌

平成22年11月

【 お寺の行事 】


         11月13日(土) かかお講 午後1時半 お勤め
                                  当番 谷口組

         11月14日(日) お七昼夜 正午   お斎(食事)
                           午後1時  お勤め
             法話 芳岡昭夫師 覚竜寺住職(栗山)
                                   当番 谷川組

                 お誘い合わせてお参り下さい。

【 ただ今 よろこんで 商い中 】

 七尾駅前に、ちょっと変わった居酒屋があります。
 店の入り口の扉の前に、小さな看板が置いてあります。
 看板には、「ただ今、よろこんで、商い中」と書いてあります。
 店に入ると、店員さんが、お客さんに、”よろこんで、いらっしゃいませ!”と、声をかけます。
店内では、店員さん同士が、誰かにものを頼むとき、頼まれた方は、”はい!”と言わず、”よろこんで!”と返事します。
 店内では、”よろこんで!”と言う店員さんの声が飛び交っています。
 こんな雰囲気は、お客さんに気分の悪いはずがありません。
 店員さんが、ブスッとしていれば、どんなに美味しい料理を出されても、料理の味は半減します。その反対に、店内に活気があれば、お客さんは、気分良く料理を楽しめます。
 こんな営業を行っているのは、全国に約1,000店舗展開する「大庄グループ」という会社の社長さん、平辰さん(70歳)です。
 平さんは、新潟県の佐渡島で生まれ、男の子4人の3男坊、他に2人の姉妹の中で育ちました。
 平さんのお母さんは、大舅大姑、舅姑のいる所へ嫁入りしました。そして、子どもを6人産みました。12人家族の三度三度の食事を作り、洗濯、掃除など家事一切を切り盛りし、家事の他に、田畑の仕事にも精を出しました。
 朝は、4時に起きて、台所に立ち、家事の合間を見て、田畑へ出ます。夜は、家族に晩ご飯を食べさせてから田畑へ出て、帰るのは、夜の9時、10時になりました。
 家に帰っても、後かたづけや、明日の準備があり、寝る時間は、ほとんどありませんでした。
子どもたちのおしめは、川で洗いました。冬は、お母さんの手があかぎれになり、割れた手から血がにじみ出ます。お母さんは、手の割れ目にご飯粒を詰め込んで耐えました。
 また、子に乳を含ませながら、ご飯を食べているとき、子が”ビリビリッ!”と下痢のうんこをしたことがありました。
 お母さんは、子の尻をペロペロ舐めて、舌で尻を拭いてやりました。
 当時は、やわらかい紙などない時代です。あるのは、新聞紙ぐらいです。新聞紙で尻を拭いたのでは、下痢で赤くなった尻は痛かろうと、自分の舌で子の尻を拭いてやったのです。舐めては、ペッと吐き、舐めては、はき出し、その口で、ふたたび食事を始めるのでした。
 平さんは、このことが忘れられません。
 平さんにとって、家族や子のため献身的に働いた母は「偉大な母」でした。
 母は「無償の愛」を生きることの尊さを、自分の生き様をとおして、子どもたちに教えてくれたのです。
 この教えが、平さんの人間の土台を作りました。
 「無償の愛」を生きる。
 いつかは、母のように「無償の愛」を生きる人間になりたい。母の教えを実現し、心豊かな社会作りに役立ちたい。それが何よりも、母への恩返しである。
 そんな思いが、平さんの心の中で膨らみ、飲食業を展開する中で、具体化したのが、”よろこんで!”という声かけでした。
 お客さんに喜んでもらうために、「よろこんで」する。
 ”よろこんで!”には、自分の損得は含まれていません。自分のことは、計算されていません。自分のことを度外視して、お客さんに奉仕する。これが、”よろこんで!”の心なのです。
 私たちは、何かする前に、まず損得を計算します。損得を勘定してから、するかしないか決めます。損になることはしない。得になることだけする。これが、私たちの性根です。
 これでは、ほんとうの喜びを味わえません。損得を度外視してこそ、深い喜びが味わえるのです。
 なぜなら、私たちは、自分の損得勘定で片づけられるような薄っぺらな恩の中で生きているのではありません。親の恩、社会の恩、天地自然の恩や恵みなど、数えきれない恩を受けています。報いようとしても、報いきれない深い恩の中にあるのが、私のいのちなのです。
 このことに気づいた人だけが、”よろこんで!”できるのでしょう。
 「無償の愛」を行うことができるのです。
 「無償の愛」に生きることが、生きがいになるのです。
 思えば、仏さまのお慈悲も「無償の愛」です。仏さまは、私たち衆生を、苦しみから救い出すため、日夜はたらいておられます。仏さまの救いは、損得なしの「無償の愛」です。仏さまは、見返りを求めません。仏さまの「無償の愛」は、生きとし生けるものすべてに、そして私にも行き届いています。
 仏さまの「愛」を十分に受けていながら、そのことに気づかず、いつも、”足りん! 足りん!” ”欲しい!欲しい!”と不足を言っているのが、私たちではないでしょうか。

【 無縁社会 】

 大阪の下町に住む叔父と叔母は、足腰が弱くなり、体調もすぐれないので、住んでいた家を人に譲り、身の回りを整理して、終の棲家と決めて団地に引っ越しました。
 さっそく、隣近所へ挨拶回りと思って、手みやげを持って隣家を訪ねたところ、”ここでは、そんなことしなくてもいいんです!”と言われ、手みやげを持ったまま帰りました。
 話し好きで、世話好きな叔母は、典型的な大阪人です。その叔母は、隣近所の人たちとの付き合いがなくなりました。足腰は弱っても、口だけ達者だった叔母は、口を動かす機会もなくなったのです。
 近年、無縁社会とか無縁死とか言われ、誰とも会わず、あるいは会えず、一人で生き、一人で死んでいく人が増えて、社会問題になっています。
 なぜ、無縁社会になったのか。その原因は何か。そして、責任は誰にあるのかなど、いろいろ議論されています。
 無縁社会は、実は、私たち一人一人が作っていたのでした。   合掌


平成21年11月

【 お寺の行事 】

    11月14日(土) かかお講 13:00 お勤め
                            当番・谷川組

         15日(日) お七昼夜  10:30 役員会
                        12:00 おとき(お食事)
                       13:00  お勤め
                            法話 芳岡昭夫師 覚龍寺住職
                            当番・石川組
                ※ 役員会の議件は、前住職3回忌法要について。
                  及びその他です。

              お誘い合わせてお参りください。

  また、別紙ご案内のように、代田の光済寺で歓喜光院殿御崇敬が、当地では 徳田の照明寺以来12年ぶりで勤まります。こちらも、お誘い合わせてお参りく ださい。

【 お浄土とは? 】

 滝谷の妙成寺(日蓮宗)で、浄瑠璃で日蓮聖人の一代記を語る催しがありました。
 浄瑠璃とは、三味線の演奏に合わせて語る芸能のことです。
 浄土真宗では、三味線を演奏しながら説法するスタイルはないことなので、興味深く見ました。
 日蓮宗の寺院の本堂は、浄土真宗のお寺とは、ずいぶん違った飾りをします。仏壇には、日蓮聖人の木像を中心に、たくさんの仏さまが安置されています。中には、青い色をした仏さまや赤い色をした仏さまもいます。仏教では、色々な仏さまが説かれます。その全部の仏さまが、日蓮聖人をお守りしているというふうに見えました。
 本堂には、妙成寺歴代住職の写真がかかげられ、寄付札や法語なども掲示されています。聖と俗が混じり合った堂内は、私たちのお寺とはずいぶん違ったおもむきがありました。
 法語の中に、「法華経修行の者の所住の処を浄土と思うべし」という日蓮聖人のことばがありました。
 「法華経修行の者」とは、”南無妙法蓮華経!南無妙法蓮華経!…”と団扇太鼓を叩きながら、お題目を称える人のことです。お題目を称える人のいる所が浄土だというのです。
 お題目を称える人がいる所が浄土ならば、「南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!…」とお念仏を称える人のいる所も浄土だと言えます。
 「お念仏を称える人」とは、「信仰を持った人」ということを前提にしての話しですが、親鸞聖人は、「信心すなわち大慈大悲の心なり」と説いています。信心を持った人の心には「大慈大悲」が宿っているという意味です。
 「大慈大悲」とは、私たち「凡夫」と言われる人間は持ち合わせない心です。「大慈大悲」は、もともと仏さまの心です。
 そんな私たちが「大慈大悲」の心を持てるのは、信心を得ることによって、仏さまから「大慈大悲」をたまわるのです。その「大慈大悲」の心を持って生きることが、お念仏を生きることであり、信心を生きることなのです。
 「大慈大悲」を生きるとは、簡単に言えば、「思いやりを」持って生きることです。自分の利益だけを考えるのでなく、相手の利益も考えて生きることです。
 この生き方ができれば、その人の前に浄土が現れてくる。浄土が現れるということは、その人の側に、仏さまが現れてくださることです。その結果、周りに仏さまが充ち満ちて、仏さまに囲まれて生きることになります。そして、仏さまのいる所が浄土です。仏さまに囲まれている私は、浄土のど真ん中にいることになります。
 たとえば、こんな話しがあります。
 これから、「ころ柿農家」は忙しくなります。ころ柿作りは、たいへんな仕事のようです。できあがるまでには、いろいろな工程があり、工程ごとに気を遣いながら仕事をします。ときには、寝る暇もないほど忙しいこともあるそうです。
 ころ柿を作っている人たちに、「ころ柿を作って、何かいいことがありましたか?」と尋ねたことがあります。
ある人は、「お金がもうかった!」と答えました。
 「それだけですか?」と重ねて尋ねたところ、別の人が、「食べてくれた人が喜んでくれた!」と答えました。
「お金がもうかった!」と「食べてくれた人が喜んでくれた!」では、ころ柿を作る人の心の持ち方がまったく違うように思います。
「お金がもうかった!」という人は、自分の利益だけを考えて、ころ柿を作っている人です。
 一方、「食べてくれた人が喜んでくれた!」と答えた人は、食べてくれる人のことを思いやりながら作っています。
 これは、大違いです。
 「食べてくれた人が喜んでくれた!」と答えた人は、「大慈大悲」の心でころ柿を作る人です。思いやりの心を持って生きる人です。思いやりを持ってころ柿を作れば、食べてくれる人が喜んでくれます。その喜びは、食べてくれた人のものだけではありません。作った人の喜びでもあります。そこに、ともに喜ぶ人間関係ができあがります。
 こんな人間関係があるところを、浄土と言うのです。
私の周りに現れてくださる仏さまとは、私の思いやりを喜んでくださる人たちのことです。そんな人たちに囲まれて生きることは、私の喜びでもあります。喜びが、私の周りに集まってくる。その喜びに包まれて生きることを、浄土を生きるというのです。
 そして、喜びに包まれて生きる感動が、「南無阿弥陀仏!」のお念仏となって口からこぼれます。その人のことを「お念仏を称える人」と言うのです。
 これから、報恩講シーズンを迎えます。報恩とは、感謝です。私の思いやりを喜んでくれる人たちに囲まれて生きるわが身の幸せを感謝することです。
 「…ご恩ご恩で日暮らしすれば、胸がやゆらぐ心が勇む。ご恩うれしや、南無阿弥陀仏、阿弥陀仏…」ということばを残した妙好人もいます。
 念仏は、安心と生きる勇気をもらった感謝のことばでもあるのです。

【 秋深し 】

     深秋や 身にふるゝもの 皆いのち

                          原 コウ子

 実りの秋を過ぎて、秋が深まってくると、もの皆が静かなたたずまいを見せるようになります。軒に下がっているつるし柿も色鮮やかながら静かです。静寂な日だまりのことを「寂光土」と言った人がいます。「寂光土」とは浄土のことです。命の根元の世界です。
 秋は、もの皆が、命の元に帰って行く静かな美しさを見せています。   合掌

平成20年11月

【 お寺の行事 】

     11月 8日(土) かかお講 お始まり 午後1時半
                       当  番  石川組

     11月15日(土) お七昼夜  お始まり 午後1時半
                     
         16日(日) お七昼夜   お と き  正午
                        お始まり 午後1時
                        当  番 土肥組
                 説教 奥村文秀 師(かほく市 本乗寺)

            お誘い合わせてお参りください。


【 ご返杯 】
 由紀さおりさんという歌手を、ご存じだと思います。
 由紀さおりさんは、終戦後間もない1948年に生まれました。小さい頃から、歌が好きで、舞台に立って、お客さんから拍手をもらうのが、何よりの楽しみでした。将来は、本物の歌手になりたいという夢を持っていました。
 17歳の時、プロ歌手としてデビューしました。しかし、まったく人気が出ませんでした。そのうち、華やかに見える芸能界の裏側を知ることになりました。芸能界は、表のステージが派手な分、裏側はドロドロしていました。足の引っ張り合いの世界です。人を押しのけて、のし上がろうとします。のし上がろうとすると、誰かに足を引っ張られます。若い芽が頭角を現そうとすると、誰かが、その芽を摘んでしまおうとします。そんな芸能界が嫌になりました。
 しかし、由紀さおりさんには夢がありました。歌が大好きです。歌を歌って人気歌手になりたい。その夢を抱いて、由紀さおりさんは辛抱しました。
 デビューから4年後、「夜明けのスキャット」が大ヒットしました。♪ラーラララ…、ルールルル…♪と歌って、いつまで経っても歌詞が出てこないあの歌です。由紀さおりさんの涼やかな声で歌う「夜明けのスキャット」は、当時の日本人の心をとらえました。
 以来、40余年間、由紀さおりさんは歌い続けました。
 由紀さおりさんは、今年60歳を迎えました。人間としての節目を迎え、長かった芸能生活を振り返ったとき、「ご返杯」ということばが頭に浮かびました。
 これまでの40余年間の芸能生活は、色々なことがありました。芸能界というところは、ライバルに足を引っ張られ、そのライバルの足を引っ張りかえし、頭を叩かれ、人の頭を叩かねば生き残れない厳しい世界でした。
 その来し方を振り返ったとき、「私がここまで来れたのも、歌に救われた! 私の歌を聞いてくれたファンに支えられた!」という思いがこみ上げてきました。心の中にドロドロしたものを抱えていても、ステージに上がって歌えば、歌がドロドロしたものを洗い流してくれました。歌が終われば、ファンが、万雷の拍手で応えてくれました。そして、思いました。「今までは、自分の人気のことばかり考えて歌ってきた。芸能界に存在感を示せたのも、自分が頑張ったからだ、努力したからだと思っていた。そうではなかった! 歌と、私の歌を聞いてくれた人たちがいたからこそ、ここまで来れたのだ。 そうだ! この人たちに、ご恩返しをしなくては!」と。そう思ったとき、「ご返杯」ということばを思いついたのです。
 現在、由紀さおりさんは、お姉さんの安田祥子さんと、歌のボランティア活動を行っています。
 老人ホームで歌ったり、緩和ケアセンターなどで歌い、保育園や幼稚園、養護学校などに、自分たちの歌を録音したCDをプレゼントする活動を行っています。緩和ケアセンターは、終末期を迎えた人たちが暮らす施設です。由紀さおりさんたちが訪問すると、施設のホールには、車いすに乗った人や、ベットに寝たまま運ばれて来る人などさまざまです。そういう人たちを前にして歌うとき、由紀さおりさんは、この人たちは、もうすぐ死ぬのだと思うと、心が動揺して、うまく歌えません。それでも、心を強く保って歌います。歌うと、患者の方々が喜んでくれます。中には、立ち上がって拍手してくれる人もいます。後で聞くと、歌を聞いた患者さんが、前よりも元気になったという話しも耳にします。そうしたとき、「よかった!」と思うのです。
 そして、由紀さおりさんは、「歌は、止められない! 歌は、私の一生の仕事だ。歌うことが私の使命だ。歌うことが、私の責任だ。歌うことで、ご恩返しさせてもらうのだ。歌うことが私の使命であり、責任であるかぎり、私は死ぬまで歌い続けるのだ!」と決心するのです。
 さらに、由紀さおりさんは言います。「私の責任はますます大きく、重く、深くなっています」と。
 私たちも、どこかで、由紀さおりさんの言う「ご返杯」について考えねばなりません。いつまでも、自分だけのためと思っているわけにはいきません。自分を支えてくれた人たち、お世話になった人たちに「ご返杯」、つまり、ご恩返しをしなければなりません。一人勝ちは、許されません。自分一人だけ勝って、後は知らないというのでは、無責任というものでしょう。勝たせてもらった分、お返しをするという心がけが必要です。その心がけを「ご返杯」と言うのです。ご返杯、ご恩返しができて初めて、人間らしい人間、人間として生まれた意味があり、この世における責任を果たせるのではないでしょうか。

【 映画「おくりびと」 】
 金沢の映画館で、「おくりびと」がロングラン公演を続けています。
 楽団が解散したことで、仕事の無くなった主人公が、故郷山形へ帰って、納棺師になるというストーリーです。すでに結婚していた主人公は、妻に相談もせず納棺師になります。それを知った妻は、猛反発して家を出て行きます。それでも、主人公は納棺師の仕事を続けます。納棺を終えると、遺族から感謝のことばをもらいます。主人公は、しだいに納棺師という仕事に生きがいと誇りを見いだすようになります。家を出た妻も、葛藤を超えて、徐々に夫の仕事に理解を示すようになります。
 映画は、納棺シーンをまじえて、哀感を込めて展開します。主人公を演じる本木雅弘さんの納棺シーンは、様式美さえ漂う好演になっています。
 この映画に、笹野高史さんという役者さんが、正吉という役で登場します。正吉さんは、いつも鶴の湯という風呂屋へ通ってきます。
 正吉さんは、実は、火葬場の職員なのです。
 ある日、鶴の湯をひとりで切り盛りしていた女主人が、突然亡くなりました。葬儀を終えた家族を火葬場で出迎えたのは、正吉さんでした。
 母親の焼かれるところを見たいと言って、火葬場の裏側にやってきた喪主の息子さんに向かって、正吉さんは言います。「俺は長いことここで働いているけど、いつも思うんだよな! 死は門だってな! 次のシーンへの旅立ちの門だってな!」と。正吉さんは、しみじみ語ります。そして、風呂屋の女主人の棺に向かって、「また会おうな!」と声をかけ、スイッチを入れます。
 正吉さんのことばは、実際に火葬場の職員を取材した脚本家が、台本に入れたものと思われます。おそらく、いつも死と向き合って仕事をしている人の実感なのだと感じました。
 正吉さんの台詞には、優しさが漂っていました。          合掌

平成19年11月

【今月のお寺の行事】

         11月11日(日) かかお講  お始まり 午後1時30分
                    当 番     土肥組

             17日(土) お七昼夜   お始まり 午後1時30分

             18日(日) お七昼夜   おとき 正午
                             お始まり 午後1時
                    当 番     福島組

                 お誘い合わせてお参りください。


【 報恩 】

 11月28日は、親鸞聖人の祥月命日です。親鸞聖人は、法然上人のご恩を深く心に刻んで生きた人であります。『恩徳讃』は、親鸞聖人が作った和讃です。後半の「……師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし」では、法然上人のご恩を、強く意識して作ったことと思われます。
 では、「骨を砕きても謝すべ」き恩とは、どういうことでしょうか。
 ベトちゃんドクちゃんを覚えておられるでしょうか。ベトナム戦争で、米軍が撒いた枯れ葉剤を浴びた母親から生まれた結合双生児です。昭和63年、ベトちゃんドクちゃんは、日本の医師たちの協力によって分離手術を受け、その後、成人したドクちゃんが結婚するなど、2人のニュースは、日本でも大きく報道されました。そして、先頃、ベトちゃんが26歳で亡くなったというニュースも伝わりました。
 ベトナム戦争後、ベトナムでは、枯れ葉剤の影響で、たくさんの障害児が生まれました。中には、無脳症、無眼球症といった障害のある子どもまで生まれました。ベトナムでは、現在も、障害のある子どもが生まれ続けています。
 その子どもたちを支援したいと立ち上がった、ひとりの日本女性がいます。広島県生まれの保健師、田部玲子さん(71歳)です。
 田部玲子さんは、8歳の時、被爆しました。自宅の庭で、木登りをして遊んでいるとき閃光を浴びました。火の手があがり、街は火事になりました。田部さんは、迫ってくる炎の中を、母を捜して、街を逃げまどいました。裸足で逃げ出した田部さんは、焼けたアスファルトの熱さに堪えられず、路上に横たわる死体を踏んでは、「ごめんね。ごめんね」と言って歩き続けました。数時間後、郊外の駅の救護所にたどりつきました。田部さんは、救護活動中の看護師さんから応急手当を受けました。看護師さんは、「お嬢ちゃん、治療しましょう!」と声をかけてくれました。その優しさに、田部さんの孤独感が、少し和らぎました。数日後、母と再会し、終戦を迎えました。終戦後、届けられた支援物資の毛布が、外国からだと知った母は、「いつか恩返しせにゃいけんよ!」と田部さんに話しました。
 その後、田部さんは看護学校へ進みました。被爆時の優しい看護師さんとの出会いが、看護学校進学の動機となりました。卒業後、広島の病院に勤務し、保健師の資格も取りました。そんな折、ベトナムでは、今も枯れ葉剤のダイオキシンの影響で、障害児が生まれつづけていることを知りました。田部さんは、原爆の放射能の影響を恐れて、子どもを産むことを断念した自分の人生と重なるものを感じ、胸が締め付けられる思いをしました。
 その時、母に言われた「いつか恩返しせにゃいけんよ!」ということばが、心によみがえりました。すでに70歳を迎えていた田部さんは、具合の悪い腰を手術し、単身、ベトナムへ渡って、障害児たちが暮らす施設で、母親たちや施設の人たちと交流しました。
 田部さんは言います。
 「今も、日本では、戦争で受けた苦しみを引きずって生きている人がいる。ベトナムでも、同じような人たちがいる。苦しみを断ち切るお手伝いをしたい!」
 広島の原爆で、地獄の中から救い出された田部玲子さんは、ベトナムの子どもたちや母親たちを救う仕事に、余生をかけようとしています。
 田部さんの心の中では、原爆のときに出会った優しい看護師さんや外国から毛布を送ってくれた顔も知らない人たちの親切が、親鸞聖人が法然上人のことを思ったと同じように、強く意識されているのです。
 高齢になっても、手術を受けてまでも、ベトナムに行きたいと思う田部さんの姿に、「骨を砕きても謝すべし」とこころざす、強い報恩の心を思うことであります。

【 生前葬 】

 今から14年前、女優の水の江滝子さん(当時78歳)が「生前葬」を行って、世間を驚かせました。
 「生前葬」とは、自分が生きている間に行う自分の葬式のことです。水の江さんの生前葬は、葬儀委員長が俳優の森繁久彌さん、代表献花は今は亡き三船敏郎さん、司会は永六輔さんという豪華な顔ぶれで行われました。水の江さんは、芸能活動をやめ、女優という仕事から離れて、のんびりとした余生を送ることに決めました。これまでの活動に終止符を打つ、そのけじめとして、生前葬を思い立ったようです。
 そして今、生前葬が注目されています。生前葬をする人が増えているということではありません。東京都が行った葬儀に関する調査によると、生前葬を知っている人が63%、生前葬をすることを考えたこともない人が70%、ぜひやってみたいと思う人は、わずか2%でした。にもかかわらず、生前葬が注目されるのは、現在、さまざまな生き方や考え方がある中で、葬式もいろいろな形があってよいと思う人が、生前葬も選択肢のひとつだとして、関心を寄せているからです。
 甲府市に住む下薗八二さんは、80歳を機に、奥さんといっしょに生前葬を行いました。市内のホテルにお客さんを招いて、住職さんから法名をもらい、お経を読んでもらったあと、会食するという形で行いました。生前葬を終えた下薗さんは、「区切りがついて安心した。出席していただいた方々に元気づけられ、これからも健康で頑張ろうという気持ちに切り替わりました」と語っています。
 下薗さんの生前葬は、「自分はもう高齢だから、いつ死ぬか分からない。縁者たちとは、もう会う機会もないだろう」と思ったのがきっかけでした。ゆかりの人たちに今生のお別れをするという、どちらかというと、消極的な発想からでした。ところが、出席者たちから、元気をもらうことになりました。下薗さんにとって、生前葬は、図らずも人生の新しい出発点となったわけであります。
 葬式の「葬」は、捨て去るということです。私たちは、縛られているものを捨て去ることができれば、自由になれます。そして、何としても願われることは、煩悩を捨て去ることです。煩悩に縛られず、煩悩から離れて、自由になることです。しかし、煩悩を捨て去ることは簡単ではありません。
 親鸞聖人も、煩悩を捨て去ることができませんでした。
 そして、気づきました。
 煩悩を捨て去ることもできない情けない我が身を、それでもなお照らしてくださっている働きがある。
 その働きに気づくことで、親鸞聖人は煩悩の縛りから解放されました。
 したがって、私たちが捨て去らねばならないのは、煩悩にまみれた我が身であっても、なおかつ照らしてくださっている働きがある、それに気づかない無知な心を捨て去ることであります。   合掌


平成18年11月

【今月のお寺の行事】

            11月12日(日) かかお講   お始まり  午後1時30分
                               当 番     福島組

               18日(土) お七昼夜   お始まり   午後1時30分

               19日(土) 互 助 成    お始まり   午前10時
                      お七昼夜   おとき    正午
                              お始まり  午後1時
                               当 番    道辻組


【 信頼 】

 インドの隣国、ガンジス川の下流にバングラデシュという小さな国があります。この国のムハマド・ユヌスさんという銀行家が、ノーベル平和賞を受賞しました。
 ムハマド・ユヌスさんは、貧しい人たちに担保なしで小口融資を行っています。融資を受けた人たちは、そのお金で家畜を買ったり、井戸を掘ったりして、生活を大きく改善させました。ムハマド・ユヌスさんの小口融資は、バングラデシュの多くの貧しい人たちに、大きな希望を与えています。
 ムハマド・ユヌスさんの融資は、5人でひとつの組を作ってもらい、その「5人組」に融資するという方法をとっています。融資を受けた「5人組」は、そのうちの誰かが融資されたお金で事業を起こします。次回の融資では、別の誰かが利用するという方法で、5人が協力しながら、しかも連帯して責任を負うというしくみになっています。かつて、日本で広く行われた「たのもし講」のような形態と考えればよいでしょう。違うところは、お金の出所が異なるという点です。そして、担保なしとはいえ、担保となるものが無いわけではありません。借りる側にとっては、受けた融資を元手に、頑張って働いて返済しますという労働意欲が担保であり、貸す側にとっては、返してもらえるという信頼がなければ融資は成立しません。担保は、物では無く、お互いの信頼という心であったわけです。
 このような無担保融資は、日本では考えられないことです。また、家畜を一頭買っただけで生活が大きく改善したり、井戸を掘っただけで、生活が向上するなどということも、現在の日本では考えられません。しかし、物やお金が豊かになってしまった日本でも、かつてはバングラデシュの人たちが経験した貧しさがありました。その貧しさを克服してきた日本人は、物の豊かさは手に入 れましたが、生きる喜びや希望を失いました。豊かな日本で、今、何人の人が生きることに喜びを感じ、希望を持って生きているでしょうか。
 バングラデシュの人たちは、少しのお金で希望を見いだし、大きく改善した生活を喜び、未来に向かって力強く生きています。そして、一人一人が「信頼」という心でつながった社会を作り上げました。物が豊かになった社会では、「喜び」「希望」「信頼」を共有する共同体は作れないのでしょうか。


【 口の中の斧 】−(「スッタニパータ」より)

 お釈迦さまの弟子で、コーカーリヤという修行僧がいました。あるとき、お釈迦さまの所へ来て、「舎利弗(サーリプッタ)」と「目蓮(モッガラーナ)」には邪念があり、悪い欲望にとりつかれています」と告げました。
 お釈迦さまは、「まあそう言うな。2人を信じなさい。2人は温良な人たちだ」と諭しました。
 しかし、コーカーリヤは、舎利弗と目蓮には邪念があると言って譲りません。この問答を3回繰り返したあと、コーカーリヤは、お釈迦さまに礼をして立ち去りました。それからまもなくして、コーカーリヤの全身に芥子粒ほどのはれ物ができ始めました。そのはれ物は、だんだん大きく赤くはれあがり、膿と血がほとばしるようにして流れだしました。コーカーリヤは、この病苦のため、とうとう死んでしまいました。そして、死後、紅蓮地獄に生まれました。
 このことを聞いたお釈迦さまは、弟子たちに言いました。

   人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。愚者は悪口を語って、   その斧によって自分を断つのである

 あとで分かったことですが、コーカーリヤは、お釈迦さまの教団の後継者と目されていた舎利弗と目蓮を憎み、2人を教団から追い出して、自分が後継者になろうとたくらんでいたのです。コーカーリヤは、その野心から、お釈迦さまに舎利弗と目蓮の悪口を言ったのでした。
 「口は災いのもと」ということわざがありますが、仏教は、このことわざの意味するところを、たくみなたとえを用いて説いてくれています。
 私たちは、「口の中の斧」で人の心を傷つけ、人間関係を悪くするということは、よくあることです。また、そういう経験は誰にもあることです。しかし、いったん「口の中の斧」をふるってしまうと、その斧で、結果的に自分が傷ついてしまうことに気づいている人は少ないように思われます。傷ついても傷ついても、その傷に気づかず、「口の中の斧」をふるって、人の悪口を言っているのが、私たちの現実ではないでしょうか。なぜなら、私たちは、生まれながらにして、口の中に「斧」が生えているからであります。


【 一筋の銅(あかがね) 】

 福浦港にある福専寺に伝わる話です。
 あるとき、お寺の鐘楼の釣り鐘を新調することになりました。住職は、ご門徒宅を奉加に回りました。ほとんどのご門徒さんは、奉加に応じてくれましたが、あるご門徒さんを訪ねたとき、その家の主人は、
 「ご院主さん。せっかく訪ねてくれましたが、家が貧乏でお金がありません。   お金の代わりに、これを寄付させていただけないでしょうか。」
と言って、一筋の銅を差し出しました。その銅は、家の主人が、道で拾って帰ったものです。これを見た住職は、怒り出しました。
 「こんなものは、一銭にもならん。」
と言って、主人が差し出した銅を地面にたたきつけました。しかし、たたきつけはしたものの、「まてよ、こんなものでも釣り鐘を作る足しになるかも知れない」と思い直した住職は、その一筋の銅をもらって帰りました。そして、その銅を鋳物職人に渡して、他の銅と混ぜて釣り鐘を作らせました。
 何日か過ぎて、釣り鐘が完成しました。さっそく鐘楼に吊って、撞き初めをしたところ、鐘が鳴りません。何度、撞いても、鐘はうんともすんとも鳴りません。誰が撞いても、同じことでした。
 そのとき、住職は、はたと気づきました。自分が怒って、地面に投げつけた銅のせいだと思い当たったのです。
 自分の振る舞いを深く反省した住職は、釣り鐘を供養して、吊り直しました。
 現在、その釣り鐘は福浦港に鳴り響き、人々に時を知らせています。  合掌



平成17年11月

【 不遇を生きる 1 】

 今年は、先の大戦が終わってから60年目を迎えます。
 昭和20年8月、莫大な犠牲を払い、甚大な被害も受け、また過大な損失をアジアの国々に与えて敗戦国となった日本は、満身創痍の状態で新たな出発をすることとなりました。その出発にあたって、日本は、「二度と戦争をしない」と、不戦の誓いを立てました。そして、幸いなことに、今日に至る60年の間、日本人の多くが直接巻き込まれる戦争はありませんでした。
 しかし、アジアの国々では、朝鮮戦争・ベトナム戦争・カンボジア戦争などが勃発し、動乱と混乱の60年を苦しむこととなりました。そして、世界では今も戦火が止まず、テロなども頻発し、ただならぬ状況の中で、無辜の民が巻き添えになっています。
 その無辜の民が60年前に直接体験した苦痛を、生涯消し去ることのできない体や心の傷として引き受けて生きている人たちが、日本にはたくさんいます。

 広島に落とされた原爆で、弟を亡くした女性がいます。
 8月6日、その日、弟は夕方になって家に帰ってきました。
 弟は、原爆が落ちたとき外に居たため、放射能をじかに受けてしまい、全身が真っ黒になっていました。
 その姿を見た女性は、思わず弟を抱きしめました。
 そのとき、弟の皮膚がズルリと剥がれてしまいました。
 弟「お姉ちゃん、ぼくえらかったんよ。ぼく一人だけ立ち上がったんよ。みんな二度と立ち上がらんかった。」
 姉「えらかった。えらかった。ようやった。強かったなあ。」
と泣きながら、ありとあらゆる布で、弟の体をぐるぐる巻いてやりました。
 そのとき、「空襲警報だ。」という近所の人の声で、弟を乳母車に乗せて川のほとりまで避難しました。その途中、
 弟「水を飲みたい。」
と言いましたが、大けがをした人に水を飲ませたら死ぬということを聞いていたので、我慢させました。
そして、川のほとりに着いたとき、
 弟「お姉ちゃん、オシッコ。」
 姉「そこへしんさい。」                         
 弟「川でする。」
 姉「なに言うん。そう言うて、川の水飲むんじゃろー。がまんしんさい。」
と大声でどなると、
 弟「うん………。」
と返事して、それっきり静かになりました。
 それから、姉もウトウトし始め、眠ってしまいました。
 翌朝、目が覚めると、弟は、笑ったような、うれしそうな顔で眠っています。
 姉「もうすぐ朝よ。」
と声をかけましたが、弟の返事はありません。弟は、すでに死んでいました。

 姉は、「なんで、この子が。何で、この子が死ぬるんか?」「なんの悪いこともせん優しい子が、なんで犠牲にならにゃいけんか?」と思い続け、ずっと苦しんできました。そして、弟が、「お姉ちゃん、水が飲みたい。」と言ったとき、どうせ死ぬことが分かっていたのなら、あのとき腹いっぱい飲ませてやればよかったという後悔と、悪いこともしていない人間が、なぜ罪もないのに苦しみを受けねばならないのかという疑問と、人の世の不如意・不条理・矛盾を身に染みて感じました。
 その後、成人した姉は、結婚し子どもも生まれましたが、子は三つのガンを患い、その孫娘も小児白血病で闘病生活となり、原爆の後遺症を孫子の代まで引きずって生きることとなりました。
 この女性を、救うことができるのでしょうか。また女性は、救われるのでしょうか。この世から、地獄・餓鬼・畜生の三悪道を無くするまで衆生救済のために働くと誓った阿弥陀如来は、この女性に対して、どんな教えを説くのでしょうか。

 『仏説観無量寿経』というお経があります。
 このお経は、一つの事件から説き始められています。
 この事件は、「王舎城の悲劇」と言われています。
 王舎城の頻婆娑羅王に一人の王子がいました。
 名前を阿闍世と言います。
 この王子は家来にそそのかされて、自分が王になるため、父の頻婆娑羅王を捕らえて牢獄に閉じこめてしまいました。そして、食べ物を一切与えませんでした。 このことを悲しんだ父王の后葦提希夫人は、食べ物を隠し持って、面会を理由に王の元へ通いました。
 このことを知った阿闍世王子は怒って、母の葦提希夫人まで殺そうとしましたが、別の家来に諫められ、仕方なく母を一室に閉じこめて外に出られないようにしてしまいました。
 后は、愁憂憔悴し、我が身に降りかかった災難をどうすることもできず、お釈迦さまに相談します。
 そこから、お釈迦さまの説法が始まります。

 この「王舎城の悲劇」の物語と、原爆で弟を亡くし、さらに我が身と我が子や孫まで不遇に陥れられた女性の身の上には、共通点があります。
 それは、罪もない人間が、辛い境遇に出会っているという点です。
原爆で弟を亡くした女性は、そのとき、「なんの悪いこともせん優しい子が、なんで犠牲にならにゃいけんか?」と叫びました。
 また、王舎城の葦提希夫人は、「世尊、我、宿何の罪ありてか、この悪子を生ずる?」
―お釈迦さま。罪を犯した覚えのないこの私が、なぜ阿闍世王子という悪い子を産むことになってしまったのでしょうか?―と、お釈迦さまの前で嘆きました。

 思いがけない災難や悲劇は、他人事ではありません。
 世の中には、予測できないことがたくさん起こります。人生においても同じです。
私たちは、そういう不測の事態に出会ったとき、それにうまく対応し、処理し、乗り越えていけるのでしょうか。不測の事態は、我が身、我が家族、我が地域、我が国、どこで起きるか分かりません。現代は、そういう不安を抱かせる出来事が、たくさん起こっています。
 明るく前向きな時代が、ずっと続くということはありません。暗い時代もありました。暗い時代でも、人間は生き抜いてきました。
今、私たちに求められていることは、暗い時代を生きる覚悟と、暗い時代を生き抜く知恵を持つことではないでしょうか。
 その知恵を、仏教の教えに学びたいと思います。         合掌

  (次号に続く)



平成16年11月

「看護のこころ」

 10月22日(金)、『朝日新聞』朝刊の第一面に、”アッ”と息を呑むような緊迫した状況下にさらされた人たちの写真が大きく掲載されました。
 その写真には、水没すれすれまで冠水した観光バスの屋根に、20人あまりの人たちがかたまって座っているようすが写っています。バスの近くには、幹の途中まで冠水した木の枝に2人の男性がぶらさがっています。あたりには、陸地らしいものは見当たりません。そして、観光バスと木を水没させた水は激しく流れています。
 これは、京都府舞鶴市で、台風23号の影響で増水した川が急激に氾濫して道路にあふれ、通りかかったバスを濁流が飲み込んでしまったために起こった不慮のできごとでした。
観光バスの遭難は、冠水した道路を通り過ぎようとしたときに起こりました。前を行く車が止まったので、停車した観光バスのエンジン内に水が入り、エンジンが止まってしまいました。バスは身動きできなくなりました。そのうち、増水した水がバスの車内に入り出しました。危険を感じた乗客たちは、バスの窓ガラスを割ってバスの屋根に登り、救助のレスキュー隊が到着する翌朝まで、恐怖の一夜を過ごすこととなりました。
 救助された乗客の話によると、夜中には、水位がバスの屋根を越えてしまい、バスの屋根に立っている人たちの臍あたりまできたそうです。あたりは、真っ暗で何も見えず、水の流れる不気味な音だけが聞こえてくるばかりでした。
 乗客たちの恐怖は、極限に達していました。
 にもかかわらず、この遭難で、一人の犠牲者も出ませんでした。全員無事救助されました。運が良かったとしか言いようがありませんが、この遭難で、恐怖の一夜を全員無事に明かすことができたのは、乗客の中にいた一人の元看護師の働きがあったからです。
 元看護師の女性は、増水して水位が増してくる恐怖のバスの屋根の上で、一晩中、乗客たちを励まし続けました。彼女は、みんなに歌を歌わせたり、手の運動をさせたり、肩を組み合って「わっしょい、わっしょい」と、かけ声を掛けさせたりして、恐怖と夜の寒さから乗客たちを守り、元気づけようとしました。この元看護師の働きが功を奏して、乗客たちは気が動転してパニックにおちいることもなく、恐怖の一夜を乗り切ることが出来ました。
 「看護のこころ」ということばがあります。看護師が、患者と対するときに持たねばならない心のことです。その心とは、患者に対するときは愛情を持って臨み、患者の苦しみを自分の苦しみとして、ともに苦しみ、生きる勇気と希望を与え、そこに自分のはからいというものを交えない滅私の心の状態のことです。
 元看護師の女性は、自分も遭難した緊急事態に「看護のこころ」で対応しました。彼女は、自分の命だけを守ることは考えませんでした。乗客たちみんなとともに苦しみ、乗客たちに元気と希望を与えるために、ともに歌い、ともに体を寄せ合うことを提案しました。乗客たちは、彼女の指示に従い、一人としてあきらめることなく、危機的状況と対峙しました。
 乗客たちは、この元看護師の存在を、どんなにか頼もしく思い、そして信頼したにちがいありません。
 「四無量心」という教えが仏教にあります。「四つのはかりしれない利他の心」のことです。その四つとは、「慈」「悲」「喜」「捨」です。この四つが、それぞれ無量に備わっている心のことを「四無量心」と言います。「慈」とは、相手を大切に思い、安らぎと楽しみを与える心のことです。「悲」とは、相手の悲しみを自分の悲しみとして、ともに悲しみ、そのことで、気持ちを楽にさせてあげる心のことです。「喜」とは、相手の喜びを自分の喜びとして、ともに喜んであげることで、喜びを倍にさせてあげる心のことです。「捨」とは、相手を苦しみから助け出し、幸せにしてあげたのは自分だという気持ちにこだわらず、その気持ちを捨てる心のことです。
 この「四無量心」が「看護のこころ」です。
 もし私たちが、突然の危機的状況に遭遇した場合、今回の観光バスの遭難のように、とっさの判断で適切な対応ができるでしょうか。人によっては、気が動転してしまって、悪くなるはずもない事態を悪化させるような行動をとってしまうこともあるでしょう。
 今回の遭難では、元看護師は冷静でした。恐怖の状況を前にして、心を動揺させることはありませんでした。自分たちが遭遇した事態を、過大にも過小にも評価することなく、これから先のことを悲観的にも楽観的にも考えることなく、現実に目を背けず冷静に行動しました。
 「看護のこころ」には、「沈着冷静なこころ」も必要です。この心のことを仏教では、「不動心」と言います。どんな事態が起こっても、動揺せず、退転しない揺るぎない心のことです。
私たちは、いつどんな運命に遭遇するか分かりません。その運命は、生死にかかわる場合もあります。
 今回の観光バスの遭難は、犠牲者が出ても仕方のない事態にまで追い込まれました。しかし、最後まであきらめず、沈着冷静に行動した元看護師の「看護のこころ」が、全員生還を果たす大きな力となりました。 合掌

  かかお講 11月 7日(日) お勤め 午後1時30分
                    法 話        (当番 道辻組)

  お七昼夜 11月13日(土)  お勤め 午後1時30分
                    御伝鈔拝読
                    法 話

  お七昼夜 11月14日(日) おとき 正午※お昼までにお参り下さい。
                    お勤め 午後1時
                    御俗姓御文拝読
                    法 話         (当番 石川組)

            お誘い合わせてお参りください。



平成15年11月

 今月は、キノコを掲載したいと思ってあちこち歩き回っている間にいろいろなものに出会いました。秋は、豊かな恵みを
私たちに与えてくれています。
 そして気づきました。日頃、私たちは、その豊かさを実感してはいません。足りない足りないと言ってアクセクしています。
ほんとうに私たちは、足りないのでしょうか。周りをじっくりと見渡してみれば、もったいないくらい恵まれている自分に気づ
くはずなのですが。
「浜の真砂は尽きるとも、世に泥棒の種は尽きまじ。」ということわざがあります。人間の悪知恵は尽きることなく、次々と出てきます。そして、悪知恵は時代の状況と密接に関連しています。悪知恵は、いわば時代を映す鏡と言ってもよいでしょう。
 今、社会問題となっている「おれおれ詐欺」は、お年寄りが被害に遭っています。最近、年金返還要求詐欺も流行りだしたそうです。以前は、催眠商法で高額な商品を買わせるという犯罪に近い商売もありました。
 これらは、すべてお年寄りをねらっています。お年寄りが、なぜねらわれて被害者になってしまうのでしょうか。そして、なぜこんな犯罪が起こるのでしょうか。
 その原因のひとつに、加害者と被害者のそれぞれが受けた教育の違いを上げることができるように思います。
被害者となっているお年寄りたちは、戦前の教育を受けました。戦前は、学校でも家庭でも、そして社会でも「清く正しく」と教えました。そして、人を「疑う」ことは悪いことだという意識もありました。また「お天道さまが見てござる。」とか「仏さま、神さまが全部知ってござる。」ということばは、犯罪を抑止するに十分な力を持っていました。
 しかし、加害者は戦後の教育を受けた世代です。戦後という時代は、豊かさを求め、それが行き過ぎた結果、「赤信号、みんなで渡れば怖くない。」という時代風潮まで産みだしました。こういう時代に育った世代の中から、正直なお年寄りをだましてお金を取っても、悪いとは思わない人間がでてきました。そういう人間は、「だまされる方が悪い。」と平然としてうそぶく傾向まで心の中に育ててしまいました。
 物が豊かになるということは、こういうことになるのでしょうか。何とも嘆かわしい時代になったものであります。
 物のない時代の日本人は、豊かな心を育てました。しかし、物のある時代には、貧しい心しか育てられませんでした。現代の日本人は、たとえて言えば栄養が行き渡りすぎて根腐れした大根と同じような状態です。
 今、日本人は「清らかで、正しく、尊いもの」に飢えています。
 時代の行き着く先が見えた今、仏さまの教えに謙虚に耳を傾け、物の豊かな時代を心豊かに生きるための仏さまの智慧に目覚めたいものであります。  合掌

        【11月の行事】

             11月 9日(日) かかお講  お始まり 13時30分
                                法 話
                                       当番 石川さん組

              11月15日(土) お七昼夜  お始まり 13時30分
                                御伝鈔拝読
                                法 話

              11月16日(日) お七昼夜  おとき  12時00分
                                お始まり 13時00分
                                御俗姓拝読
                                法 話
                                       当番 谷川さん組

                              皆さまお誘いあわせてお参りください。



平成14年11月

今年の紅葉は、とりわけ鮮やかなようです。今年の夏はよく照りました。そして、霜降を過ぎた
冷ややかな昨今の気候が、葉の色づきを良くしているようです。「錦秋」とは、うまく言ったもの
です。
 10月・11月は、各寺々で報恩講が勤まります。報恩講のことを「お七夜」と言ったり、単に「法事」と言ったりもします。昔の代田法事などは、たくさんの露店が道の両側にひしめいて並び、参詣の人も多く、まるでお祭りのような騒ぎとにぎわいでした。それに比べて、今は昔のおもかげもありません。これは、代田法事ばかりではありません。どこのお寺でも、にぎわいは昔話になってしまいました。
 しかし、昔はお参りの人が多かったとはいえ、報恩講の意味を分かってお参りした人がどれだけ居たでしょうか。むろん、現在よりは多かったでしょうが、物見遊山的なお参りをした人もずいぶん多かったことと思われます。でも、昔の人たちは、お寺にお参りすることを素直に受け入れられる精神的な風土は持っていました。
 さて、「報恩講」は、私たち浄土真宗の門徒にとって、11月30日に亡くなられた親鸞聖人のお徳を偲び、聖人の教えに導かれ、生かされて生きることに感謝する最も大切な年中行事です。お寺での報恩講が済めば、門徒の方々のお宅で報恩講が勤まります。家庭で報恩講を勤める意味も同じですが、家庭での報恩講には、ご先祖のご苦労に感謝するという意味も加わります。そして、家庭で勤まる報恩講も、門徒の方々にとっても大切な年中行事です。その日には、家族そろってお仏壇にお参りし、ともにご先祖を偲び、親鸞聖人のご恩とご先祖のご恩に感謝し、家族のきずなを深める機会としていただきたいものです。
 お参りのあとは、報恩講の日の特別な料理を家族全員でいただくという趣向があっても良いかと思われることであります。        合掌!

      極應寺の「報恩講」(お七昼夜)の予定は以下の通りです。

                      11月10日(日) か か お 講(当番 谷川さん組)
                                 午後1時30分 お勤め 法話

                      11月16日(土) お 七 昼 夜
                                  午後1時30分 お勤め 御伝鈔拝読 法話

                      11月17日(日) お 七 昼 夜(当番 福島さん組)
                                 正  午 おとき(食事)
                                 午後1時 お勤め 御俗姓御文拝読 法話

                      皆さまお誘いあわせてお参りください。