1月のおたより

令和5年(2023)1月

 

    明けましておめでとうございます

         すべて人界の楽しみは苦中にあり。
         苦を厭うことあれば、苦労いよいよ増さり、…
         苦を捨てんとせず、楽を求めんとせざれば、苦おのづから楽と変ず。


                                             西川如見(江戸時代の天文学者)


【 お寺の行事 】


    1月 1日(祝)修正会 午前7時。
                  1年最初のお参りです。            
                  お参りされた皆さんと一緒にお勤めをします。
                  そのあと、参詣記念写真を撮ります。
                  他、年酒など…

    1月 8日(日)役員会  午前10時。
                   例年行っている新年会は、コロナ感染がふたたび拡大していることか
                 ら、今年も取り止めとし、役員会のみ行います。

    ※  4月の「祠堂経会」期間中、「お髪剃り(帰敬式)」を行います。
        「お髪剃り」とは、仏さまの教えにみちびかれ、より豊かな人生を歩むことを誓う儀式です。
        「お髪剃り」では、法名が授与されます。
       法名は、仏さまからいただく名前で、仏さまの願いが込められています。
       生まれた時、親からもらった名前は俗名と言います。
       俗名には、親の願いが込められています。
        「お髪剃り」を受けることは、法名と俗名、2つの願いを生きる身になることです。

             「お髪剃り」のお問い合わせは、極應寺まで。

【 月にうさぎ 】

 今年の干支は、「卯」。うさぎ年です。

 ♪うさぎ♪という童謡があります。

   うさぎ うさぎ なに見てはねる
   十五夜お月さま 見てはねる

 中秋の名月の夜、子どもをおぶって月見に出たお母さんか姉さんが、あまりの月の美しさに心ウキウキとなり、踊り出したくなるような気持ちを、背中のこどもを揺すりながら歌って聞かせたというところでしょうか。

 昔から、月にうさぎがいると言われてきました。
 話の元は、インドの仏典にあります。

 1匹のウサギが、サルと山犬とカワウソと森の中で仲良く暮らしていました。
 あるとき4匹は、

     貧しくて食べるものがなくて困っている人に布施をしよう!

と約束しました。

 カワウソは、ガンジス川で魚を捕ってきました。
 山犬は、トカゲを獲ってきました。
 サルは、マンゴーを採ってきました。
 ウサギは、布施するものを探しに出かけると、人間に見つかって追いかけられ、キツネに狙われ、空からは鷹に襲われ、怖ろしくて出かけられません。
 何ひとつ、布施する物を用意できませんでした。

 帝釈天が4匹の殊勝な志を知って、ほんとうかどうか試してみようと、お坊さんの姿になって現れました。
 お坊さんは、まずカワウソを訪ねました。

    お坊さん  何か、布施をお願いします! 
    カワウソ  分かりました!
           あなたに、ガンジス川で捕った魚を布施します!

 次に、山犬を訪ねました。
 山犬は、獲ってきたトカゲを布施しました。
 次に、サルを訪ねました。
 サルは、マンゴーを布施しました。
 次に、ウサギを訪ねました。

    お坊さん  何か、布施をお願いしたい!
    ウサギ   私には、布施する物が何ひとつございません!
           あなたは薪を集めて火を起こしてください。私は、火の中に飛び込みます。
           焼けたら、私の肉を食べて修行に励んでください! 

 お坊さんは、ウサギに言われたとおり、薪を集めて神通力で火を起こしました。
 ウサギは、跳び上がって火の中に飛び込みました。
 ところが、火はウサギの毛一本すら焼きません。

    ウサギ   これは、どうしたことですか?
    お坊さん  許してください。私は、あなたを試したのです!

と言って、草の葉を絞った汁で、月の表面にウサギの姿を描き、帝釈天の姿にもどって帰って行きました。

 その後、月夜の晩に、4匹が森の広場に集まって月を見ているとき、誰言うとなく、

      お月さんの中にウサギがいるよ!

と言いました。

     ウサギ  あれは、私の心が映っているのだよ!

 このときから、月にウサギがいると言われるようになりました。 
                                              合掌



令和4年(2022)1月

 【 お寺の行事 】

     1月 1日(祝)修正会 午前7時。
                 1年最初のお参りです。            
                 お参りの皆さんと一緒にお勤めをします。
                 そのあと、参詣記念写真を撮ります。
                 他、年酒など…

     1月 9日(日)役員会  午前10時。
                    例年行っている新年会は、コロナ感染が収まっているとはいえ、
                  まだまだ油断できません。
                   役員会のみ行います。


      明けましておめでとうございます


         「仏法には無我」と仰せられ候う。

         「われ、と思うことは、いささかもあるまじきことなり。…」

                                    『蓮如上人御一代記聞書』より

【 数え年 】

 江戸時代の俳人小林一茶は、正月、

     這へ笑へ二つになるぞけさからは  一茶

と詠みました。
 去年5月に生まれた長女に話しかけたことばがそのまま俳句になっています。
 昔は、生まれた日が一歳でした。
 その子が正月を迎えると2歳になります。
 それ以降は、正月ごとに年齢を足していくのが「数え年」の数え方です。

 小林一茶の長女さとも、生まれて7ケ月しか経っていませんが、正月になったので2歳になったわけです。

 昔の正月の「めでたさ」は、今よりよっぽどめでたかったと思います。
 正月が来て「めでたい」、歳をひとつ取って「めでたい」、「めでたい」が2つあったからです。
 現在の正月の「めでたさ」は、さほどでもありません。
 年齢を満年齢で数えるようになったことで、「めでたさ」が分散してしまったせいでしょうか。

    目出度さもちう位也おらが春  一茶

になってしまいました。


【 親ガチャ 】

 お金を入れてレバーを回せば、カプセルに入ったおもちゃが出て来る「ガチャガチャ」という機械があります。
 何が出て来るか分かりません。
 思いどおりのおもちゃが出て来るかどうか、それは運しだいです。

 これになぞらえて「親ガチャ」ということばが生まれました。
 昨年の流行語大賞トップテンにも選ばれました。
 生まれてくる子どもは親を選べないという不条理を意味したことばです。

 芥川龍之介は『河童』の中で、河童の国に迷い込んだ男のことを書いています。
 男は、河童の国で河童のお産に立ち会いました。
 河童の父親が、河童の母親のお腹に口を当てて、

    おーい!
    お前はこの世界へ生まれて来るかどうか、よく考えた上で返事しろ!

と、大きな声でお腹の子に呼びかけます。
 しばらくすると、お腹の子が、小さい声で、

    僕は生まれたくはありません!
    第一、僕のお父さんの遺伝は精神病だけでも大変です。…!

と答えます。
 こうして、河童の子は生まれて来ませんでした。

 芥川龍之介が、こんな小説を書いたのは、自分自身が精神的に病弱に生まれたことと関係あるのかも知れません。

 たとえ河童の国であったとしても、生まれてくる子は親を選べません。
 選べないのは、親も同じです。
 親は、生まれてくる子を選べません。
 親にとって、生まれた子が不肖ならば「子ガチャ」です。

 「ガチャ」は社会にたくさんあります。
 会社では「上司ガチャ」「部下ガチャ」、学校では「担任ガチャ」「児童・生徒ガチャ」、家庭では、結婚したものの「夫ガチャ」「妻ガチャ」だったということもあります。
 社会は「ガチャ」ばかりでガチャガチャしています。

 かつて歌手の水前寺清子さんは、「…おしてもだめなら ひいてみな…」と歌いました。
 押して開かないドァーは、どれだけ押しても開きません。
 引けば開くように出来ています。
 人生の不条理も同じです。
 どうにもならないことは、どれだけあらがっても、どうにもなりません。
 受け入れるしかありません。
 「おしてもだめなら ひいてみな」です。

 仏教は、「ひいて」みたら、ガチャが気にならなくなり、ガチャガチャだらけの社会を楽に生きる智慧が開かれると説きます。    合掌

令和3年(2021)1月

 
  明けましておめでとうございます。

    仏法は一人居て悦(よろこ)ぶ法なり。
    一人居てさえ、とうときに、二人よりあわば、いかほどありがたかるべき。 

                                                     「蓮如上人のことば」より

【 お寺の行事 】

   1月 1日(祝) 修正会 午前7時
             1年最初のお参りです。
             お参りされた皆さんと一緒にお勤めします。
             その後、初詣記念写真、年酒など…

   1月10日(日) 役員会 午前10時
             今年は、コロナ感染予防のため、新年懇親会は休止します。

【 うし年 】

 今年は、丑年です。

 牛は、昔から家畜として飼われ、農家の重要な労働力として日本の農業を支えてきました。
 一方、明治時代になると、「牛鍋」−すき焼きを食べることが流行りだし、牛肉が盛んに食べられるようになりました。
 
 しかし、インドで起こった仏教は殺生を禁止しています。
 お釈迦さまは、人間として守るべき戒めをたくさん説きました。
 その中に、「殺すな!」という戒めがあります。

   汝、自ら殺し、人を教えて殺さしめ、…一切有情の命は、ことさらに殺すことを得ざれ。… 『梵網経』

 しかし、仏教がインドの北部地方から、さらに北の国々に伝えられたとき、ネパール、ブータン、チベットなどの人たちは困りました。
 仏教の教えを守れば、羊などの肉を食べられなくなり、たちまちビタミンなどの栄養が不足して病気になってしまうからです。
 そこで、「浄肉」なら食べてもよいという考えが生まれました。
 「浄肉」とは、

    ・殺されるところを見ていない。
    ・自分に供するために殺したと聞いていない。
    ・自分に供するために殺したと知らない。

 これを「三種の浄肉」と言います。

 明治時代、川口慧海和尚が単身チベットを旅しました。
 首都ラサへ向かう途中、ポタラ宮殿に住むダライ・ラマ法王が食べる肉を解体している場所を通りました。
 職人たちが、ヤクや羊、山羊を解体しています。
 その場所は、宮殿から10q以上も離れた所でした。
 なぜ、こんな離れた所で法王の食べる肉を解体しているのか不審に思った和尚は、

   和尚  宮殿近くで解体すれば運搬に便利なのに、なぜこんな遠い所で解体しているのか?

   職人  ラサの町で解体したら、法王が命令して解体させていると思われるから「浄肉」にならないのだ!

と答えたそうです。
 チベットでは、こんなふうに「浄肉」の教えが守られていました。

 「浄肉」の教えは日本にも伝えられました。
 日本人は、もともと菜食民族ですから、「浄肉」「不浄肉」をやかましく言うことはありませんでした。

 生きものを殺すには、誰でも抵抗があります。
 姿形は違っても、ともに生きる「同朋」という意識があるからです。

 食肉用の牛を育てている人に尋ねたことがあります。

   質問 牛には、心があると思うか!

   答え ウーン!
       オレが牛舎へ軽トラで餌やりに行くと、牛たちは一斉に鳴き出す。
       他の人の軽トラが通っても鳴かない。
       オレが肺炎で入院したとき、妻に牛の世話をしてもらった。
       退院して、妻と一緒に牛の世話をしているとき、牛の変化に気づいた妻が、「やっぱり、あんたの牛やね!」
      と言った!。

   質問 では、牛を出荷するとき、どう思うか?

   答え どうも思わんようにしている。
       やっぱり、非情にならんならんときもある!

ということでした。

 そして、殺すといえば、お釈迦さまは、

    人が生まれたときには、実に口の中には斧が生じている。…

と説きました。
 この口の中の斧が、人の心を殺すのです。
 「口は禍の元」と言います。
 よくしゃべる人をたしなめるとき、

    お前は、口にチャックしておけ!

という言い方があります。
 今は、口にマスクしなければならない時代になりました。 合掌

 
  明けましておめでとうございます。

    仏法には、明日と申す事、あるまじく候う。
    仏法の事は、いそげ、いそげ。
                     
    そのゆえは、無常の風は明日を待たぬ習いなればなり。

                                            「蓮如上人のことば」より

【 お寺の行事 】

   1月 1日(祝) 修正会 午前7時
             1年最初のお参りです。
             お参りされた皆さんと一緒にお勤めをします。

   1月12日(日) 役員会 午前10時
            新年講 午前11時
            懇親会 正午 
             女性の方も奮ってご参加ください。
             お家に余っている日用品などを持ち寄り、食事しながら、ビンゴゲームを楽しみます。
             参加費1,000円。

   1月28日(火) 親鸞聖人ご命日

                   お誘い合わせてお参り下さい。

【 子(ね)年 】

 今年の干支(えと)の動物はネズミです。

 江戸時代の算術書『塵劫記』に、「ねずみざんの事」という問題があり、その答えも出ています。

 問題  正月にネズミの番(つがい)が、子を12匹産むと14匹になる。
     2月に、子もまた12匹ずつ産むと、98匹になる。
     こうして、毎月、親も子も孫も曾孫も12匹ずつ産むと、12月には全部で何匹になるか?

 答え 276億8257万4402匹。

 ある人が、こんな計算があることを知って考えました。
 
     お金も、こんなふうに増えれば美味しい話だ!

 こうして、「ネズミ講」が生まれました。
 「ネズミ講」は、1人の親会員が4人の子会員を集め、子会員は、それぞれ4人の孫会員を集めます。
 孫会員以下は、同じようにして会員を集めます。
 会員になった人は、5代前の会員に1,000円送ります。
 結果、5代前の会員は、1,024,000円受け取ることになります。

 理屈の上では、こんな計算になりますが、会員は無限に増えるわけではありません。人間の数は有限ですから、いつかは行き詰まります。
 結局、「ネズミ講」は破綻しました。

 また、「不幸の手紙」を考えた人もいます。
 1人が5人に手紙を書いて送ります。手紙は、

    この手紙と同じ手紙を1週間以内に5人に送らなければ不幸になります。

というような内容で送られました。
 「不幸の手紙」は、主に子どもたちの間で流行りましたが、いつの間にか誰も相手にしなくなりました。
 
 20年ほど前、アメリカで「ペイ・フォワード」という映画が作られました。

 中学1年生の社会科の授業で、「世界を変える方法を考え、それを実行してみよう!」という課題が出されました。
 トレバー少年は、自分の考えを黒板に書いて発表しました。

    1人が、3人に善いことをしてあげる。
    善いことをされた3人は、それぞれ3人に善いことをする。
    これで、善いことをされた人は9人になる。
    さらに9人は、それぞれ3人に善いことをする。
    こうして、次々と善意を渡していけば、社会が良くなる。

 同級生たちから、

     いい考えだ!

     バカらしい!

     ズルする人もいる!

などと、さまざまな感想が出ました。
 先生は、

     トレバーは、世界に対して働きかけをしてくれた!

と賛成してくれました。
 その日から、トレバーは、ホームレスを家に連れて来て泊めてあげたり、いじめられている同級生を助けようとしたり、親切を3人に渡そうとします。
 しかし、なかなか思うようにいきません。

 ある日、学校の帰り、病気がちの同級生が、2人の少年にいじめられているのを見ました。
 トレバーは、止めようと中に割って入りました。
 そのとき、いじめていた少年が、持っていたナイフで、トレバーのお腹を刺しました。
 トレバーは、この怪我がもとで死んでしまいます。
 
 お通夜の晩、窓から外を見たお母さんはビックリしました。
 家の外には、同級生たちを始め、たくさんの人が、玄関に花を供え、ローソクを点して、トレバーの死を悼んでいます。
 さらに、弔問の車のヘッドライトの列が切れ目なく続いて、こちらに向かってきます。

 トレバーの「3人に善意を渡す」運動は、町の人の心を動かしたのです。
 トレバーは、3人どころか、何人とも知れぬ人たちに善意を渡していたのでした。
                                                      合掌

平成31年1月

 
 明けましておめでとうございます。

    仏法をあるじとし、世間を客人とせよ   蓮如上人

 念仏とともにある生活こそめでたけれ。
 

【 お寺の行事 】

    1月 1日(祝) 修正会 午前7時

    1月13日(日) 役員会 午前10時
             新年講 午前11時 
              女性の方もご参加ください。
              お家に余っている日用品を一品ご提供ください。
              皆さんと食事しながら、ビンゴゲームを楽しみます。
              参加費1,000円。

        お誘い合わせてお参り下さい。

【 お婆ちゃんのお念仏 】
                  
 北國新聞社は、毎年、「新聞を読んで感想文コンクール」を主催しています。
 昨年のコンクールで、女子高生が書いた「曾祖母にとっての読経」という題の作文が入選しました。
 夏休み中、子どもたちがお寺でお経の練習をしている様子を報じた記事を読んだ感想文です。

 この高校生の曾祖母は、103歳です。
  毎日欠かさず、朝晩、仏さまの前でお経 をとなえています。
 そこで、曾祖母の長生きは、お経をとなえることと関係があるのではないかと考えました。
 その結果、

   1.曾祖母は、もともと長生きの遺伝子を持っている、
   2.朝晩の読経で、仏さまに感謝することで、仏さまが見守ってくれている、
   3.決まった時間に読経する規則正しい生活が、体に良い影響を与えている、
   4.いつも心穏やかに過ごしているから、

という結論になりました。

 作文は、最後に、

  読経することが、毎日規則正しく過ごすきっかけとなるかもしれない。また、穏やかな心を持って日々を過ごすきっか  けになるかもしれない。
  私も、まずは、読経している曾祖母の  隣に座ってみようかと思っている。

と結んでありました。

 作文の中の「曾祖母」は、念仏とともに生きています。

宗教的生活について、学問の上では、

   ・読誦 −お経をとなえる     ・観察 −仏さまのことを思う
   ・礼拝 −仏さまを拝む      ・称名 −念仏をとなえる
   ・讃嘆 −仏さまの徳をたたえる

の5つを備えねばならないと説かれます。 
 何やら難しいことのように思えますが、「曾祖母」の読経とともにある生活には、5つすべてが備わっています。
 仏さまの前に座って読経すれば、仏さまのことを思わないわけにはいきません。
 さらに、仏さまを拝み、念仏をとなえます。
 そして、これらのことが、仏さまの徳をたたえることになっているのです。

 「読経している曾祖母の隣に座ってみる」ことから宗教的生活が始まります。
 蓮如上人は、

    仏法をあるじとし、世間を客人とせよ。

と言われました。
 「仏法をあるじとせよ」とは、仏法中心の生活を営めということですが、特別のことではありません。
 仏さまの前に座ることを習慣づけよというお諭しです。

【 心の矢 】

 昔は、「吹き矢」の店があったようです。
 江戸時代の戯作者山東京伝は、一日、芝の大神宮に詣でたとき、「吹き矢」の店を覗いてみました。
 江戸っ子たちは、吹き矢に興じています。

 「吹き矢」が的(まと)に当たると、的に繋がっている人形が飛び出す仕掛けになっています。
 的には、どんな人形が繋がっているか分かりません。
 「この的は縁起の良い人形を出すだろう!」と狙って吹いても、化け物の人形が飛び出したり、予想が当たって金太郎が飛び出したりします。

 吹き矢は、なかなか思うように当たりません。金太郎を出そうとして化け物を出したり、狙いがはずれて、どの的にも当たらなかったり、それが面白いと言って、江戸っ子たちははしゃいでいます。

 このありさまを見た山東京伝は、

   人間の「心」も、「吹き矢」みたいなものだなあ!

と思いました。

    心の矢が「迷」の的に当たれば、化け物が飛び出し、
    心の矢が「悟」の的に当たれば、金太郎が飛び出し、
    心の矢が「喜」の的に当たれば、大黒さまが飛び出し、
    心の矢が「怒」の的に当たれば、般若の鬼が飛び出す。
    心の矢が「善」の的に当たれば、極楽が飛び出し、
    心の矢が「悪」の的に当たれば、地獄が飛び出す。
    ……
    故に、的が肝腎、狙いが肝腎、心の矢を外すべからず。
    これすなわち、人の心は吹き矢のごとしといういわれなり。

と、『人間万事吹矢的』という作品に書いています。  合掌


平成30年1月


 明けましておめでとうございます。

    ただ、仏法は、聴聞にきわまることなり  蓮如上人

 今年も、仏さまの教えに学びたいと思います。

【 お寺の行事 】
 
    1月 1日(祝)修正会 午前7時

    1月 7日(日)役員会  午前10時
             新年講  午前11時(その後、新年会)
 
          お誘い合わせてお参り下さい。


【 たしなみ 】

   蓮如上人の時代、五箇山に、道宗という妙好人がいました。
 今から、500年あまり前のことです。
 妙好人とは、篤信の念仏者のことで、道宗は、深く蓮如上人に帰依し、一途に念仏の道を歩みました。
 五箇山の赤尾に住んだことから、赤尾の道宗と言われ、その名が今日に伝えられています。

 道宗は、割木の上で寝ました。
 そのため、体には、ところどころ傷ができました。
              
   なんで、割木の上に寝るのか?

と問われた道宗は、

   オレのようなしぶとい人間が、布団の上に寝ていたら、御恩を思わず一晩中ぐっすり寝てしまう。
   眠りにくいようにして、目覚めている間だけでも、御恩を忘れず、念仏申させていただこうと思っただけだ!

と答え、

  ・1日のたしなみには、あさつとめにかかさじと、たしなめ。
  ・1月のたしなみには、ちかきところ、御開山さまの御座候うところへまいる   べしと、たしなむべし。
  ・1年のたしなみには、御本寺へまいるべしと、たしなむべし。

ということばを残しました。
 道宗は、毎朝、お仏壇にお参りしてお勤めをし、月に1回は、お手次のお寺に参り、年に1度は、京都のご本山にお参りすることを「たしなみ」としました。
 
 ある年、蓮如上人が、井波の瑞泉寺で、元旦のお勤めをされることになりました。
 これを知った道宗は、

   蓮如上人のお勤めにお参りしたい!
 
と、五箇山から8里の道を歩いて出かけました。
 ところが、大晦日からの雪で、道がはかどりません。
 峠にかかるころには、雪は、身を没するほど積もっています。

   これでは、お勤めに間に合わない。
   ここからお参りさせてもらって帰るしかない!

と、瑞泉寺に向かって手を合わせ、「南無阿弥陀仏!」と称え、顔を上げたところ、なんと不思議なことに、雪の上を、舟を引っ張ったような形で一筋の道がついています。

   これは、有り難い!

 道宗は、瑞泉寺へ急ぎました。

 一方、蓮如上人は、道宗の参詣が遅いので、お勤めを遅らせることにしました。
 やがて、雪だるまのようになって瑞泉寺に近づいてくる道宗の姿が見えました。
 蓮如上人の、

   やれ、鐘を撞け! 太鼓を打て!

とのお声で、鐘と太鼓が同時に打ち鳴らされ、お勤めが始まりました。

 瑞泉寺では、このときから、元旦の朝は、鐘と太鼓を同時に鳴らすようになりました。

 道宗は、いささかも迷いのない念仏の道を一途に生きました。

【 フードコート 】

 新聞に、ある女性の投書が載っていました。
 
 その日、小学校は、運動会の代休で休みの日でした。
 女性は、買い物にでかけたショッピングモールのフードコートで、3人連れの男の子を見かけました。
 6年生ぐらいに見えました。
 それぞれ、持ってきた水筒をテーブルの上に置き、1人の子は弁当箱を広げています。
 お母さんが、持たせてくれたのでしょう。
 もう1人の子の前には、丼。
 3人目の子は、呼び出しベルを握っていますが、ベルは、なかなか鳴りません。
 女性は、丼の中味は何だろう、うどんなら冷めるぞ、伸びるぞとハラハラしながら見ていました。
 3人は、ちらちら周りを見ながら一緒に待っています。

 ようやくベルが鳴りました。
 男の子は、ギョウザと丼の載ったトレイを用心しながら運んできて、テーブルに置きました。
 他の男の子たちは、のぞき込んで、二言三言話して、顔を見合わせると、椅子にキチンと座り直して、そろって手を合わせて、

   いただきます!

と言って食べ始めました。 [毎日新聞より]

 こうして、子どもは、大人になっていくのでしょう。
 大人になったら忘れてしまう純真な心が、少年たちの中にあります。
 女性は、もう後戻りできないあの頃を思い出したにちがいありません。   合掌

平成29年1月

 【 お寺の行事 】

      1月 1日(祝) 修正会   午前7時から
                 お勤め、年酒。
                 1年最初のお参りです。

      1月 8日(日) 新年講   午前11時から
                 お勤め、懇親会。
                 10時から役員会を行います。

           皆さん、お揃いでお参り下さい。

                 
【 つもり 】

 冬の日。

 ある奥さんが

    今晩のおかずは何にしよう!

 スーパーの売り場を回っていると、茶碗蒸しがありました。
 ラベルに、「マツタケ入り」と書いてあります。

    豪華な茶碗蒸しだなぁ!

と思いながら、ながめているうちに、

    そうだ!これを、レンジで”チン!”して食べれば、冬の夜は暖まるだろう!

と、夫の分と自分の分、2つカゴに入れました。
 売り場を離れると、気が変わりました。
 
    こんな寒い冬に、インスタントではわびしいなぁ!

と思い、自分で作ることにして、カゴに入れた茶碗蒸しを元に戻して、家に帰りました。

 家の冷蔵庫には、たまごの買い置きもありました。
 具材は、あるものを使って自家製の茶碗蒸しを作りました。
 蒸し上がった茶碗蒸しからは、湯気が立ち上っています。

    美味しいなぁ! 暖かいなぁ!

 夫と舌鼓をうちながら食べました。

 買った「つもり」で、自分で作ったら、手間はかかりましたが、お金の節約になったという話です。

 以前、「つもり貯金」ということばがありました。
 「つもり貯金」とは、買った「つもり」、食べた「つもり」、した「つもり」で、お金を使わずに貯めておく貯金のことです。

 最近は、言われなくなりました。

 それというのも、今は、思うようにお金を稼げない時代になり、節約したくても、節約するお金もなく、「つもり貯金」どころの話ではありません。

 しかし、こんな時代であっても、私たちには、心の中に貯めている「つもり貯金」が、たくさんあります。

 自分は、

    思いやりがあるつもり。
    人情に篤いつもり。
    人徳があるつもり。
    …… 

 しかし、その「つもり」は、どうも勘違いの「つもり」ばかりのようです。

 「つもりちがい10ケ条」とか「つもりちがい人生訓」として、よく知られたことばがあります。

    高いつもりで低い教養。
    低いつもりで高い気位。
    深いつもりで浅い知識。
    浅いつもりで深い欲望
    厚いつもりで薄い人情。
    薄いつもりで厚い面皮(つらのかわ)。
    強いつもりで弱い根性。
    弱いつもりで強い自我。
    多いつもりで少い分別。
    少いつもりで多い無駄。

 まだまだ、あります。
 
    いつまでも若いつもり。
    いつまでも死なないつもり。

 新しい年を迎えました。

 新しい年の最初は、思い違いの「つもり」ばかりで生きている我が身を振り返るところから始めてみるのもいいかも知れません。

 といっても、心の中には、

    いつも反省している「つもり」。

という「つもり」もありますから、人間とは、なかなかやっかいです。        合掌


平成28年1月

 【 お寺の行事 】

     1月 1日(祝) 修正会   午前7時

     10日(日) 役員会    午前10時
             新年講   午前11時(その後、懇親会)

       皆さん、お揃いでお参り下さい。

【 第一の事 】
                    
 新しい年を迎えて、考えてみたいことがあります。

 吉田兼好は『徒然草』の中で、人として何を第一にすべきかについて書いています。 (第188段)

 ある人が、親から、

    お前は学問して、将来は説教師になれ! 

 と言われました。
  そこで、説教師になるために、まず馬に乗ることを習いました。
  輿や牛車を持たない人が、馬を迎えによこしたとき、上手に馬に乗れなければ みっともないと思ったからです。
  次に、歌を習いました。
  説教が終わったあと、酒などのふるまいがあったとき、宴席で、坊さんが歌の一つも歌えなかったら、座がしらけるだろうと考えたからです。
  練習のかいあって、馬に乗れるようになり、歌も歌えるようになったので、

    さぁ、これから説教の勉強をしよう!

と思ったときには、馬と歌の練習に時間をかけすぎて、すでに歳を取ってしまい、説教の一つも覚えられずに終わったという話を書いて、

  この法師のみにあらず、世間の人、なべてこの事あり。

 この坊さんばかりではない、世間の人も、すべて同じような生き方をしていると結んでいます。

 何を先とすべきか、難しい問題です。
 私たちが、「これこそ第一!」と考えてやっていることが、吉田兼好の目からみれば、後回しにしてもいいことばかりだというのです。
 では、吉田兼好は、何を第一とすべきだと考えたのでしょうか。

 第49段に、『往生十因』に説かれる一人の聖人のことを引用しています。

 この聖人は、常に寸暇を惜しんで念仏を称えていました。
 あるとき、一人の修行僧が、「議論したい!」と訪ねてきました。
 聖人は、

   今、火急のことあり。すでに旦暮に逼れり!

と答え、「自分には、議論しているいとまなどない。急ぎの用事が逼っているのだ!」と耳を塞いで、相手のことばを聞かず、念仏を称えつづけ、ついに極楽浄土に往生したということです。
 「急ぎの用事」とは、極楽往生のことを指しています。
 現代よりも、「老少不定」の現実を身近に感じていた古人は、諸行無常を逃れて極楽往生することが、火急のことであったわけです。
 『往生十因』の作者は、諸行無常の世を生きて極楽往生するためには、念仏よりすぐれた行いはないと述べています。
 吉田兼好も、このことを伝えたかったのでしょう。

 さて、「何が第一か?」という問題について、私たちには、それぞれ思うことがあり、その実現に向けて、日々、営々と努めているわけですが、先の聖人のように、「念仏第一!」とは、なかなか答えられません。

 しかし、親鸞聖人には、「畢竟依(ひっきょうえ)を帰命せよ!」ということばがあります。
 「畢竟依」とは、最後の最後まで行ったとき、頼りとなり、頼れるものという意味です。

 それが、「念仏だ!」とはっきり言えた古人のこころを学びたいものです。

【 またまたDJ… 】

 日本で使われていた鉄道の中古車両が、海外で活躍しています。
 東南アジアでは、ミャンマー、フィリピン、マレーシアなど、また遠くは、南米のアルゼンチンに渡り、現役車両として走っています。

 東京と神奈川を結ぶ南武線を走るJR東日本の車両が、インドネシアのジャカルタへ渡ることになりました。
 12月6日夜、営業運転を終えました。
 終点に近づいたとき、車掌のアナウンスが車内に流れました。

  ただいまご乗車いただいておりますこの車両は、本日をもちまして南武線の営業運転から引退し、今後はインドネシア・ジャカルタに渡り、走り続けることとなります。まもなく終点の武蔵中原です。電車をお降りの際は、お忘れ物のござ いませんように、また、この電車との思い出もお持ち帰り頂けたら幸いでございます!

 このアナウンスを聞いた乗客たちは、感動しました。
 感動した乗客たちは、アナウンスの内容を、友達などに知らせました。
 このことで、またたく間に、多くの人が知ることになり、感動の輪が広がりました。

 現代は、心に潤いのない時代です。
 ことに、都会の生活は、無味な機械音しか聞こえてこず、歩いている人たちも、黙って無表情です。

 そんな中、胸にグッとこみ上げてきたり、ウルッとさせるようなことばを聞くと、そのことばが、干天の慈雨となって、人の心を潤します。

 異常気象は、自然現象ばかりではありません。
 人の心も乾いて、異常気象気味になっていることを忘れてはなりません。  合掌


平成27年1月

【 お寺の行事 】

   1月 1日(祝) 修正会  午前 7時

   1月11日(日) 役員会 午前10時
            新年講  午前11時
            懇親会 正午                 

     ご家族みなさん連れ立ってお参りください。  

【 幸せ 】

 新しい年を迎えて、誰もが、1年の「幸せ」を願うところです。
 家内安全・身体堅固・無病息災・商売繁盛・五穀豊穣など、願いはさまざまですが、だいたい自分中心の願いになるのが普通です。
 中には、世の中の平和や人類の幸せを祈る人もいるでしょうが、そんな人であっても、まず自分の幸せを願って、ついでに人々の幸せもというのが本音ではないでしょうか。
 自分中心に考えてしまうと、どうしても、見落としが出てきます。
 自分にとって不都合なことや関心のないものには、かかわろうとしないからです。
 このことで、私たちは、深いものに出会えるチャンスを逃し、せっかくの幸せを薄っぺらなものにしているのではないでしょうか。

 『雑比喩経』というお経に、次のようなたとえ話があります。

 ある信心深い金持ちの商人が、お寺に高座を寄付しました。

 ある日、お寺参りすると、寄付した高座の上に一人の老人が座っていました。
 老人は、眼に目やにをいっぱい貯めて、鼻から鼻水を垂らし、口からはよだれをだらだら垂らし、いかにも汚らしい格好をしています。

 それを見た商人は、腹を立て、

   ”この高座は、俺が寄付したものだ。高座は、お坊さんが座るのだ。
    お前みたいな者が座る場所ではない!”

と言って、老人を高座から引きずり下ろしました。

 そして、さも、すっきりしたというふうに、仏さまに向かって、

   ”南無阿弥陀仏! 南無阿弥陀仏!…”

と念仏を称えて帰っていきました。

 家へ帰った商人は、何かしら、疲れを覚えて、ウトウト居眠りしてしまいました。

 寝ている間に、夢を見ました。
 夢の中に、阿弥陀仏が現れました。
 それを見た商人は、喜びました。
  
   ”あぁ、阿弥陀さまが現れてくださった! 嬉しいこっちゃ!
    俺が、日ごろお寺に寄付して信心しとる功徳や!有り難いこっちゃ!
    南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏!…”

と、夢の中で阿弥陀仏を拝みました。

 ところが、夢に現れた阿弥陀仏は、腰を曲げて、杖をつき、しきりに腰の辺りをさすっています。

    ”アタターッ! アタターッ!”

 腰をさすっている阿弥陀仏は、見たことも聞いたこともありません。
 どうも様子が変です。

 商人は、夢の中で、

    ”阿弥陀さま、そのお姿はどうなさったのですか?”

と尋ねました。
 阿弥陀仏は、腰をさすりながら、

   ”おら、昼間、お寺の高座に座っていたら、お前に引きずり下ろされた。
    そのとき、腰をしたたか打って痛くてどうもならん!
     アタターッ…!”
   
と答えました。

 これを聞いた商人は、びっくりして、

    ”さては、昼間、お寺の高座に座っていたあの汚い年寄りは、阿弥陀さまだったか!
     こりゃ、大変なバチ当たりなことをしてしもた!”

と思ったとたん目が覚めました。

 
 阿弥陀仏は、「いろもなし、かたちもましまさず」と説かれます。
 仏さまは、本来、形も色もありません。
 その仏さまが、「いろもなし、かたちもましまさ」ない世界から、形をもって現れてくださったのが、生きとし生きるものの姿です。
 『法華経』の中に、観音菩薩は「…種々の形をもって、もろもろの国土に遊び、衆生を救うなり…」と説かれています。
 観音菩薩に限らず、すべての仏さまは、私たち衆生を救うために、色も形もない世界から、さまざまな姿形をもって私たちの前に現れてくださってある姿です。
 私の目の前にある姿形は、自分にとって嫌いなことであったり、不都合なものであったとしても、それは仏さまが私を救うために現れてくださった形なのです。
 目の前の姿形がどんなものであれ、仏さまとして拝めなければ、ほんとうに救われることはないということです。 合掌
 




平成26年1月

【 お寺の行事 】

    1月 1日(祝) 修正会(初参り)午前7時 お勤め・年酒

    1月12日(日) 役員会  午前10時
              新年講 午前11時
              親睦会 正午

       ご家族みなさん連れ立ってお参りください。

【 かるた 】
              
 年末年始にかけて、書店の店頭には「かるた」が並べられます。
 「かるた」は、正月の遊びとされていますが、もともと正月にかぎったものではありませんでした。
 「百人一首かるた」「いろはかるた」などは一般的ですが、江戸時代には「武者かるた」、戦時中には「軍国かるた」など、時代や世相を反映した「かるた」も作られました。
 今では、「アンパンマンかるた」「仮面ライダーかるた」なども作られ、「かるた」は、私たちの身近なところにある日本の伝統文化です。
 「かるた」は、主に子供たちの情操を育てる教育玩具として遊ばれてきました。

 2年ほど前、親鸞聖人750回御遠忌を記念して「真宗かるた」が作られました。
 仏さまの教えが、「かるた」になったのです。

      ○も もみじの手 阿弥陀さまに 初まいり

      ○ち 小さな手 数珠かけている 報恩講

      ○て 手を合わせ 念仏となえる みなよい子

 この子たちは、きっと素直な心を持った若者に育っていくにちがいないことが思われて、ほのぼのとした気持ちにさせられます。

 「かるた」が、子どもたちの心を育てるのに有効だったのは、繰り返し遊ばれたからです。子どもたちは、「かるた」遊びをとおして、仏さまの教えを同じことばを何度も聞きました。
 何度も聞いているうちに、教えが、子どもたちの心に染みこんでいったのです。

      ○い いただきます 命いただく お食事を

      ○ら 礼拝は ありがとうの 形です

      ○う ウソが出る 同じ口から 御名がでる

 これらは、大人にも当てはまります。
 仏さまの教えというより、仏さまの戒めが「かるた」のことばになっています。

 「いただきます!」と言わずにご飯を食べたり、世間のことにかまけて感謝の心を忘れ、念仏を称える同じ口で、悪口やウソを言ったり、不調法な生きざまになっていないか反省させられます。

      ○お 大きい手 小さい手合わせ お念仏 

      ○み みな笑顔 和顔愛語の あたたかさ

 これが一番いいかたちです。
 大人も子どもも手を合わせる心を持って、笑い合って過ごす、これが、仏さまの教えが、人や家族に完成した姿です。

【 アリの街のマリア 】

 終戦後まもなく、東京浅草の廃品回収業者たちが住む「蟻の町」に、一人の若い女性が生活するようになりました。
 北原怜子さんです。
 北原さんは、父が大学教授で裕福な家に生まれました。20歳の時、カトリックの洗礼を受け、キリスト教に入信します。
 生涯、キリスト教徒として生きることを決めた北原さんは、蟻の町を活動場所として選びました。
 自らも廃品回収業の鑑札をもらって、蟻の町の子どもたちとクズかごを背負い、リヤカーを引いて生計を立てながら、町の子どもたちに勉強を教えました。
 子どもたちは、「北原先生!北原先生!」となつきました。

 北原さんの活動は世間に知られるようになり、新聞にも報道されるようになりました。
 やがて、その名はキリスト教関係者を通じて世界にも知らされ、北原さんは、「アリの街のマリア」と呼ばれるようになります。

 子どもたちの中に、宮坂源一くんという14歳になる少年がいました。
お母さんのいない源一くんは、北原さんにとくになつきました。

 北原さんは病弱な体質で、無理をするとすぐ熱を出して寝込んでしまいます。
 そんなとき、子どもたちは手紙を書いて、北原さんを励ましました。
 源一くんが書いた手紙の中に、次のような一節があります。

    …カトリックのどこがいいのだと聞かれても、正直の話、僕にはまだ、何もわかりません。
    ただ、僕が一番尊敬する北原先生の信仰する宗教だから、僕も信じたいと思うだけです。…

                                                       『蟻の街の子供たち』

 「尊敬する人が信じる宗教だから、自分もその宗教を信ずる」

 宗教とは、「人を信ずる」ところから始まるものなのでしょう。
 その人に真実が見える、真実が見えるからその人を尊敬する、尊敬するから、その人が信じる宗教を自分も信じるとなるのでしょう。

 そうすると、親が大事に守ってきた、親を尊敬するから、親が大事に守ってきたものを自分も大事に守るということも起こるわけです。
                                                                 合掌
 

平成25年1月

【 お寺の行事 】

        1月 1日(祝) 修正会    午前7時
                          お勤め・年酒

        1月13日(日) 新年講    午前11時
                       役員会・お勤め・懇親会
  
           ご家族みなさん連れ立ってお参りください。
  
           今年も、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

【 捨ててこそ 】

 友人の一人に、2度の大手術からよみがえり、雪深い福井県の村里でお寺の住職として頑張っている男がいます。
 彼は、不完全な体調ながら、大学の同窓会には、必ず出て来ます。

 その理由を尋ねたところ、

    ”俺は、2度の大手術をして、人生観が変わった。
     朝、目が覚めて、生きていることが感謝だ。
     そして、今日1日、今年1年と思って生きている。
     だから、同窓会は、1回1回、これが最後だと思って出ている。
     出られたことが感謝だ。
     だから、生きていれば、次も必ずくる!”

 昔、ある人が、空也上人に、

    ”念仏は、どんな心で称えればよいでしようか?”

と尋ねたところ、上人は、

    ”捨ててこそ!”

と一言云っただけで、後は何も言わなかったという話しが伝わっています。

 私たちは、いろいろな思いを持って生きています。
 その思いのほとんどが、わが身の都合を優先した思いばかりです。
 わが都合は、思い通りになりませんから、生きていることを有り難いとも何とも思えません。
 有り難いどころか、不足まで起こってきます。このため、生きていることが喜びとならず、生きることが苦しみになります。

 「捨ててこそ」とは、何もかも捨てて、投げ出してしまうことではありません。
 執着というとらわれの心を捨てるのです。

 大病をして命のはかなさを知り、自分の命の現実を受け入れ、自分の命に素直になれたことを「捨てた」というのです。
 友人は、自分の命に素直になれたことで世界が変わり、人生観も変わりました。 そのことで、自分のほんとうになすべきことが分かったのです。
 そして、自分の命と真剣に向き合い、1日1日、1回1回を大事に生きようとしています。
 
 この心ほど、強い心はないと感じました。

【 迹(しやく)門(もん)の親と本門の親 】

 禅の大家である松原泰道師は、著書の中で、中国天台宗の開祖といわれる智(天台大師)が、釈迦に「迹門の釈迦」と「本門の釈迦」がいると説いていることを紹介しています。
 「迹門の釈迦」とは、歴史上の実在したお釈迦さまのことです。
 「本門の釈迦」とは、歴史上のお釈迦さまがさとられた真実のことです。
 こちらは、姿形のないお釈迦さまです。
 天台宗は、姿形のない「本門の釈迦」を大切にし、信仰の対象にします。

 『法華経』に、たとえ話があります。

 ある医師が、わが子を残して外出した留守中に、子どもたちが誤って毒薬を飲んでしまいます。
 家に帰った医師は苦しむ子どもたちを見て驚き、急いで解毒剤を作って子どもたちに飲ませます。
 薬を飲んだ子は、すぐ快方に向かいます。
 しかし、薬を飲もうとしない子がいます。
 その子に、薬の効き目をどれだけ説明しても飲みません。
 毒が頭まで回って、正常な判断が出来なくなってしまったのです。
 薬の効き目を疑って、なんのかのと言って飲もうとしません。
 そこで、父は一計を案じます。
 子どもたちに、

   ”私は、もう歳だから、いつ死ぬか分からない。ここに薬を置いておくから、    必ず飲みなさい!”

と言って旅に出ます。
 その旅先から使いの者を出して、子どもたちに、

   ”お前たちの父は死んだ!”

と言わせます。
 これを聞いた子どもたちは驚きあわて、嘆き悲しみます。
 そのとき、薬を飲もうとしなかった子が、父の出がけのことばを思い出します。
 父の言いつけどおりに薬を飲んだところ、毒はたちまち消えて、子どもたちはみな全快します。

 子どもたちが全快したと聞いた父は、子どもたちのもとへ帰るという話しです。

 この話の中の、解毒剤を置いて旅に出るまでの父を、「迹門の父」と言ってよいでしょう。
 旅に出たあと、死んだと聞かされたときの父は「本門の父」と言えると思います。

 いつの時代でも、子どもというものは、親の言うことを煙たがり、親の指図をうるさがります。
 そんな子が、親がいなくなって初めて親の真実に気づき、親をありがたく思うことがあります。
 「迹門の親」の意見は煙たいが、その親が「本門の親」に変わると、同じことばがまったく違った意味をもって子の心に染みてきます。
 子は、親が生きているうちは、なかなか素直になれないのです。

 「いつまでもあると思うな親と金」ということばがあります。

 あるうちは有り難いとも何とも思わず、かえって不平不満まで持ってしまうのが、私たちの常です。
 甘えているからです。

 「迹門」「本門」の教えは、親がいてくれるあいだに親の真実に目覚めて生きることが、すなわち仏さまの真実を生きることだと教えています。
                                 合掌


平成24年1月

【 お寺の行事 】
           
      1月 1日(日) 修正会   午前7時

      1月 8日(日) 役員会 午前10時
                新年講 午前11時
                懇親会 正午から

           お誘い合わせてお参りください。

  ※ 「真宗講座」開催のお知らせ

 今年から、第三山方組(土田・上熊野・堀松地区の一部)において、ご門徒のみなさん対象の「真宗講座」という学習会が、年2回のペースで行われます。
 内容は、親鸞聖人の念仏の教えを初歩から学ぶ入門講座です。
 私たちは、どのように生き、どのように人生の終末を迎えたらよいのか、親鸞聖人の教えに学びながら、生きることと死ぬことの意義について学びます。
 受講は、どなたでもできます。
 受講についてのお問い合わせは、当寺までお願いします。

【 工事完了 】

 このたび、名山淑子さんのご懇念により、鐘楼石垣組み直し工事をさせていただきました。
 現在の鐘楼と梵鐘は、名山良之助さんの肝いりで、昭和29年に成ったものです。
 約55年の時を経て、石垣が数カ所にわたって割れ出したため、堂倒壊などの大事に至らない前に修理していただきました。
 かつて、梵鐘は、時間を知らせるために鳴らされました。
 昔は、時間の言い方が2通りあり、1つは、2時間ごとに、子・丑・寅…亥と十二支で言う方法。もう1つは、やはり2時間ごとに、「九つ」「八つ」…「四つ」と数字で言う方法でした。
 梵鐘は、数字で言う方法にしたがって鳴らされました。
 たとえば、「九つ」の時間になると、「捨て鐘」を3回早く鳴らし、そのあと9回ゆっくり鳴らします。「八つ」の時間になると、「捨て鐘」3つのあと、ゆっくり8回鳴らしました。
 人々は、鐘の音の数で時間を知ったわけです。
  「明け六つ」とか「暮れ六つ」ということばを聞いたことがあると思います。明け方の6時ごろと夕方の6時ごろが、「六つ」の時間に当たることから言われました。このときは、「捨て鐘」3つのあと、ゆっくり6回鳴らしました。
 梵鐘が時間を知らせたのは、明治の初め頃までだったそうです。
 時計が普及するとともに、梵鐘の時を知らせる役目は終わりました。
 現在は、主に、お寺のお参りを知らせる合図として鳴らされています。
 極應寺では、このほか、「明け六つ」に当たる時間に、毎朝鳴らしています。
 極應寺の梵鐘には、「正覚大音 響流十方」と刻まれています。
  「お釈迦さまの仏法を説く大音声は、十方四方に響き渡る」という意味です。
 今年の大河ドラマの平清盛も出てくる『平家物語』の冒頭文は、「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。…」で始まります。
  「祗園精舎」とは、お釈迦さまが説法されたインドのお寺の名前です。このお寺の鐘は、「諸行無常、諸行無常…」と鳴ったと伝えています。
 昔の人は、鐘の音を説法として聞いたのです。
 鐘の音1つを「アタリ」「オシ」「オクリ」と3つに分けます。「アタリ」とは、撞木が鐘に当たったときの最初の大きな「ゴン!」です。その後に響く音を「オシ」と言い、ウナるように、「ゴォン!、ゴォン!、ゴォン!」と聞こえる音です。そして、「オクリ」は、「ゴーーン!」と長く尾を引くように次第に小さくなります。
  「ゴォン!」は、「ご恩」でしょう。
 鐘の音を「ご恩」と聞ければ、「ありがとう!ありがとう!…」という感謝の心が起こり、「南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!…」と念仏が出てくるのではないでしょうか。
 また、鐘の音は、「アタリ」1里、「オシ」1里、「オクリ」1里といって、3里まで届くと言われます。
  「正覚の大音」が十方に響き渡るよう願いを込めて、撞き続けたいと思います。

【 業の肯定 】

 落語家の立川談志さんが亡くなりました。
 立川談志さんは、型破りな落語家でした。
 そのため、落語界の中でも敵を作り、お客さんの評価も二分しました。反面、熱烈な支持者やファンもたくさんいました。
 談志さんは、「落語とは、人間の業の肯定である」と言いました。
  「業」について、著書『談志の最後の落語論』の中で、「人間、唯ァ生きられりゃそれでいいものを、40年生きなければならなかった、50年生きなければならなかった、まして現代のように、80だ、90だ、ということになると、そのあいだの退屈を紛らわせるために余計なことをしようとする。つまり『好奇心』。この始末が悪いものを私は『業』と言っている…」と述べています。
 人間は不完全な存在であり、不完全であるがゆえに愚かなことをしでかします。談志さんは、愚かさは、「好奇心」をはたらかせることによって出てくると言います。
 その愚かさを笑うことで、不完全さや愚かさを認めていく、これが落語であると言うのです。
 認めるということは、人間の不完全さや愚かさを許すということでもあります。
 談志さんは、何でもかんでも完璧を求め、少しの失敗でも許さない現代の風潮に息苦しさを感じていたのかも知れません。
 聖徳太子は、「十七条憲法」の第10条に、「忿を絶ち、瞋を棄てて、人の違うことを怒らざれ。…我必ず聖にあらず、彼必ず愚かにあらず、共に是凡夫ならくのみ。…」という文言を入れました。
 聖徳太子は、仏教の教えを政治に取り入れた政治家でした。
 人間というものは、仏さまの目から見れば、誰が立派で、誰が愚かだということはありません。皆、「凡夫」です。「ただびと」です。
 「ただびと」ということは、「業」を持った存在であるということです。未完成で愚かな存在であるということです。
 その、未完成で愚かな人間までも救ってくださるのが、阿弥陀仏のお慈悲のはたらきです。
 親鸞聖人が、『正信偈』の中で、「…能発一念喜愛心、不断煩悩得涅槃…」と偈文されました。
 念仏を喜び、念仏を称えようという一念の心が起こったならば、煩悩を持った者が、「業」を背負ったそのままの姿で、さとりを開くことができる、つまり阿弥陀仏の救いに会えるという意味です。
 阿弥陀仏も、業を否定していません。
 業を棄て、業を消した者だけ救うとは言っていません。業を持ったままで助けると、約束してくださっています。
  「業」が許される世界。「業」を許す世界。
 そういう世界を持つ。
 そこに、真の安らぎや心のゆとりが生まれます。生きることの喜びも楽しさも生まれてきます。
 談志さんは、型破りな言動で、落語をとおして、仏さまのことばを使わず、仏さまの世界を語ろうとした希代の落語家だったのではないでしょうか。  合掌

平成23年1月

【お寺の行事】


       1月 1日 元旦 修 正 会   午前7時

       1月 9日(日) 役員会及び新年講、懇親会

            お誘い合わせてお参り下さい。
 
 宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要参拝希望者を募集しています。

    期 日 3月21日(月)、22日(火)の2日間(1泊2日)
    場 所 京都・東本願寺
          他に、親鸞展、二条城、宇治平等院の見学もあります。
    費 用 1人30,000円(宿泊費・食事代・見学費込み)

            お問い合わせは極應寺まで

【 うさぎの布施 】

 今年は「卯年」です。
 仏典に、うさぎが出てくる話があります。
 インドに、一匹のうさぎが棲んでいました。
 明日は、お坊さんが托鉢に回ってくる日です。
 しかし、うさぎにはお坊さんに差し上げる食べ物が何もありません。季節がら、自分の食べ物にも事欠く毎日でした。
 うさぎは、困ってしまいました。
 そこで、考えました。
    ”私には、お坊さんに布施する物は何もない。だから、お坊さんが来られたら、私の肉を差し上げよう!”
 このことを天にいる帝釈天が知り、うさぎの覚悟がほんとうかどうか試すため、一人のバラモン僧に姿を変えて、うさぎの家へ托鉢に行きました。
 うさぎは、言いました。
    ”私には、布施する物が何もありません。あなたは、薪を集めて火をおこしてください。私は、その中に飛び込みますから、焼けた私の肉を食べて修行に励んで下さい!”
 僧は、黙ってうなずき、神通力で火をおこしました。
 その真っ赤に燃える火の中へ、うさぎは飛び込みました。
 ところが、うさぎの毛一本焼けません。火は、氷のように冷たいのです。
    うさぎ ”どうしたことでしょう?”
    僧  ”許して下さい。私は、あなたの覚悟が、ほんとうかどうか試したのです。あなたの、身を捨ててでも布施しようとする覚悟は、ほんとうでした! 私は、あなたの貴い心がけが、世界中の人々に知れ渡るようにします!”
 そう言うと、僧は、月にうさぎの絵を描きました。
 昔の人は、「月の中でうさぎが餅をついている」と、子どもに教えました。
 その餅は、うさぎが食べるのではなく、人に施す餅だったのです。
 帝釈天は、世界中の誰にも届く月の光で、布施の心を教えて下さいました。
 仏教では、月のやわらかな光りを、仏さまの「お慈悲の心」にたとえます。
 法然上人の、「月かげの いたらぬ里は なけれども 眺むる人の こころにぞすむ」という和歌は、月を愛でる人の心に宿るお慈悲の心を詠んだものです。

【 こころを伝える 】

 「武士の家計簿」という映画が話題になりました。
 幕末から明治を生きた、加賀藩の武士の物語です。主人公は、加賀藩の会計係をしていた猪山直之という下級武士です。猪山直之は、少ない給料をやりくりして、借金だらけの家計を立て直し、わが子に算盤の技術を厳しく教え込みました。
 子の成之は、明治という新しい時代の荒波にもまれて没落していく士族が多い中で、新政府の海軍に職を得て、父に仕込まれた算盤の腕を生かして出世しました。
 映画では、成之が子どものころ、父直之のやり方に逆らうシーンがあります。
 成之の祖父、猪山信之が死亡したとき、父直之はお通夜の席に顔を見せませんでした。これを不審に思った成之が、父の部屋を訪ねると、父直之は算盤を弾いている最中でした。
   成之 ”父上、何をしているのですか?”
   直之 ”葬儀費用の計算だ!”
   成之 ”どこの家でも、身内が死んだときでも、そうするのですか?”
   直之 ”家によってちがう!”
   成之 ”そろばん侍だからですか?”
   直之 ”そうだ!” 
 そのときは、おとなしく引き下がった成之も、後日、些細なことで父に叱られたことで、”父上のやり方は、合点がいきません!”と、父の厳しく細かいやり方に、日頃の不満をぶちまけます。
 そのとき、怒った直之は、成之を算盤で殴りつけます。算盤は壊れてしまい、成之の額に、一生消えない傷が残りました。猪山直之は、わが子の体に一生消えない傷を残してでも、「算盤のこころ」を伝えたかったのでした。 
 では、私たちは、何を伝えられるでしょうか。また、伝えるものを持っているでしょうか。そんなことがはっきりしない時代を、私たちは生きています。
 親鸞聖人は、「…煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします。」と言われました。
 欲望を火のように燃やしながら、いがみ合って生きる私たち娑婆世界には、「常」なるものがありません。その「常」のない世界を、「常」にしようして、うそ・偽りを塗り重ねながら生きるのが私たち凡夫の生きざまです。
 親鸞聖人は、この「常」のない世界に、たったひとつある「常」なるものは、「念仏」のみであると断言されました。
 先ごろ復刻された、『土田の歴史』には、次のような話しが載っています。
 矢田という集落に、前田為次郎という人が住んでいました。
 その為次郎が臨終を迎えたとき、息子が父に尋ねます。
   息 子 ”父ちゃん、何か言い残すことはないか?”
   為次郎 ”別に、言い残すことはない!”
       ”そうだ! ひとつ、言い残すことがある。この家のただ一つの財産は六字の名号だ。他のことはどうでもよいが、念仏だけは、しっかり守っていけよ!”
と遺言しました。
 私たちが伝えるべきは、お念仏の教えを生きる姿ではないでしょうか。
 猪山直之が残した「算盤のこころ」は、その後、猪山家のこころとして代々受け継がれ、猪山家を支え、猪山家を守りました。 合掌


平成22年1月

【 お寺の行事 】

     1月 1日(祝)修正会 午前 7時

     1月10日(日)役員会 午前10時
              新年講 午前11時
              懇親会 正午

         お誘い合わせてお参り下さい

【 帰敬式 】

 「帰敬式」とは、「おかみそり」のことです。法名をもらう儀式のことです。
 法名とは、仏さまからいただく名前のことです。
 私たちは、生まれたら名前をもらいます。これは、俗名です。俗名には、親の願いが込められています。
 法名をもらうことは、念仏者として生まれ変わったことを意味します。仏さまの教えをいただいて生きる身になったということです。法名には、仏さまの願いが込められています。
 生きるためには、心の支えとなるかなめが必要です。そのかなめが、仏さまの教えです。仏さまの教えを心のかなめとして生きる身になる。これが、帰敬式を受ける意義です。
 法名を生前にもらったら縁起が悪いように考える人がいます。
 法名は、生前にもらうのが本来のありかたです。法名は、生前にもらってこそ、その人の人生を意味あるものにするのです。

 来る5月22日(土)、能登教務所(七尾市藤橋町)で、現門主の大谷暢顕師ご親修の「帰敬式」が執行されます。現門主が、「能登教区親鸞聖人750回御遠忌お待ち受け大会」に参勤されるのにあわせて特別に行われるものです。
この機会に、「帰敬式」を受けられることをお勧めします。ご夫婦そろって受けるのも意味あることと思います。
 申込みの〆切が、3月末日となっています。
 問い合わせは、極應寺までお願いします。

【 平成の坂本龍馬 】

 今年のNHK大河ドラマは、「龍馬伝」です。
 坂本龍馬は、江戸時代の終わり、幕末に生きた土佐藩の武士です。日本の将来を憂え、新しい国造りに奔走した憂国の志士でした。
 龍馬は、どんな国造りを考えていたのでしょうか。
 次のようなエピソードがあります。
 土佐では、藩士の間で長刀を差すことが流行していました。
 あるとき、旧友が龍馬に会ったとき、龍馬は短めの刀を差していました。
 刀が短いことを指摘したところ、龍馬は「実戦では、短い刀のほうが取り回しがいいんだよ!」と言いました。
 納得した旧友は、短い刀を差すようにしました。
 次に会ったとき、勇んで短い刀を見せました。
 龍馬は、懐から拳銃を取り出し、「銃の前には、刀なんて役にたたないよ!」と言いました。
 納得した旧友は、さっそく拳銃を買い求めました。
 三度目に会ったとき、拳銃を見せたところ、龍馬は万国公法(国際法)の洋書を取り出し、「これからは、世界を知らなければならないんだよ!」と言いました。
 旧友は、「もはや龍馬にはついていけない!」と思ったということです。
 この話しは史実ではないようですが、龍馬がどんなことを考え、何を目指していたかをよく伝えるエピソードです。
 龍馬の考えは、刀から拳銃、拳銃から万国公法(国際法)へと展開します。龍馬は、これからの時代は、国内の争いから外国との戦争、外国との戦争から戦争を越えて国際協調を目指さねばならないと考えていたようです。
 そして、日本の歴史は、龍馬が考えていたとおりに推移しました。
 龍馬以後の日本は、国内の争乱を経て、明治という新しい時代を迎え、幾多の戦争を経て、今、国際協調の時代を迎えようとしています。
 龍馬は、100年後、150年後の日本を見通していたのです。
 しかし、龍馬は、新しい時代を見ることなく、33歳のとき暗殺されました。犯人は、見つかりませんでした。
 龍馬暗殺は、午後9時ごろ、京の町中で起こりました。目撃者がいた可能性は十分あります。犯人を見つける努力をしなかったのか、目撃した人が語らなかったのか、犯人も口をつぐんだまま、真相は闇に消えてしまいました。
 なぜ、龍馬が殺されねばならなかったのでしょうか。
 龍馬が邪魔になったのか、龍馬への怨みだったのか、今となっては分かりません。
 龍馬の活動は、生前は評価されませんでした。当時、ほとんどの人が、龍馬の行動を疑心暗鬼の目で見ていたからです。
龍馬は、死んでから有名になりました。
 死んだあと有名になったということは、龍馬が築いた新しい時代を生きてみて、龍馬の行ったことが大事業であったことに気づいたからです。時代の混乱が収まって冷静になったとき、龍馬の存在が大きかったことに気づいたことを意味します。新しい日本を造った大切な人間を、無惨にも殺してしまったことに気づいたのです。

 『阿弥陀経』というお経に、「五濁悪世」ということばが出てきます。「五濁」とは、「劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁」の5つの濁った状態のことです。時代が混乱するのが、劫濁。間違っていることを正しいと考えるのが、見濁。自分さえよければいいという考えのはびこるのが、煩悩濁。道徳を失った人間になってしまうのが、衆生濁。命を輝かせて生きられないことが、命濁です。
幕末という時代は、まさに五濁の混乱した時代でした。五濁であるがゆえに、混乱の時代が、正しいことをする人間を殺してしまったのです。あとに残った人たちは、時代を変えた責任を龍馬一人にかぶせて、自分は無関係をよそおい、龍馬の偉業を思うことなく、何喰わぬ顔をして新しい時代を生きていきました。
人間とは、何とむごいことをするのでしょう。

 今、政権交代して数ヶ月が経ちました。先の選挙では、国を変えて欲しい願いから投票した人が多かったことと思います。
 しかし、平成の坂本龍馬は、今のところ現れていません。
 私たちは、私たち一人一人が、坂本龍馬にならねばならない時代にあるのではないでしょうか。

【 数え年 】

 昔は、生まれたら0歳ではなく、1歳でした。そして、正月を迎えたら1歳足して年齢を数えました。
 たとえば、大晦日に生まれた子は1歳です。そして、明くる日の正月には2歳になりました。
 日本人は、0という数字を持たなかったからだと言われています。
 仏教は、今も、生まれたら1歳という数え方をします。子は、母の胎内で約1年間過ごします。子が母体に宿った           ときを命の誕生と考えたからです。
 仏教は、生まれ出る前の命の存在を見ているのです。     合掌

平成21年1月

【 お寺の行事 】

      1月 1日(祝) 修正会   午前7時

       ※ 年始めのお参りです。皆さんと一緒にお勤めし、その後、
        年酒をいただき、新しい年を迎えたことを感謝するお参り
        です。

      1月11日(日) 役員会   午前10時
                新年講   午前11時
                懇親会   正午

       ※ たくさんの方々にお参りいただき、懇親会にもご参加くだ
        さるようお願いします。

               お誘い合わせてお参りください。


【 永遠の命 】

 門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし   一休禅師

 一休禅師は、室町時代に生きた臨済宗の禅僧です。変わったことをしたり、言ったりするので、当時から、その名が知られていました。
 そんなことから、「とんちの一休さん」のモデルにもなりました。「一休さんのとんち話」では、小坊主の一休さんが、とんちを使って、つぎつぎと難題を解決します。私たちが見落としている視点からの発言や行動で、人々を「なるほど!」とうならせます。
 実際の一休禅師は、奇行の目立つ人でした。僧でありながら、木刀を腰に差して、風変わりな格好で歩きまわったり、仏像を枕にして昼寝をしたりして、人々を「あっ!」と驚かせました。
 数々の奇行の中で、正月に、杖の頭にドクロを載せて、「ご用心! ご用心!」と叫びながら京の街を練り歩いたエピソードはとくに有名です。
 その時、歌った歌が、「門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」です。この歌の後に、「ご用心! ご用心!」と続けたのでしょう。この様子を、「正月だ! 正月だ!」と言って浮かれる京の街の人たちは、どんな思いでながめたのでしょうか。
 一休禅師は、人間はいつまでも生きることができない。「正月だ! 正月だ!」と言って、浮かれてばかりではいけない。「もっと大事なことを忘れるなよ!」と言いたかったのでしょう。
 一休禅師に、次のようなエピソードがあります。

 あるとき、一人の老人が一休禅師を訪ねました。
  老人・私は80歳になりました。先が短いような気がします。何とか、もう少し長生きできるようなご祈祷をしていただけませんか?
  一休・爺さん! おまえは、いくつまで生きたいのだ?
  老人・そりゃ、100歳くらいまでは生きたいですね!
  一休・なんだ、たったそれくらいか? えらい欲が少ないのぉ! それ以上はいらんのか?
  老人・じゃぁ、150歳までお願いします。
  一休・そうか。では、150歳の大晦日に死なねばならぬぞ。それでよいか?
  老人・はぁ? もっと長生きできるんですか? それじゃ、えーっと、300歳までお願いします。
  一休・どうも、おまえさんは欲が少ないのぉ! どうして、一生死なないことを願わんのかね?
  老人・えーっ! では、一生死なないご祈祷があるんですか?
  一休・あるとも! お釈迦さまの説法じゃ! 不生不滅じゃ! 仏さまのお救いによって安心決定するのじゃ!

 老人は、この一休禅師のことばで、長生きにこだわる我執から解放され、永遠の命を感得したということです。
 私たちは、「帰命無量寿如来」と唱えます。「無量寿」とは、限りない命、永遠の命という意味です。永遠の命に目覚め、永遠の命にゆだねる身になれた喜びの宣言が「帰命無量寿如来」です。そして、「南無阿弥陀仏」と称えます。「阿弥陀」とは、古代インド語で、「無限の命」という意味です。
 「永遠の命」「無限の命」に目覚めた我が命を喜ぶ日々を送りたいものであります。 

【 兄弟 】

 野球の王貞治さんに、10歳ちがいの兄さんがいます。王鉄城さんです。王鉄城さんは、先頃、78歳で亡くなりました。
 王貞治さんは、「兄は、父のような存在でした」と語ります。
 王さんの野球人生の節目には、いつも、鉄城さんの存在がありました。
 王さんの父は、兄の鉄城さんを医者に、弟の貞治さんは電気技師にと思っていたようです。鉄城さんは、医師になりましたが、貞治さんは野球をやりたいと思っていました。
 高校進学のとき、貞治さんは、早稲田実業へ進みたいと言いました。父は反対しましたが、反対の父を説得してくれたのが、兄鉄城さんでした。高校卒業後、プロ野球に入るとき、家族は、阪神タイガース入りで話しを進めていました。兄鉄城さんは、「貞治の意思も聞こう!」と言ってくれたことで、「実は…」と、自分の思いを切り出せました。
 王貞治さんは、「兄がいなければ、早稲田実業にも入っていないし、巨人にも入っていなかった」と振り返ります。
 早稲田実業時代、ホームランを打って小躍りして喜ぶ貞治さんを、兄鉄城さんは、「打たれた相手のことも考えろ!」とたしなめました。以後、王さんは、ホームランを打ってベースを一周するとき、派手なポーズをしなくなりました。756号のホームラン世界記録を達成したときも、両手は上げましたが、控えめなポーズでした。打たれた者の気持ち、負けた者の悔しさ、人の痛みを感じることのできる、心優しい王貞治という人格形成の原点が、兄鉄城さんのことばにありました。誰からも愛された「世界の王」は、こんなふうにして誕生しました。兄鉄城さんの存在なくして、今日の王さんはなかったのです。
 王貞治さんは、5人兄姉の末子です。昔は、兄弟姉妹がたくさんいる家庭はざらにありました。そして、兄を父親がわり、姉を母親がわりとして育った子どももたくさんいます。その当時は、辛いことが多かったでしょうが、終わってみれば、うるわしい思い出ばかりです。辛いことの中から、兄弟姉妹の愛情が生まれ、人の痛みを知る心も育まれました。
 昔の子どもたちは、兄弟姉妹の少ない現代の子たちにはうかがい知ることのできない心の世界を体験しています。
 あんな辛いことは、もうご免だと考えたことで、現代の子どもたちの心の闇を深くしてしまったのではないでしょうか。合掌

平成20年1月


【 お寺の行事 】

      1月 1日(元旦) 修正会(初参りのこと) 午前7時

      1月13日(日)  役員会 午前10時
                 新年講 午前11時
                 懇親会 正午

      ※ 上記のほか、今年の寺当たり行事として「歓喜光院殿初御崇敬」を、1月または2月に勤めます。 

                               お誘い合わせて、お参りください。

【 夢 】

縁起のいい初夢は、「一富士、二鷹、三茄子」と言います。
 富士山は、その形が末広がりであることから「子孫繁栄や商売繁盛」を、鷹は空高く舞い上がることから「運気隆昌」を、茄子は「成す」に通じることから「所願成就」するというわけで、富士山・鷹・茄子の初夢を見れば、その年は縁起が良いと言われています。
 しかし、こんな夢を実際に見たことのある人は、何人いるでしょうか。おそらく、ほとんどの人が見ていないと思われます。
 その時のために、正月2日の夜は、枕の下に七福神の乗った宝船の絵を敷いて寝ます。そして、富士山・鷹・茄子以外の夢を見た翌朝は、その夢を見なかったことにするという意味で、宝船の絵を川に流して縁起直しをしました。
 ということは、富士山・鷹・茄子の夢を見ても見なくても、その年は縁起が良いということになります。
 庶民の、ささやかな新年の楽しみでありました。

 仏さまの教えに、「徳瓶(つるびん)の物語」というたとえ話があります。
 ある1人の貧しい男がおりました。男は、長年の貧乏暮らしが嫌になって、裕福な暮らしをしたいと思うようになりました。裕福になるためには、天の神さまにお願いするしかないと考えた男は、12年もの間、ひたすら天の神に祈りました。これが、天の神の心を動かしました。
 天の神は、「12年間頑張ったのだから、願いを叶えてやろう」と思い立ち、願えば何でも欲しい物を取り出せる「徳瓶」という1つの瓶を男に与えました。
 男は、大喜びで家に持って帰りました。
 家に帰った男は、さっそく、「おいしいご馳走がたくさん食べたい」と念じて蓋を取ると、おいしそうなご馳走がぞくぞく出てきました。
次に、男は、「金持ちの着るような立派な温かい着物が欲しい」と念じました。すると、たちまち着心地の良い立派な着物がたくさん出てきました。
 さらに、男は、「大金持ちが住むような大邸宅に住みたい」と念じました。たちまち、目の前に豪邸が現れました。
 こうして、男は貧乏暮らしを抜け出して、裕福な生活を送るようになりました。
 ある日、友だちが訪ねてきました。
 友だちは驚いて、「貧乏だったお前が、なぜ、こんな裕福な生活ができるようになったのか」と尋ねました。
 男は、天の神さまから授かった「徳瓶」のことを話しました。
 友だちは、「ぜひ見せて欲しい」と言いました。
 男は、「ごく普通の瓶なのだが、せっかくだから見せてあげよう」と言って、蔵にしまってある徳瓶を取りに行きました。
 ところが、蔵から出ようとした男は、敷居につまずいて徳瓶を落としてしまいました。徳瓶は、敷石の上に落ちて、こなごなに砕けてしまいました。
 と同時に、男が来ていた立派な着物も、大邸宅も跡形もなく消えてしまいました。
 男は、もとのボロを着た貧乏な姿にもどってしまったのです。

 男は、夢を見ていたのでしょうか。
 願えば何でも叶う、願えば何でも自分の思いどおりになるという虫のいい夢を見ていたに違いありません。

 その夢を、現実のものとした男がいます。あの守屋武昌前防衛事務次官です。守屋前次官は、権力という「徳瓶」を手に入れました。その徳瓶で、自分の思うように部下をあやつり、出入り業者に金銭を出させ、ゴルフ三昧に明け暮れ、虫のいい夢を見続けました。
 しかし、こんな夢が、長く続くはずはありません。夢は、必ずさめます。夢からさめた守屋前次官は、今、コンクリートで囲まれた冷たい拘置所の中でうなだれています。
 越中五箇山に住んだ妙好人、赤尾の道宗は、「仏法より他に心に深く入ることそうらわば、あさましく存じそうらいて、すなわちひるがえすべきこと」と言いました。
「仏法より他に心に深く入ること」とは、名誉や利益を求める思いです。道宗は、仏法を忘れて名誉や利益にとらわれてしまったら、「あさましい」ことになってしまうから、そのような思いが仏法を思う気持ちよりも強くなったら、捨てなければならないと戒めました。
 しかし、守屋前次官は、仏法を思う気持ちなどさらさらなく、名誉と利益にしがみつく心だけを膨らませてしまいました。そして、「徳瓶」などという魔法はないことにも気付きませんでした。ない物を、あると思ってしまったことで、悪い夢を見ることになってしまったのです。
 「徳のない者が、分不相応な権力や富には近づくな」という戒めであり、夢は、けっきょく夢でしかないのであります。

【 過失割合 】

 2007年の世相を表す漢字の1位は、「偽」と決まりました。2位が「食」、3位が「嘘」、4位が「疑」。そして、5位が「謝」でした。
 食品の偽装が相次ぎ、そのための謝罪も相次ぎ、これでもかこれでもかと出てくる偽装に、国民が不信感を募らせた1年でした。そのことを象徴する漢字が、上位を占めました。
 謝罪会見で際立ったのは、記者たちの質問する態度でした。徹底的に責任を追及し、やりこめ、質問攻めにする態度には、少し違和感を覚えました。質問する側に、心の余裕を感じさせるものが無かったからです。食品の偽装は論外ですが、食品偽装が起こった社会に、偽装をした者も偽装に引っかかった消費者も、両者がともに生きているという自覚がないように思えました。
 「過失割合」という考え方があります。この考え方からすれば、同時代を生きているということだけで、過失割合が発生します。そういう受け止め方、そういう心の広さ、心の寛大さが感じられませんでした。
 私たちは、お互いに、心の広さと深さを持たない限り、また同じ過ちを起こさせるような気がいたします。 合掌


平成19年1月

【お寺の行事】

      1月 1日(休) 修 正 会 午前 7時

         14日(日) 役 員 会 午前10時
                新 年 講     11時
               懇 親 会 12時

【 心の家族 】
 年末に、オーストラリアへ行く機会がありました。約3週間、一般家庭でホームステイしながらの滞在でした。ことばが思うように通じず、困難な思いをしましたが、墓参りに連れて行ってもらう機会がありました。
 オーストラリアは、ヨーロッパからの移民が多い国ですから、キリスト教の十字架の形をした墓を多く見かけました。キリスト教は埋葬を基本としています。そのため、死者が出るたびに埋葬することで、墓石が増え、墓地はどんどん広がっていきます。私が訪れた墓地は、丘を越え、川を越え、海岸近くまで広がり、日本では考えられないような広大な範囲に、数え切れないほどの墓石が立っていました。
 現在は、火葬も行われているようで、墓地には火葬場も設備され、埋葬によらない葬送も行われています。さらに、川のほとりの自然石を墓石としたものや、墓石の横に木を植えたり、木の下に墓石を置く葬送もありました。そして、ホームステイした家族の話では、オーストラリ アでも、遺骨を海に撒く散骨という葬送も行われているとのことでした。
 これらの葬送は、日本でも知られるようになって、実際に行っている人もいます。
 日本では、みんな先祖代々の墓に入るのが基本ですが、ひとりひとり埋葬することを基本としている国では、自由な埋葬形式の普及が速いのかも知れません。
それにしても驚いたことは、花を備えてある墓が多いことでした。中には枯れているものもありましたが。花を供えてある墓が多いということは、墓参りする人が多いことを意味しています。花が枯れないうちに墓参りするよう心がけているのでしょうか、私が訪れた日も、花束をたずさえた人が墓地を訪れていました。日本と同じく、お年寄りの姿が目立ちましたが。
 肌の色が違っても、目の色が違っても、人間はみな同じであります。先祖との心の交流という「心の家族」を持ちながら生きています。家族と言う場合、「目の前にいる家族」と「心の中にある家族」という両方の家族が意識されねばなりません。自分というものは、先祖がいて今あるのであり、今ある家族に支えられてある存在なのであります。
 日本人は、目の前にいる家族ですら良好な関係を保てなくなっています。
 それは、「心の家族」を意識しなくなったからであります。

【 若衆報恩講 】
 12月3日、恒例の若衆報恩講が行われました。
 昔は、青年団と男の子だけの行事でしたが、現在は女の子も交じって勤めています。壮年の方などに聞くと、若衆報恩講は、子どもの頃の懐かしい思い出として心に残っているようです。在所の若衆と男の子みんながお寺へ集まり、みんなで遊び、みんなで仏さまにお参りし、みんなで食事するという非日常的な行事には、お祭りに参加するような楽しみがあったのではないでしょうか。   「講」には、「たがいに意見を交わす」という意味があります。人が集まれば、色々な話がでて、色々な意見もでます。したがって、「講」に参加するということは、社会勉強の機会でもありました。異なる年齢の人が集まれば、社会教育の場にもなります。年上の人が、年下の人に社会や人生の知恵を教えます。そして、年下の人が次の世代に伝えることで、社会や人生の知恵が受け継がれて行きました。そういう集まりが、現代社会では少なくなりました。「個人」に重きが置かれることで、集団活動、特に、異なる年齢集団の活動の成り立ちにくい状況が生まれています。
 若衆報恩講は、若者たちの社会活動や社会勉強、社会教育や宗教教育の場として機能してきました。若者たちは、若衆報恩講に参加することで、社会の知恵や人間としての生き方を学んだのであります。
 現在は、若衆や子どもたちの数が減り、昔ほどのにぎやかさはありませんが、午後から集まった子どもたちは、ひとしきり遊んだあと、お経の練習をして、仏さまにお参りをしています。そのあと、伝統のおにぎりを食べますが、飽食の時代にもかかわらず、昔ながらの粗食を喜ぶ子どもたちの姿に変わりはありません。

【 除夜の鐘 】

      除夜の鐘わが身の奈落より聞ゆ  山口誓子

 「奈落」とは、地獄のことであります。人間は、誰でも煩悩を持ち、その煩悩に振り回されながら生きているのが常であります。煩悩とは、私の身心を悩まし、正しい判断を妨げる心のはたらきのことであり、煩悩に振り回されて生きる生活は、たとえて言えば、それは地獄の生活であります。私たちは、地獄の心を持っているのです。その数は108個もあると、お釈迦さまは説いておられます。
 大晦日に撞く除夜の鐘の数が108回であるのは、この教えに由来しています。そして、大晦日に108回の鐘を撞くのは、この1年間を振り返り、煩悩のおもむくままにわがままばかりであった自分を反省し、鐘を撞くごとに、1つ1つ煩悩を消し、新しい気持ちで新年を迎えましょうという意味があります。
 極應寺の釣り鐘には、「正覚大音響流十方」と刻まれています。「正覚」とは、南無阿弥陀仏のお念仏のさとりの境地のことです。このさとりの境地を表したのが、涼やかに澄んだ鐘の音なのであります。
 その涼やかに澄んだ鐘の音を聞いていると、鐘を撞くたびに、煩悩が1つ1つ消えていくように感じられて、まことに有難いことであるという心境を詠んだのが上記の句のこころであります。      合掌


平成18年1月


 【年始の行事】

   1月 1日  修 正 会 午前 7時

   1月 8日  役 員 会 午前 9時30分
           新 年 講  午前11時
           新 年 会  正午

 【客殿門徒会館新築事業】

 12月26日(月)、建物の受け渡しが終わりました。
 積雪のため、外回りの検査がまだ終わっていませんが、お寺の行事には支障がないので、新年からの行事は例年通り執り行いますので、お参りください。
 また、4月には落慶法要を行う予定です。ここに至るまで、ご門徒の方々には大変なご苦労をおかけし、たくさんの方々からご協力をいただきました。
 有り難うございました。 

 【 人生最大の幸福は? 】

 「人生最大の敵は?」とか、「人生最大の病気は?」、「人生最大の悲しみは?」、「人生最大の間違いは?」と問われたら、皆さんは、どう答えるでしょうか。
 昨年12月、オーストラリアへ出張する機会があり、シドニー市の郊外にある中国系仏教寺院「南天寺」を訪れたとき目にしました。
 私たちは、このような質問を受けた場合、たいてい自分を抜きにして、自分の外側に、その原因を探して答えを見つけ出そうとします。
 たとえば、「人生最大の敵は?」と問われたら、「商売がたき」と答える人がいるでしょう。あるいは、「同級生」と答える学生がいるかも知れません。
 また、「人生最大の病気は?」と問われたら、「癌」とか「成人病」などと答えることでしょう。
 そして、「人生最大の悲しみは?」と問われたら、「最愛の人に先立たれること」をあげる人もいると思います。
 しかし、宗教の立場からすれば、これらの答えはすべて間違いです。
答えは、次のようになっていました。
 「人生最大的敵人是自己」−人生最大の敵は「自分」である
  「人生最大的毛病是自私」−人生最大の病気は「わがまま」である
  「人生最大的悲哀是無知」−人生最大の悲しみは「無知」である
  「人生最大的錯誤是邪見」−人生最大のまちがいは「邪見」である
 この寺院は、中国人の僧侶たちが修行する、れっきとした曹洞宗のお寺であり、修行僧の話すことばは、もちろん中国語ですが、標記は漢字なので日本人でも読めます。そして、曹洞宗は禅宗の一派ですが、たとえ国が違っても、たとえ宗派が違っても、仏法の説き方が違うだけで、仏教の精髄は根本において同じです。この4句で構成された警句は、4という数字を好む中国人らしい表現の仕方であり、また1句1句が簡潔であることは、単純明快を好む禅の表現の特徴をよく表しています。
 この4つの警句は、1句1句がそれぞれ含蓄のある内容で独立していながら、4句で1編になっています。4句が、互いに関連し合っているということです。
 昔から、「男は外に出ると7人の敵がいる」と言います。男が外に出て働く場合、仕事の上で競争しなければならない外敵がいます。また、足を引っ張る外敵もいます。稼いで家族を養うには、勝たねばならない敵や乗り越えねばならない困難が多いということです。
 最近は、外で働く女性が増えてきました。そこで、「女が外に出ると15人の敵がいる」と言うのだそうです。女性が外で働くということは、男性以上に克服しなければならない課題や困難が多いということです。
 そして、男性にしても女性にしても、それらの外敵に勝つためには、まず自分という人生最大の敵に勝たねばなりません。自分に負けていたのでは、外敵に勝てるはずもありません。
 自分に勝つためには、自分の「わがまま」に勝たねばなりません。「わがまま」は、「邪見」から生まれ、「邪見」は「無知」から生まれます。この「無知」の状態を暗闇にたとえて、「無明の闇」と言います。無明とは、よこしまな考えを持っているため真実が見えず、仏さまの教えを受け入れられない状態のことです。その状態を、闇にたとえたわけです。闇の中は、真っ暗で何も見えません。自分の進む方向を見極めることができず、ただウロウロするばかりです。その状態を「迷い」と言います。この「迷いの闇」の中での判断は、良い結果を生むはずがありません。世の中を騒がせている事件は、すべて迷いの闇の中での判断から生まれたものばかりであります。
 年末になって、建築の耐震偽装問題が発覚し、大問題になりました。日本は、昔から地震で大きな被害を受けてきました。最近でも、地震による大災害が頻繁に起こっています。耐震偽装問題は、地震に対して過敏になっている日本人の神経を逆なでするような事件となりました。この事件で、1人の建築士の設計が問題になっています。しかし人間は、人間関係という関係の中で生きていますから、1人の判断と決定が、単独で動き出すということはありません。事件は、その1人に影響を与える人物がいて、さらに、その1人に影響されて動き出す人間もいて、複雑な人間関係がからんで展開していきます。
 生きていく上で、人間関係が大切であることは誰でも承知しています。また、人間関係は難しいものだということも承知しています。その人間関係の方を最優先した結果、社会に大迷惑をかけるというのでは話になりません。優先順位を間違ったということは、「無明の闇」の中での判断であったということです。「迷いの闇」の中で行った判断だったということです。そして、自分という「敵」に勝てなかったということでもあります。
 親鸞聖人は、「無明の闇」を破るものは、「光」だと説いています。光は、闇を明るく照らします。私たちには、心の闇を明るく照らす光が必要です。その光とは、真実に目覚める智慧であります。その智慧のことを、親鸞聖人は「摂取の心光」と述べています。私たちは、智慧に目覚めることで仏さまのはたらきに出会うことができます。仏さまのはたらきとは、私たちを救うはたらきのことです。私たちを救うはたらきとは、無明の闇の中から救い出すはたらきのことです。そして、智慧に目覚めるということは、仏さまの心に出会うということです。自分のわがままや他人の勝手な言い分を受け入れることではありません。
 そして、仏さまの心とは、「群萌を拯い恵むに真実の利をもってせん」とする心であります。自分だけ良ければよいという「自利」の心ではなく、人々に喜んでもらうための「利他」の心です。
 そうなると、「人生最大の幸福は?」の答えは、財産や名誉を手に入れることではなく、「仏さまの心に出会うこと」となります。 
  合掌

平成17年1月


  【年始のお寺の行事】 

        1月 1日(祝)修正会 午前 7時
         ※ 新年の最初のお参りです。年酒の儀があります。

            9日(日)役員会 午前9時30分
                新年講 午前11時
                  ※ 新年の最初のお講です。お勤めと法話があります。
                  親睦会 正午
                  ※ 新年講のあと、お参りの方々が親睦を深めます。
  
                         誘い合わせてお参りください。
   

  【中くらいなり】


   めでたさも 中くらいなり おらが春     小林一茶

 この句のあとに、「 めでたくもあり めでたくもなし 」と下の句を付けたのは誰でしょうか。ひょっとすれば、一茶自身だったのかも知れません。「めでたさも…… 」の句の心をうまく表現しています。
 小林一茶は、江戸時代に活躍した俳人です。一茶の俳句の特長は、弱者を詠んでいる点にあります。そして、一茶は念仏者でもありました。
      我と来て 遊べや親の ない雀        一茶
      やせ蛙 まけるな一茶 これにあり      一茶
      やれ打つな 蝿が手をすり 足をする     一茶
      雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る   一茶
 一茶は、弱いものに味方し、応援しました。一茶の句から、弱いものの心に同感し、いたわりの心で弱いものをかばうような態度が感じられます。一茶は、弱いものの中に、自分の姿を見ていたのかも知れません。
 小林一茶は、俳人としては後世に名を残す仕事をしましたが、家庭人としては、家庭的に恵まれませんでした。3歳のとき母が亡くなり、義母を迎えましたが、なじめず、15歳で江戸へ奉公に出されました。職を転々と変えた後、39歳で父を看病するため故郷の長野県に帰りました。そして、父の亡き後、10年以上にわたって、義母・弟との間で財産争いに苦しみました。貧乏との隣り合わせの生活の中で、ようやく52歳で結婚できました。しかし、産まれた子は次々と亡くなり、妻も先立ちました。一茶は、ひとりぽっちになりました。
 不遇の人生を生きることで、一茶の心の中に、弱いものに同情し、その心に同感し、弱くても共に生きる命を大切にする気持ちが芽生えたものと思われます。一茶は、弱い立場にある雀の子や、やせ蛙、そして蝿までも俳句の題材として好んで取り上げました。
 世の中には、強いものがいて、弱いものがいます。弱いものは、どれだけ頑張っても、強いものにはとうてい及ばないということがあります。しかし、強いといっても、永久に強さを保つことはできません。いつかは、衰えて弱くなります。強さとは、はかなさを含んでいます。その一方、弱いものは弱いままです。弱いままで、変わりばえしません。
 また、人生にはめでたいことがあり、めでたくもないことがあります。めでたさも、強さと同じで、永久に続くものではありません。永久に続くめでたさなどありません。めでたさも、いつかはめでたくなくなります。従って、めでたさも、やはり、はかなさを含んでいます。その一方、めでたくもないことはめでたくもないままです。めでたくもないまま、変わりばえしません。
 一茶は、そういうところをよく見ていました。お正月になると、皆が「めでたい、めでたい」と言います。確かに、新しい年を迎えることは、喜ばしいということもあるでしょう。しかし、「めでたいめでたい」で一年を過ごせるものではありません。まして、人間の一生は、めでたいどころか苦しみの連続です。
そうしたとき、一茶の心に「弱いものは、弱さに徹すれば良いのだ」という気持ちが芽生えました。弱いものは、弱さから逃げず、弱さのまま生きれば良いのだという確信です。その確信に立てたとき、一茶は、強さと弱さのどちらにも偏らない中立の立場に立てるようになりました。一茶は、その心境を、「中くらいなり」ということばで表現したのです。
 今、日本人の価値観は揺れ動いています。新しい価値観がどんどん生まれ、昔の価値観は、古くさいとして退けられつつあります。
例えば、自殺は悪いことではないと主張する若者がいます。その理由は、自分の命は自分で始末するのだから、誰にも迷惑をかけないというものです。
この考え方は、正しいでしょうか。否です。自殺は悪いことではないという考えは、あまりにも自分勝手な考え方です。自分の命というものを、あまりにも軽く考えすぎています。人間は、関係の中で生きています。親がいて、家族や親族がいます。地域の人々がいて、職場の人たちもいます。そういう人たちとのつながりの中で生きているのが人間です。自殺を肯定する人は、そういう人たちの存在をまったく考えていません。そもそも、自殺した人の死体の後片付けを誰がするのでしょうか。自殺肯定者は、そんなことすら考えていません。困ったものです。
 そして、自殺は悪いことではないと言い出す者がいると、それに賛成する人が出てくるほど、日本人の価値観はあいまいになっています。こちらで、こう言えば、それもそうだと賛成し、あちらで、ああ言えば、それもそうだと前の価値観を簡単に捨ててしまうほど、日本人の心は揺れに揺れて定まりのない状態になっています。自分が拠って立つ心の大地を失ってしまったのが、今の日本人です。
 一茶は、不如意な人生を生きる中で、不如意は不如意のまま受け入れて、偏りのない心で生きる境地を開きました。
 「中くらいなり」は、一茶が到達した心の大地でありました。     合掌


平成16年1月

 先の大戦が終わった後、出征していた男たちが復員して来ました。ある者は生きて、ある者は戦死して。
 ある住職さんの話です。
(住職さんも出征していました。住職さんは、輪島市三井町の出身です。)
 三井駅にも復員列車が入ってきました。住職さんも、この列車で復員することができました。駅には、たくさんの人たちが出迎えています。その列車は、復員兵と戦死した兵士の遺骨をいっしょに乗せていました。そのため、列車が到着したホームは、異様な雰囲気に包まれました。一方では、よろこびの歓声が上がり、もう一方では、白布に包まれた骨箱を渡された遺族の悲しみの慟哭が広がりました。
 やがて、その騒ぎもしだいに収まり、出迎えた人たちも三々五々帰って行きました。しかし、一人だけ駅の構内から出るに出られず困っている復員兵がいました。住職さんです。駅の外から、構内のようすをうかがっている一人の女性がいたからです。その女性は、恨めしい目つきで構内にいる人物をさぐっているようでした。その女性は、なかなか帰りません。やがて、その女性も、思いを駅構内に残すようにして帰って行きました。その女性は、住職さんのお寺のご門徒のお母さんでした。そのお母さんは、息子さんがすでに戦死していました。
 そんなことがあったので、寺へ帰った住職は、外出できなくなりました。生きて帰ったことが、後ろめたかったからです。戦死者の出た家族の視線が怖かったからです。それ以来、住職は数年間、寺に籠もったままの生活を送ることになりました。
 後年、ようやく外出できるまでに心を持ち直した住職は、先のご門徒のお母さんの家に報恩講参りにでかけました。
 住職は、正直に話しました。「自分だけ生きて帰ったことが、戦死した人に申し訳 ないと思っている。」
 ご門徒のお母さんは答えました。「おらこそ、あのとき生きて帰ったもんがにくら してたまらなんだ。すまんこっちゃった。」

 生きていることを喜べない、また喜んでもらえなかった時代の話であります。「人間に生まれたことを喜べ」とのお念仏の教えが忘れられた時代でもありました。
 人間は、「縁」に会えば、人を殺すことでも、どんなことでもやってしまいます。「縁」に会わないからしないだけの話なんだよと親鸞聖人はおっしゃっています。
 今回の自衛隊のイラク派遣問題にしても、イラクでどういう「縁」に会うか分かりません。会う「縁」によっては、最悪の事態が起こる可能性もあります。自衛隊を派遣する以上、そのことを覚悟しておかねばなりません。そうなった時、日本政府がどういう責任を取り、私たちはどう考えたらよいのでしょうか。
 昔の合戦では、指揮官は陣頭に立って戦いました。合戦の全責任を自分が取るという覚悟で、そして戦塵に散った幾多の勇敢な武将たちがいました。
 しかし、現在では、指揮官が陣頭に立つことはありません。陣頭に立つどころか、銃弾の飛んでくる所へは、いっさい出て行きません。
 今回のイラク派遣問題で、確実に分かっていることは、指揮官だけは死なないということだけです。 合掌!


平成15年1月

この季節は、前の季節のなごりや次の季節の芽吹き、そして今の季節が混在して、ひっそりと息づいています。
そして、それぞれが個性的なたたずまいを見せているのが冬の季節の風情といったところでしょうか。
 

 昨年2月、ハワイ沖で、愛媛県立宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」が、アメリカの原子力潜水艦に衝突され沈没しました。この事故は、26人の乗員のうち9人が犠牲になるという大きな惨事となりました。
 そして、先日、原子力潜水艦の元艦長ワドルさんが謝罪のため愛媛県を訪れました。ワドルさんは、涙を流して謝罪し、事故当時の真情を述べましたが、事故に遭った「えひめ丸」の多くの関係者は、「会いたくない。」と、この日はひっそりと過ごし、ワドルさんの訪問を受け入れませんでした。学校関係者も、誰もワドルさんに会おうとしませんでした。
 その結果、ワドルさんの謝罪の面会場には、救出された4人の元実習生とその父母しか行きませんでした。
 このようにワドルさんの訪問で、被害者の対応が2つに分かれました。一方は、「ゆるさない」立場を取り、もう一方は「ゆるす」立場を取りました。
 「ゆるす」立場に立った元実習生の一人は、ワドルさんとの面会後、「これで、すっきり終わった。気が済んだ。ここでもういい。」と語り、新たな人生に向けた区切りとしました。また、犠牲となった元実習生の両親は、ワドルさんとの面会後、「誠意ある態度で事故原因を説明してくれた。」と語り、中断していた和解交渉を受け入れることを決めました。
 日野原重明という先生は、「憎しみの連鎖にピリオドを打つのは、『ゆるす』ということだけ」と語りました。ワドルさんと面会した元実習生や和解交渉を進めることを決めた両親は、「ゆるす」ことで憎しみを超えた新たな人生を切り開く道を選びました。その精神は、『大無量寿経』に「如来、無蓋の大悲をもって三界を矜哀したまう。」と説かれる「無蓋の大悲」に通じるものがあります。「無蓋の大悲」とは、とてつもなく広い「ゆるす」心です。仏さまは、われわれ衆生を、とてつもなく広い「ゆるす」心で見てくださっておられます。この心を持って、ワドルさんを受け入れ、息子の死を受け入れ、事故を受け入れようとしている被害者の精神は、まさに仏さまの「無蓋の大悲をもって三界を矜哀したまう。」姿そのものです。
 現代は、「ゆるし」の無い時代です。他を批判することはあっても、自分の非を認めることをしません。そのため、批判ばかりが前面に出て、新聞などを読んでも、殺伐とした記事ばかりで、心の温まる記事が見あたりません。
 「ゆるし」・「ゆるされる」関係を社会の中に作り上げることで、憎しみや対立を乗り超えることができ、多くの社会問題が解決できるはずです。  合掌!

          1月 1日(祝) 修 正 会 午前 7時

          1月 5日(日) 役 員 会 午前10時
                    新 年 講 午前11時
                            ※ 12時から新年会。会費1,000円。

                                 皆さまお誘いあわせてお参りください。