10月のおたより

2023(令和5)年10月

【 お寺の行事 】

       11月12日(日) お七昼夜・かかお講
                  兼 住職継承及び得度受式記念法要

                 当番 お七昼夜−谷口組
                 かかお講−道辻組

 〈 感謝 〉 

 今年も、残すところあと3ケ月となりました。
 10月、11月のお寺では、「お七昼夜」とか「お取越し」、「引上会」とか「法事」などと、お寺によって言い方は異なりますが、「報恩講」が勤まります。
 極應寺は、「お七昼夜」です。
 その後、門徒宅でも勤まります。
 「報恩講」は、真宗門徒にとって最も大切な年中行事です。
 親鸞聖人のお徳をしのび、念仏の教えに生きる喜びを感謝するお参りです。
 お寺の「報恩講」では、お斎(おとき)−食事のこと−が出されます。
 新米が炊かれ、ダンコンやシイタケ、じゃがいもや豆の煮物、酢の物などの精進料理を、収穫に感謝しながら、お参りの皆さんと一緒にいただきます。
 これが「報恩講」の伝統的な形でした。
 この形が、コロナ禍によって、お参りそのものが簡略化されたり、食事が弁当やその他の品に代替されたりして変わってきました。
 社会の状況の変化で仕方ないとしても、報恩感謝のこころは失わず伝えて行きたいものです。

【 触る 

 レジの支払いで、現金を受け渡しすることが少なくなりました。
 現金支払機で支払うか、スマホ決済で済むことが多くなりました。
 
 かつては、店員さんに現金を渡して、おつりも手渡しで受け取るのが当たり前でした。 
 その時、店員さんの手にちょっと触れることがありました。

 機械が進歩したことで、お金の受け渡しの手間や時間が省けることになりました。
 お客さんは、レジ待ちの長い列にイライラすることもなくなりました。 
 お店にとっても、お客さんにとってもキ合の良いことばかりですが、キ合のよいことが何かを変えたなと思うのです。

 他人の手に触れることを嫌がる人もいます。
 何でもないとき、関係のない人の手に触れることは、誰でも気持ちいいものではありません。

 店員さんとお客さんとでは、違います。
 レジでの現金払いで、ちょっとした拍子に、店員さんの手とお客さんの手が触れる。
 そのとき、たとえことばはなくても、両者の間に無言のコミュニケーションがあったように思います。
 手の感触を通して伝わってくるものを感ずることがありました。

 大井玄(おおいげん)先生は、在宅訪問医です。

 在宅の高齢者には、認知症の人がかなりいます。
 認知症の人は、

      お前、わしの財布を盗ったな!

などと、あらぬことを言い出して、家族を困らせます。
 認知症は、現代の医学でも治せません。
 大井先生は、何かしてあげられないか考えて、答えを見つけられないまま訪問診療を続けていました。

 あるとき、訪ねた高齢の女性が、じっとうつむいたままであまりにも可哀相なので、肩を抱いてあげました。
 すると、女性は突然泣き出しました。
 びっくりしたのは言うまでもありません。    
 そして、女性がなぜ泣いたのか考えました。
 答えは出せませんでしたが、この経験以降、認知症の高齢者の腕や膝や肩をできるだけ触ってあげるようにしました。
 そのうち、触ることに不思議な効果があることが分かってきました。

   1)触られることで安心感が生まれる。
   2)触られることで親近感が増す。

 そして先生は、ドイツの詩人、ノヴァーリスが詠んだ詩を思い出しました。

      すべてのみえるものは、みえないものにさわっている。
      きこえるものは、きこえないものにさわっている。
      感じられるものは、感じられないものにさわっている。
      おそらく、考えられるものは、考えられないものにさわっているだろう。

という詩です。
 「見えないものに触っている」という気づきは、私たちの心を深めてくれるように思います。   合掌

 


2022(令和4)年10月

 【 お寺の行事 】   

        11月13日(日) お七昼夜かかお講併修)

                     当番  お七昼夜−福島そうざしんたく組
                          かかお講−谷口組

 [季節の話題]
 
 10月13日は、「さつまいもの日」だそうです。
 昔から、焼き芋のことを「栗よりうまい十三里」とも言ってきました。
 江戸時代の終わりごろ、京の都から江戸へ焼き芋が伝えられ、初めて焼き芋を食べた江戸っ子が、

            こりゃー、栗よりうまいなぁ!

と言ったことから、「栗」に「九里」、「より」に「四里」を当てて、九+四=十三で、「栗よりうまい十三里」と言うようになったそうです。


【 有無同然 】
                                      
 大阪の住職さんの話です。
 毎月、門徒のお婆さんの家にお参りします。
 ある日、

    お婆さん  わずかな土地を人に貸して、賃料を生活の足しにしています。 
           でも、税金が高くてねぇ!

と愚痴をこぼします。
 これを聞いた住職さん、

    ここにも、「有るわ!無いわ!」で心悩ませている人がいるなぁ!

と思いました。
 というのは、滋賀県の伯父さんのことです。

 伯父さんのお寺は、かつては別院だったそうで大きなお寺です。
 大阪の住職さんのお寺は、火事で焼けて、現在は小さな本堂を建てて仏事を行っています。
 本堂の落慶法要のとき、伯父さんがお参りに来てくれました。
 開口一番、

    小さいな!

と一言。
 馬鹿にしているのかと思って、次のことばを待っていると、

    掃除が楽やろ?
    オレの所は大変やぞ!

と言います。
 これを聞いた住職さん、

    有れば有ったで悩みがあるのだなぁ!

と思ったことがあったからです。

 私たちは、日頃、無ければ無いで欲しいと思い、有れば有ることが邪魔になり、「有るわ!無いわ!」で、心煩わせながら生きています。
 仏教には「有無同然」という教えがあります。
 「有無同然」とは、有っても無くても同じだということです。
 有っても無くても、心惑わされることに変わりはないのです。

 お婆さんの愚痴を聞いた住職さん、

    住職  そんなら、お寺に土地を寄付してください!
         そうすれば、税金の心配もなくなります!

と言うと、お婆さんは、”うーん!”と考え込んでしまいました。
 
 一ヶ月後、お参りに行くと、お婆さんは土地の話を持ち出しました。

    お婆さん  やっぱり、土地は寄付できませんわ!
           わずかな貸し賃でも生活の足しになっているし、孫にも小遣いやれてます。
           今のままでいいと気づきました! 

 その後、お婆さんは愚痴を言わなくなりました。

 「有るわ!無いわ!」で思い煩うことは迷いです。
 迷えば心が揺れます。
 心が揺れれば、心が落ち着かなくなります。
 心が落ち着かなければ、生きることがおもしろくなくなります。
 「有無同然」は、思い惑う自分に、

     あぁ、今まで迷っていたなぁ!

と気づけという教えです。
 だから、迷ったら、「有無同然!有無同然!…」と念仏のように称えれば迷いは消えます。
 愚痴も出て来なくなります。
 そして、心のモヤモヤも無くなります。
 これは不思議なことです。          合掌 

2021(令和3)年10月

 【 お寺の行事 】

      歓喜光院殿御崇敬

         10月28日(木)−御崇敬準備
         10月29日(金)−午前 御影お迎え  午後 1時30分お始まり
            30日(土)−午後 1時30分お始まり
            31日(日)−午後 1時30分お始まり
         11月 1日(月)−午前 御影お見送り 午後 後片付

      お七昼夜・かかお講

         11月14日(日) お始まり 午後1時30分

                   説教 不二井悟史 師(穴水町 西蓮寺住職)

                   当番 お七昼夜−福島そうざ組
                       かかお講−福島そうざしんたく組

         今年も、コロナ感染予防のため、「おとき(食事)」はありません。
         お参りされた方には、「おとき」に代わる品をお持ち帰りいただきます。
         お七昼夜・かかお講は、この一年を感謝する真宗門徒の仏事です。

                     お誘い合わせてお参りください。

【 毛綱余話 】

 東本願寺は、76年の間に4回焼けました。
 天明八年(1788)の京都大火による類焼に始まって、二回目が文政六年(1823)、三回目が安政五年(1858)、四回目が元治元年(1864)の火事です。
 内訳は、類焼が2回、自火が2回でした。
 東本願寺があまりにも火事になるので、京の町の人は、

     火出し本願寺!

と皮肉りました。
 東本願寺は、約100年の間に火災と再建を4回も繰り返したのです。
 そのたびに、全国の門徒が多大な寄進をし、寄進するとともに、京に馳せ上って、本願寺再建を手伝いました。

 再建工事の大きな力となったのは、毛綱です。
 毛綱のことを記録した書物や関連資料が、幾つかあります。

 中でも、『金剛一統志』は、1回目の再建時の様子を詳しく伝えています。
 全国から京に上った門徒たちは、それぞれ国ごとに別れて、東本願寺の周りに小屋を建てて住みました。
 「御小屋」と呼ばれ、多いときは47の小屋ありました。
 手伝い人夫たちは、国ごとに揃いの法被を着て、背中には国元を表す文字一字を染めました。
 能登の門徒衆の法被には、 「能」を丸く囲った文字が入りました。
 法被の模様が違えば、背中の文字もそれぞれで、多いときには4,000人が作業したと伝えられています。
 作業する門徒たちは、背中の文字の名にかけて、切磋琢磨し合い、粉骨砕身の労を惜しみませんでした。

 そんな気力みなぎった熱気ある作業現場に、女の人たちの姿もありました。
 女の人たちは、諸国の小屋々々を回って、洗濯や縫い物、その暇には草むしりや壁に塗り込む藁を刻んだり、影の力となって本願寺再建を支えました。
 中でも目立ったのは、新潟県から上京してきた女の人たちです。
 16、17、18歳の娘さんも混じっています。
 皆、髪を肩ぐらいの所で切って短くしています。
 「尼削ぎ」という髪型です。

 当時の女の人は、髷を結うため、髪は腰の辺りまで伸ばしました。
 「尼削ぎ」は、出家して尼さんになった人か、夫に先立たれた女の人しかしませんでした。
 新潟県から上京した女の人たちの髪が短いのは、毛綱を作るために髪を切って寄進したからです。
 このことを、『金剛一統志』は、「我情を忘れてのお取り持ち」と讃えています。

 また、長岡藩の家老の娘、杉本鉞子さんの自叙伝『武士の娘』にも、毛綱のことが書かれてあります。
 杉本さんは、長岡藩の筆頭家老、稲垣家に生まれました。
 ある日、乳母と表通りを眺めていると、女の人たちは一様に手拭いを被って歩いています。

   鉞子  どうして、みんな手拭いをかぶっているの?

   乳母  あの人たちはみな、髪の毛を切っているのでございますよ、お嬢さん!

   鉞子  じゃ、みんなやもめね!
 
   乳母  いいえ、髪の毛で縄を編んで東本願寺さまに献上するのでございます!

と会話する場面があります。

 かつて、なぞなぞがありました。

   問  江戸城は誰が建てたでしょうか?

   答  徳川家康!

   問  ブッブー!

   答  それじゃ、太田道灌!

   問  ブッブー!  
      正解は、大工さんでした! 

というなぞなぞです。

 では、東本願寺は誰が建てたのでしょうか?

 第19代乗如上人(歓喜光院さま)ではありません。
 全国の名も無い真宗門徒が、信仰の力で建てたものです。
                                           合掌

2020(令和2)年10月

 【 お寺の行事 】

     期日 11月15日(日) 極應寺前住職十三回忌法要
                  かかお講(当番 福島そうざ組)
                  お七昼夜(当番 道辻組)

            上記、三仏事を併修します。

     日程 午前10時   読経及びお勤め
         正午      おとき( 時節柄、例年の「おとき」を廃し、お参りの皆さんには「お弁当」と「法要記念品」を
                      お持ち帰りいただくことにします。)
 
             お誘い合わせてお参り下さい。

【 30・10 運動 】

 実りの秋を迎えました。
 食卓に、新米のごはんや新鮮な秋野菜が並ぶ季節となりました。

 ところで、皆さんは、食事をどんなふうに始めるでしょうか。

 真宗大谷派東本願寺では、食事を始める前と後、手を合わせてとなえることばを決めています。

   [食前のことば]           [食後のことば]

    み光のもと              われいま
     われいま幸いに           この浄き食を終わりて
    この浄き食をうく           こころ豊かに力身に満つ
    いただきます             ごちそうさま
         
 「いただきます」「ごちそうさま」は感謝のことばです。

   一つには、食材を生産している人への感謝。
   二つには、食材のいのちへの感謝。
   三つには、食事を作ってくれた人への感謝。

ですが、日本人は「食材のいのちへの感謝」の心が、とりわけ薄いように思います。
 日本では、毎年、食料の三割が捨てられています。
 売れ残り、期限超え、食べ残しなど、本来食べられたはずの食料です。
 その量は、日本の人口1億2,500万人、1人あたり、茶碗一杯ずつ毎日捨てている計算になるそうです。
 たかが、茶碗一杯。されど、

    塵も積もれば山となる。

 捨てられる食料を、世界の飢餓に苦しむ人たちに届ければ、どれだけの人が救われるか計り知れません。
 日本の食料自給率は、たった39%です。
 大半は輸入に頼っています。
 それにもかかわらず、「食材のいのち」への無頓着ぶりは「罪」にあたるレベルにあります。

 西本願寺では、近年、30・10(サンマル・イチマル)運動が推奨しています。
 30・10 運動とは、宴会の時、宴会が始まってから30 分間、そして宴会が終わる前10 分間は自分の席に戻って、料理を楽しむという運動です。
 宴会では、とかく酒と話、歌などが中心になりがちです。
 その結果、宴会を終わってみれば大量の食べ残しが出るのが常です。
 これを防ぐために考え出された運動です。

 といっても、この運動には賛否両論あります。
 酒を飲まない人は、賛成でしょう。
 酒の好きな人は、反対の人が多いでしょう。
 料理を先に食べてしまえば、お腹がふくれて、存分に好きな酒が飲めません。
 さらに、ふくれたお腹で酒を飲んでも、酒は美味くありません。
 このため、30・10 運動は、なかなか広まらないのです。

 愛知県の大学の先生だった宇野正一さんは、

    食べ物様には 仏がござる 拝んで たべなされ

ということばを残しました。
 食べ物に、かつては「いのち」が宿っていたことに思い至れば、食品ロスも減るのですが!

【 始末の極意 】

 コロナ禍が収束した後の社会はどうなるのか、見通しが立ちません。
 しかし、始末だけは、きちんとしておかねばなりません。

 「しわい屋」という落語があります。

 大家さんが、店子に、始末・質素・倹約の方法を教えます。

 紙一枚を、三通り三回使う方法。
 梅干しを食べずに、にらんでご飯を食べる方法。
 同じように、うなぎ屋の匂いを嗅ぎながらご飯を食べる方法。

 うなぎ屋が、匂いの嗅ぎ賃をあとで請求に来たので、

   匂いの嗅ぎ賃やから、音だけでよかろう!

と、お金の音だけ聞かせて払わなかったという、質素・倹約ぶりを教えます。
 店子は、大家さんに、

   では、大家さん。始末の極意を教えてください!

と頼みます。
 大家さんが教えてくれた方法は、たとえば、松の木にぶら下がり、片手を離し、握っている手の小指・薬指・中指・人差し指と順に離しても、親指だけは絶対離さんのが始末の極意だと教えます。
 一旦掴んだチャンスは絶対逃がすなということでしょうか。     合掌!


令和元年10月

【 お寺の行事 】

     10月19日(土) 歓喜光院殿御崇敬視察参拝
                 会所 福専寺(志賀町福浦港)
                 視察 御崇敬役員8人
                     他、参拝を希望される方はご連絡ください。

     10月28日(月) 親鸞聖人ご命日                

     11月 7日(木) おてらのグランドゴルフ大会(於:シルバーハウスGG場)

     11月10日(日) かかお講 当番 道辻組
               お七昼夜 当番 谷口組

                   お誘い合わせてお参り下さい。

【 しぶ柿 】

 柿のシーズンとなりました。

 親鸞聖人が、越後におられたときの話です。
 
 聖人は、越後の各地を巡錫して念仏の教えを説きました。
 あるとき、柿崎まで来たとき、雪の中を行き暮れて、一軒の家に宿を借ることにしました。
 家のあるじは、

   何処の誰とも知れぬ者に宿を貸すことはならぬと代官さまから厳しく言いつけられているから貸せない!
   家の軒先ぐらいなら良かろう!

と家の中に入れてくれませんでした。

 聖人は、他に捜すあてもなく、家の軒先で体を休めることにしました。
 雪が、しきりに降っています。

 夜中、家のあるじが目を覚ましました。
 外から、「南無阿弥陀仏! 南無阿弥陀仏!…」と念仏の尊い声が聞こえてきます。
 女房に確かめさせたところ、

    家の軒先で、3人の坊さまが休んでいます!

とのこと。
 急いで、家の中へ招き入れ、囲炉裏の火にあたってもらいました。
 親鸞聖人は、囲炉裏の火にあたりながら、あるじと女房に、諄々と念仏の教えを説きました。
 念仏の教えを初めて聞いたあるじと女房は、これまでの不信を悔い改め、無二の念仏者となりました。

 このとき、聖人は、

    柿崎に しぶしぶ宿を とりけるに あるじの心 熟柿なりけり

と詠みました。
 はじめは、僧を僧とも思わなかったあるじが、仏法を聞いて、念仏を喜ぶ身になってくれたことを喜んで詠んだ歌です。
 そして、「南無不可思議光如来」と九字名号を書いて与えました。
 あるじは、

    かど通る 法師に宿を かしければ 書きくれたりや 九字の名号

と返歌しました。

 あるじは、井上忠長という元武士でした。
 念仏の教えに心開かれた忠長は、いまだ消えやらぬ武士のこころをさらりと投げ捨て、念仏の教えに帰依し、釈善順という法名をもらって、のちに浄福寺を建て開基となりました。

 さて、歌の中に、「かき」と詠まれています。
 柿には、4種類あります。

    ・青くて渋い柿
    ・赤いけれど渋い柿
    ・赤くて甘い柿
    ・青くても甘い柿

 これを念仏者にたとえれば、念仏者にも4通りあります。

   ・ 「青くて渋い柿」とは、姿形は念仏者に見えないけれど、やっぱり心の中も不信の渋が抜けていない人。
   ・ 「赤いけれど渋い柿」とは、肩衣かけて数珠持って、いかにも念仏者らしく見えるけれども、心の渋の抜けていない不信の人。
   ・ 「赤くて甘い柿」とは、肩衣かけて数珠持って、念仏者らしいうえに、心の渋も抜けた信心深い人。
   ・ 「青くても甘い柿」とは、井上忠長のように、姿形は田舎おやじに見えるけれど、心の中は渋の抜けた深い信心の人。

 親鸞聖人は、「…外儀のすがたはひとごとに…」と言われました。
 外面は人それぞれであるとともに、人の心の中もそれぞれであるという意味です。

 皆さんは、4人の中のどの人に当てはまるでしょうか。

 また、柿には7つの徳があります。

   1.柿の木は寿命が長い。
   2.柿は枝を張らせるから広い日陰を作る。
   3.鳥は柿の木に巣をかけない。
   4.柿の木には虫がつかない。
   5.紅葉した柿の木はどれにも増して美しい。
   6.柿は美味い実をつける。
   7.柿の落ち葉は他の木と違ってちぢれない。

 そして、渋が抜けて心が熟柿となった念仏者にも7つの褒め言葉があります。

   1.上々人(じょうじょうにん)
   2.妙好人(みょうこうにん)
   3.希有人(けうにん) 
   4.最勝人(さいしょうにん)
   5.分陀利華(ふんだりけ)
   6.染香人(ぜんこうにん)
   7.広大勝解者(こうだいしょうげしゃ)

 徳が多ければ、人は色々な呼び方をしてくれます。      合掌

 

平成30年10月

 【 お寺の行事 】  

    10月28日(日) お講

    11月 1日(木) おてらのグランドゴルフ大会 
                 於:代田シルバーハウスGG場
                 ※ 雨天の場合、11月7日(水)に順延となります 

    11月11日(日) かかお講 当番 福島(そうざしんたく)組
              お七昼夜 当番 土肥組

【 食分 命分 】

 福井県の山間にある「永平寺」を開いた道元禅師は、雲水たちに、

   学道の人、衣食をむさぼることなかれ。
   人々、みな食分あり、命分あり。

と戒めました。
 「食分」とは、その人が一生の間に食べる食べ物の量のことです。
 その量は、人それぞれ、あらかじめ決められています。
 また「命分」とは、与えられた寿命のことで、寿命も人それぞれ、あらかじめ決められています。
 このことは、

   医法等に見ること多し。

 禅師は、医学書などには、食分・命分のことがよく書かれてあるから、着ること食べることにぜいたくしてはいけないと、弟子たちを諭しました。

 ある僧の話です。

 死んで地獄に堕ちました。
  閻魔大王が、

    この者は、まだ「命分」が残っているから、娑婆へ帰せ!

と命じたところ、閻魔庁の役人が、

    いえ、大王さま。この者は「命分」は残っていますが、 「食分」は、すでに尽きております!
    娑婆へ帰っても、食べる分はありません!

と答えたところ、大王は、

    それならば、蓮の葉でも食べさせておけ!

と決まって、僧は娑婆へ帰されました。
 残りの命は、蓮の花を食べて一生を終えたそうです。

 食べ過ぎは、万病の元。
 栄養の摂りすぎで、病気になり、病院のベッドにつながれて、食べたい物も食べられず、飲みたいものも飲まれず、やがて一生を終えるためしはまれではありません。
 今、食欲の秋です。
 「腹八分」の教えは、昔の人が経験から学んだ人生の智恵です。

【 ひるのいこい 】 

 NHKラジオの長寿番組に、「ひるのいこい」があります。
 昭和27年に始まりました。
 お昼のニュースのあと、10分間ほどの番組です。
番組では、視聴者からの「おたより」が読まれます。
 かつて、金沢放送局に勤務したことのある内藤啓史アナウンサーが担当しています。

 ある日、舞鶴の人からの投稿が読まれました。


    先日、初めて野生の鹿を見ました。
    車で走っていると、鹿が前方の道路を横切りました。
    驚きました。

       人里に鹿が出るようになったのか!

    道路を横切った鹿は、立ち止まって、こちらを見ました。
    鹿と目が合いました。
    可愛い目をしていました。

    近年、イノシシ、クマ、キツネ、ハクビシン、サルなどが人里に出て来るようになりました。
    まだ、リスやテンは出て来ていませんが、そのうち出るようになるかも知れません。
    子どものころは、人里に出るのはウサギぐらいでした。
    山が荒れて、食べ物をさがして人里に出てくるようになったのでしょうか。
    そのうち、

       まだ見ていないのは、ツチノコぐらいだなあ!

    と言う時がくるのでしょうか。

        ※「ツチノコ」は、昔から絵に描かれて伝えられていますが、いまだ生存が確認されていない未確認生物です。 

 この番組を聴いて、

  舞鶴ばかりでなく、能登も、同じようなものだなあ!

と思うとともに、そんなことより、

    まだ出逢っていないのは念仏だけだなあ!

とならないよう心がけたいものだと思いました。
                                   合掌

平成29年10月

 【 お寺の行事 】


       10月 2日(月) おてらのグランドゴルフのつどい   於:土田シルバーハウスGG場

       10月11日(水) お講   午前8時  おつとめ
                       9時  おとき
                       当番 福島(そうざしんたく)組

       11月12日(日) かかお講   当番 福島(そうざ)組
                  お七昼夜   当番 道辻組

                            お誘い合わせてお参り下さい。

【 薬師如来 】

 K医師が亡くなりました。
 69歳でした。
 K医師は、大学卒業後、大学病院に残ることを勧められた優秀な医師でしたが、志願して地方の総合病院の勤務医になりました。
 その間、病院長となり、その後は、病院の経営にもたずさわり、地域医療に貢献しました。

 K医師のお通夜にお参りして思ったことがあります。

 まず、お参りの人が多かったことです。
 関係者の話によると、約600人がお参りしたとのことでした。K医師が与えた影響の大きさとともに、医師という仕事の偉大さを知らされました。

 お通夜の最後に、喪主の息子さんが挨拶に立たれました。
 挨拶の中で、K医師の3ケ月にわたる闘病生活と、家族の看病の様子を、包み隠さず話してくれました。

  (挨拶の要旨)

 父は、脳梗塞で倒れ、その後、肺を患い、苦しみながら死にました。
 いつも穏やかな表情を崩さなかったあの父が、入院中は、わがままを言ったり、時には怒ったり、今まで見せたこともない様子を見せて家族を困らせたこともありました。
 時には、病状が落ち着くときもあり、そんなときは、家族の昔の話をして笑い合ったこともありました。
 3ケ月の期間でしたが、家族として、できる限りのことをして、父を見送ることができたと思っています。…

 この話を聞いて、

   …死の縁、無量なり。…

という『執持鈔』にあることばを思い出しました。

 人間の死に方は、さまざまです。
 医師だからといって、みな穏やかに死ねるわけではありません。
 一般の人であっても、眠るように死ぬ人もいます。
 「死」は、その人の職業や地位などに関係なく、その人が巡り会った「縁」によって決まります。
 しかし、どんな「縁」に巡り会おうと、「死」は平等に備わっています。
 また、K医師が闘病中に見せた乱暴なしぐさも、平生は、いかに穏やであろうと、これも人間に備わった本性です。
 誰であっても、みな、「死」が備わり、乱暴な本性が備わっています。
 乱暴な本性は、その人が巡り会った「縁」によって、出たり出なかったりするだけの話なのです。

 次に、K医師の新聞死亡欄には、肩書きが書いてありませんでした。
 社会で重責を担った人の死亡欄には、ときどき「元○○会社社長」などと書かれることがあります。
 総合病院の院長にもなったK医師の死亡欄には、元の肩書きはなく、添えられた「遺族の話」から、医師であったことが分かる程度の簡単な記事でした。

 このことで思ったことは、「何も持って逝けない」ということです。
 みな、置いて逝かねばなりません。
 蓮如上人のことばに、

     …まことに、死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も、財宝も、わが身にはひとつもあいそうことあるべからず。…

とあります。
 人は、みな、何も持たず、裸一貫で生まれてきました。
 この世界で手にしたものは、みな、他から手に入れたものばかりです。
 元々、自分のものは何ひとつありません。
 ゆえに、死ぬときは、すべて置いて逝かねばならないのです。

 では、人間は、何のために生きるのでしょうか?

 仏教では、「回向(えこう)」という教えを大事にします。
 「回向」とは、「人に差し向ける」「人にあげる」という意味です。
 「布施」と同じ意味です。
 自分が持っているものを、人さまに差し上げる。
 物だけでなく、身につけた知識や技術を、世の人のために使う。
 これが、「回向」です。
 「回向」することで、人に拝まれるような存在になるのです。

 医師の仕事は、まさに「回向」です。
 命を救うために、医学の知識と技術を、患者さんに「回向」する仕事です。
 命を救われた患者さんにとって、救ってくれた医師は、まさに仏さまです。

 薬師如来は、左手に薬壺を持っています。
 その薬は、人々の病を治すための薬です。
 K医師は、まさに仏さまの仕事をしました。
 K医師は、薬師如来となって、瑠璃光浄土から、私たちを見守ってくれています。

  《閑話》

 奈良に、薬師如来を本尊とする薬師寺があります。薬師如来は、衆生の病気平癒を願って現れた仏さまです。
 東京には、薬師如来を祀った、通称「たこ薬師」と呼ばれる天台宗のお寺があります。
 このお寺は、お参りすれば、イボ(たこ)が取れることで信仰を集めています。
 また、「たこ(蛸)」は吸盤で物を引き寄せることから、「たこ(多幸)」に当て、たくさんの福を引き寄せてくれる「たこう薬師」とも言われています。
 このように、薬師如来は、現世利益の仏さまとして信仰されてきました。
                                                                  合掌

平成28年10月

 【 お寺の行事 】

           10月22日(土) お講   08:00 お勤め
                           09:00 おとき
                           当番 土肥組             

            11月13日(日)  かかお講 道辻組
                       お七昼夜 谷口組

                     皆さん、お揃いでお参り下さい。

【 孝行をしたいときに親はあり 】        

   孝行をしたいときに親はなし

 このことわざは、親が生きているときは、親の庇護のもと、のほほんと気楽に過ごしていましたが、親が死んだあと、親の苦労を自分がしなければならなくなったとき、初めて、親の有り難みが分かり、

    しもた!  あのとき親孝行しとけば良かった!

とならないよう、親が生きているうちに親孝行しておくことを勧めています。

 親が生きている間は、親の意見も聞かず、安閑として過ごし、親がいなくなってから、親孝行しなかったことを悔やむ人が多いのです。
 そして、親孝行しなかったことを反省はしてみたものの、「今さらどうしようもない!」と割り切って、何もせず、親のことを次第に忘れてしまう人も多いのです。 
 このことわざは、親の恩を忘れるなという警句にもなっています。
 
 では、「孝行をしたいときに親はなし」ではなく、孝行したいときに、親が生きていた場合、親孝行は、どんなふうになされるのでしょうか。

 現在、千円札の顔は、野口英世です。
 野口英世は、明治9年、福島県に生まれました。
 小さいとき、囲炉裏に落ちて、左手に大やけどを負いました。
 不自由な手ながら、勉学に励んだ野口英世は、やがて、日本に母を残して、アメリカへ留学することになりました。
 アメリカでの野口英世は、病原菌の研究で目覚ましい成果をあげ、日本を代表する化学者になり、その名を、世界にも知られるようになりました。

 一方、日本に残った母は、我が息子が恋しくてたまりません。
 手紙を書くことにしました。
 しかし、学校へ行ったこともない母は、ろくに字を書けません。
 平仮名だけで、やっと書いた手紙が、アメリカに届きました。
 母の手紙は、保育所のこどもが書いたような字で、たどたどしいながらも、母の、息子に会いたい切実な願いが込められていました。
 野口英世は、やもたてもならず、日本に帰えることにしました。
 野口英世は、14年間、日本を留守にしていました。

 帰国した野口英世は、大歓迎を受けました。
 各界、各地から、続々と講演の依頼がきました。
 野口英世は、母に会うために帰国したわけですから、講演依頼に付き合っている暇はありません。
 しかし、あまりにも多い講演依頼を断り切れず、母を連れて、各地の講演会に出かけることにしました。

 大阪へ行ったとき、箕面の旅館に泊まりました。
 大阪の人たちは、宴席を設けて歓迎してくれました。
 野口英世は、一時も、母の側を離れがたく思って、母を宴席に同席しました。
 旅館では、田舎暮らしの母の知らない料理がたくさん出されました。
 食べ方の分からない料理も出されました。
 野口英世は、母に、料理をひとつひとつ説明しながら、

      お母さん、これは鰹の刺身です。おいしいですか?

      お母さん、こちらは松茸の土瓶蒸しで、ふたがお椀の代わりになるんです。
      ほら、こんなふうに…

      お母さん、これはつぐみの焼き鳥です。骨も囓って食べるんですよ!

と、「お母さん!お母さん!」と、各界の名士や大学教授もいる中で、辺りはばかることなく母親の世話をしています。
 芸妓の踊りもあったのですが、目に入りません。

 やがて、献身的に母の世話をする野口英世の姿に、宴席の人たちは感動することとなりました。
 感動したのは、宴席の人たちばかりではありません。
 旅館の女将や芸妓、接待する人たちまで、心動かされました。
 旅館の女将は、感激のあまり、後に、箕面公園に野口英世の銅像を建てました。

 野口英世のような親孝行を、「親孝行」と言うのでしょう。
 こんな親孝行は、誰にでもできるものではありません。
 しかし、野口英世は、満足しなかっただろうと思います。

 親孝行は、どれだけしても、親孝行らしきこと、親孝行の真似事しかできないからです。

【 ちょっといい話 】
    
 佐賀県に住む小学5年生の熊本真子さんは、自宅近くの道路で、ひとりの女の児(4歳)に会いました。

 見かけない児なので、尋ねてみると、迷子になったことが分かりました。
 真子さんは、1qほど離れた交番へ連れて行くことにしました。
 手をつないでとも思ったのですが、おんぶすることにしました。
 おんぶしたほうが、女の児が安心するだろうと思ったからです。

 交番に着く頃には、女の児は、真子さんの背中で、スヤスヤ 眠っていました。
 女の児は、無事、両親のもとへ帰りました。  
                                  合掌



平成27年10月

 【 お寺の行事 】

             10月17日(土)  お講   08:00 お勤め
                              09:00 おとき
                              当番 福島組

             11月23日(祝)  かかお講 当番 谷口組 12:00 おとき
                         お七昼夜 当番 石川・谷川組 13:00 お勤め

                          ※ 都合により、「かかお講」と「お七昼夜」を併修します。

                     お誘い合わせてお参りください。

【 大乗的 】
                 
 8月の終わりごろ、神奈川県の横浜市内を走る路線バスの中であった出来事です。

 赤ちゃんを抱っこした若いお母さんが、バスに乗ってきました。
 しばらくすると、赤ちゃんがぐずり始めました。
 お母さんが、いくらあやしてもおさまらず、赤ちゃんは、手足をばたつかせて泣き始めました。
 泣き声は、ますます大きくなります。
 バスには、大勢の人が乗っています。
 お母さんは、周りの人に謝りながら、何とかしようと焦っています。

 そのとき、車内アナウンスが流れました。
 運転手さんの声です。

   お母さん、大丈夫ですよ!
   赤ちゃんですから、気になさらないでください!
   きっと眠いか、おなかすいているか、おむつが気持ち悪いか、暑いかといったところでしょうか!
 
 その声は、何とも明るい声でした。

 このアナウンスで、車内の空気は一変しました。
 迷惑そうにしていた乗客たちも、泣いている赤ちゃんを温かくも心配そうに見守る空気に変わりました。

 最近、「DJポリス」と言われる警察官が活躍しています。

 「DJポリス」とは、たくさんの人で混雑する所へ出かけて行って、マイクを使って、ラジオから流れるディスクジョッキーが語りかけのような口調で、交通誘導する警察官のことです。
 混雑する所では、とかく人はイライラしがちです。
 そんなとき、ユーモアを交えて語りかける警察官の声が、イライラを和らげなごませます。
 その結果、騒動や事故も起きることなく、スムーズな人の流れができあがります。
 バスの運転手さんは、さしずめ、「DJドライバー」といったところでしょうか。
 いらついている乗客の心を、見事に和ませました。

 運転手さんは、

   迷惑をかけないよう何とかしたい、というお母さんの焦りをひしひしと感じました!
   今後、バスや電車を使うのをためらうんじゃないかと心配になって!

と語ったということです。

 このお母さんの日常の交通手段は、バスだったのでしょう。
 バスに乗って、買い物に行ったり、赤ちゃんを病院に連れて行ったり。
 運転手さんのことばから、そんなお母さんの日常生活のことまで思いやった優しい気配りを感じます。

 人は、一人では生きていけません。
 集まらねば、生活できません。
 集まってくる人は、さまざまです。
 そして、さまざまな人が、さまざまな生活をします。

 さまざまであるがゆえに、当然のこととして、人と人との間に摩擦も起こります。
 その摩擦を少なくする潤滑油となるのが、人の心であり、人のことばです。

 「大乗的見地に立つ」という言い方があります。
 「大乗的見地」とは、自分の利益ばかりではなく、すべての人の利益を考えて行動する態度のことです。

 バスの運転手さんのことばは、赤ちゃんや、そのお母さんの利益、そして乗客のみなさんの利益を考えた、まさに「大乗的な見地」に立った潤滑油となりました。

 「大乗」とは、仏教のことです。

【 浄土真宗ドットインフォ 】

 このほど、東本願寺は、65年間続いたラジオ放送「東本願寺の時間」を終了すると発表しました。
  「東本願寺の時間」は、昭和26年から朝日放送で始まり、これまで、約3,400回放送されました。
 現在では、全国13の民放局でも放送され、石川県では、北陸放送が土曜日の05:50〜06:00の10分間放送しています。

 通信を使った布教活動は、他の宗派でも盛んに行われています。
 曹洞宗、真言宗、浄土宗、日蓮宗などの旧仏教と言われる各宗派、そして新興宗教の各派は、特に布教に力を入れています。
 使われる通信手段は、ラジオばかりではありません。
 電話による「テレホン法話」もあります。
 金沢別院は、「いのちのともしび」というテレホン法話(【電話番号】076-261-4001)を、3分間流しています。
 「東本願寺の時間」の終了は、近年のラジオ離れによる視聴率の低下を受けてのことです。

 今後は、インターネツトの「浄土真宗ドットインフォ」(http://jodo-shinshu.info/)で、法話の動画配信することで、新しい布教活動を展開するそうです。

                                                                                     合掌


平成26年10月

 【 お寺の行事 】

     10月11日(土) お講 当番−道辻組 時間−午前8時

     11月14日(金) かかお講 当番−谷川・石川組

         15日(土) お七昼夜 当番−土肥組
                兼前住職七回忌法要

         ご家族みなさん連れ立ってお参りください。

「 人生相談 」  

 人生には、悩みがつきものです。
 子育ての悩み、仕事の悩み、人とのつきあい、さまざまな問題が心を悩ませます。
 これらの悩みに加えて、人間として在ることの根源的・根本的ともいえる悩みもあります。
 
 そんな悩みに、作家の田口ランディさんが答えてくれています。
 『神様はいますか?』
 この本は、人生相談ふうに書かれています。
 まず相談があって、すぐに回答を一言で答え、そのあと、なぜそうなるのか説明し、次々と相談に答えていきます。

 たとえば、次のような相談があります。

  質問@ 神様は、いますか?
  質問A 死んだら、すべて終わりですか?
  質問B 人と人は、わかり合えますか?
  質問C 魂は、存在しますか?
  質問D 愛は、地球を救いますか?
  質問E 人生は、生きるに値しますか?

 質問@「神様は、いますか?」の「神様」を「仏さま」と言い換えても、相談しようとしていることは同じです。
 この相談に、田口ランディさんは、「たぶん、いると思う!」と、まず答えます。
 そして、なぜそう思うのか説明します。

 田口ランディさんが、「神様は、たぶんいる」と考えるようになったのは、身辺に起こった出来事を、「なぜ?」と考えるようになったことがきっかけでした。

 田口さんの兄さんは、引きこもり生活を続けて、若死しました。
 その翌年、ランディさんは女の子を出産しました。
 ランディさんの母は、女の子の誕生を喜び、「この子は、お兄ちゃんの生まれ変わりだ!」と言いました。
 そのお母さんも、孫娘が生まれた翌年に亡くなりました。

 ランディさんは、連鎖反応のようにして起こる身辺の変化を、「なぜ?」と考えました。
 さらに、「なぜ?」と考えている自分は、いったい誰に「なぜ?」と尋ねているのかとも考えました。
 その相手は、神様にちがいない。
 これがランディさんの答えです。
 神様がいると思うから、「なぜ?」と尋ねるのであって、いないと思えば、「なぜ?」などと尋ねるはずはないという理由です。

 しかし、神様は、その姿を見せてくれません。
 「なぜ?」と尋ねても、何か答えてくれるわけではありません。
 では、神様はいないのでしょうか。
 いや、いてもらわなくては困るのです。 
 いなければ、「なぜ?」という問いすら起こせなくなります。
 いると思うから、「なぜ?」と問えるのだと、ランディさんは答えています。

 お経の本には、いろんな仏さまが登場します。
 この仏さまたちも、「なぜ?」と問う人のために居てくださるのでしょう。
 仏さまは、「なぜ!」と問う人の所へ来て、問う人とともに居てくださるのです。

 人生は、分からないことだらけです。
 そのことに、「なぜ?」と問い続ける、この生き方が、仏さまとともに在る生き方になります。

 ちなみに、質問Aから質問Eの答えは、

    Aの答え そうです!
    Bの答え わかり合えないという点においてのみ、わかり合えます!
    Cの答え いいえ、存在こそ魂です!
    Dの答え えっ! 世界こそ愛じゃないの!
    Eの答え 試してみましょう!

となっています。

♪ありのままで♪

 ディズニーのアニメ映画「アナと雪の女王」が大ヒットしました。
 映画とともに、主題歌もヒットしたことで、子どもたちまで

    ありのままで〜♪

と歌っています。
 今年のNHK紅白歌合戦でも、歌われるかも知れません。

 歌のヒットで、川柳の世界にも「ありのまま」現象が起きています。

     ありのまま 見せてよかった ゴールイン  婚活川柳

     箸つかい ありのままでは 恥ずかしい   箸川柳

 「ありのまま」で、いいこともあるし、具合の悪いこともあり、難しいところです。

 「ありのまま」とは、古典的な言い方をすれば、「あるがまま」となります。
 「あるがまま」とは、「そのまま」「自然体で」ということです。
 ですが、「わがまま」「自分勝手」ということではありません。

 親鸞聖人は、「自然」とは、「…はじめて、はからわざれば自然(じねん)というなり。…」と言われます。
 自分の「はからい」−わがまま勝手な心を離れたところから生まれてくる「あるがまま」の姿、これが「ありのまま」の生きざまです。       合掌


平成25年10月

【 お寺の行事 】

         10月19日(土) お講   当番 谷口組

         11月23日(土) かかお講 当番 土肥組
             24日(日) お七昼夜 当番 福島組

           ご家族みなさん連れ立ってお参りください。

【 形で伝える 】

 奈良県に、當麻寺という真言宗と浄土宗の2つの宗派を持つお寺があります。
 當麻寺では、毎年、「聖衆来迎練供養会式」という行事が行われます。
 この行事は、「練り供養」とも言われ、臨終の人のもとに仏さまや菩薩たちが現れて極楽浄土に迎えるようすを、菩薩の姿に扮した人たちが演じて見せます。
 お釈迦さまが説かれたお経には、仏さまの「お迎え」のことが説かれています。
 お経に説かれた「お迎え」を、形にして見せる行事が「練り供養」です。
 
 この行事は、1,000年も前の平安時代から行われています。
 文字を読めない大衆に、お経に書かれたことを形で見せる方法は、仏さまの教えを広める効果的な布教になりました。
 「練り供養」を見た善男善女は、わが身が極楽浄土に往生する姿を想像して、信仰心を深めたにちがいありません。

 また、江戸期には、「善悪双六極楽道中図絵」という双六が作られました。
 真ん中の「心」が振り出しで、地獄や餓鬼、畜生道を巡って、一番上の極楽が上がりです。
 双六は、子どもたちの正月遊びでした。
 昔の子どもたちは、双六遊びをしながら、善悪の心を養いました。
 双六は、子どもの心を育てる効果的な学習テキストだったのです。

 見えないものを、形で表わすことを「形象化」と言います。
 形象化することで、分かりやすく伝えることができます。

 昔は、形として見えないものを、形にして見せる工夫がありました。
 たとえば、食事の前に手を合わせて、”いただきます!”と言ったり、玄関の靴は外向きに揃えるとか、仏壇に手を合わせることは、心を形で表したものです。
 心を形で表す文化を大切にしたいものです。

【 式年遷宮 】

 今月は、伊勢神宮で、20年に1度の式年遷宮が行われます。
 5月には、島根県の出雲大社で式年遷宮がありました。
 出雲大社式年遷宮のとき、日銀松江支店が、「遷宮の経済効果」を試算しました。
 それによると、島根県全体で1年間の経済効果が285億円だそうです。

 近年、「経済効果」ということが盛んに言われます。
 2020年東京オリンピックの経済効果は、3兆円から150兆円、新幹線の北陸開業では、石川県は124億円、富山県は88億円と試算されています。
 また、経済効果にともなう「波及効果」もあるとして、宿泊・飲食・サービスなどの需要の増加による経済効果も数億円と試算されています。
 そもそも「経済効果」とは、いくらお金が儲かるかという話しです。
 「捕らぬ狸の皮算用」にならなければいいのですが!

 出雲大社遷宮は、新聞各社が伝えました。
 「毎日新聞」は、

     …縁結びの神さまによる御利益に県民も大喜び?…

と書きました。
 「北國新聞」は、

     …日本を代表する出雲神社の「経済効果」とは…。神さまも苦笑いしているだろう。
     日本の古代信仰は「感謝」するだけで「お願い」するものではなかったという。
     …相手が神さまや仏さまの場合は、そっと感謝する程度にしておきたいと胸に手を当て考える。

と書いています。

 遷宮による経済効果を、神さまのご利益と考えるか、神さまをだしに使った金儲け話しと考えるか、それぞれです。
 それぞれながら、「北國新聞」の記事は的を射ているように思います。
 「神さまにお願いする前に、まず感謝する」ことが大事だとの指摘は、説得力があります。
 さすが、真宗王国と言われてきた信仰心の篤い石川県の新聞です。

 今日、日本人の宗教離れを嘆く向きもあります。
 このことは、石川県も例外ではありません。
 しかし、石川県人はまだまだ捨てたものではありません。
                                 
【 天のつぶ 】

 福島県では、「天のつぶ」という稲が作られています。
 「天のつぶ」は、15年の歳月をかけて開発された、福島県が全国に誇るブランド米です。
 「天のつぶ」という品種名は、福島県の清らかな水と自然の中で、農家の人たちのひたむきな情熱で育てられた天の恵みであるとの思いから付けられたそうです。
 1粒1粒に、農家の思いがこもっているお米は、おいしいに違いありません。
 食料には、生産者の思いがこもっています。
 作った人の思いもいっしょに食することで、心も肥えます。     合掌


平成24年10月

【 お寺の行事 】

              10月 7日(日) お 講   8時:お勤め 9時:おとき
                                当番:谷川組

              10月19日(金) 学習会「絵像で学ぶ親鸞聖人の教え」 会場・極応寺
                          ※どなたでも聞くことができます。日程などは、別紙のとおりです。

              11月10日(土) かかお講  当番:福島組

                  11日(日) 助成講(午前)
                          お七昼夜(午後) 当番:道辻組

                        ご家族みなさん連れ立ってお参りください。

【 お迎え 】

 昔の人は、「お迎え」ということを言いました。
 
 「お迎え」とは、人が死ぬとき、極楽浄土から仏さまが迎えに来ると説かれる「臨終来迎」のことです。

 この「お迎え」について、最近、医療の現場で注目されるようになってきました。

 このことが、NHKテレビの「クローズアップ現代」とい う番組で放送されました。

  医師たちが、「お迎え」に注目するようになったきっかけは、終末期医療の現場で、「お迎え」を見たと言った人が、一様に穏やかな死を迎えることに気づいたからです。
 今まで、死にたくないと言っていた人が、「お迎え」を見たとたん落ち着いて、表情も和らぎ、死にたくないということも言わなくなり、安らかに死んでいくという現場に何度も立ち会ったからです。

 「お迎え」を見るとは、たとえば次のようなことです。

   (病床で)  ・亡くなった両親が枕元に立った。
           ・亡くなった友達が遊びに来た。
           ・死んだはずのペットが走り回っている。
           ・仏さまたちが、たくさん見ている。
           ・古里のなつかしい山や川の景色が現れた。

 そこで、医師たちは、遺族に聞き取り調査をしました。
 その結果、亡くなった人の約4割が「お迎え」を見たと言っていたことが分かりました。
 さらに、「お迎え」を見た人の9割が、穏やかな死を迎えたことも分かりました。

 このことから、医師たちは、これまでの延命医療の在り方に疑問を持つようになりました。
 管やチューブで患者をつなぎ、酸素マスクを着けさせて、少しでも命を長らえさせる医療は、患者を苦しめていただけなのではないだろうか。
 人は、「お迎え」を見ることで、死ぬことの不安から解放されて、安らかな死を迎えることができるのではないだろうか。
 それが、人間の自然な死であり、人間の中には、「お迎え」を見る仕組みが前もって備わっており、その仕組みの邪魔をする医療は、考え直さねばならないのではないだろうか。

 医師たちは、これらの反省に立って、穏やかで安らかな死を迎えるための医療の在り方について勉強を始めています。

 仏教は、今から2,500年前に説かれました。
 2,500年前の人は、「お迎え」を見ることで安らかな死を迎えられることに気づいていました。
 そして、「お迎え」について、経典の中でも説かれました。

 昔は、死ぬことがはっきりしてきたとき、お坊さんを呼んで、死ぬ前から、お経を称えさせました。
 亡くなる人は、お坊さんのお経を聞きながら、自らも念仏を称えて息を引き取りました。
 これが、昔の臨終の行儀でした。
 この行儀は、臨終に仏さまと縁を結んで、仏さまに「お迎え」に来てもらって、仏さまとともに安楽な気持ちで極楽往生したいという願いから生まれたものです。

 仏教が説かれたのは2,500年も前のことですから、古くさいことばかり説いていると思われがちですが、現代医学が考えもしなかったことを、すでに考えていたのです。
 仏教の方が、現代医学より進んでいたのです。

【 認知症 】
                 
 この夏、「ビューティフルレイン」というテレビドラマが話題になりました。
 俳優の豊川悦司さんが演じる若い父親が、若年性アルツハイマーになり、一人娘を抱えて苦悩するせつないドラマです。

 ドラマの中で、父親が病院で受診する場面があります。

 医師は、父親に質問します。

   質問 今日は、何年何月何日何曜日ですか?
   質問 これから言う3つのことばを言って下さい。桜・猫・電車。
   質問 100から7を引いて下さい。それから7を引くと?
   質問 これから5つの物を見せます。隠しますから、何があったか答えてください。

 などと、次々質問して若い父親を困惑させます。

 認知症は、脳の血管が詰まったり破れたりした場合や脳の細胞が変性した場合に起こると言われています。
 そうならないためには、肉料理をさけて、魚料理を中心にするなど、食生活を改善し、適度な運動を取り入れて、肥満や高血圧、メタボリックシンドロームにならないことが予防になるとも言われています。

 予防には、体の健康を保つとともに、心の健康も保つことが大切でしょう。
 体と心は、深くつながっているからです。
 一方の健康が崩れると、もう一方も影響を受けて、ともに不健康になってしまうからです。

 現代は、体の健康には気を配りますが、心の健康を保つことに時間をかける傾向が少ないように思います。
 現在、日本では、認知症の人が200万人いると言われています。
 そして、今後、この数字は増え続けると予想されています。
 体の健康ばかりでなく、心の健康に目を向ければ、発症を顕著に抑えられるのではないでしょうか。  合掌

平成23年10月

【 お寺の行事 】

    10月22日(土)お 講 08:00 お勤め
                   09:00 おとき
               当番 石川組
           
    11月12日(土)かかお講 当番 道辻組

        13日(日)お七昼夜 当番 谷口組
             
            お誘い合わせてお参り下さい。

【 臼が峰紀行 】

 今から800年前、親鸞聖人は、念仏によって国家の宗教を混乱させたとして、朝廷から念仏禁止を言い渡され、越後の国へ流罪となりました。
 流刑地へおもむく親鸞聖人は、どのような経路や方法で越後に向かわれたのかはっきり分かっていません。おそらく、日本海側を通って越後の国を目指されたものと思われます。
 交通手段は、もっぱら陸路を歩く徒歩が中心で、ときには、所によっては海路を利用されたこともあったと思われます。
 その親鸞聖人が、能登国を通られたという言い伝えが残っています。
 宝達志水町と富山県氷見市の県境付近に、臼が峰という標高270mの峠があります。
 臼が峰往来は、かつては能登国と越中国を往来する旅人が利用する主要街道でした。
 その臼が峰の頂上に、親鸞聖人の像が建っています。親鸞聖人が越後流罪の折、臼が峰を越えられたという伝説によって建てられたものです。
 付近には、聖徳太子を祀った太子堂があり、お堂にかかる扁額に、この伝説の由来が誌されています。

 …承元元年、親鸞聖人が讒訴によって越後の国に流罪の折この道を辿られ野宿をされたとき聖人の夢枕に一人の童子が現れて「北にある羽咋は仏法に縁の深いところおいでになって弥陀の本願を広めて下さいお待ちします」と伝えられたので翌日羽咋へ行かれ聖徳太子南無仏二歳の御像に御対面なされ法を説かれたと伝えられている…

 聖徳太子は、日本に仏教を広めた先駆者です。そして、お釈迦さまの生まれ変わりだと信じられました。
 聖徳太子は、2歳の2月15日になるまでしゃべれませんでした。
 2歳になった2月15日、初めてしゃべったことばが、合掌して称えた「南無仏」ということばでした。
 太子が「南無仏」と称えると同時に、手の間から仏舎利(お釈迦さまの骨)がこぼれ落ち、全身から妙なる香りが立ち上がったと伝えられています。
 2月15日といえば、お釈迦さまの命日です。
 お釈迦さまの命日に初めてことばを発し、しかも初めてしゃべったことばが「南無仏」であったという逸話から、聖徳太子二歳合掌像を刻んで礼拝する聖徳太子信仰が生まれました。
 親鸞聖人も、聖徳太子を篤く敬い、そして慕いました。

     和国の教主聖徳皇   広大恩徳謝しがたし
     一心に帰命したてまつり  奉賛不退ならしめよ

 親鸞聖人は、聖徳太子を「和国の教主」−日本の宗教指導のリーダーだとほめたたえました。
 親鸞聖人は90年の生涯において、聖徳太子が夢枕に立つほど、太子の業績をご恩と受け止め、片時も忘れたことがなかったのです。
 親鸞聖人が、羽咋で対面された「聖徳太子南無仏二歳の御像」は、今ではどこにあったのか分かりません。そんなことから、臼が峰の頂上付近に、有志によって太子堂が建てられました。
 お堂は、昭和6年に建てられたとのことです。

 臼が峰へは、宝達志水町の所司原に車を止めて600b。徒歩で、30分ほどで登れます。また富山県側からは、氷見市三尾から床鍋を通って太子堂まで車で行けます。太子堂の建つ広場には、展望台、遊園地、バーベキュー広場などがあります。その他、たくさんのお地蔵さまも祀られています。
 これから、紅葉の秋、行楽の秋が始まります。秋の美しい自然を楽しみながら、800年前の親鸞聖人のご苦労に思いを馳せれば、親鸞聖人との新たな出会いがあるかも知れません。

【 一粒の豆 】

 かつて、NHKに、鈴木健二という名アナウンサーがいました。鈴木アナウンサーは、『気くばりのすすめ』という本を書いています。
 その中にあった話です。

 交通事故を起こして死亡した夫が加害者と認定され、被害者への賠償を妻が負うことになりました。
 妻は、土地家屋を手放して賠償金に充てましたが、それでも足りません。妻は、子ども2人を抱え、知人の納屋に住まわせてもらうことになりました。
 朝6時に家を出て、ビルの清掃、学校給食の手伝い、夜は料理屋の皿洗いをして、帰宅は夜の12時でした。
 子どもたちは、食べることをはじめ、自分のことはすべて自分でしなければなりませんでした。
 ある朝、お母さんは、鍋の中に豆をひたして、子どもたちに手紙を書いて出かけました。

 お兄ちゃん。おなべに豆がひたしてあります。これをにて、こんばんのおかずにしなさい。まめがやわらかくなったら、おしょうゆを少し入れなさい。

 その日の晩、お母さんは、一日の仕事で疲れ切って帰宅しました。子どもの枕元に手紙がおいてあります。子どもから、お母さんへの手紙でした。

 お母さん、ボクはお母さんの手紙にあったように一生けんめい豆をにました。豆がやわらかくなったとき、おしょうゆを入れました。夕方それをごはんのときにだしてやったら、お兄ちゃんしょっぱくて食べられないよといって、つめたいごはんに水をかけてそれを食べただけでねてしまいました。
お母さん、ほんとうにごめんなさい。でもお母さん、ボクをしんじてください。ボクはほんとうに一生けんめい豆をにたのです。お母さんおねがいです。ボクのにた豆を一つぶだけ食べてみてください。そして、あしたの朝、ボクにもういちど、豆のにかたをおしえてください。だから、お母さん、あしたの朝は、どんなに早くてもかまわないから、出かける前にかならずボクをおこしてください。お母さんこんやもつかれているんでしょう。ボクにわかります。お母さん、ボクたちのためにはたらいているのですね。お母さんありがとう。でもお母さん、どうかからだをだいじにしてください。ボク先にねます。お母さん、おやすみなさい。

 手紙には、「お母さん」ということばが11回も書いてありました。
 この手紙を読んだお母さんの目から涙がこぼれ落ちました。
生きることに疲れ果てたお母さんは、自殺すら考えていました。
 この考えは、涙とともに流れてしまいました。親を信じて生きる我が子を裏切ることはできないと感じたからです。
 お母さんは、母を信じて生きる我が子に命を助けられました。
 親鸞聖人は、私たち衆生を信じて救いの手をさしのべている阿弥陀仏に帰命して救われよと説かれています。 合掌

平成22年10月

【 お寺の行事 】

      10月 3日(日)  お講  8時 お勤め
                        9時 おとき
                       当番 土肥組  

       11月13日(土) かかお講 午後1時半 お勤め
                        当番 谷口組

       11月14日(日) お七昼夜 正午    お斎(とき)(食事)
                         午後1時 お勤め
                    法話 芳岡昭夫師 覚竜寺住職(栗山)
                         当番 谷川組

                お誘い合わせてお参り下さい。

【 四箇院 】

 大阪の市街地に、四天王寺という大きなお寺があります。
 このお寺は、今から1400年前、聖徳太子が建てたと伝えられています。
 聖徳太子は、四天王寺を建てるとき、寺院の中心となる金堂や講堂などのほかに「四箇院」という4つの建物を建てました。
 「四箇院」とは、敬田院、施薬院、療病院、悲田院の4つの建物です。
 敬田院とは、仏さまの教えを学び修行する道場。施薬院とは、薬を作って病気の人にほどこす薬局。療病院とは、病気の人を受け入れて看病する病院。悲田院とは、身寄りのない人やお年寄りを受け入れる福祉施設の役割をしました。
 昔は、どこのお寺でも薬を作って、門徒の人や地域の人にほどこしていたようです。伝え聞くところ、極應寺でも、煎じ薬を作って、門徒の人などにほどこしていたそうです。今でも、薬草を煎じた銅鍋が極應寺に残っています。
 かつてお寺は、仏さまの教えを広めるとともに、地域の医療や福祉の役割も担っていました。その起源は、聖徳太子の「四箇院」にあるのかも知れません。
 そもそも「四箇院」は、仏さまの教えと働きを形にしたものです。
 まず、仏さまの教えを学び修行する敬田院を建てる。次に、敬田院で学び修行した仏さまの教えをもとに、施薬院、療病院、悲田院の3院を建てる。3院の活動が、人々にあまねく行き渡ることで、人々を苦しみから救いあげる。
 その救いは、仏さまの救いなのです。
 仏さまの救いといっても、生かすことだけが救いではありません。仏さまは、人々を苦しみから救うために、その人を生かすこともありますし、死を選ぶこともあります。どちらにするか、それは、仏さまのおはからいです。
 「四箇院」で施療を受けた人たちは、生きても死んでも、仏さまのおはからいと喜んで、何事も仏さまにおまかせする安気な心持ちで生きたことでしょう。
 四天王寺は、そんな善男善女のお参りで、今もにぎわっています。

【 ただばたらき 】

 小学生のまこと君は、欲しいおもちゃがありました。
 自分の小遣いで買おうと思い、貯金箱を開けてみたら、おもちゃの値段に50円足りません。
 そこで、お母さんに請求書を書くことにしました。

  1.おにわのおそうじだい    10円
  2.おつかいだい           10円
  3.おかあさんのかたたたきだい   10円
  4.あさがおのみずやりだい     10円
  5.おるすばんだい         10円
     あわせて50円。はらってください。

 まこと君は、請求書をテーブルの上に置いて寝ました。
 明くる朝、テーブルを見ると、50円玉と手紙が置いてありました。
 手紙は、お母さんから、まこと君への勘定書でした。

  1.まこと君の服の洗濯代                ただ
  2.まこと君が遠足の時作ってあげた弁当の作り賃     ただ
  3.まこと君が熱を出したときの看病代          ただ
  4.まこと君が赤ちゃんのとき換えてあげたおしめの換え賃 ただ
  5.雨の日学校へ届けてあげた傘の届け代   ただ
  みんな ただ

 お母さんの勘定書を見たまこと君は、何も言えなくなりました。ただただ、自分が恥ずかしいと思うばかりでした。
 母親の子育ては、全部ただばたらきです。
 ただばたらきは、お母さんだけではありません。お父さんも、子のためには、ただばたらきです。
 そして、何よりも、仏さまが、私たちを苦しみから救い出すために、ただばたらきして下さっています。仏さまから請求書が届いた人は、誰もいません。

  『説法が好きになる本』に出ていた話です。

【 カラスの説法 】

 ある夫婦の話です。
 妻が、ぷんぷん怒って外から帰ってきました。
 夫は、なぜ怒っているのか尋ねたところ、
   妻・カラスの親は残酷だ。子を巣から追い出して、追っかけ回していじめている。子をいじめるのなら、産まねばよいのに!
 それを聞いた夫は、
   夫・お前はばかだなー! それは違う。親ガラスは、子が厳しい自然の中で、生きて行けるように独り立ちさせているんだ。いじめているのではないんだよ!
 ここまで言ったとき、夫は、はっと我に返りました。
   夫・我が家には、いまだ独り立ちできない息子がいる。いい年なのに、結婚しない娘もいる。息子や娘には、不自由な思いをさせたくないと思い、わがままを許し、小遣いもやり、何ひとつ厳しいことを言わなかった。その結果が、このありさまか!。
 夫は、甘かった自分の子育てを反省しました。
 カラスが、子育てとはどんなふうにするのか、夫に教えてくれたのです。
 カラスが、夫に説法してくれたのでした。
 仏教には、「一切衆生悉有仏性」という教えがあります。
 天地万物すべてに仏さまの命が宿っています。その命が説く説法を謙虚に聞く。 宗教的な生き方は、こんな生活態度から始まります。   合掌


平成21年10月

【 お寺の行事 】

  10月18日(日) お  講 08:00 お勤め
                   09:00 おとき(当番・福島組)                        
 〈今後の予定〉

   11月14日(土) かかお講(当番・谷川組)

      15日(日) お七昼夜(当番・石川組)
               ※ 午前中に役員会を行います。
                 議件は、前住職3回忌法要について。及びその他です。

【 友愛 】

 鳩山政権がスタートしました。
 鳩山政権のスローガンは「友愛」。
 うれしいこと、悲しいことを分かち合い、憎んだり、けんかや戦争のない国家社会、世界を作り上げるという遠大な目標をかかげての船出です。
「友愛」と聞いて、SMAPの歌う♪世界に一つだけの花♪を思い出します。

    …花屋の店先に並んだ
    いろんな花を見ていた
    ひとそれぞれ好みはあるけど
    どれもみんなきれいだね
    この中で誰が一番だなんて   
    争う事もしないで
    バケツの中誇らしげに
    しゃんと胸を張っている…

 「友愛社会」とは、この歌のような世界のことでしょう。一人一人は、個性的な存在です。その個性が、差別されたり区別されたりすることなく、それぞれの存在をお互いが認め合い、しかも一人一人が誇りを持って、胸を張って生きていける社会。鳩山首相は、こんな社会の実現を考えているのではないでしょうか。
 『仏説阿弥陀経』に、極楽浄土の様子が説かれます。
 極楽浄土の池には蓮の花が咲きます。青い色で咲く蓮、黄色い蓮、赤い蓮、白い蓮、色とりどりの蓮の花が咲いています。そして、青い蓮は青い光、黄色い蓮は黄色い光、赤い蓮は赤い光、白い蓮は白い光を放ち、お互いが存在感を示しつつ、それぞれが、何とも言えないいい香りを辺りに漂わせています。
 また、極楽浄土には、美しい鳥も飛んでいます。白鳥、孔雀、オウム、さらに私たちの世界にはいない、迦陵頻伽や共命鳥と呼ばれる鳥も飛んでいます。その鳥たちは、それぞれが妙なる声で鳴き、鳴き声がそのまま説法となって聞く人の耳に届きます。
この極楽浄土の様子を、私たちの世界に当てはめれば、野に咲く花、森や林でさえずる鳥の声、草むらですだく虫の声は、私たちに向けた仏さまの説法です。そして、花や鳥、虫たちは、仏さまのお使いです。仏さまは、私たちに教えを伝えるため、手を代え品を代えして働きかけてくださっているのです。
さらに、私のまわりにいる人たちも、私にとっては、仏さまのお使いです。親兄弟姉妹、子や孫も含め、私のまわりにいる人たちすべてが、いつも私に説法してくださっています。
 説法と言っても、口で言う説法ばかりではありません。その人の生き方、生きる姿そのものが、私に対する説法です。無言の説法です。
「友愛」精神の基本は、他者の存在を認め合うことにあります。それが、友愛社会を支える基盤となります。
 仏さまの極楽浄土は、「慈しみ」を基盤として作られました。「慈しむ」とは、人を可愛がり、大切に思い、いとおしむことです。
 こういう心を、日本人は忘れてきました。私たちは、利害・損得が第一と考え、生きる中心となる柱や基盤となる心を忘れてきました。その結果、息の詰まるような時代の状況を生み出したのではないでしょうか。
 新聞で読んだ話しですが、イタリアの若者にアンケートで「人生における成功とは?」と聞いたところ、1位は「裕福で有名になること」でした。2位が、「人の役に立つこと」であり、次に「尊敬されること」などと続きました。
 アンケートした人が驚いたのは、2位に「人の役に立つことが人生における成功である」という回答が入ったことです。以前は、ずっと下位にあった回答でした。
 人の役に立つためには、相手を思いやる心がなければなりません。鳩山首相が主張する「友愛」の心であり、仏さまの「慈しみ」の心です。これらの心が、思いやりの心を生み出します。
 21世紀は心の時代だと言われて久しくなります。新しい世紀を迎えて約10年。ここへ来て、ようやく若者たちが、大人たちよりも先に、心の大切さに気付き始めたようです。
 人生は、物や金ばかりでなく、心で生きることだとイタリアの若者が教えてくれました。
物や金で満たされることが豊かなのではなく、思いやりの心で満たされることが豊かな社会であるという価値観が、生きる基盤となる時代の到来を予感がします。
 そして、そういう社会を求め続ける姿勢を持ち続けることこそが、「人間」として生きるということでもありましょう。

【 節談説教 】

 金沢の赤羽ホールで節談説教の実演がありました。
 演じたのは、門前町の満覚寺住職、廣陵兼純師です。廣陵兼純師は、節談説教の第一人者。「能登節」と言われる節回しを継承する唯一の布教使です。
浪曲調の語り口は、語りが節になり、節が語りになり、自在に展開します。聞く人は、いつの間にか、その口調に乗せられ、登場人物とともに泣き、そして笑い、情念の世界に引き込まれます。 仏さまの教えを、情に訴えて伝えるのが節談説教。この節談説教が見直されています。
 昔は、節談説教がよく語られました。それが、いつの間にか語られなくなり、それとともに、演じられる人もいなくなりました。廣陵兼純師は、数少ない節談説教の継承者なのです。
節談説教が語られなくなったのは、私たちは、お涙頂戴的な「情」というものを排除してきたからです。「情」を嫌ったからです。
 今、「お笑い」がもてはやされるのはそのためです。
 人間には、喜怒哀楽という4つの感情があり、4つの感情があってこそ人間なのです。この中の「楽」だけがもてはやされる現象は、人間の心に何か異変が起きていると考えねばなりません。その異変に気づいた人が、節談説教の復活に目を向け始めたのです。
 「情」は、心を洗ってくれます。私たちは、洗わねばならない心を抱えて生きているのです。    合掌

平成20年10月

【 お寺の行事 】

      10月12日(日) お  講  8時 お勤め
                         9時 おとき
                         当番 道辻組

      11月 8日(土) かかお講 当番 石川組

      11月15日(土) お七昼夜
          16日(日) お七昼夜 ― 当番 土肥組

          お誘い合わせてお参りください。

【 同一个世界 同一个夢想 】−北京パラリンピック

 8月に行われた北京オリンピックは、世界の人々を、熱狂させました。そして、9月の北京パラリンピックでは、深い感動を人々の心に刻みました。
 日本から、陸上競技男子円盤投げに出場した選手がいます。車いす生活を送る大井利江選手(岩手県60歳)です。大井選手は、マグロ遠洋漁業の漁師でした。39歳のとき、操業中に事故に遭いました。ミッドウェー沖で操業中、時化で、荒波に突き上げられた船が大きく傾き、重さ20sの漁具が落下して、大井さんの首を直撃したのです。頸椎を損傷した大井さんは、首と腕以外の体の自由を奪われてしまいました。
 この事故で、車いす生活を余儀なくされた大井さんは、「まさか自分が怪我をするとは思っていなかった。これから、どんどん出世してと、夢を追いかけて仕事をしていた油ののっていたときだから、怪我で、もう真っ白になってね!これから、どうやって第二の人生、生活を立てて行ったらいいのか、生活の見通しも立たず、落ち込んでばかりだった」と、事故後の心境を語っています。生活と体の不安をかかえたまま、部屋に閉じこもる日が続きました。
 そんな大井さんを立ち直らせたのは、障害をかかて生きる地元種市町の仲間たちでした。種市町には、大井さんと同じような障害を持つ人が7人います。皆、出稼ぎ中に、事故に遭った人たちです。その中の、林さんと三浦さんが、大井さんを訪ねては、同じ障害を持つ者としての悩みや生活などを話し合いました。三浦さんは、「怪我をしてみなきゃわからないと言うけど、本当のところは、その本人になってみないと分からないものだよね!」と、大井さんの苦しみを救い取ってくれるような優しいことばをかけてくれました。林さんは、「ある意味、運がよかったんじゃないの。運が悪くて、変なところをやられいたら、俺たちは死んでいたからね! 運が良くて助かったんだよ!」と励ましてくれました。
 この言葉で、大井さんの心は、前向きに転回しました。「生きているだけでよかったと思わなくては!」と思うようになりました。そう思えるようになると、生きる力が、体の底から湧いてきました。妻と子ども3人をかかえて、落ち込んでいられないという社会的活力も回復してきました。
 そんなとき、陸上競技と出会いました。49歳の時でした。
 高校時代、球児として活躍した大井さんは、社会人野球から誘われるほど、恵まれた体格の持っていました。さらに、マグロ漁師時代に鍛えた豪腕も持っています。腕には自信がありました。大井さんは、円盤投げを始めました。円盤投げは、大井さんの心をつかみました。大井さんは、円盤投げの魅力にとりつかれました。記録が、どんどん伸びていきます。投げた円盤が、きれいな弧を描いて飛ぶようすがたまりません。大会でも、良い成績を残せるようになりました。
 55歳のとき、日本代表として、アテネパラリンピックに出場しました。大井さんは、銀メダルを獲得しました。その2年後には、26m余を投げて世界記録を樹立しました。大井さんは、北京パラリンピックでは金メダルを取ってやるという目標を立てて練習を続けました。
 大井さんの練習を支えたのは、妻の須恵子さんでした。須恵子さんも障害者です。須恵子さんは、中学生のとき左足を怪我して、歩行が困難となりました。須恵子さんは、左足を引きずりながら、半歩ずつしか進めません。大井さんの練習は、毎日50回ほど円盤を投げます。その円盤を、拾うのが須恵子さんの仕事です。須恵子さんは、大井さんが投げるたびに、30mほど先に飛んだ円盤を、足を引きずりながら半歩ずつ進み、円盤を拾って両腕でかかえて戻ります。
 須恵子さんは、円盤を拾いつづけました。北京パラリンピック会場のサブグランドでも、円盤を拾いつづける須恵子さんの姿がありました。
 そして、迎えた本番。結果は、銅メダルでした。目標とした金メダルには届きませんでした。しかし、自己記録を更新しての銅メダルでした。
 大会後、大井さんは、「女房に楽させてやろうと思ったけど、金メダルが獲れなかったから、4年後も目指す」と述べました。4年後の大井さんは、64歳です。妻の須恵子さんは、70歳になります。
 パラリンピックの魅力は、障害に負けない選手たちの頑張りにあります。その姿は、見る者の心に深い感動を刻みます。選手たちは、障害に負けていません。障害を持ったことで、いじけることもありません。障害を持って生きる辛さを吹っ切った、前向きな姿勢と明るさがあります。
 これは、どこから来るものなのでしょうか?
 私たちは、五体満足であっても、不満をかかえながら生きています。足りない足りないの毎日です。五体満足していても、それでも足りないのです。
 これに対して、パラリンピックの選手たちは、五体不満足ながら、不満足に満足しているように見えます。五体不満足という事実にどっかと腰を据えて生きる強さを感じさせます。心の動揺が見られません。「不動心」ということを感じさせます。
 このような心境で生きることを、仏さまは、「あるがままに生きる」とか、「自然を生きる」とか、「一如を生きる」などということばで教えてくださいました。「お念仏を生きる」ということばも同じです。
 親鸞聖人は、お念仏を称えることで、「あるがまま」「自然」「一如」を生きることができると教えておられます。

【 動物愛護週間 】

 先日、佐渡トキ保護センターで飼育されていた国の特別天然記念物、トキが放鳥されました。最後のトキが捕獲されてから、27年ぶりに、トキが日本の空を舞うことになりました。トキは、その絶滅が危惧されてから、人工繁殖、中国からの輸入など、数を増やす努力が続けられてきました。その努力が実って、今回、十羽のトキが放たれました。今後、次々と放鳥され、放たれたトキたちが、自然の中で繁殖することが期待されています。
 その同じ日、能美市で水田を荒らす、イノシシの被害が報じられました。能美市では、毎年、30頭ほどのイノシシが駆除されています。イノシシの被害は、年々増えているということです。このため、能美市では懸賞金を出して、イノシシの駆除を奨励しています。
 イノシシは、元は比較的暖かい地方に棲んでいました。寒い雪の北陸でも棲むようになったのは、地球温暖化によって、北陸地方も暖かくなってきたせいだと言われています。
 トキの絶滅は、乱獲によるものでした。人間が、手当たりしだいに捕まえて、食べてしまったのです。そして、地球温暖化は、人間が排出する二酸化炭素の増大によると言われています。トキの減少、イノシシの増殖による被害拡大は、ともに人間の都合によるものなのです。
 人間の勝手な都合でしたことが、回り回って、人間の問題としてもどってくる「自業自得」ということを考えさせられました。            合掌

平成19年10月

【 手元供養 】

 京都の常楽台というお寺で、親鸞聖人の遺骨が発見されました。遺骨は、金銅製の宝塔(高さ 約30p)に納められていました。
 親鸞聖人は、今から745年前に90歳で亡くなり、京都の鳥辺野というところで火葬されました。遺骨は、大谷という所に納骨されましたが、弟子など親鸞聖人ゆかりの人たちにも分骨され、そのひとつが、今回発見されたわけです。
 親鸞聖人の遺骨発見は、歴史学者や教団の変遷を研究する学者に、親鸞研究の新しい材料を与えることになりました。遺骨は、聖人の玄孫である存覚が建てた寺院から見つかりました。存覚は長男でありながら、父である本願寺第3世の覚如から2度も勘当されています。研究者たちは、親から勘当された人間が、曾々祖父の遺骨を持っていた事実から、これまで分からなかった教団の新事実が明らかになるのではないかと期待しています。
 また、近年、DNA鑑定という科学的な分析が行われています。この方法で骨を分析すれば、その人の血液型やその人の遺伝のしくみが分かります。親鸞聖人の遺骨をDNA鑑定することで、これまで言い伝えや書物などでしか分からなかった親鸞聖人の人間像が書き換えられることになり、新たな親鸞像が明らかになる可能性があります。さらに、当時にあっては驚異的な長生きだった親鸞聖人の遺伝の仕組みが解明されることで、医学の研究対象にもなることが考えられます。
 このような研究の結果、親鸞聖人が、今までより、より身近な存在として、私たちに感じられるようになるのではないでしょうか。そして、親鸞聖人の遺骨発見は、5年後に控えた親鸞聖人750回忌法要に、新たな話題を加えることになりました。

 さて、分骨は縁起が悪いという人がいます。この考えは、根拠があいまいです。あるいは、遺骨とはいえ、体があちこちに分散されて、ばらばらになってしまったのではかわいそうだというような、素朴な考えから生まれたものかも知れません。
 しかし、分骨は、お釈迦さまの時代から行われていました。お釈迦さまは、亡くなったあと火葬されましたが、遺骨を8等分して8か所の寺院に納められました。そのあと、8か所の遺骨が8万粒に分骨され、中国や朝鮮、日本に伝えられたと言われます。お釈迦さまの遺骨を分与された寺院では、仏塔を建て、建物の芯柱の下に遺骨を納めました。そして、仏塔をそのままお釈迦さまのお墓として、信仰の対象としたわけであります。
近年、手元供養が注目されています。手元供養とは、故人の遺骨をすべてお墓に納めてしまうのではなく、分骨して、一部を身近なところに置いて供養することを言います。手元供養が注目される背景には、ひとつの理由として、近年のお墓事情があります。
都会では、年々、お墓の購入が難しくなっています。お墓を建てる土地そのものが少ないからです。そのため、団地形式の納骨方法が考え出されたり、合同墓に納骨する方法も考え出されました。それでも、一基建てのお墓が欲しい場合は、郊外、さらに県外まで墓地を求めて行かねばなりません。その結果、自宅から遠く離れた所でお墓を建てざるを得ない人が増えてきました。これらの人たちにとって、お墓参りは簡単ではありません。半年に1回とか、1年に1回とか、それすら実現できない人もいます。このような人たちの悩みや不便を解消する方法として、手元供養が考え出されたのです。

 手元供養は、たとえば、小さなお地蔵さんの胴をくり抜いて、その中に遺骨を入れ、自宅の机の上に置いておくという方法で行われます。また、ペンダントをくり抜いて、その中に遺骨を入れる方法もあります。その他、遺骨を砕いて金属と混ぜて板状にし、その上に写真を焼きつけたり、文字を彫って飾るという方法もあります。
 このように、故人の遺骨を身近に置くことが手元供養であり、遺骨を手元に置く理由は、ひとつであります。故人を偲ぶためです。ある人には、遺骨を手元に置くことで、悲しみを癒すてだてとなります。またある人には、故人の温もりを感じることで、生きる力を回復するてだてとなるのです。
 田舎では、手元供養は必要ないと考えるかも知れません。手元供養は、都会の人の話だと思われるかも知れません。確かに、田舎では、お墓を建てる土地に不自由することは、あまりありません。お墓を建てることに関して言えば、自宅近くに建てられる田舎のほうが条件的には有利です。しかし、先祖を思う気持ちはどうでしょうか。田舎の人のほうが、都会に住む人より勝っているでしょうか。むしろ、お墓のことで困っているぶん、都会の人の、先祖に対する思いのほうが、田舎の人より勝っていると言えなくもありません。

 「仏壇のある家庭から、非行少年が出にくい」と言われます。仏壇があっても大切にしない場合は別ですが、仏壇を大切にする心には、仏さまの教えを大切にするとともに、ご先祖を大切にする心が宿ります。ご先祖を大切にする人には、思いやりと感謝の心が宿ります。思いやりと感謝の心は、仏さま、ご先祖さまにとどまらず、家族にも向けられます。やがて、その心は、家族の心にも浸透していきます。そして、思いやりと感謝の家庭から、非行少年が出ることはありません。思いやりと感謝の心で包まれた子どもは、安心してのびのびと生きられるからであります。
最近、子が親に、斧で斬りつけるという事件が、立て続けに起こりました。この家庭には、親が子を思い、子が親を思う、子が親に感謝し、親が子に感謝するという、親子相互の心の通い合いがなかったものと思われます。親子の心の通い合いさえあれば、どのような状況下での生活であれ、取り返しのつかない凶悪な事件が発生することはなかったでしょう。都会であれ、田舎であれ、私たちは、心の通う人間関係を忘れてしまったのではないでしょうか。子が、親に斧で斬りつける事件は、このことを象徴的に物語っています。

 手元供養は、故人を大切に思う心から生まれました。その心は、生きてある人にも向けられます。人を大切にする心は、人間社会を潤いのあるものにし、争いや対立を遠ざけ、心豊かな社会を築き上げるのではないでしょうか。
 そして、手元供養は、思い合いの心を形にしたものであります。    合掌

   [参考] NPO手元供養教会 http://www.temoto-kuyo.org/

平成18年10月


【今月のお寺の行事】

   10月15日(日) お講  お始まり  午前8時
                   お と き   午前9時
                   当  番   谷川組

       ※ 11月には、かかお講・お七昼夜・助成講が勤まります。
          お誘い合わせてお参りください。 


【 冥加−目には見えない仏さまの力 】

 田の稲もほとんど刈り取られ、稲のなくなった田は殺風景で、どことなく寂しい雰囲気を漂わせています。太陽が斜めから差すようになり、すっかり陰影の濃くなった風景も、秋の深まりを一段と感じさせる趣となりました。秋は、豊かな実りをもたらしたあと、やがて衰えていきます。自然の力は、確実に季節を変えていきます。そして、人間も自然の一部でありますから、自然の力は、当然のこととして、私たち人間にも働いています。
 しかし、人間は、台風とか津波とか、目に見える自然の力は認識しますが、目に見えない自然の働きについては、関心をはらいません。空気をありがたいと思っている人は少ないと思います。また、人間が立っておられるのも重力のおかげです。その重力を意識して立っている人は少ないと思います。
 そして、私たちに働いている力は、自然の力だけではありません。人間関係においても、人間同士お互いに働きかけ合っています。自分の方から誰かに働きかける場合もあります。また、誰かから働きかけられる場合もあります。そういう人間同士の働きかけは、何かしら生臭いものを感じさせます。現代人は、生臭い働きかけばかりに気を取られて、目に見えない私への働きかけを感じる感覚が麻痺してしまったように見受けられます。
 たとえば、「恩」ということがあります。「恩」について、仏教では、「四恩」ということを説いています。「四恩」とは、父母の恩・衆生(社会)の恩・国王(国家)の恩・三宝(仏法僧)の恩の4つの恩のことです。
 あるお寺の話です。
 法話を終えた住職さんに、ある若者が質問しました。

 ・若者「私は恩なんて必要ないと思います。国の恩なんて、税金払っているのだから、国がサービスするのは当たり前です。師の恩と言ったって、授業料を払っています。また、親の恩なんて、親が勝手に産んだんだから、恩なんて感じません。それよりもお金が一番大事です。お金があれば、恩なんて関係ありません。」
 ・住職「では、お前さんはいくら欲しいのか? 1千万円か? 1千万円ならあげ    るよ。その代わり条件がある。」
 ・若者「条件て、何ですか?」
 ・住職「お前の命をよこせ。そうしたら1千万円あげるよ。」
 ・若者「1千万円で、命はやれません。お金で命は売れませんよ。」
 ・住職「そんなに命が大事か? そんなら、その大事な命を、誰からもらったのだ? 親だろうが? また、お前さんを教え導いたのは、先生だろうが? そして、 お前さんが暮らして行けるのも社会のおかげだろうが? お前さんは、自分 勝手なことばかり言っているが、恩を忘れた者は犬畜生と同じだ。よぉく 考えてみろ!」

 住職は、若者を叱りつけました。若者は返事ができませんでした。
(滋賀県・生蓮寺のHPを参考にしました)

 私たちは、親や仏さまから受けている恵みを、当然のこととして受け取り、ありがたいとは思っていません。子には、親の心が見えません。衆生には、仏さまのお慈悲が見えないからです。そのため、親の働きかけを、時にはうるさいとさえ感じています。仏さまの教えは、自分には必要ないと思っています。
 親が死んだあとになって気付いたのでは、遅いのです。仏さまの教えに出会う前に死んでしまったのでは、生きた甲斐がありません。
 うるさいと思われても、親はいつも私に働きかけていてくれます。必要ないと思っても、仏さまのお慈悲は、常に私に働きかけていてくださいます。
 これらの働きかけは、無駄なことでしょうか。
 親は子を、仏さまは衆生を、片時も目を離すことができないほど、私たちはあやふやな生き方をしているのです。そのあやふやな生き方をあやふやと思わずに生きているからこそ、親や仏さまが心配してくださっているのであります。
 私たちは、目に見える私への働きかけよりも、目に見えない私への働きかけについて、深く心を巡らしてみるべきではないでしょうか。
 目に見えない働きかけの方が、私の存在の根本に深くかかわっている働きかけなのであります。


【 月見の会 】

 9月9日(土)、七尾市の山登りの会「亀の会」の皆さんが、門徒会館で月見の会を行いました。メンバーは女性が中心で、約30名が夕方から集まり、料理を作って食事し、食事の後は、みんなで歌を歌ったり、絵本の読み聞かせを聞いたりして楽しみました。
 当日は、フェーン現象で、蒸し暑い日となりましたが、月齢は、ちょうど満月で、月見には最適の日となりました。
 この催しは、門徒会館完成以後、仏事以外の目的で門徒会館が使われた最初の催しとなりました。


【 美しい国 日本 】

安倍内閣が発足して、閣僚たちも、それぞれ政策を語り始めました。それらの発言はみな新鮮で、日本が変わるような期待感を抱かせます。
 しかし、これまで、発言が途中で変わったり、修正したりして、挙げ句の果てに、尻すぼみの竜頭蛇尾で終わった例は少なくありません。
安倍総理は、「美しい国日本」をキャッチフレーズにして登場しました。教育再生、地方経済再生などが、政策の中心になるようですが、「美しい」ことの理念がはっきりしません。「美しい」は、何かを説明するときに使うことばで、説明される本体そのものを言い表すことばではありません。美しい国家の柱となる「国の心」が明確でないということです。昔、推古朝の時代、聖徳太子は、17条憲法を制定して、「和の心」を国家の心にしたのですが……。               合掌


平成17年10月

【 道一筋 】

 9月15日、志賀町福井の本立寺前住職岡本憲寿師が極楽浄土に還帰されました。寿算80歳のご生涯でした。
 極應寺にとって、岡本憲寿師は大切な方でした。昔から、祠堂経会のお説教をお願いしてきましたので、ご門徒の方々にも馴染みの深い方でありました。岡本師は志賀町内はもとより、各地でお説教をされましたから、極應寺以外の場所でも、お話を聞かれたご門徒の方々がたくさん居られることと思います。
 そして、岡本師は、常に僧侶としての仕事に前向きに精進し、多方面において、幅広く深い造詣を持っておられました。僧侶として備えておかねばならないほとんどの知識と技能を、高いレベルにおいて備えておられました。
 そもそも、僧侶の仕事というものは、正しい教えを人々に伝え、人々を正しい道に導くのが本務であります。そのためには、中国の善導大師が言われた「自信教人信」の実践が求められます。人を導く前に、まず僧侶自身が仏道に達していなければなりません。具体的には、「お経をうまく読める」「説教ができる」「仏事のしきたりに詳しい」「作法にも精通している」、さらに「人徳がある」などです。
 岡本師は、これらの条件を兼ね備えたAクラスに入る僧侶でした。分からないことは、岡本師に聞けばすべて答えてもらえるという信頼感が、仲間内の僧侶の中にはありました。まことに、得難い「善知識」でありました。
 一つの道に徹すれば、その道の奥妙の境地に達することができると言います。
 しかし、徹すれば、誰でも到達できるかというと、そうでもありません。徹することで、奥妙の境地に達する可能性は開きますが、たとえ徹しても、心がけが悪ければ、横道にそれてしまったり、道半ばにして、二流・三流で終わる場合が往々にしてあります。一流への道は、簡単ではありません。
 『沙石集』という書物の中に、心がけが悪かったばかりに、牛になってしまった僧侶の話があります。
 この僧侶は、門徒からお布施を絞り取ることだけが取り柄で、学問をするでもなく、修行をするでもなく過ごして居りました。ある日、お師匠さんのお寺を訪ねた時、門番に追い払われてしまいました。変に思ったこの僧侶は、もう一度訪ねました。二回目も同じことでした。三回目になって、ようやく門の中に入れてくれました。ところが、門番は、この僧侶を、お寺の中ではなく馬小屋へ連れて行きました。そして、「この牛は、何か用があるから来るのだろう。しばらく、馬小屋につないで置こう」と言って、馬小屋の中につないでしまったということです。
 この僧侶は、修行を怠けたために、自分が牛になってしまっていたことに気づいていませんでした。門番には、はっきり牛に見えたのです。
 『涅槃経』には、「無慚愧は、名付けて人と為さず。名付けて畜生となす」と説かれています。反省のない人間は、動物と同じだという意味です。反省もなく怠けたり、反省もなく人をだましたり、反省もなく欲張ったりすれば、人は牛にもなり、狐にも、虎にもなってしまいます。また、心がけが悪ければ、狸にも、狼にも、豚にもなります。仏さまには、救いがたい存在です。六道輪廻の畜生道は、別世界にあるのではありません。地獄も極楽も、この娑婆での話です。
 また、世の中には、いくら頑張っても、何をやってもダメな人間がいます。しかし、仏さまは、ダメだからといって見捨てたりすることはありませんでした。ダメな人間にも悟りの道を開いてくださいました。それが、仏教の教えです。
 『観無量寿経』というお経には、人間を「上・中・下」の三つに分類し、さらに「上」のなかに「上・中・下」があり、「中」のなかにも上・中・下があり、下のなかにも上・中・下があるというふうに、人間を九分類して、各々の極楽往生の姿を説いています。この教えの要は、最も下位のクラスの「下の下」の人間でも、極楽往生できる道があることを説くことにあります。「下の下」とは、何をやってもものにならず、人の仕事の足を引っ張って、じゃまになったり、さらには人の迷惑になるようなことをしでかす人間のことです。
 お釈迦さまの時代に、次のような話があります。
 ある兄弟がいて、二人ともお釈迦さまの弟子になりました。兄は賢く、熱心に努力したので、すぐに立派な弟子に成長しました。しかし、弟は素直なのですが、物覚えが悪く、短い教えの一句でもすぐ忘れてしまうダメ人間でした。必死の努力で覚えた一句も、次の句にとりかかると先の句をすっかり忘れてしまいます。兄は、そんな弟を疎ましく思うようになり、邪険に扱うようになりました。兄に邪険にされて泣いていた弟を見かけたお釈迦さまは、何か得意なことはないか尋ねました。弟は、掃除が得意だと答えました。お釈迦さまは、それではお前は、「ちりをはらい、ちりをはらい」と繰り返し称えながら、掃除に精を出しなさいと命じました。それから、弟は、毎日、脇目もふらず掃除に精を出すようになりました。ある日、兄が、掃除をしている弟の側を通りかかりました。弟は、「ちりをはらい、ちりをはらい……」を繰り返しながら、一生懸命、掃除をしていました。その全身から光が満ちて、弟は輝いているように見えました。兄は、その姿に思わず合掌しました。
 この話の弟は、どちらかというと「下」に属する人間です。弟は、難しい教えの言葉は一つも身に付きませんでした。そこで、一計を案じたお釈迦さまは、簡単な一句を授けました。それが、「ちりをはらい」です。この誰でも忘れるはずのない簡単な教えを忠実に守った弟は、掃除に精を出して励みました。そして、ついに光り輝く悟りの境地に達することができました。
 「上」の人間には、その分に応じた修行があり、「下」の人間には、その分に応じた方法があります。「上」の人間には、手応えのない方法は合わないし、「下」の人間には、難しすぎる方法では叶いません。それぞれの分に合ったやり方で、方法は異なりますが、行き着くところはみな同じです。「上」「中」「下」ともに、光に満ちた輝く世界へ行き着きます。それが悟りの世界です。
 肝心なことは、「徹する」ということです。その分に徹することです。「上」は「上」に徹し、「下」は「下」に徹することであります。「上」でありながら、「中」のことを考えたり、「下」でありながら、「上」のことを考えていたのでは悟りを開くことはできません。物覚えの悪い弟は、「下」に徹して掃除に精を出したことで、悟りへの道を開くことができました。
 私たちは、いろいろな境遇に生まれ、いろいろな生業をして生きています。そして、個々人の生き方は千差万別であり、千差万別の生き方が、その人その人の分に応じた生き方であります。したがって、悟りへの道も、人それぞれで、千差万別であります。上を見ることも、また下をみる必要もありません。自分なりの人生を自分なりに生きることで、自ずと道が開かれます。そうして開いた道は、かけがえのないものであり、誰に自慢するものでも、また誰に遠慮する必要もありません。
 そして、岡本憲寿師は、「上」に属する存在でした。「上」に徹して精進されました。その結果が、Aクラスの僧侶としての仕事を完遂するご生涯となりました。   合掌

平成16年10月

「いただきます」の心

 去年までは、9月15日と決められていた「敬老の日」が、祝日法の改定により、今年は9月20日となりました。当日の新聞は、日本では65歳以上の高齢者の総人口に占める割合が19.5%になったと報じていました。そして、10年後の平成26年には25.3%に増えて、4人に1人が高齢者になるということです。
 日本は、やがて高齢化社会を迎えます。高齢者が増えることで起こる社会問題をどう解決するか、研究もすでに始まっています。そして、今のところ、有識者の間では、高齢化社会を「困った問題だ」ととらえる傾向が強いように思われます。現代人の生き方や生活感覚からすれば、高齢者問題をプラス志向で考えることは難しいことなのかも知れません。しかし、高齢者は、好き好んで高齢になっているわけではありません。日本の社会は、現代に至るまでに、生活・社会・経済・政治・国家・主義・主張などの色々な条件が複合的に作用し合って、その結果として、高齢化社会を迎えることになりました。高齢者が増えることで、若年層の経済を圧迫するというマイナス面だけを見て、邪魔者扱いするのは、高齢者にとっては、まったく不本意な話であります。
 人生経験豊富な高齢者は、深い人生の知恵を持っています。たとえば、その知恵を生かして、心のすさんだ現代社会を正すことに役立ててもらおうと考えるプラス志向で高齢者問題をとらえ直してみる視点をもつことも大切です。
敬老の日を前にして、ある出版社が、60歳以上の人に対してアンケート調査を行いました。アンケートの質問は、「孫の代まで残したい言葉を答えてください」というものでした。アンケートの結果、「いただきます」が1位になり、2位は「暑さ寒さも彼岸まで」、3位は「覆水盆に返らず」でした。
 私たちは、食事の前に、「いただきます」と言って合掌します。これが、日本人の昔からの習慣でした。そして親は、子どもが食事の前に、「いただきます」を言うようにしつけました。そういう教育を受けて育った多くの年配者にとって、食事の前に「いただきます」を言わない現代の若者のだらしない食事作法は、憂慮すべき状況です。その強い思いから、「いただきます」が1位に選ばれたものと思われます。
どの宗教でも、食事の前に称える「食前のことば」が決められています。
 私たちの浄土真宗大谷派の食前のことばは、次のとおりです。
  「み光のもと、われ今さいわいに、この浄き食をうく。いただきます」
 同じ浄土真宗でも本願寺派は、
  「み仏と、みなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。深くご恩をよろこび、ありがたくいただきます」と決めています。
 天台宗では、
  「われ今幸いに、仏祖の加護と衆生の恩恵によって、この浄き食を受く。つつしんで食の来由をたずねて、味の濃淡を問わず。その功徳を念じて、品の多   少をえらばじ、いただきます」となっています。
 また、キリスト教では、
  「父よ、あなたのいつくしみに感謝して、この食事をいただきます。ここに用意されたものを祝福し、私たちの心と体を支える糧としてください。私たち   の主イエス・キリストによって。アーメン」と言うのだそうです。
こうやって見ると、食前のことばは、各宗派・宗教によって、言い方は異なりま
すが、共通点があることに気づきます。波線や棒線を引いた箇所がそれです。
 食前のことばは、まず信仰する主体(仏や神)などから受ける恩恵に対する感謝のことばを含んでいます。そして、食べ物を神聖視する言い方も含まれています。
 私たちの大谷派の食前のことばは、短く簡潔で覚えやすいのですが、短いがゆえに、何に対して、どんなことを感謝するのかが置き去りにされてしまいがちです。その分、大谷派よりことばが長い他宗・他派の食前のことばは、何に対して、どんなことを感謝するのかが具体的に言い表されています。
 食べ物は、たとえ自分が稼いだお金でスーパーから買っても、また自分が丹精して育てたとしても、「仏さまや神さまから与えられた恵み」として、感謝して食べるものだという考え方は全宗教に共通しています。そして、仏さまや神さまから与えられたがゆえに、どんな食べ物でも神聖なものとしていただくのが宗教的態度です。
人間は生きるために、生き物を殺して食べます。人間の食べ物は、水以外はすべて生き物です。生命活動のない土や石などを食べるということはありません。人間は生き物の命を奪って、自分の命を保っています。人間にとって、生き物を殺して食べる以外に生きる道はありません。そして、人間の犠牲になる生き物を、人間の罪深さを強く自覚している人ほど神聖なものとして感じています。その気持ちが、「浄き食」という言い方になりました。
 このように、「いただきます」は、たった6文字ですが、短いことばの中に、仏さまや神さまが与えてくださるすべての恩恵に対する感謝の気持ちと、人間の犠牲になる生き物への敬虔な思いが込められています。
 食前に、「いただきます」を言わない若者には、食べ物に対する感謝と謙虚な気持ちはありません。その無神経な感覚は、自分にかかわってくれている人たちにも及びます。親や目上の人に対して敬意を払わず、感謝の念も持たない若者は、そのことが災いして、自らの人間関係までも狭め、悪くして行きます。
 そういう若者の姿を見ている年輩の人たちが、生きることの原点である食事に対しても不遜な態度をとる若者たちを憂えて、「せめて食事の時には『いただきます』ぐらいは言えよ」という気持ちから、孫子の代まで残したい言葉として、「いただきます」を選んだ人が多かったのではないでしょうか。   合掌

    10月17日(日)お 講  午前8時 おつとめ
                   午前9時 おとき
                     当番  福島組

               お誘い合わせてお参りください。

平成15年10月

秋は、太陽の位置の関係でしょうか、物の陰影がはっきりします。そして、秋の野原には、日の
当たらない所にひっそりと花が咲いています。はかなくも可憐なそれらの花々は、とかく見過ご
されがちな存在ですが、親鸞聖人の御和讃「一一の花のなかよりは…」を想起させて、じっと見
つめていると、やはり「いのち」ということを考えてしまいます。
こんな感傷を起こさせるのも秋のせいでしょうか。

 今年のプロ野球は、阪神タイガースの活躍が目立ちました。そして、阪神タイガースは、18年ぶりにリーグ優勝することとなりました。今、阪神タイガースは注目され、報道機関は、連日、チームが強くなった理由とか、監督のリーダーシップなどについて報道しています。
しかし、阪神タイガースの優勝は、選手や監督・コーチ、そして球団が一体となって取り組んだ成果であることは間違いありませんが、この球団に限って、阪神応援団・阪神ファンがチームの優勝に大きく貢献したことを見逃せません。
 阪神応援団は、個性的なファンの集まりです。巨人軍のファンならば、「チームが強いからあこがれる。」という人が多いように思われます。反対に、阪神ファンには「チームが弱いから見捨てられない。」という人が多いようです。
 この力が、阪神タイガースを支えています。阪神タイガースには、チームが負けても負けても球場へ足を運び、阪神を応援するという熱烈なファンが大勢います。
 そして、これらの人たちには、阪神タイガースと自分の人生を重ね合わせて考えているようなところがあります。「阪神タイガースの歩みは、自分の人生の歩みと重なる。したがって、阪神タイガースの存在は、他人事とは思えない。だから、阪神を見捨てられない。」というような心理が阪神ファンの心の中にあるように見受けられます。
 この阪神ファンの心理を、仏教の立場から見た場合、「摂取不捨」ということばを思い出します。これは、仏さまの衆生を見放さず見捨てない恵みを言い表したことばです。
 親鸞聖人は、ご和讃に「十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなわし 摂取して捨てざれば 阿弥陀となづけたてまつる」とおっしゃっています。仏さまは、私たちが気づかなくても、いつも私たちを見守っています。決して見放すということはいたしません。そして、どうぞ念仏の心と出会ってくれよという願いを持って私たちを見守っています。この方を阿弥陀さまと言うのですというのがご和讃の大意です。
 熱烈な阪神ファンの心には、阿弥陀さまの心に通じるものがあります。願いを持って決して見捨てないという点です。阪神ファンは、どうぞ勝って優勝してくださいという願いを持って、負けても負けても見捨てず応援しました。俗に、「親にとって、出来の悪い子ほどかわいい。」ということを言いますが、「出来の悪い」のは「阪神タイガースの選手」であり、「親」とは「熱烈な阪神ファン」のことです。
そして今年、阪神タイガースは、阿弥陀さまのような心を持った熱烈なファンに支えられ、ようやく願成就して優勝することとなりました。       合掌

 【10月の行事】

     10月19日(日) お 講  お始まり 午前8時
                      お と き 午前9時
                      当  番 土 肥 組

        お誘い合わせてお参りください。

平成14年10月

  左の写真は、彼岸花です。田鶴浜町の田のあぜで見かけました。彼岸花は、別名を曼珠沙華
といいます。曼珠沙華は、梵語で「天上に咲く花」という意味です。天上では白色で咲き、見る者を
悪から離れさせるそうですが、地上では赤色で咲き、狐花と言う地方もあるそうです。花にとっては
迷惑な話ですが、娑婆では、花もまともに見てもらえません。
 小泉首相と金正日総書記との会談で、拉致された日本人の安否が明らかにされ、北朝鮮側が「8人死亡、4人生存」と回答したことで、日本中が大騒ぎになりました。マスコミは、連日、この問題を大々的に報道し、日本と北朝鮮との国交正常化問題についてさまざまな議論が飛び交いました。その中には、北朝鮮との話し合いそのものを考え直すべきだという意見も多くありました。またこれとは別に、一部の日本人が、朝鮮人学校にいやがらせの電話をするという事態も起こりました。
 このように、すったもんだする中で、一番冷静であり立派だったのはご遺族の方々でした。死亡したと発表された横田めぐみさんのお母さんは、「いずれ人はみな死んでいきます。めぐみは犠牲になり使命を果たしました。濃厚な足跡を残したと思うことでがんばります。」と語りました。
 仏教には、「生死不二」という考え方があります。私たちは「生きて、そして死んでいく」ことの問題を解決できずに、日々迷い苦しんでいますが、「生」と「死」は別のものではなく、一つであると仏教は説きます。確かに現象としては、人間は、生まれて、そして死んでいきますが、そのことへのとらわれを捨て、「生死不二」に心が開かれれば、私たちは生死の苦しみを超えることができます。
 横田めぐみさんのお母さんは、この「生死不二」の境地に立って語りました。娘が死んだことを知った悲しみは、言い尽くせません。そして、その悲しみは生涯消えることはありませんが、お母さんは、「生死不二」の境地に立つことで深い悲しみを乗り超えようとしておられます。
 「生死不二」とは、「生きること」にも「死ぬこと」にも意味があると受け止められる境地のことです。その一点に立つことで、私たちは、生死を乗り超えて、この世のことは、すべて「あるがまま」に受け止められ、永遠の命を心に感じて生きることができます。
 横田さんのご両親の苦しみと悲しみは、横田さんだけのものではありません。これまでの日朝問題を考えるとき、私たち日本人全体が「業」として担って行かねばならない永遠の問題であるとともに、これを乗り超えて、両国民が「生死不二」の境地に立って、話し合いを進めて行くことが求められている時代を迎えたと思うことであります。   合掌

  10月27日(日) お 講(当番 谷口さん組)   8時 お勤め  9時 おとき

※ 10月13日(日)には、極應寺で三日経が勤まります。当日は、栗山の覚竜寺の
  ご住職さんが、ご法話をされる予定です。

               皆さまお誘いあわせてお参りください。